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「夢は叶う」池田弘一さん講演記11 [2012年01月13日(Fri)]
新年も半月が過ぎましたダッシュ
今日から「夢は叶う」講演も連載再開ですびっくり
いよいよアサヒの反撃が始まります笑い




第11回 マーケティングの原点

当時一番売れていたビールは「キリンラガービール」でしたが、消費者調査によって、お客様はその味にも満足はしておらず、もっと新しいビールを期待しているということがわかりました。そして私たちは、お客様の満足に向けての開発を進めたわけです。この「お客様に聞く」というのは、当時のビールの開発から見ると非常に画期的なことでした。

といいますのも、当時は醸造に携わる人が美味しいと思って造ったのが良いビールで、それを美味しいと思って売るのが営業の仕事と言われていたのです。それを、日本の消費者の皆様が求めている味を調査して、それに応えることができるようなビールを醸造の人たちか苦労して作るというのは、当時としては初めての画期的な試みでした。今で言う、マーケティングの原点です。

新ビール開発の最中、私は飲料の仕事をしておりましたが、仕事の合間に開発途中の商品を色々と試飲もしました。直接携わることはなかったものの、開発の苦労を同じ本社の中で間近に見、非常に貴重な経験をすることができました。スーパードライが出る半年前に、私は営業部門の関東支店次長というNo.2として、ビール部門に戻りました。

赴任後は新商品スーパードライの紹介と予約取り付けの仕事をしたのですが、このスーパードライは立ち上がりから大変な前評判で、一年間に予定していた箱数を最初の受注の段階で獲得、発売後もすべてのお客様に十分届けることができないような、大変な勢いの売れ行きでした。

それまでのアサヒビールの売り上げは年間で大体三千七百万箱程度でしたが、アサヒスーパードライによって、一挙に七千万箱を超えるようになりました。





≪続く…≫




池田弘一さん略歴
アサヒグループホールディングス(株)相談役。1940年、福岡県生まれ。九州大学を卒業後アサヒビールに入社、九州・中国・関東などの営業に従事。1978年より千葉県酒販(株)出向、飲料営業部営業課長を経て1987年本社営業部部長。その後、各支店長・支社長を歴任し、1997年常務取締役、2002年に代表取締役社長となる。その後4年間会長を勤め、2010年3月より現職。