第5回「夢は叶う」講演会、今回の連載からいよいよ三木秀隆さんご自身のお話になります。
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第5回 夢は叶う講演会D 上海に最初に来たのは1995年です。
そのころの上海・浦東地区はテレビ塔以外には何も無かった時代です。そこに日本の森ビルという会社の社長から、ここにビルを作るのでその中に診療所を作ってくれないかと依頼がありました。日本語が使える、日本人のための診療所です。
それから3年の歳月をかけて診療所をつくりました。当時の中国では外国企業に対しなかなか許可を与えてくれませんでした。
衛生局に何度も行きましたが許可が得られず、最終的にどうやって許可を取ったかというと、これについてはどうやって夢を叶えたかという目線で聞いてください。
いくら衛生局の言う通りに書類を作っても許可が得られないので、当時権力を持っていた開発局、上海の日本領事館総領事にも来ていただき、説明会を開きました。そこで、日本人が来ても安心で、インフラと同様、診療所があれば日本企業もどんどん集まるので診療所建設の許可をくださいとお願いしたのです。
そして、上海で初めての日中合弁の医療機関として1998年に許可を得ることができ、1998年に森茂ビルがオープンしました。これまで16年間、診療を行っています。日本人はもちろん、この頃は中国人も日本でがん治療がしたいなどという患者がこの診療所を訪れます。
浦東には日本人学校もあります。昨年から浦東の日本人学校高等部とみなさん春蕾生との交流事業を始めました。日本人学校の高等部には280人ほどの生徒が通っています。
今年は7月10日に交流会を予定しています。この中からも何人か選ばれて上海に行って交流できるかもしれません。上海の日本人学校の生徒も皆さんとお会いできるのをとても楽しみにしています。
このような機会があれば、みなさんの夢ももっと広がると思います。
日本雲南聯誼協会の初鹿野理事長は、昆明で生まれ育ち、日本に留学して結婚しました。初鹿野理事長はみなさんがもっと大きな夢を持って、次の時代で活躍して欲しいと期待しているのです。その中でこのような講演会を毎年開催しています。《続く》