初鹿野理事長 NHKラジオ放送に出演します!
[2008年05月13日(火)]
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第二回初鹿野恵蘭写真展終了!
[2008年04月23日(水)]
第二回初鹿野恵蘭写真展終了!
皆様からの多くのご支援をいただき、写真展は盛況のうちに終了することができました。
本当にありがとうございました!
突然ですが、わたくし、4月より協会でアルバイトさせていただくことになった杉本(通称あやぽん)と申します
仕事を始めていきなり大きなイベントで、まごまご。でも、スタッフやボランティアの皆さんに助けていただいて、楽しく働くことができました。非常感謝!
当日は初めて民族衣装(サニ族)を着せていただき、うきうき。皆さんからも「よく似合ってますよ〜!」と言われ、内心まんざらでもなかったのですが、なんと、来賓の中国領事館総領事にも「昆明から連れてきた人か?」と間違われ、喜んでいいやら悪いやら・・。私の祖先は雲南だったのかぁ、と再発見させられた気がします。
お昼ごはんを食べに恵比寿ガーデンプレイスに行くときも衣裳のまま。他のお客さんたちにはびっくりされたかもしれませんが、自分ではあまり服が見えないのでそれほど恥ずかしくありませんでした。そのうち、ディズニーランドのミッキーマウスになった気分で、着たまま歩き回るのが快感になってしまったかも!?
さて、会場には、場所柄か外国の方も結構いらしゃいました。特に多かったのが韓国の方。見た目では日本人と見分けられないこともあり、協会のパンフレットを渡そうとすると、「ニホンゴワカリマセン。」と言われることもしばしば
。
想定外!のできごとに、一同初めは戸惑っていましたが、次第にこつをつかみ、片言の英語や韓国語でアタック!特にボランティアの近藤さんは、言葉の壁もなんのその、外国の方に積極的に写真や雲南について説明されていて、みな、感心のため息をもらしていました。
来場者に解説する鈴木さん
会場では、雲南省の民族小物も販売しましたが、特に刺繍入りコースターが大人気!お1人で何セットも購入してくださる方もいらして、感激でした。
かくいう私も、ポシェットがかわいくて買ってしまいました。お仕事中にも肩からぶら下げて使っています。
また、今回麦酒記念館からは差し入れの缶ビールもいただきました。オープニングセレモニー後のギャラリーでの乾杯
には、そのビールが大量にふるまわれ、とてもなごやかな雰囲気。我々も、仕事の後に数本ずつ持ち帰り、おうちで風呂上りの一杯?を楽しんだのでした。
東京本部で準備をしてくださるボランティアの方々

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会場で夜遅くまで設営に励みます
(東京本部 あやぽん)
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JYFA
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独龍江で学校を待つ子供たち42
[2008年04月01日(火)]
人は、なぜ、これほどまでに優しくなれるのか
我々都会に暮らす者には、想像すら出来ない厳しい環境の中で、なぜ、こんなに豊かな心が持てるのだろうか。実に不思議な人たちであった。怒江でも独龍江でも、老若男女を問わずすべての人が持つあの優しい目は、一生忘れないであろう。
言葉こそ違えど、目がすべてを語ってくれる。
大発展する北京、上海も中国なら、我々が見た怒江大峡谷沿いの村々や半年の間、外界と断絶される独龍江も、また同じ中国なのである。
厳しい自然環境、貧しい食事、粗末な衣服、壊れかけた校舎、乏しい教材、何一つとっても満足な物のないなかで、子供たちのあの純真な目、天真爛漫な笑顔は、一体どこから生まれてくるのであろうか。
たとえ、どんなに立派な道路や校舎が出来たとしても、あの目やあの笑顔は失わないでほしいと願うのは、都会人の横車だろうか。
いや、すでに都会の子供たちには、失われてしまっているからこそ、今、声高に叫びたい。
現在、この一帯では道路が作られ、電気が引かれ、電話設備が作られている。その結果、都会の文化が怒涛のように流れ込んでくるだろう。その時に、この豊かな自然、先祖から伝わった民族固有の風習や文化、独自の言葉等は大丈夫だろうか。
とは言っても、子供たちは、たとえ、この素晴らしい地にいたとしても、中国人として生きていかねばならない。そのためには、正しい中国の標準語を学び、しっかりとした教育を身につけなければ、昔のように差別と偏見の中で生きていかねばならなくなる。あの笑顔を見た身には、それは受け入れがたい。
我々の踏破した怒江州の人々の生活は、中央政府や雲南省政府の援助がなければ、一日たりともたない超貧困地域である。教育もしかりである。親たちは、子供の給食費の自己負担分、日本円にして三○○円か五○○円という金額すら出せない。そもそも現金収入がないのだ。
そこは、現金など不要な自給自足の世界だったのである。彼らは、自ら望んでこの二一世紀の表舞台に出てきたわけではない。時代が彼らを引き出したのである。驚きや戸惑いの中で、今、彼らは歩き始めたのである。その歩みを助けるのは、同世代に生きる我々の責務ではなかろうか。
我々には大きな力はない。しかし、教育環境を整える手伝いなら出来る。あの素晴らしい子供たちの笑顔を消さないためにも、手を差し伸べ尽力せねば、と痛感した旅であった。
最後に、この小学校訪問の旅をするに当たって、雲南省政府、怒江州政府、六庫、福貢、貢山、丙中洛の政府関係者の皆様、帰国華僑連合会の皆様、本当にお世話になりました。この最後の誌面を借り、厚く御礼申し上げます。
独龍江の皆様、あの笑顔、あの優しい眼差し、決して忘れません。
皆様、本当にありがとうございました。
(完)
『独龍江で学校を待つ子供たち』の連載は今回で終了です。
長い間応援をしてくださった皆さん、ありがとうございました!
