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木々たちの贈り物[2019年11月18日(Mon)]
Waterlogue-2019-11-18-07-49-52.jpg

山あいの木の家で目を覚ます朝

ふとんに座り
目を閉じて深呼吸をしていると
パラパラと
屋根に触れる音が聞こえてきた

雨だ!

興奮して思わず立ち上がる

光のさしこむ
この静けさの中に
薄い色した
虹が隠れているかもしれない

傘がなくても大丈夫なくらい
ゆっくり降り注ぐ雨の中

坂に囲まれた大地から
雲の向こうの太陽を探す

柔らかな土の上を
空を見上げて歩いていると

小さな鳥の黒い尻尾と
彼らが遊ぶので枝から落ちる葉っぱの
くるくるまわるのが賑やかで
しばしそこに立ち止まる

しばらくすると
ランドセルに熊よけの鈴をつけた
女の子たちが向こうの道を通りかかり
こちらがわの家にいる
知りあいの家族に
「おはようございまーす」と
声を揃えて笑うのが見えた

私は木の影の
見えないところにいるのも忘れて
思わずおはようと大きく手を振る

いろいろな気配たちが
朝の冷たさを
少しずつ、少しずつ
やわらげていく

森の朝の
このあまい空気を
なんて表現したらいいのだろう

これだけは伝わればなと思うのは
無花果のこと

雨に濡れて
熟した果実の香るのは
ほんとうにおいしそうで
幸せで
深呼吸を何度もなんどもしてしまうんだよ

こんな話を
たぬきや熊としてみたい。

すごく!
そばにいたい人の言葉[2019年11月18日(Mon)]
Waterlogue-2019-11-17-18-52-16.jpg

ねえ、ちょっと訊いてみてもいいかな?
こうして仲間と過ごしているとどうして
あなたは(こわい話をしよう)と言いたがるの?


どうしてって
とくに理由はないけれど

すぐには思い浮かばないようなことを
訊ねられると、そこに一瞬
無重力のような空白が生まれるでしょう?

その、ひんやりふわっとした感覚を
一緒にあじわってみたいのかもしれないね。
言葉を少なくした夜[2019年11月16日(Sat)]
Waterlogue-2019-11-15-09-44-40.jpg

名古屋からの帰り道。

欠けてきた大きな月が
屋根より少し高いくらいのところで
黄金色に光ってる。

(月、見て!)

思わず伝えたくなるのを
やっぱり少し我慢して
沈黙の贈り物を選べる自分で今日はたつ。

.......

なんだかとても眠くなってきた。
手づくりの隙間に満ちた時間[2019年11月15日(Fri)]
Waterlogue-2019-11-15-23-30-12.jpg

一体何のために書いているのだろう?
このBlogのようなものを。

自問して一番しっくりくるのは
他の誰でもない
ただ、自分のこころが喜ぶから
という答えだ。

文章に向かいたくなるのは
誰かにつながりたいとき
あるいは誰かに聞いてもらいたいときだと
思っていた。

だからなんか
文章に向かうときの自分は
あんまり好きになれなかった。
間接的に(私をみて)と言っているようで。

いまはそれと違って
ただ、私が自分のこころを映す鏡として
この場所と向きあっている。

(読んで)という気持ちからの自由。
現在進行形の自分をただ写実する、
その繰り返しから浮かび上がる確かさ。

***

鎌倉「ソンベカフェ」で、
SDGs(持続可能な開発目標)をテーマに
共感カフェを開催した。

いま、私たちは何故こんな現実に
直面しているのだろう。
豊かさとはなんだろうか。
分断を、短絡的思考を
促進するものは何なのだろう。

私たちが本来
大事にしたかったはずのものに
意識を向ける。

「いい・わるい」「どうせ ... 」
という枠組みに変わる
新しい視座を手に入れるため。
「何を大切にしたいか」という視点から
いきいきとしてある、この瞬間の
いのちへと、想像を結ぶその軸を。

