CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
«写真展「茶馬古道」のご案内 | Main | 夢は叶う―新井会長講演記E»
『NPO法人 日本雲南聯誼協会』に、いいね!やシェアだけで支援金を届けられます。〜 NPO/NGOを誰でも簡単に無料で支援できる!gooddo(グッドゥ) 〜

<< 2019年08月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
Comment
Category
月別アーカイブ
Link

夢は叶う―新井会長講演記D [2010年09月03日(Fri)]
皆様こんにちは!9月に入ったというのにまだまだ暑いですね太陽
毎週金曜日に更新しております新井さん「25の小さな夢基金」昆明女子高校での講演連載、
なんともう第5回目♪もうおなじみですね。
今回は新井さんご自身の夢の変遷の話題です。
ちょうどリアルに目標を決めようという年齢の高校生たちにとって
とても興味深かったことでしょう 笑顔
皆様も今週末は、ご自身の青春時代に思いをはせつつ?お楽しみ下さい ウサギ








第5回 其の壱、夢とは何かB

 私自身、新聞記者になる夢を抱いたのは大学3年のときです。

 小学校から高校1年生のときまでは医者になるつもりでした。母の実家が医者をやっており、医者とは世の中で尊敬され、役に立つ重要な職業と思い込んでいたからです。もちろん、このことは間違いありません。医者は重要な職業です。しかし、私の場合は、ちょっと違いました。

 高校に入って冷静に考えて見ると、医者がよいという思いは、本当に自分で考えた夢なのかどうか分からなくなったのです。母や祖母から幼いときの私の頭に刷り込まれたものではないかと、ある日、気づいたわけです。私が医者を断念すると、母たちはたしかにがっかりするかもしれません。しかし、自分が本当にやりたいのかどうか、自信がなくなったのです。母に相談して志望を変えました。

 その後、1年ぐらいはエンジニアになることを考えていました。
数学や物理が好きだったこともあって、自分は理科系の学校や職業に向くとも思いました。しかし、これも究極のところ自分が本当に考えて選んだ志望ではない。世の中が経済の高度成長期でエンジニアを求めている。それに迎合している面がある、という思いになりました。大学受験の半年前、高校3年生の夏です。

結局、高校のときは明確な志望、つまり夢は決まらずに、大学は法律とか経済学を専攻する文科で受験し、合格したわけです。法律や経済を勉強しているなら、そのうちに自分のやりたいことが出てくるとぼんやりのんびり考えていたのです。


≪続く…≫





新井淳一さん略歴

1940年、仙台市生まれ。東大経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。金融担に始まり通商政策、外交、景気、財政などを担当、1975年にNY特派員。帰国後は雑誌編集・編集局経済部長・東京本社編集局長を歴任、2008年、代表取締役で日経を退社。現在は社団法人日本経済研究センターの会長を務める。日本雲南聯誼協会会員
コメントする
コメント