これからもブログ「雲南の郵便やさん」は様々な連載や雲南情報をお伝えしていきますので
宜しくお願いします!
独龍江で学校を待つ子供たち41
[2008年04月01日(火)]
別れの後瞼に浮かんだ独龍江での開校式
貢山からは、再び怒江に沿って下流に向かって走る。なんだか、通り慣れた道を走るような懐かしさがある。今晩宿泊する福貢の町は、いましがた後にした貢山と州都である六庫鎮とのちょうど中間地点にあたる。少なくなった車の列は、大峡谷の中を、福貢に向かって走り続けた。まだ、空は明るいが、この大峡谷の底にある怒江は早い夕闇に包まれはじめていた。
福貢では懐かしい人が、我々の到着を迎えてくれた。来る途中で、昼食の手配でお世話になった福貢県委統戦部の迪早葉部長である。
「辛苦了」日本語で「ご苦労様」という意味の言葉とともに、再会を喜んでくれた。
ホテルの手配から夕食の手配まで、すべてが行き届いていた。ホテルに荷物をおくと、早速夕食の場所に向った。
夕食はいつものように賑やかに始まった。福貢県の副県長、教育局長なども加わり、独龍江の話に花が咲いた。独龍江に行ったことがない人でも、独龍族の貧しさだけは皆よく知っていた。彼らは、私たちの勇気ある行動を褒め称えてくれた。彼らにしても、独龍江郷は、未知の秘境であった。車で僅か一日の距離しか離れていないが、福貢の人々から見ると、独龍江郷に住む独龍族は、まだ「未開の民族」なのであろうか。話の中に、なんとなくそのようなニュアンスが感じられる。
「百聞は一見に如かず」という。是非、現地を見て、独龍族の人々と交流を深めれば、そのような偏見は、すぐにも霧消するであろうに、なかなか難しいものである。
この辺までは和やかに進んだのだが、なにやら数人の女性が手に酒瓶を持ち、歌を歌いながら現れた。これからが大変だ。酒と女で身を滅ぼす男は多数いるけど、この秘境福貢で酒と女性の恐ろしさを体験するハメになるとは思ってもみなかった。女性たちは、テーブルに座っている客一人一人を取り囲み、歌を歌いはじめる。その度に客は、立ち上がり酒の入った器を飲み干さなければならない。
まずは、乾杯から始まり、次は女性と客が腕を絡ませて飲む“交杯酒”。
一周りしてまた来る。
次は、一つの器に注がれた酒を、顔を寄せ合って二人で飲む“同心酒”。
また来る。
次は、一つの器に注がれた酒を左右の女性と三人で飲む“三江併流酒”。
この“三江併流酒”というのは、ここ三江(怒江、瀾滄江、金沙江)併流地帯が、世界遺産に登録されたのを記念して作られた飲み方だという。これでは、世界遺産も形無しである。この“交杯酒” “同心酒” “三江併流酒”がいつ果てるともなく延々と続くのである。この女性たちは本当に飲んでいるのであろうか。
ついに、酒に弱い李副主席が逃げ出した。部屋中を逃げまわっている。恵蘭理事長や陳副処長、七田さんたち女性陣は、“もう許してほしい”と手を合わせ哀願している。残った私と谷川理事長も言われるままに我慢して飲んでいたが、これほど飲まされてはたまらない。フラフラになるまで飲まされ、やっと開放してもらうことができた。本当に“酒と女は恐ろしい”という言葉を五臓六腑が受け止めた晩であった
目を覚ますと、頭の芯に昨夜の酒と歌が残っていた。重い体を引きずり、迪早葉部長、同じ福貢県委統戦部の奚美実女史に別れを告げ、次の目的地、六庫に向った。この奚美実女史には、大変お世話になった。この福貢から福貢までの往復道中、常に傍らで、まさに痒いところに手が届くという言葉通りに気を配ってくれた。明るく元気で、そして優しい女性であった。またの再会を約束して別れた。
