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SDGsさん[2017年05月11日(Thu)]
sdgs.jpg

とある方との打ち合わせで、
SDGsの冊子をお送りした際に添えた
メッセージのことを、とてもよいねと言っていただいた。

自分でも、書いたことを忘れていた手紙。

改めて出会ってみて、
SDGsさんのこと、こんな風に思っていたんだという
確認になって、うれしかったので、
ここにも記してみようと思います。

*******

持続可能な社会をつくるために、
2030年に向けて国連で採択された、SDGs
(持続可能な開発目標:Sustainable Development Goals)

このたび、
その解説冊子の制作に携わる機会をいただきました。

(データはこちらのリンクより、ダウンロードいただけます。
http://sus-cso.com/kiji/report160331


「たてわり」が問題ならば、
「よこつながり」をつくってみよう。

「うまくいかない」ことがあるのは、
「何かに気づくチャンス」かもしれない。

「資源が足りなかった」としても、
「アイデア」が化学反応を起こして生まれるパワーは、
きっとあるはず。

世界のさまざまな課題は、
それぞれ、つながりあっている。

だからこそ、
つながりに新たな視点をもたらすことができたなら
「誰のことも置き去りにしない」未来をつむぐ
しなやかな強さがあることを
わたしたちはきっと、思い起こすことができる。

SDGsへのそんな期待を込めて、編んだ一冊です。

大切な誰かと、未来に想いを馳せるきっかけとして
わずかながらでも、力になれたら、うれしく思います。

*******

これもまた、NVCに出会う前に紡いだ
言葉たちのこと。
Posted by makiko21 at 01:58 | NVC | この記事のURL
共感的コミュニケーション 本を使ったオンライン勉強会[2017年05月09日(Tue)]
nvcbookpicture.jpg

NVC(非暴力コミュニケーション/しばしば"共感的コミュニケーション"と表現される)の創始者、マーシャル・ローゼンバーグ博士の著作「NVC -人と人との関係にいのちを吹き込む法」のオンライン勉強会をスタートしました。

2016年11月-2017年3月に開催した「オンライン自主勉強会」からの学びをいかし、発展させた定員制(10人)のプログラムです。

この本を使った勉強会を開催したいと考えている方が他にもいらっしゃると思うので、どのような運営にしているのかを、ここに記しておこうと思います。
お役にたつものがあれば、どうぞご活用ください。

<目的と意図の表明>
・この勉強会は、NVC創始者マーシャル・ローゼンバーグ氏の著作「NVC-人と人との関係にいのちを吹き込む法」をテキストにした、参加者同士で学びを深め合う場です。
・毎週1回、約3ヶ月間(キックオフ含め計14回)、学び合いの場を持つことで、日々の生活にNVCの意図と学びを体感的にもたらしてゆくことを目指しています。
・「教える」「教えられる」ではなく、「共に学び合う」場づくりを意図します。

<参加者の募集>
・日常的な事例(個人的な体験)を共有するケースも多いことから、参加者が安心できる空間づくりを意図して、事前登録制としました(2016年の自主勉強会からのフィードバックを経て)
・NVCに初めてであった方にも気軽に参加していただけるような価格設定としました(3ヶ月1万円)
・ひとり一人が十分に参加できるスペースを保つために定員を10人に設定しました。

<開催日時>
・日々の習慣にすることを目指し、2017年5-7月期は平日早朝(7:00-8:30)の開催にしました。
・時間設定によっては、海外在住の方も参加できるので、意識してみるとよいかもしれません。

<運営ツール>
・使用するアプリは"zoom"。ビデオ対話ができます。有料版は年間$160くらいしますが、オンライン勉強会を頻繁に開催したい方にはとても重宝するツールだと思います。

