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独龍江で学校を待つ子供たち42 [2008年04月01日(Tue)]


人は、なぜ、これほどまでに優しくなれるのか


我々都会に暮らす者には、想像すら出来ない厳しい環境の中で、なぜ、こんなに豊かな心が持てるのだろうか。実に不思議な人たちであった。怒江でも独龍江でも、老若男女を問わずすべての人が持つあの優しい目は、一生忘れないであろう。
 言葉こそ違えど、目がすべてを語ってくれる。

 大発展する北京、上海も中国なら、我々が見た怒江大峡谷沿いの村々や半年の間、外界と断絶される独龍江も、また同じ中国なのである。

 厳しい自然環境、貧しい食事、粗末な衣服、壊れかけた校舎、乏しい教材、何一つとっても満足な物のないなかで、子供たちのあの純真な目、天真爛漫な笑顔は、一体どこから生まれてくるのであろうか。
 たとえ、どんなに立派な道路や校舎が出来たとしても、あの目やあの笑顔は失わないでほしいと願うのは、都会人の横車だろうか。
 いや、すでに都会の子供たちには、失われてしまっているからこそ、今、声高に叫びたい。



 現在、この一帯では道路が作られ、電気が引かれ、電話設備が作られている。その結果、都会の文化が怒涛のように流れ込んでくるだろう。その時に、この豊かな自然、先祖から伝わった民族固有の風習や文化、独自の言葉等は大丈夫だろうか。

 とは言っても、子供たちは、たとえ、この素晴らしい地にいたとしても、中国人として生きていかねばならない。そのためには、正しい中国の標準語を学び、しっかりとした教育を身につけなければ、昔のように差別と偏見の中で生きていかねばならなくなる。あの笑顔を見た身には、それは受け入れがたい。

 我々の踏破した怒江州の人々の生活は、中央政府や雲南省政府の援助がなければ、一日たりともたない超貧困地域である。教育もしかりである。親たちは、子供の給食費の自己負担分、日本円にして三○○円か五○○円という金額すら出せない。そもそも現金収入がないのだ。

 そこは、現金など不要な自給自足の世界だったのである。彼らは、自ら望んでこの二一世紀の表舞台に出てきたわけではない。時代が彼らを引き出したのである。驚きや戸惑いの中で、今、彼らは歩き始めたのである。その歩みを助けるのは、同世代に生きる我々の責務ではなかろうか。

 我々には大きな力はない。しかし、教育環境を整える手伝いなら出来る。あの素晴らしい子供たちの笑顔を消さないためにも、手を差し伸べ尽力せねば、と痛感した旅であった。

 最後に、この小学校訪問の旅をするに当たって、雲南省政府、怒江州政府、六庫、福貢、貢山、丙中洛の政府関係者の皆様、帰国華僑連合会の皆様、本当にお世話になりました。この最後の誌面を借り、厚く御礼申し上げます。
 独龍江の皆様、あの笑顔、あの優しい眼差し、決して忘れません。

皆様、本当にありがとうございました。

(完)

ヒヨコ『独龍江で学校を待つ子供たち』の連載は今回で終了です。
長い間応援をしてくださった皆さん、ありがとうございました!
これからもブログ「雲南の郵便やさん」は様々な連載や雲南情報をお伝えしていきますので
宜しくお願いします!笑い
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