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NPO法人 日本・雲南聯誼協会の活動日誌ブログです。
毎日、日本の空を見ながら思うこと。雲南省の山奥まで飛び立ち、しみじみと感じること。恵蘭理事長や協会スタッフ、そして皆さんが毎日の活動の中で思うことを書き綴ります。
皆さんからのコメントや投稿もお待ちしています!(ご投稿の方は、yunnan@jyfa.orgまで記事をお寄せください)
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安達 武史
ふれあいの旅 旅行記M (08/04)
安達 武史
昆明市の洪水 (07/02)
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ふれあいの旅 旅行記J [2008年07月08日(火)]

▲其の十一 さようなら茂頂小学校▲

2008.5.31
6時過ぎにようやく明るくなってきた。山間であるのかかなり遅い。トイレに行こうと思って起きたが、校舎前の出入口ドアに鍵が掛けられたままである。生徒たちもちらほら起き出してきた。しばらくしてやっと鍵が開けられた。

 我々の朝食は8時であるが、生徒たちの食事は7時頃のようだ。チョロチョロ出る水道からボールに水を入れて顔を洗っている。朝食のお粥など自分の碗に入れ食べている。食事が終わると校庭でバスケットに興じている。

 朝食までの間私は、村人の暮らしを見るため散策をした。山肌にへばりついている住宅と農地、山の上から水を引いて分水させて棚田とするようだ。今麦刈りの最盛期、朝から麦刈りをして自宅まで運んでいる。昨日の交流のため、どの村人も私の顔を見ると笑顔で挨拶してくれる。

集落は山にへばりついている

 家を見せてと話すと「どうぞ」と手招きしてくれた。馬、牛、豚、鶏が飼われている。薪が山のように積まれている。炊事などに薪が大切なのだ。部屋の中までは遠慮して見なかった。各家が土塀でしっかり囲んでいる。
 周りの畑は段々畑となっている。麦にも黒い穂のものがあった。畑の下を眺めると断崖絶壁で昨日上がってきた道がかなり下に見える。険しい地形の中で農民は自給自足している。ここでの現金収入は、鉱山か道路工事の重労働か、あるいは出稼ぎしかない。


 8時に先生方が作ってくれた朝食(地元のパンとスープ)を済ませると、校長先生がお別れ会の準備を生徒と一緒にやっていた。最初に私たちのトランクを車に運んでくれる。20キロもあるトランクを小学生が背負っているではないか。チベット族の子どもたちは鍛えられていることが分かる。


 8時半に生徒全員が校庭に集められる。先生が笛を吹くと急いで集まってきた。峰尾団長に記念の旗が校長先生から贈呈される。団長はその喜びを生徒たちに向けて挨拶した。徳欽の関係者にも贈られていた。
 最後の別れのため生徒は学校から車のところまで両側に並ぶ。私たちはその間を、手を振ったり、握手したり、タッチをしたりして別れを告げた。生徒の中には感極まって悲しそうな顔の女の子もいた

「茂頂小学校の皆さん本当にお世話になりました。元気で勉強して下さい。さようなら 再見

(つづく)
ふれあいの旅 旅行記I [2008年07月07日(月)]

▲其の十 宴はつづく▲

開校式式次第は以下の通りである。
1、 日本側出席者の紹介(16.10-)
2、 開校式参加現地側関係者の紹介
3、 徳欽県関係者の挨拶
4、 茂頂小学校校長による学校紹介
5、 日本側支援者挨拶 峰尾勝美団長 佐藤福久会員
6、 生徒代表御礼の挨拶
7、 小学生によるチベット族の舞い(16.35-17.30)
8、 日本側から小学生全員に寄付品贈呈(17.35-)        
9、 日本側から先生、学校側に寄付品贈呈(-17.45)

              
校庭に集まった生徒と村人たち


 関係者の挨拶に続いて、小学生代表の挨拶は「私たちに日本から支援していただき感謝しています。これからより一層勉強します」と心強い言葉が聞かれた。このような言葉を聞いて協会の支援が如何に大切なものか肌で感じ取ることが出来た。

 生徒代表の挨拶が終わると、5年生がチベットの舞いを始めた。長い白い布を日本側のテーブルに差し出したのである。歓迎の舞いの始まりである。1年生から6年生まで次々と披露してくれる。時々先生から「練習を1箇月かけて行いましたが、まだ間違ったりしている生徒もおりますが、ご勘弁下さい」と放送される。子どもたちは真剣に舞っており感激そのものである。舞いの中には香格里拉の古城で夕方地元民が踊っていた曲もあるように見受けた。
 