nvcbookstudypic.jpg

<運営・情報共有など>
・facebookに参加者のグループ(非公開設定)を開設
・事前に
 次回のコースの日時と内容
 zoomのアクセス先URL
 出欠確認のためのアンケートを告知。
・本の勉強会に入る前に「キックオフ」を開催。参加者のニーズの声に耳を傾けること、参加者間のこころの距離をうめることを意図しました。安心・安全を感じられる、豊かな学びの場の設定につながるように。
・毎回のオンラインコースの前に「次回は何を扱うか」と「次回までに考えておいて欲しいポイント(課題)」を伝える。
 (この設問にあたっては、2016年11月の自主勉強会で活用したLucy Leu著作「NVC Companion Workbook」を参考にしています)
 例)
 第1章 -心の底から与える- のポイントやクラスまでに意識しておいてほしいポイントです。
1: 「心の底から与えている」と感じるこたことはありましたか?  
  それは、どんな時ですか?
2: 「心の底から与えられていない」と感じたことはありましたか?
   それはどんな時ですか?
3: 「心の底から与える」とはどんなことでしょう?
 本の中ではどのように紹介されていますか?
  あなたは、どう感じますか?
4: 「心の底から与える」ことには、どんなニーズがあるのでしょうか?
5: 「心の底から与える」ことを難しくしているのはどういう理由があるのでしょう?
  そこにはどんなニーズがあるのでしょうか?
  

・ オンライン勉強会は、参加者が「いま、どんなことを感じているか」をシェアする「チェック・イン」からスタート。その後、本のポイントについて簡単に振り返り、参加者の間の理解度を整える(頭を切り替える上でも、意識を集中する上でも、このプロセスは役立ちます)
・参加者が、上記課題に対して感じたこと、扱いたいエピソードなどをシェア(場合によってはzoomのグループ分け機能を使い、参加者を複数のグループに分けてワークしてもらう)
・参加者のチェック・アウト(どんなことを感じたのかのシェア。「満たされたニーズ」の言葉でチェック・アウトするのも、よい感じです。
・参加メンバーで記念撮影(macの場合、スクリーン・ショットというアプリを使うと便利です)
(注意:写真や名前含めて、情報のシェアについて、気にかけて欲しいことがあれば事前にお知らせいただく)
・出席できなかった参加者のため、また出席者の振り返りのため、オンラインで学びあったことのメモを共有

<facebookグループページの使い方>
・ 参考資料などの情報をシェア
・ 質問や深めたいことがあれば、誰もが書き込み、課題提起

......ひとまず、こんなところでしょうか....。

また、気づいたことがあったら、シェアしていきたいと思います。
Posted by makiko21 at 00:26 | NVC | この記事のURL
ジャッカルさんを、手なづける。[2017年05月05日(Fri)]
jackal-san.jpg

NVCのワークショップ等でよく使われる「ジャッカル」のパペット。

初めて見たときには怖がって泣いた甥っ子ですが、今回は「こんにちはー。xxくんと、仲良くなりたいなー。おりこう、おりこうって、してー!」と話しかけてみたら、この通り「いいこ、いいこ」としてくれました。前回は「怖くないよー」といっても、怖がられちゃったのに。

(彼の大好きな羊のショーンのぬいぐるみの近くにいくと、本能的に「食べられちゃう?!」と思うのか、「ダメ!」と守りの姿勢に入りますが...)

見た目が怖くても、仲良くなりたいんだよ。頭を撫でてほしいな、撫でてくれてありがとう、うれしい。っていう会話がはいったら、怖いのが飛んでいっちゃった。

翌朝は「ジャッカルさん、どこかな...?」と尋ねてくるくらいに、ジャッカル君を好きになってくれました。

我が家の、かわいい、(NVC)ジャッカル・エピソードでした。
Posted by makiko21 at 12:31 | NVC | この記事のURL
内なる対話を"ダンス"する -NVCダンス・フロア-[2017年05月04日(Thu)]
2017年4月下旬。連休初日の土曜日に、鎌倉の長谷のまちで-本音で表現する 共感的コミュニケーション体感的ワークショップ-を開催しました。

会場は、神社に隣接する静かな和風建築。由比ヶ浜の海が見渡せる、新緑に包まれた空間。

goryojinja.jpg

このワークでは、NVCダンスフロア(*)という手法を取り入れつつ、"内なる声を聴くこと・そこから表現すること" -YESということ/NOということ- をテーマに、自身の決断や他者との会話の中で起こるこころの動き・大切にしたいものに触れていきます。

(*) (NVCダンスフロア は、Bridget Belgraveさん、Gina Lawrieさんによって創造された、NVCを体感的に学ぶ手法)

