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もどかしさの向こう側[2019年08月28日(Wed)]
鏡に囲まれた部屋に閉じ込められたような感覚を知るようになったのは、この"Blogなるもの"が世の中に登場するようになってからだ。

言葉にしたいことを記す。

誰かに届いて欲しい。

はずなのだけれど、それと同じくらい大きく

その繊細さを不用意に人(ひと)の目に晒したくないという気持ちが出現する。

黄昏時、そっと紙飛行機を飛ばすくらいのさりげなさで、投げかけることができたならがどんなにかいいだろうと思うのだけれど。

あなたにだけ気づかれるくらいに、気配を交わしあうような静けさとともに、シャープに。

Waterlogue-2019-08-28-16-26-32.jpg

"読んでください" なんていう 告知・拡散から程遠いところで
偶発的に届くような言葉が、私は好きだ。

深読みや邪推が入り込めないくらいに透明で流動的な水のなかに、ひとしずくこぼれ落ちるみたいに。時間の連続を証明するために、音がそこに出現し、消えていくみたいに。

いま、とても言葉をかけたい相手がいるのだけれど、かといってその人に連絡をいれるのは、なにか違うと思っている。

逢って、何かを話して、わかりあうなんていう粒の粗いことをやりたいわけではないんだ。

もしかしたらその人が見ているかもしれない夕暮れや遠い空を眺めて、お互いの想像が重なりある領域がどこかにあるのかもしれないし

きっとあるのだろうということだけを感じて、たとえ重ならなかったとしても、その人(彼女)の存在は確かにここにあって、そんないのちを私は生きているということを、ただ黙ってうけとめる。

それだけでいいのかな、というところに、こうして言葉に導かれる。

言葉とともに生きてゆけることのしあわせ。言葉が生まれるくらいの孤独につつまれて生きていられることの安堵。

このBlogを書くときに、こんなことに気づいた。

"解決"はいらない。

ただ"目撃(witness)"されることだけを求めるものたちが、この世界にたくさん、漂っているのだろう。
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