短いわかちあいの時間を経て
本当に大事にしたいものは
なんだったのだろうかと振り返る。

その時間
厨房で食器をあらい
部屋の椅子を片付け
扉をあけて換気をしている
この場に生きるひとたちの気配。

(おつかれさま)と声をかけあうこと。
(ありがとう)と贈り物を届けあうこと。

本当はもっとていねいに
つながりたかった人たちへの
もどかしさ。

走りまわる子どもたち
その、やわらかいおなかや
成長期のほそい膝小僧の
思わずあたためたくなる愛おしさ。

手書きでしたためた文章を
読み直し、持ってきてくれた
その人の中を流れる時間。

おいしいねといって食べた
おにぎりのこと。

小さなじゃがいものような
(むかご)にまつわる
私と世界の距離感。

忘れないでいたいと願う
瞬間のかずかず。

***

冷たい夜の季節がきて
私は銭湯に駆け込みたい。

冷えちゃうよと言いながら
走って家に帰り
こたつのなかで
冷たい足を絡ませる。

その冷たさと温かさを
いっしょに驚いていたいから

やっぱり時には
隣にいようよ。
あなたみたいなひと[2019年11月15日(Fri)]
Waterlogue-2019-11-15-09-45-09.jpg

大好きなものを前にした時の
もどかしさのことを書いた。

素直になれない素直さのこと。

そのひとつに
(あなたみたいなひと)
という表現がある。

あなたが好き、のかわりに
あなたのような人が好き
という表現を選んでしまうこと。

ほかのひとはどうかわからないけれど
私はこれをとてもよくやってしまう。

朝早くに散歩するあのひとのことだとか
火をおこすのがとても上手なあのひと
珈琲を飲みにいかない?と誘いたくなるあのひと
会いにきなよと、いいたくなるあるひと

そういう、大好きに想うひとたちに対して
たいていわたしは
(xxxさんのようなひと、好きだな)
といった言葉のクッションをおく。

それは本当のような嘘で

(xxxさんのようなひと)なんて人が
あてはまらないくらい
(xxxさん)というあなた独特の
素敵さにうれしくなっているのだから

あなたのことが好きです、
と言えたらいいのにね。

もっとまっすぐ、でも軽やかに。

鈴の音みたいに。
しあわせのカーテン[2019年11月14日(Thu)]
IMG_7592.JPG

今日は大嘗祭ということもあって
ていねいに美味しくいただいた
お食事の写真を選んだ。

正確にはちょっと違って

昨日、銀座のお箸やさんを取材して
お食事というものの豊かなあじわいに触れ
静かな対話の時間のような
あの食事のひとときのことを思い出したから。

大切に、想いを込めてつくっていただき
運ばれてきたものを
一つひとつ、その名を確かめながら
いただくことの贅沢さよ。

いや、贅沢というか
その豊かさをいつの食卓にだって
本当はもたらすことができるのだなと
こうして、書きながら気づく。

したざわりや、香り
意外さやあまさ、にがさがあって
官能的でさえあるような体験。

樹木希林さん主演の「あん」という映画の
あずきを茹でるシーンのような
空想絵巻のようなあじわい。

***

ここのところ
とても満たされた気持ちの時、ふと
風景のなかに薄いレースのカーテンがみえて
自分はその向こう側、それともこちら側
そのどちらにいるのだろう?
と考えることがある。

すっごくうれしい!
と思う気持ちのそばで、はたと

カーテンのこちら側からみて
それはうれしいことなのだろうか?
と立ちどまる(つっこみをいれる?)感覚

(つっこみを、と書いたのは
そんなに深刻な感じじゃないよっていう意味です。
わりと、からっとしている)

この、カーテンの向こう側とこちら側を
意識することは
本当に必要なことなのだろうか。

フレキシブルというか、遊びごころのある
自由な自分でありたいけれど
少しは溺れていたいような気もする。

そういう時に
カーテンを(区切り目)ではなく
(Wonderのダンス)として捉えたら

おおらかさと、無邪気さ
その両方と
遊んでいられて、素敵だろうか。
ちいさきもの[2019年11月14日(Thu)]
Waterlogue-2019-11-14-08-24-16.jpg

今朝、目を覚ましたら
雨粒が窓にあたる音がした。

カーテンをあけると
ちいさな青い空が
雲の隙間に輝いている

(もしかしたら)

と慌ててパジャマを着替え
砂浜にでて虹を探すも

残念!

雨は降るのをほとんどやめてしまって
太陽も遠慮がちにしか顔を出していない

朝一番、
虹の知らせを届けることはできなかった。

それでも雨音と光は
ぬくぬくのベッドを
ジャンプして飛び出すくらいの
元気をくれたので
えらい!