「いま・ここで、どんなことを感じているか」をシェアする「チェックイン」のあと、クレヨンを取り出して心の中にある感覚を絵で表現するワーク。そして、(大切なこと・生命エネルギーの求めるもの)の言葉がかかれたカードを囲んで、自分が感じていること、その奥にあるニーズにつながる時間を持ちました。直感の赴くままの表現。そこに、自らの感覚にあう、言葉を添えてゆく作業です。

そして、そのあとは「自己共感」そして「YES/NO」という、2つのダンス・フロアのワークをしました。

ダンスフロアでは、何かを決めたり、行動したりする時に、自分の内面で起こる「内なる対話」を、NVC(共感的コミュニケーション)の「観察」「感情」「ニーズ」「リクエスト」というプロセスのどこにいるかを体感しながら表現していきます。自分が体感していることを客観視したり、起こりがちな困惑に気づきやすくなれるのです。

dancefloor.jpg

よく起こりやすい困惑とは:

・「観察」と「解釈」
(事実をありのままに受け止める「観察」をしているつもりが、自分の反応込みの「解釈」になってしまうこと。例えば:「彼は、集合時間が9時のところ、8時50分についた」という事実も、解釈次第で「彼は集合時間より10分も早くついた」にもなるし「彼は集合時間まで10分しか早くこなかった」という表現にもなりうるだろう。観察者の主観が、事実に"色"をつけてしまう)

・「感情」と「思考」
(体験しているありのままの感情を味わう代わりに、思考で組み立てた描写をすること。例えば「(悲しい、つらい、といった)"ネガティブ"な感情はよくない」という思い込みがあると、そういった感情を素直に味わいつくすことができず、"ネガティブな感情を持った、よくない自分"を防御するための思考につながりがち)

・「ニーズ」と「戦略・手段」
(戦略をニーズを思い込むこと:例えば「お金」をニーズそのものと誤解し、お金がない限りニーズが満たされないと思い込む。本当に満たしたかったニーズは「安心」で、それを満たす方法は、必ずしもお金である必要はなかったかもしれない。ニーズに明確になると、より多くの選択肢(戦略・手段)があることに気づくことができる)

・「お願い(リクエスト)」と「強要」
(相手のニーズへの尊重がない一方的なリクエストは強制的になってしまう。例えば「お願いします」と言葉で丁寧に伝えたとしても、相手のニーズを無視したお願いは「強要」。上下関係など立場の違いがあると、お願いされたことに「NO」と言いにくい状況もあるということにも意識を向ける)

「ダンス・フロア」のステップを踏みながらの体感。サポートしてくれる相手がいるとより明確さが得られやすいかもしれないけれど、一人で使っても、内なる対話のサポートになると感じています。

NVCダンス・フロアは、私がマーシャル・ローゼンバーグ氏の著作を通じてNVCを出会ったばかりのころに参加したワークショップでした。都内で受講し、強く惹きつけられ、名古屋、そして京都でも受講。そんなこともあって、受講後に教材(ワークショップ版)をただちにオンラインショップで購入し、ひとりで、また、身近な人たちとシェアしてきたツールです。

現在、日本語版のリリース準備も進んでいるそうで、今後日本でも多くの場で活用されていくのではと、楽しみです。

私もまた、今後も、このワークをシェアする場を設けていきたいと思っています。
Posted by makiko21 at 07:03 | NVC | この記事のURL
こころに留めおきたいこと -社会変革のこころ-[2017年04月30日(Sun)]
TheHeartOfSocialChange.jpg

南アで原子力エネルギーに関する決定に国民参加が必要であるとする判決がでたことを伝えるニュースを、TAIがシェアしていた。

TAI: The Access Initiativeは、1992年にリオデジャネイロで開催された地球サミットで採択されたリオ宣言に記された「市民参加、情報アクセス、司法アクセス」の原則(通称、Principle10: 「リオ宣言第10原則」)を推進するイニシアティブ。事務局はWRI。詳細はこちら

*****

2012年に参加したリオ+20の会議でPriciple10のことを知り、強く賛同したことを思い出すと同時に、今は、単に「市民参加を勝ち取る」ということばかりでなく「分かち合いの質を豊かにする」ということに私の関心が向かっていることに気づく。