 18時過ぎに式典が終了し、夕食の準備を先生方が始めた。その間我々は再度校舎やトイレの見学をした。更に折り紙などの交流を始めている会員もいる。生徒が大勢集まって鶴の折り方など教わっている。夕食は先生の手作りで極簡単なもの。コップがないのでビールを瓶のまま乾杯して食べる。夕陽が稔った麦を照らしている。幻想的な光景に見とれていた。

 食事が終わる頃生徒たちとの交流は佳境に入ってきた。紙風船、紙飛行機、風船、ボール遊びなど日本人を生徒が囲んでいる。すっかり陽が落ちて暗くなっている。この日ばかりは生徒は交流をすっかり楽しんでいる。ジャンケンポンをやろうと私の周りにも集まってきた。日本式と中国式のジャンケンポンでわきあい合いとなる。

 夜9時過ぎにS根さんの白玉団子が出された。生徒たちは最初恐る恐る手を出していたが、日本人が「このように食べるのだよ」と見せると真似をして食べ始めた。村人も珍しそうに手を出してきた。
 21時半頃から再び先生と小学生の踊りが始まった。日本人も入ってと誘われる。正に日中交流の原点がここにあるようだ。22時過ぎから地元民も一緒に踊り始めた。村中がお祭りとなったような錯覚である。23時となりようやく宴と踊りは終了。通学者はトラックに乗り込み帰って行った。空を見上げると満天の星、手の届くところにある。北斗七星がこんなに輝いているのは日本では見られない。

 日本側は全員が校舎内教室で、男性と女性が別れて眠りについた。校舎の入口のドアは鍵がかけられ出入りできない。

宿舎代わりになった校舎

(つづく
ふれあいの旅 旅行記H [2008年07月03日(木)]

▲其の九 支援第17校目茂頂小学校開校式・交流会▲

 揺られ続けたマイクロバスは、村の入り口で止まった。そこには農家が一軒あるのみ。ここから目指す学校までは小型車でないと通れない。
 やがて迎えの四輪駆動車が降りてきた。
 分散して乗り込む。

 道はさらに険しくなり左下は崖、大丈夫だろうか…。
 
そんな時運転手の携帯電話が鳴り話だす。

 「おお 片手運転で崖に落ちないで

 「早く携帯を切ってくれ

 いくら慣れた道でもヒヤヒヤものである。住宅が見えてきた。「ここだな」と思ったら更に上へ上へと進む。

 「こんな上に学校や集落があるのかな」

 30分冷や汗を流しやがて到着した。
 まさに崖の上の集落である。
 しかしそれより更に高いところに住宅が点在しているではないか。チベット族の生活の凄さに恐れ入る。

 車から降りると地元小学校の校長先生はじめ各先生方が民族衣装で迎えてくれた。白い布をかけお酒でウエルカム。 

小学生が両側に並んで歓迎の歌や挨拶をしている。
 やっと学校に着いた。歩いて数分で小学校の校庭があり、両側に校舎、向かいにトイレがある。校庭は舗装されバスケットの練習ができるようになっている。開校式の準備のため机と椅子が並べられている。
 その机には日本・雲南聯誼協会と支援者の方のお名前が書かれている。
 最初に校長先生の案内で支援した校舎と机を見せてくれた。

 新しい校舎はほぼ出来上がっており、周りの付帯工事が行われている。校舎は1階建ての2教室。入口には日中友好「望峰楼」竣工2008年5月30日と書かれている。望峰楼の名前は、支援者である峰尾団長が命名したとのこと。教室に入るとSさんが支援した机が並べられている。ここで小学生たちが勉学に励むことであろう。また正面には2階建の教室が建設されており、他の資金で建てられたとのことである。
 
 このような各資金の提供により、分校のようであった小学校は「茂頂完小」となり、安定した学校に生まれ変わったのである。
 右側にある宿舎は、1階男子生徒、2階女子生徒に区分され、2段ベットが並んでいる。見た限りでは衛生環境が良いとは言えない。
 通学不可能な生徒が寄宿舎に入っている。校庭の隣には以前からの2階建ての教室があり、新校舎が使えるようになるまでここで授業が行われている。その教室の2部屋で我々は宿泊したのである。