六庫に着いたのは、ちょうど昼時分であった。やっと帰ってきた、という安堵感のようなものを感じた。まるで自分の町に帰ってきたような懐かしささえ覚える。
怒江に架かる橋の脇のレストランに入ると、懐かしの面々が待ってくれていた。怒江州統戦部の朱文勇部長以下、先日の祝賀式典で世話になった人々である。
この席でも独龍江の話で盛り上がった。朱部長も我々と独龍江に行きたかったそうでだが、祝賀式典に参加した要人の接待に追われ、泣く泣く断念したいきさつもあり、我々の話を聞くにつれ、大変残念がっていた。。
昼食後、いよいよ最後の別れの時がやってきた。
私と恵蘭理事長は、小学校視察とは別件の用件のため、ここから車で大理に行き、大理のホテルで東京から来る人と落ち合うことになっていた。他の四人は、来た時と同じ、保山まで車で送ってもらい、保山から飛行機で昆明に戻ることになっていたが、飛行機の出発時間まで余裕があったため、我々が先に出発することになった。
昆明まで行くという怒江州政府の車に同乗させてもらい、それぞれの再会を誓いあい、拍手と見送りの中、六庫を出発した。それは怒江との別れでもあった。
大理へ向かう車の中で、独龍江に建てた学校の開校式の様子が瞼に浮かんだ。懐かしい面々が最高の笑顔で迎えてくれた。その日を想うと、帰りの道も心が弾み、人々との別れもけっして苦にならなかった。
続く
みんなのキモチ
[2008年03月24日(月)]
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独龍江で学校を待つ子供たち40
[2008年03月21日(金)]
隧道を抜けた我々の車列は、原生林の中をひたすら下っていく。独龍江が海抜一四○○メートル、隧道が三四○○メートル、貢山が一四○○メートル、計算上、丁度上った分だけ下らねばならないので、これから二○○○メートル下がっていくことになる。
先程の雪が嘘のような風景である。行く時とは一味違った景色を楽しみながら下っていく。
やっと人の気配が感じられるところまで来た。遠くに人家が見えはじめた。その人家を取り囲むように段々畑が広がっている。
学校から帰る途中なのか三人連れ立って歩いている男の子に出会った。我々の車に向かって、緊張した面持ちで敬礼をしている。健気で礼儀正しい子供たちである。我々も思わず答礼をして通り過ぎた。
しばらくすると、これも学校から帰る途中の姉妹であろうか三人組の少女に出会った。小学校高学年と思われる一番年長の少女は、まだ一年生になっているかどうか、一番小さな少女の手を引いていた。この年長の少女は、実に清々しい顔立ちをしており、はにかんだような笑顔は「清純派女優」の素質を隠し持つ卵のような美しさがあった。少女たちが背負っているカゴの中には学校で使う教科書が入っていた。この礼儀正しい少年たち、優しく美しい少女たち、この秘境に生きる少数民族の人々、とりわけ子供たちの心には、すでに都会では失われかけている「純真」という言葉が、日常生活の中で生きていた。素晴らしい出会いを、この帰り道で、また贈ってもらった。
ほどなくして、我々の車列は、無事、貢山にたどり着いた。貢山の町では、出発した時と同じ場所で昼食をとった。にぎやかな昼食も終わり、やがて辛い別れの時が来た。戦友たちとの別れである。特に貢山独龍族怒族自治県副県長の和勝平さん、秘書長の張建明さんには、終始気を配ってもらい、お陰で無事役目を果たすことが出来た。素晴らしい貢山の人々と、必ず、再会することを誓って、我々は帰路についた。