裁判で負けたからしぶしぶと、ではなく、互いを思い合い、心から満しあう関係性をつくる、ことをめざそうとする社会が、私のもとめる在り方だ。

そして、故に、NVC(Non-violent Communication)の学びに深く入り込んでいる私がいる。

"どうしたらあいつらに解らせられるのか"、という心持ちからでは、サステナビリティをもたらすことは難しいと、強く実感しているのだ。

*****

さて。先日から、NVCの創始者マーシャル・ローゼンバーグ氏の講演やワークショップからの発言のエッセンスをまとめた書籍『The Heart of Social Change -社会変革の心』を使ったワークショップを開始した。NVCを日本に紹介し、マーシャルの著作の日本語訳の監修をつとめた安納献さんとの共同企画だ。

初回は、マーシャルから、そしてその他のさまざまな場や機会からNVCの真髄に触れ、学びを分かち合い続けている献さんから、いま、地球はどのような状況にあるのか...という洞察と問いがもたらされた。

5月からさらに続けていく講座では、私を突き動かす問題意識-制度的、あるいは道義的正当性をめぐる論争を超えて、豊かな分かち合いの質をともに育てるとは、どういうことなのだろう- ということについても、触れてゆきたいと思っている。SDGs(国連で採択された"持続可能な開発目標")のキーメッセージ「誰もおきざりにしない (Leaving no one behind)」という社会をめざすとは、どういうことだろうか、ということも。

そして、いかなる学びにおいても、このことを、私は意識していたい。

つまり、自分の中にたちあがる"正当的優位性に裏打ちされた快楽"に、どれくらい自覚的であれるかということを。

*****

さて。TAIが以下ニュース動画のシェアにあたって寄せていたコメントからの引用です。市民団体の活動が身を結んだこと、とても大きいと感じています。

"A victory for democracy" and "environmental democracy". South Africa's court orders that people have to be able to participate in any decision on use of nuclear Energy - Congratulations Earthlife Africa Johannesburg (ELA-JHB) and the Southern African Faith Communities’ Environment Institute
Posted by makiko21 at 08:24 | NVC | この記事のURL
"在り方"という備え[2017年03月22日(Wed)]
tatazumai.jpg

ずうっと温めてきたものを、ようやく動かしはじめた。

それは
(本当のしごと)と呼ぶところに
名をつけること。

(近くて、遠い)

と、私はそこに言葉を添える。

ITの業界では
「ラスト・ワンマイル」などと呼ばれる
この領域は

つまり
(人のかかわり)を必要とする
領域の象徴でもある。

わたしは、自分の仕事の中心を
まさにその
(近くて、遠い)
人でなくては触れることのできない領域に
絞り込んでゆくことを決めた。

人でなくては:
つまり、自分でなくては、というところに。

*****

ここ数週間で身にしみて思うのは
自分は
道のないところを歩くのが好きなのだということ

臆病なので
どこかの居心地のよい枠におさまることが
ここちよいのだと思ってた

けれども、それというよりは
どこにでもちょうどよい(縁側)をみつける
猫たちくらいの

(確かさ)と(ゆるやかな感覚)
をもって生きるのが
私には居心地のよいことで

どうぞゆめゆめ
名札なんかをぶらさげようとは
なさりませぬなと
しゃらんと、鈴をならして歩く。

*****

さて。

「近くて、遠い」をテーマにした企画を
ただいま、次々と組み立てている。

それらの企画については
facebookのこちらのページで告知を重ねていく予定だ。

イベントという名前は、
どこか(非日常)めいていて、私はあんまり好きではない。
(便宜上はそういうことになるのだけれど)

けれども(非日常)に意識をあえて向けるとするならば
私がここで企画するものたちは
(非日常)と呼ばれる
こころが動かされる出来事に対する
"備え"となる在り方を紡ぎたい、という意志が根底にある。

ひとは、こころで生きているのに
こころについて扱うことの(怖さ)や(不安)を
素直に言葉にすることが(難しい:むつかしい)。


そういうものだから、
(日常を奪われるような)大きな体験が起こったとき
あるいは大きなお金が動くことや
権利や選択に関わる何かが起こったときに
そこに鮮やかな存在を発揮する
(こころ)のことを、どう処理していいかわからない。