 視察している間に生徒たちは開校式のため校庭の段差のある階段に並んでいる。村人も大勢その後ろで座っている。中国側関係者席と日本側関係者席に分かれて座る。


16時10分校長先生の司会で開校式が始まった

(つづく)
昆明市の洪水 [2008年07月02日(水)]

 
 2007年7月1日夜から7月2日まで、昆明では歴史上でも数少ない大雨に遭われました。都市インフラが整備されていないせいもあって、昆明市内の道路ネットワークが水びたしの被害に遭いました。特に市政府のある東風東路は、昔から昆明の東と西を繋ぐ主用道路で、今回の雨で70〜90センチメートルの水浸しになり、乗用車はもちろん、バスも通れなくなりました。

すっかり水浸しの昆明市政府の門

 朝通勤時間に当たったため、バス停とタクシー乗り場は人で溢れかえっていました。洪水被害によるバスの遅れもひどく、一時間以上待つ人も少なくありません。
 また今日は、中学考试(全国高校センター試験)の初日なので、遅れる受験生のために教育部門は、受験生に日程通りに受験できるよう緊急対策を取りました。また、今日一日交通秩序を保障できるように市政府上部でも緊急会議を開き、公安部門に全員出動で各交差点で交通整理をする指示を出しました。

水を掻き分けて進む車
 
 私は、大雨の中でバスを待っている時、寒さと、遅刻するという焦りもあり、昆明市のインフラに対してとても不満を感じました。四季の美しいこの町にいつかインフラが整備されたら、きっと一番住みやすい町になるでしょう。その時昆明人として、私はきっとこの町に誇りを感じるでしょう。

(雲南支部 waterlily)
ふれあいの旅 旅行記G [2008年07月01日(火)]

▲其の八 いよいよ開校式へ▲

2008.5.30
 本日は今回の旅の本番、支援第17校目茂頂小学校の開校式・交流の日である。8時の出発前に全員に報告事項があった。Iさん夫妻、S出さん、そして七田さんが明日の飛行機で昆明に戻るとのこと。体調一番大切なこと、無理は出来ない
 他のメンバーは予定通り8時ホテルを出発して214号を北に走る。香格里拉郊外で湿原を眺め、尼西で陶芸を見学する。海抜はかなり木のない谷底の金沙江と道路高くなってきたようだ。シャクナゲは開花最盛期。いくつかの高山植物の花が見える。

高山植物の一種

 峠を越えると一気に金沙江まで下がる。徳欽方面との分岐点の橋にきた。香格里拉から約70キロメートル。ここまで下ると景色が一転してサボテンやブーゲンビリアが咲いているではないか。亜熱帯に近い気候のようだ。我々の車は羊拉に向かうためそのまま直進する。この橋から金沙江上流の右側が四川省、左側が雲南省である。

木のない谷底の金沙江と道路

 四川省に入る関門で公安から待ったがかかった。チベットの騒乱で外国人がチベット族との交流は許可が必要とのこと。待たされている間に雲南省の公安と四川省の公安が電話で確認がとっていたようだ。約40分待たされやっと通行許可がでた。この時女性たちは公安のトイレを借用した。帰ってくるなり「あのトイレは何よ 外の方が良かった。」 息も出来なく足の踏み場もなかったようだ。

 1時間ほど走ってある集落に到着し、ここで昼食することになった。17名分の食事をこれから作るとのこと。ご飯を炊き、野菜を洗って、調理して、炒め物を始めた。30分は待たされるなと思って近くを散策していると小学校があった。昼休みで生徒は洗濯や髪を洗っている。この小学校は6年生までで宿舎も整備されていた。学校も新築されたばかりである。レストランに戻ると出された料理は四川料理である。懐かしい味で本当に美味しかった。雲南料理とは違う味付けと辛さである。

 15時開校式の予定がかなり遅れそう。舗装されていない道は砂埃と揺れで座っていられない。やがて金沙江左岸を走る。だんだん谷が深くなってくる。この道を定期バスが走っている。また羊拉鉱山に向かうトラック。金沙江は谷底を流れており両側は木も生えていない絶壁である。このような地域でも崖の上の方に住宅が見える。住宅のある場所は少しなだらかで、耕されている畑、住宅の周りの緑が見える。山から流れ出る水がある場所なのだろう。交通手段は徒歩だけか。歩いていると思われる形跡がある。

(つづく
ふれあいの旅 旅行記F [2008年06月30日(月)]