朝露と雨のブレンドされた雫が
玄関先の花の上で光っている。

Waterlogue-2019-11-14-08-24-53.jpg

最近、大貫妙子さん・坂本龍一さんの
UTAUというアルバムを聴いている。

その透明な音色の
散歩から戻り、コーヒー豆を挽いている時間に
香りとともに身体にしみゆく感じがいい。

そういえば今朝
砂浜を歩いていたら
雨で濡れて固くなった地面の上を
かわいて軽い砂の粒たちが
風に包まれ、かけていくのが見えた。

砂たちはそうやって
移動しているんだなあ。

粒たちの一つひとつの
勢いと、舞うような足どりに
しばしみとれて、立ちどまる。

海沿いの通りには
湘南国際マラソンの看板があって
ああ、私も走りたかったなと思う。

とはいえ
走るのって結構しんどかったりもするから
今度走るときには
あの砂たちのことを思い出して
風とのダンスをイメージしよう。

鈴の音をポケットにつれて。
"好き"が不得意[2019年11月14日(Thu)]
Waterlogue-2019-11-12-17-06-07.jpg

このタイトルを、あまくみてはいけません。

というのも
人って案外、好きという状態でいることに
不器用だったりするのではないかと思うからです。

一番好きなものを最後に残す、
なんていう習慣が身についている
自分はまさにそう。

一番好き、
は食べてしまったらなくなっちゃう。

と思っているうちに、いつの間にか

一番好き、が手付かずに残っている状態を
維持することが、私の満足となっていく。

まるで、永遠にリハーサルをしているような
(ビューティフル・ドリーマーって、
そういう話じゃなかったでしたっけ?)

***

ここに書いている(好き)のことは
おもに(ことがら)のことについてですが

(好き)に手をつける勇気を育むこと。

これ、ばかにしないで
本気に取り組むことって、案外、
すごく、切実に、大事だと思う。

大好きに手をつけることが
こないようにしているうちに

本当は何が大好きだったか
わからなくなっていく。

一番・もっとも好き
を微妙にはずしたところの体験と
一番・もっとも好き
に関する評論だけが増えていく。

(ちぇ。一体何のための努力だよー)

写真はともだちに教えてもらった鎌倉・扇ヶ谷の
焼き菓子屋さんのタルトとレモンケーキ。

(ものすごく大好きで、
この一週間頑張るための糧にしている)
という、このお店のファンの彼女の
まっすぐな大好きさに
気持ちがとてもシュンとした。
浮かぶイメージ[2019年11月13日(Wed)]
Waterlogue-2019-11-13-20-16-11.jpg

もにょもにょと
胸のあたりにおりてくるイメージがあって

今日のそれは
足のたくさんある、ムカデのような存在だ。

とにかくもぞもぞしていて
歩きたがっているのだけれど
動きばかりが賑やかで進まない

...そんな感じ、なのだろうか?

と言ってみると
それよりも鮮明にこころに浮かぶのは
(はしご)という言葉。

ロープと木の板でできて
吊るされてゆらゆら揺れる梯子を
小さな歩幅で登っていく

横じゃなくて
縦の方向に向かう一歩。

そのロープの梯子に登るとき
緊張してロープをぎゅっと掴むので
手のひらと指が痺れてくる

肩にも力がはいっていて
手で登っているのか、足なのかすら
わからなくなってくるような

(もしかしたら私は
ロープを掴む手を
離したがっているのではないだろうか?)

大胆な発想を言葉にすると
どきっとして
そんなことできそうにないように思うのだけれど

ロープを掴む手を離す。

その先にどんな自由が広がっているのかは
たしかに、みてみたい気持ちになった。
風景のこと。[2019年11月12日(Tue)]
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今夜は満月だというので
朝からずっとそわそわしている。

(海が眩しく光るのを
砂浜まで走ってみにいくんだ!)

どうしたって
走ってしまうであろう気持ちを
思い浮かべるだけで
満月はもう
私をいっぱい満たしているし

その
飛び跳ねるようなこころを指して
月夜のうさぎと
昔のひとは言ったのでは
とさえ思うのだ。

***

月、と似ている
好き、という言葉について。

***

好きというのは
(一緒に生きていこうね)
というこころの姿勢のことなのかなと
ここのところ考えている。

素晴らしいピークの瞬間を
乾杯しようっていうだけじゃなくて

時間がかかること
本当にはわかることが難しいかも
しれないことも含めて

あなたという未知数をつつむ人生の
近くにいたいと、感じているということ。

こういうことを記しているのは

こころというのは空のような存在で
ずっとそこにあるのに
みせてくれる風景は
瞬間瞬間に変わってゆくから。

大切に想う人に
いつかお礼を言いたくなったとき

いつかみた
その風景のかけらについて
伝えることができたら
(願わくはそれが、境界線のゆるむような
やさしい体験であったなら)
さいわいだなと、思うからです。
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