そして
(賢さ)や(理論性)、(正当性)なり(正統性)なりを
ひっぱりだして
(どちらがより正しいか)という渦に
巻き込まれたりするのだ。

ぐるぐる目を回して、何が本当に
大切にしたいものだったのか、
忘れてしまったり、するのだ。

そういうことで、
財産とか、尊厳だとか、生きがいだとか
ふるさとだとか
いろいろの大切なもののことを
素直に言葉にできなくなるのは

苦しいことではないか。

私は、そう考える。

*****

近くて、遠い。

それは
もっとも近づくことが難しい、
ともすればなかったことにしてしまいたくなるほど
遠くを含んだ(近く)のこと。

こころが決める、距離のこと。

ちょこっとずつ
ときには擦り傷もつくりながら

勇気みたいな生きる力を
育てていけたら、いいなと思う。
Posted by makiko21 at 11:22 | NVC | この記事のURL
"よきクライアント"という演技[2017年02月22日(Wed)]
umi.jpg

何かしらの講義、コース、あるいはセッションを受けるにあたり、ときどき、「よき生徒・クライアント」たろうとしている自分がいることに気づく。

この場合の「よき生徒・クライアント」とは「こまっていて、わかっていなくて、あなたがいたのでクリアになりました、ありがとうございます」という一連のテンプレートを礼儀作法として卒なくこなす人という意味。

(これは:講師たる人のうちに、本人が隠そうとしている承認欲求を感じとった時に、そこに自然にチューニングされてしてしまうことだったりする)

少し立ち止まって考えると、これって、表面的な明け渡ししかしていないし、さらにいうと、講師なる人を本気には信じていないということなのかもしれないのだけれど。

この、よきクライアントであることを求められる感覚を見つけたとき「もう、リピートはいいな...」と思う。

(そして、そういう感覚に陥る自分を、打算的だなと責めたりする)

....と。こういったことも、NVC的に、あるいは他のアプローチをしても、クリアにできることなのだってわかる。そのパワーは、確かにある。

けれど、同時に。

ひとはそんなに「わかっている人」と話していて、楽しいだろうか。言い換えると、深くで結びついた感覚を感じ得るだろうか。

私はそれに対しては、少し疑問を思っている。

なぜって。人が理解しあうということは「context:文脈」の理解ということがとても大きな意味合いを持っていて。あんまりすんなり「わかっている人」とは、文脈の共有が難しいような気がしてしまう(そういうのをすっ飛ばして、綺麗に処理されちゃう感じ。ある種の"都会的"処理感)。

理解しあえない、もどかしく、なんとも噛みきれない時間を共有することも、大事ではなかろうか。
...人として、人間らしさを持ってして、本当につながろうとするなれば。

ひとは、プロセスにおける発見楽しむ生きものでもある。そして、人が本能的に持つ生命的な純粋さを、私は尊重したい。

(学ぶ、学んでいない、といった概念が到底及ばないところにある"純粋"な生命の力を)

だから。自分はできるだけ、できるだけ、メソドロジーなるものは、さりげなく空気のような存在にしておきたいと思っている。

そして、学びについては"共有の美学"という意識を大切に持っていたい。

そのようなことを考えて、4月から人生のために"人に出会う"時間をとろうと思っているのだけれど、考えてみたら、それ、先延ばしする必要はないよね。
Posted by makiko21 at 05:21 | NVC | この記事のURL
"教える" と "Power With"[2017年02月15日(Wed)]
butterfly.jpg

"教える"あるいは"教えたい"という言葉について感じていることを記しておきたい。

何故って?
"教える"は、しばし、権力構造をもたらしやすい環境の再生産となる。

"教える"側は、つい、"あなたよりも知っている人/先人"ぶりたくなるし
"教えられる"側は、"教えられたことを受け入れなくては申し訳ない"気持ちに陥りやすい。
いや、"陥らせやすい"。そんな心理的構造に、私たちはとても馴染み深いのではなかろうか。

目指す世界観が"Power Over(力による支配)"から"Power With(調和に)"であるとき、このことに敏感であることはとても大事だ。

何故って?
"慣れ"とか"自尊心くすぐられる心地よさ"は、自己矛盾を鵜呑みする習慣につながっちゃうかもしれないもの。

"教える"は、私は好きではないことば。
"学びが起こる空間に働きかける"とか。
"気づきの目撃者になる"とか。せいぜい、そんなくらいじゃないのかな。

"学び"って、その人らしい生命力がいきいきと発揮されることにつながる道のこと。でもそれって、誘導して起きるものじゃない。その絶妙なバランスが、アートなのだと、私は思います。