▲其の七 白水台は期待はずれ▲

2008.5.29
 香格里拉の観光案内に写真が掲載されている白水台、期待してバスに乗った。Iさん夫妻など一部の人は頭がフラフラするのでホテルで休息することになった。ホテル8時出発白水台到着10時40分。曲がりくねった道に揺られて、乗っているだけで疲れる。海抜はかなり下がってきたようだ。天気も良く暑い日差しが燦々と照りつける。「あそこが白水台です」と説明、水の流れが大変少ないようである。歩いて20分白水台を眺める。パンフレットなどの写真とはかなり違う景観である。水がチョロチョロ流れているだけ。石灰岩の雄大さはない。雨季で雨が多く流れていたら絵になったのに残念

流れが少なく雄大さに欠ける白水台

 駐車場の近くのレストランに入って昼食。気温30度もあるだろうか。
この白水台は、石灰岩の侵食で出来上がったもので、四川省の九寨溝が代表的である。
 香格里拉には15時20分に帰ってきた。
 本日の夕食は中国側が招待してくれるとのこと。断ったけれども会食したいとのことであった。
 ホテルを出る前に一名の方が身体の具合悪いと訴えた。看護師の経験があるSさんが脈を図ったりして、中国側の人と共に向かいにある病院に行った。他の人は古城のレストランで会食となった。何となく重い空気の中で乾杯した。

参加者の方による人形劇

 Iさんは病院に一晩入院して点滴や注射で落ち着いたようである。翌朝ご本人から「大変ご迷惑と心配をおかけしました。大分落ち着きました。しかし大事をとって昆明に早く帰ることにしました」と丁重な挨拶があった。

(つづく)
ふれあいの旅 旅行記E [2008年06月27日(金)]

▲其の六 支援第2校目吉能小学校訪問・交流▲

5月28日
 香格里拉の入り口で車が止まる。現地中国側の関係者が待っていた。早速チベット族の風習である白い布を首に掛けてくれ、お酒で一人ずつ歓迎される。その案内で吉能小学校に向かった。
協会の支援第2校目であり、1年生から3年生まで生徒数16名、先生一人。この先生は支援が始まった時から5年以上もここで頑張っておられるとのこと。協会の支援があったから辞められないと言っているようだ。この学校に住み込んで教育に携わっている。子どもたちと先生の歓迎を受けて校舎に入る。
早速生徒一人ずつにお土産を渡す時、全員が校庭に並んだ。団員から一人ずつお土産を渡して握手する。先生と学校にも地球儀などのお土産を寄贈した。

すごーい!お土産をしげしげと見つめる生徒たち

村人たちも集まってきた。教室に入り、団員と小学生の交流が始まった。折り紙で鶴や飛行機を折ったり、風船をふくらませたりして真剣である。最初緊張していた子どもたちは除々に打ち解けてきた。校庭にでて紙飛行機を飛ばし始める。男の子は飛行機が気に入ったようだ。一人の先生でどのように授業をしているのだろうか。頼もしい先生。トイレも整備されているが水だけは無かった。

参加者の方に折り紙を習う女の子 真剣な表情ですね

風船と折り紙をもらって大満足です!

近くのおばちゃん達もうれしそうに写真を撮らせてくれた。教育はこのような積み重ねが大切なことであろう。
 我々が帰る時には、マイクロバスまで全員が見送りに出てきた。「再見 さようなら」輝かしい目をした子どもたちの顔は忘れることはないだろう。この学校は香格里拉空港の近くであった。
17時香格里拉のホテル「雲南航空デーチン観光酒店」に到着。酸素を必要とする人が増えてきた。海抜3400メートルでは無理もないことである。19時からの食事でも元気のない人がいる。私自身も何かぼやっとしている感じである。夕食後に古城を散策したがゆっくりでないと歩けない。古城の広場では地元の人たちが楽しく踊っている姿があった。男女年齢に関係なく様々な曲で踊り方が違っている。庶民の娯楽の一つであろう。この踊りを眺めていると世界が平和、四川の地震も忘れているようだ。空気が薄いので重い足取りでホテルに帰る。シャワーはお湯が出たので3日ぶりに汗を流した。

(つづく
ふれあいの旅 旅行記D(安達武史さん記) [2008年06月25日(水)]