(つづく…)
独龍江で学校を待つ子供たち39
[2008年03月18日(火)]
独龍江脱出劇”間一髪”
実に際どい脱出であった。
独龍江を出発する時に、
「昨夜、峠の付近でかなりの降雪があったようだ」
という情報を得て、全員の脳裏に「不安」の二文字が浮かんだ。
時期的には、当然考えられる事態である。むしろ、一一月の末というこの時期に峠越えが出来た、ということの方が珍しい。ベテラン運転手の姚さんは慌てるどころか、そのような事態こそ腕の見せ所とばかりに、より一層饒舌になり、峠に向かって車を走らせた。
対向車は一台も来ない。つまりは、独龍江に向かって峠を越えてくる車がない、ということである。「心配ないよ」と姚さんは言うが、やはり心配である。なにせ、この峠を越えなければ、帰れないのである。峠のかなり手前から、すでに山の頂は、白銀の世界に変わっていた。
やっと、峠が見渡せるところまで来た。この付近では、昨夜は、かなりの量の降雪があったようだが、今は青空も見え、道路に積もった雪がキラキラと輝いていた。
気温は、マイナス五度くらいであろうか、路面の凍結が心配である。峠の隧道が見える地点まで辿り着いた。ここから、かなり急な勾配をいっきに登らねばならない。かなり危険な状況である。
我々の車列は、ここで一旦停止した。まず、先頭の車が登るのを、全員が不安な眼差しで凝視している。タイヤに雪の備えをしていないため、車の後方部が左右に揺れる。その揺れを目のあたりにするたびに「オッオッ」という呻きにも似た声が洩れる。どうやら無事、上がったようである。
「オー」という、安堵の声で、皆、車に戻った。前の車が上り終えたのを見届けて、次ぎ、次ぎと全車両が無事、峠の隋道の中に吸い込まれていった。
不思議なことに、僅か数百メートルの隋道を抜けると、そこには雪のない原生林の世界が広がっていた。この隧道こそが、独龍江という「龍宮城」への入口であったのかもしれない。今、正に、その龍宮城を出て、普通の世界に戻ってきたのだ。隧道の通過。独龍江渓谷との別れは、あまりにも劇的ではっきりとしたものであった。
余談になるが、我々の通過を最後に、この独龍江公路は通行止めになったそうである。つまり、二○○四年、この隧道を抜けた最後の車は、我々の車列ということになる。それは、命懸けで得た素晴らしい勲章である。独龍江の記念がまた一つ増えた。
(つづく…)
ミセス羅の雲南レシピB
[2008年03月12日(水)]
ニイハオ!
みなさんこんにちは、大宮支部の羅です。
柔らかくて甘い春キャベツ。
きっと皆さん大好きだと思います。
そろそろ八百屋さんやスーパーの店先にもそんな春キャベツが並び始めますね。今日はキャベツを使った簡単ですばやくできる甘酢炒めをご紹介したいと思います。本当にササッとできるけれど、キャベツの旨みと甘酢が絶妙なハーモニーを奏でる、この季節お薦めの一品です。
糖醋蓮花白
tangculianhuabai
キャベツの甘酢炒め
●材料(4人分)
キャベツ 1/3個
干し唐辛子 2個
●調味料
調味料A
(塩小さじ1/2、砂糖大さじ2と1/2、酢大さじ3、醤油大さじ1、片栗粉小さじ1/2)
油大さじ3
●作り方
@キャベツを洗って小三角形に切る。唐辛子は5mmに切る。
A水150ccに調味料Aを入れておく。(とろみ付けの調味料となります)
Bフライパンに油をいれ、少し熱くなったら唐辛子をいれ、色が変わったらキャベツを入れいためる。ちょっと火が通ったらAをいれ、とろみをつけて出来上がり!
