仲間をみつける[2019年08月29日(Thu)]
人は何故書くのだろう?
ということについて考えている。
伝えたいことがあるから
とか
わかってもらいたいから
とか
共感が得たいから
なんてことが、あるかもしれないと思っていたけれど
ここのところ思うのは
ある種の(なかま探し)みたいなことなのかもしれないな、っていうこと。
なかま探しというのは、類友を探す、ということとは、ちょっと違う。
同じ問いを探求している誰かと、おおげさでない、密かなつながりをつむぐということ。
...っていう表現のほうが、しっくりくるように思う。
(この答えナイスだよね)っていうのをトスしあうことには、あまりこころが動かない。何かの目的のために、こころが動かないことを綴りつづけていると、空気が薄れてあたまがくらくらきてしまう。
素敵なことが素敵なこととして加速度的に動くのは、素敵かもしれないけれど、自分の役割をみいだすことに難しさを感じる。むしろ隙間をあけたままにしておいた方が自分としてはここちがよいな、という直感的距離感があり、それによって、自分が誠実でいられるための -つまりは相手にとっても誠実でいられるために必要な - 風の通り道が確認できる。
病で倒れる夢をみてから、いま、何をしていたいのか、というのをなおさら考えるようになった。先週、海士町のワークショップのチェックインで話した言葉。病院でおばあちゃんの手をさわっていたい。そのことが確かに大事だ。
私でなくちゃ・いまでなくちゃ。