2008.5.28                            
虎跳峡から香格里拉へ     

 本日からの日程は、更に海抜が高くなり3000メートル以上である。
 8時にホテルを出発して、峠越をすると右手前方に玉龍雪山が聳え、眼下に長江上流の金沙江が見える。長江の全長約6000キロメートルであるが、この地点で4000キロメートルくらいだろうか。上流でも赤茶けた色である。金沙江に下る途中にはイチゴを販売しているおばちゃん達「うまいよ」と声をかけいいる。イチゴのほかに葡萄やリンゴ、梨など果物が植栽されている。          
 虎跳峡の駐車場到着10時、渓谷までは金沙江沿いに40分ほど歩かなければならない。人力車もあり乗る人もいる。この渓谷は玉龍雪山(5596m)と哈巴雪山(5396m)の間にある。もともとは一つの山であったものが長い年月をかけ金沙江の侵食により分断したと言われている。両方の山は地質、植生が全く同じとのこと。谷底の幅は一番狭いところで30メートルほど、虎が跳び越えたとの伝説から「虎跳峡」(谷の深さ3900m)と呼ばれるようになった。水量が多く洪水の激流のような流れである。

激しい流れの虎跳峡

再び駐車場まで戻ると12時少し前、レストランで昼食。田舎の食事は大変美味しい。先ほど買ったイチゴも美味しかった。
 午後は国道214号香格里拉まで坂道が続く。海抜が上がるにつれて植生が違ってくる。またツツジの開花状況が、低いところでは散っているが3000メートルを越えると紫色の花が残っている。

海抜3400メートルほどになると一面ツツジの花畑が広がっていた
みごとに咲いた一面のツツジ

高地にこのような景色があるとは想像も出来なかった。
まさに香格里拉である。
ツツジの花畑で一休み。遠くに牛が放牧されている。

(つづく…)
ふれあいの旅 旅行記C(安達武史さん記) [2008年06月24日(火)]
▲其の四 圧倒された玉龍雪山▲

2008.5.27
 古城の朝は遅い。明るくなった6時20分に散策しても扉が閉まり、歩く人がいない。夜とは違う表情である。街の中を掃除する人がやっとチラホラ、観光客の写真を撮る人、小学生が学校に行く姿と序々に増えてくる。玉龍雪山は昨日より良く見えてきた。その雪解け水の流れは生活水に使用されているのか清流ではない。8年ほど前は清流が見事であったと記憶している。世界遺産になって自然の良さが少しずつ失われているのは残念である。                       
 朝食はホテル向かいの食堂で7時でないと店が開かない。パン、卵焼き、果物とヨーグルト、コーヒーだけである。この食堂は外国人が多く利用している。様々な図書が置かれており、日本のものも数冊あった。必要な人は自分が持参したものと交換できるシステムである。

 本日のメーンイベントは、玉龍雪山(5596m)を眺めるため海抜4500メートル地点までバスとケーブルを乗り継いで行くコースである。ホテル8時出発、水と酸素を購入して一人ずつに
配布される。高山病対策を万全にしておかなければならない。マイクロバスで行くと玉龍雪山国家重点名勝区の入口がある。ここから先は専用バス乗り換えが必要である。環境に配慮するため自家用車や観光バスなどの乗り入れが規制されている。専用バスでケーブル乗り場まで移動。芽吹き始めた木々の新緑の中にツツジ、シャクナゲが今盛りと咲き誇っている。写真を撮ることができないのが残念。
ケーブル乗り場は海抜3356メートルである。ケーブルの頂上駅が海抜4506メートル、標高差1150メートルを約10分で上ってしまう。一気に酸素が薄くなる。3000メートル越えた頃から頭が少し重かった。展望台に到着したら玉龍雪山の幾つもの峰が青空に真っ白い姿で迫ってくる。頭の痛いのも忘れて見とれていた。


玉龍雪山の展望

4506メートルの石柱が立てられている。雪がまだ多く残っているので展望台巡りは禁止されている。展望が最高のことに感激。下からもくもくと雲が流され、時折頂上付近が隠れる。足が自由に動かないので、ゆっくり移動。三脚は持たなかったが手持ちで何枚もカメラに収めた。
 あまり頭が痛くならないうちにケーブルで下がることが必要。約40分間のドラマであった。ケーブルで下がりながら、バスの駐車場やゴルフ場が見える。こんな観光地に何故ゴルフ場を作ったのか不思議だ。駐車場のレストランで昼食としたが、観光客でごった返しており、出されたものに手を出す人は少なかった。観光地のレストランは味もサービスも良くない。
 午後は別のバスに乗り込み、藍月谷に移動する。清流が藍色しており神秘な流れと堰が見事である。ここでツツジやシャクナゲを撮ることができた。ここから眺める玉龍雪山は谷間から眺められる。