(ミセス羅
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雲南レシピ
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独龍江で学校を待つ子供たち38
[2008年03月07日(金)]
独龍江の人々の心の中に見た”真の桃源郷”
僅か数日であったが、実に中身の濃い時間を過ごすことが出来た。独龍族の人々との交流で、我々が得たものは、計り知れないほど大きい。都会では失われつつある大切なものが、ここではしっかりと生きていた。
短い間とはいえ、彼らと時をともにすることで、人の本来の性は、「善である」という説に説得力を感じた。私たちは、必ず再会することを固く約束して、独龍江を後にした。
理想郷としての桃源郷。世界各地に桃源郷と称される場所がある。しかし、桃源郷というものが、そこに住む人々の心の中にあるものであるのなら、この独龍江の人々の心の中には、紛れもない桃源郷が存在する。そしてそのような人々が暮らすこの独龍江は、間違いなく「真の桃源郷」であると断言できる。
「桃源郷の子供たちに小学校を建てる!」
この素晴らしい事業に参加できる喜びと誇りが体の中から湧き上がってくるのを感じた。
(つづく…)
公衆衛生専門家ウスダさんの初めて雲南省C
[2008年02月27日(水)]
お待たせしました、公衆衛生専門家ウスダさんの「初めて雲南省滞在記」が再開です。協会では、新たな学校建設フォローアップ事業の一環として、現在、小学校の衛生環境の改善と先生・子どもたちの健康と衛生に対する対処能力の向上、子どもたちの親や村人たちへ衛生問題への気付きを促進させるために、保健衛生プロジェクトを企画しています。
1月初旬、ウスダさんと協会が調査のために向かったのは、協会支援第7校目果科小学校のある、果科村です。
さて、今回訪れた場所では、どんな体験をしたのでしょうか。
***********
天空の村-果科村へ
雲南省怒江沿いにある匹河郷の街から下流に車で30分下った目立たぬところに、天空への道がある。
目印もなく、何の変哲もない脇道を左側に入るとすぐに道は狭く急峻になる。かなりの凸凹があるにもかかわらず4輪駆動車がギリギリに通れる道幅しかない。一度の切り返しでは曲がりきれないため、ジグザグ状の道を何度も何度も切り返しながら、スイッチバックのようにゆっくり登る。視界はほどなく開け、谷の反対側の山腹に張り付いた家々が目に飛び込んでくる。マラカイトグリーンの怒江は、谷にはめ込まれた宝石のようだ。揺れはいよいよ激しくなり、車にしがみつく。と、そのとき何かの群れが横切った。
七面鳥?
なんで七面鳥?
山側に身を置いているときはまだマシだが、谷川に身があるときは緊張する。谷側を見ようものならば、脚がすくんでしまう。車を降りた方がマシだと考えるようになる。その一方で、未踏の地を行くNHK取材班のようだ、なんて興奮している自分がいる。
車が止まる。止まることの許されない道の前方に、トラックが猛烈に青い煙を上げながらうめいている。どこからか湧きだした水が車の深い轍に流れ込み、ぬかるみをつくった。そのぬかるみに片方のタイヤが嵌りもがいているのだ。今日は行けないのか・・。
トラックの脱出劇を見守りながらも周りの風景を楽しんでいるとき、天空の人が現れた。カゴを背負い、カマをもったその女性は、道脇の目もくらむようなトウモロコシ畑の斜面にはいつくばり、草を刈りだした。
天空の人は突如として現れた
あまりにも美しい風景とその労働の厳しさのコントラストに圧倒され、そこから動けなくなった。ぼんやりしていると後ろから声がした。トラックはチェーンを装着してようやく脱出したらしい。予定を1時間以上遅れて、協会の支援第7校目果科小学校のある果科村に到着した。
ワークショップは麓の匹河郷人民政府の支援もあってなんとか終えることができた。ここまで随行していただいた匹河郷人民政府の方々はその日のうちに麓に帰っていった。残った私たちは果科村小学校のゲストルーム?に宿泊することになった。ワークショップではゲストのように大人しく受け身だった村委員会や小学校の先生たちが、暗くなり始める頃から元気を取り戻しているように見えた。
プレゼントの文房具とボールを手に笑顔の果科小学校の先生
1700メートルと標高の高い果科村の夕暮れどきの気温変化は激しい。日が陰ると急に冷え込み、村委員会のある中庭に焚き火がたかれた。まず、じゃがいもが焚き火に投げ込まれた。次に小さな鍋を真ん中に入れ込んだ大きな鍋がかけられた。小さな鍋には箸が数本立てかけられた。小さな鍋と大きな鍋の間に発酵したトウモロコシを入れる。冷たい水をたっぷり入れた中華鍋を小さな鍋と大きな鍋にかぶるように上に置く。大きな鍋と中華鍋の隙間を密閉する。蒸留酒はこうやって造る。
これが地元のお酒だ
夕食は鳥の臓物がたっぷり入ったスープ。食べ終える間もなく、できたての蒸留酒が振る舞われる。なくなれば、すぐ造るので、尽きることはない。焼きたてのじゃがいもをほおばりながら、蒸留酒を勧められるままに飲み干す。宴はこれから始まると知るのは、後のことだった。
(公衆衛生専門家 ウスダ)
(写真:ウスダ&waterlily)
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