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「夢は叶う」池田弘一さん講演記12 [2012年01月20日(Fri)]
皆さんこんにちはびっくり
ブログでは少しご無沙汰してしまいましたすいません

年末にかけて、たくさんの方から「25の小さな夢基金」サポートのお申し出を頂きました。本当にありがとうございますラブ
皆さんがそれぞれ応援してくださることになった1年生の女の子たちは、昨年9月にこの池田さんの講演を生で聴いているんです音符
ひょっとしたら過去の記事でご紹介した写真の中に、あなたの「雲南の娘」が写っていたかもしれません笑い

それでは、池田弘一さんの講演、12回目をお届けしますびっくり






第12回 チャンスは貯金できない

アサヒの売り上げが一挙に増えたことで、ドライビールは大変な脚光を浴びました。ライバル会社も翌年にそれぞれドライビールを発売し、当時のマスメディアは「ドライ戦争」などと煽って、話題を呼びました。

そのような厳しい競争を経て、我々のアサヒスーパードライがお客様に認められ、今日のアサヒビールの勢いを築いたのです。当時の2人の社長の経営判断が、今も私の記憶に鮮明に残っています。

ひとつは、売り上げが低調だったアサヒビールの中にあって、おのおのの危機感を上手くまとめあげ、「100周年を迎えるにあたってもう一度素晴らしいアサヒビールに戻ろう」と、会社全体の求心力を高めて新しい計画を創り上げたこと。

もうひとつは、三千万箱余りの製造能力しかなかった会社が一挙に年間七千万箱売り上げられるような設備投資を行い、生産体制を築いたこと。

ドライ戦争といわれた当時、アサヒビールはあらゆるタンクをすべてスーパードライに集中することによってお客様の要望に応え、結果として競争に勝ちました。当時の社長は、そのことを「チャンスに後ろ髪はない、前髪をつかめ。チャンスは貯金できない。」と、後の講演で振り返っています。

私は、トップの決断力の凄さをつくづく実感しました。健全な危機感を常に持つことで、会社の求心力は高まっていく。そして、チャンスはどのような状況の会社にも常にあり、それをいかに使うかが大切なのだということを学びました。

これは、個人においても同じです。
「左遷」だと思った異動が自分にとって大きな財産になったこと、自分の意に染まない人事の中で将来の師と仰ぐような上司に出会えたこと。人生には自分では分からないような、大きな巡り会わせがあります。色々な環境の中で、いかに前向きに生きていくかということが、人間にとって非常に大切なことなのではないでしょうか。

先程、出向時代に順調な環境によって人が大きく成長するということを目の当たりにしたお話しをしましたが、私が戻った後のアサヒビールもまた、スーパードライによる急成長の渦中にありました。その好循環の中で、会社も、社員も、それから消費者からの評価も大きく変化していったのではないかと思います。





≪続く…≫




池田弘一さん略歴
アサヒグループホールディングス(株)相談役。1940年、福岡県生まれ。九州大学を卒業後アサヒビールに入社、九州・中国・関東などの営業に従事。1978年より千葉県酒販(株)出向、飲料営業部営業課長を経て1987年本社営業部部長。その後、各支店長・支社長を歴任し、1997年常務取締役、2002年に代表取締役社長となる。その後4年間会長を勤め、2010年3月より現職。


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