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「夢は叶う」加藤丈夫さん講演記4 [2013年06月21日(Fri)]

「25の小さな夢基金」プロジェクトで応援する昆明女子中学にて5月に開催した「夢は叶う」講演会
本日は加藤丈夫さんの講演第4回目です。  第3回記事は>>>こちら

お話の主人公は父・謙一さんに。「国の宝である子どもたちのために尽くす」という一人の教師の大きな夢は、やがて青森を飛び出しますぴかぴか(新しい)


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4.子どものために一生を捧げる―加藤謙一(かとうけんいち)の話
[前編]

  
謙一は1896年(今から117年前)に日本の東北地方の青森県で生まれました。

師範学校を卒業して地元で小学校の先生になり2年生(8才)のクラスの担任になりましたが、先生の仕事が大好きで、「子どもは国の宝だ。子供が良くならなければ日本は良くならない。この子どもたちのために尽くそう」と考えて仕事に励みました。

特に国語の授業に力をいれて、教科書のほかに自分で作った「なかよし」というクラス雑誌―そこには、自分が作った物語や生徒たちの作文や詩が載っていましたが、それを生徒たちに配ったところ子どもたちが目を輝かせて喜びました。

それを見ているうちに、謙一の心の中に「こんなに子供たちが喜ぶなら、この喜びを地方の一つのクラスのものだけでなく日本全国の子どもたちに広めたいものだ。そのためには東京に出て出版社に入り、少年雑誌を作ろう」という希望がわき上がり、それを抑えることができなくなってしまいました。

そこで、両親や生徒たちが別れを惜しむのを振り切って、東京に出てきました。
そのころは飛行機もなく、青森と東京は汽車で20時間以上かかったので、いまなら外国に飛び出すような気持ちだったのでしょう。

ところが、東京ではそれほど簡単に就職先を見つけることができず、3年間も決まった仕事のない苦しい生活が続きましたが、やっとのことで望みが叶って、講談社という大きな出版社に就職することができました。

そして運の良いことに、入社して間もなく、社長に認められて「少年倶楽部」という子ども向けの雑誌の編集長につくことになりました。

その社長は、謙一が子どもに喜ばれる雑誌を作りたいと決心して故郷を飛び出し、3年間も苦労しながら、その気持ちを変えなかったことを知って、「この男ならやるだろう」と思って編集長にしたそうです。

ところが、編集長一人が張り切っても雑誌が売れるものでなく、最初の3〜4年は苦しい日々が続きました。
≪続く≫


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加藤丈夫さん略歴 東京大学法学部卒業。富士電機株式会社に入社し、企画部長、人事勤労部長を務める。1989年に取締役就任後、取締役副社長、取締役会長を歴任。企業経営に携わるかたわら、企業年金連合会理事長、社団法人日本経済団体連合会労使関係委員会委員長、中央労働委員会使用者委員、学校法人開成学園理事長兼学園長などの要職も歴任した。
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