藍月谷を望む

 駐車場から再びマイクロバスに乗り込み、国宝級の壁画がある白沙村と麗江古城と同時に世界遺産に登録された束河村の見学である。
 15時50分には束河村から麗江に移動。夕食は18時半から新市街地の火鍋レストランで食事。野菜類が多く日本人には程よい味である。四川の火鍋を味わったことのある人には辛さが物足りない。食事後は古城を散策しながらホテルに戻った。

(つづく)
ふれあいの旅 旅行記B(安達武史さん記) [2008年06月23日(月)]

■ 其の参 麗江で古城散策 ■

 2008.5.26
 昆明の夜明けは遅い

 午前6時過ぎにようやく東の空が明るくなる程度。明けると同時に昆明の街をジョッギングする。市街地の中心を流れるパンロンリバー沿いに走ると、朝市や太極拳、走っている人、鉄棒にぶら下がる人、散歩する人など様々な市民の顔が見えてくる。7時過ぎには出勤の人、バス、自転車と増えてくる。ホテルに戻ってシャワーを浴びる。お湯が勢いよく出るので快適。朝食はバイキングであるから中国食や洋食など種類が豊富でうれしい限り。西洋人宿泊客が大勢食べている。
 その後両替をする。1万円651.97元で1元が約15.3円である。対ドルでは中国の元は高くなっている。中国旅行では円から元に交換する方が良い

 チエックアウト後9時30分空港に移動。
 事前に手荷物にはボトル、ライター、ナイフなど入れないように何回となく全員に注意を促す。空港のチエックインで預ける荷物が24個になった。重量が45sオーバー、1s10元のオーバーチャージ計450元支払ってパスした。一人30元ずつ均等割りで臨時徴収。身体検査、手荷物検査を受ける。昨日パスしても本日没収されたものもあった。とにかく厳しい検査である。CZ3491便定刻11時40分。定刻より10分早く離陸する。麗江到着12時20分。途中大理の近くの耳海が見えた。雲が多く玉龍雪山は顔を出さなかった。

 借り上げたマイクロバスに乗り市内に移動する。途中で玉龍雪山が少し見えている。麗江の街で昼食を済ませてからホテルに移動。宿泊する麗江古城三合酒店は古城の北部にある。古城には車が入れないので近くの駐車場から歩かなければならない。トランクなどは荷物運搬(リヤカー)を依頼する。歩いて10分で到着チエックイン。古城の中のホテルは古めかしい造りとなって情緒がある。水道やトイレ、お湯など出るのか確認する。テレビも大丈夫である。(ホテルに泊まったら最初に確認よ!)

 麗江の見学は、玉泉公園から始まる。公園内の黒龍潭(池)から玉龍雪山の眺めは最高であると言われているが、残念ながら頂上付近は雲に覆われている。ここ麗江は納西族が多い地域である。納西族の象形文字・東巴文字(トンパ文字)は今でも大切に継承されている。博物館でトンパ文字の説明を聞く。
 古城に戻ってから獅子山公園に上り古城を展望する。18名の歩きに違いがあるので二つに分かれてしまった。古城内が複雑に入り組んでおり間違いやすい。公園の展望台からは古城が一望でき、北に玉龍雪山が少し見えている。西側は新しい町並み。古城は世界文化遺産に登録されている。
 早い組が展望台から降りてきたら遅い組と合流した。道を間違えて上ってきたようだ。中腹からの眺めも素晴らしい。全員で記念撮影した。そこには上海から来た日本女性二人がいたのでシャッターを押してもらう。
獅子山公園の展望台にて


 19時からホテル横の食堂での夕食。2階の道に面した席3グループに別れて中国料理をいただき、岩田さんとご一緒だったので白酒を追加注文した。久しぶりの白酒は海抜2400メートルの麗江では酔いが早い。夕食後は協会の二人はおみやげ整理で大変だったようである。子どもたち一人ひとりに渡すように準備しなければならなかった。
21時に部屋に戻ってシャワーを浴びようとしたら水しか出ない。皆が使うと水になってしまうようだ。温湯容量が少ないのであろう。仕方なく水で汗を拭き取った。

(つづく)