学びは、アートなんだよ。

こういうことを考えていると、私は、衣服を脱ぎ変えたような気持ちになる。

カチッと仕立てられた既製品の服を、自分のサイズに合わせてプラスアルファの料金を支払い袖を直してもらって。追加でかかった料金分だけ(標準仕様にあっていない)ことを残念に思う。

という感覚から

自分のしたいこと、スタイルに合わせて、自在に形を変えて身にまとってよいのだよ、という創造性の着物へ(それは、テキスタイルも喜ぶ世界)。

身体感覚から生まれる言葉の愛おしさ。それにどれだけ出会えるかということも、人生の冒険のひとつだ。

残された人生でできることを考えたら、ほんとうに、フォーカスって大事だな......と感じいる。

苦手と思う空間や人間関係の只中にいるときさえも、"学び"はとまってくれない。しかしながらそれが起こっていないと思うのは、きっと、現在以外の何かに忙しすぎて、いま・ここが目覚めていないから。

今朝目にした、小野寺愛さんのこちらのエントリー(ポートランドから来日したMatt Bebeauに、社会の変え方を聞きました)が、とても心に響きました。

追記:
辞書より、teachという言葉の意味
1. To impart knowledge or skill to: teaches children.
2. To provide knowledge of; instruct in: teaches French.
3. To condition to a certain action or frame of mind: teaching youngsters to be self-reliant.
4. To cause to learn by example or experience: an accident that taught me a valuable lesson.
5. To advocate or preach: teaches racial and religious tolerance.
6. To carry on instruction on a regular basis in: taught high school for many years.

追記2:
昨日の(政府系事業の)会合の間、私はずっと"学び"とはなんだろうと思っていた。
自分の心の中で感情がせわしなく動き、それがたえず、自分が"何を見まいとしているか"を教えてくれていた。"目を背けたい"、あるいは"そうではない"と感じる気持ちの中に、扉をひらくヒントがある。
Posted by makiko21 at 05:11 | NVC | この記事のURL
on Empathy[2017年02月14日(Tue)]
empathy.jpg

締切をたくさん抱えながら(今週はピークかも)、それでも、自分の気持ちを"いま・ここ"に落ち着かせようという流れとしてついつい行ってしまうのが、朝の静かな時間にNVCのテキストや書籍に触れるということ、それを自分の中で反芻するという行為だ。そこから、自分とつながり、意識を持って世界を展望する。

今朝のテキストはこれ。NVCでいうところのEmpathyについて。
http://en.nvcwiki.com/index.php/Empathy

昨日のLeadership Programのテレクラスで扱った"Empathy"というテーマを深めるために読んでいるもの。Empathyは共感と訳されたりするが、NVCでいうところの共感は、一般に使われていることよりすこし深い意味合いを持つ。

"Empathy is a quality of being present with someone, and going as deep as possible with what is most alive in the moment. One way we support this "going deep" in Nonviolent Communication is by inquiring about what need is present"

さらに、マーシャル・ローゼンバーグの師、カール・ロジャースの言葉として"Understanding with a person, not about him"という言葉がでてくることも興味深い。"共にあるということ"。その瞬間に起こっていることに深くつながり、共に在るということ。

NVCは自分にとってもっとも納得感の高い世界観を提示してくれていて、これにフォーカスする時間を持つことが、人生への信頼を取り戻してくれていると、強く感じる。この先の人生をこのようにいきていきたいという確信。

4月から開始する予定のコースの構築をしている。基礎編と、それから、経験者向けには現在受講中のLeadership Programからのインスピレーションから構築したリーダーシップをテーマにしたものと。おそらく、どちらも3ヶ月ほどのコースになる予定(定員は5-10人の間)。

こうして取り組み中の作業についてもシェアすることで、時を豊かにするためのアイデアとつながる機会が増えそうな気がして、勇気を出して書いてみました。

今日もよい1日を。
Posted by makiko21 at 07:18 | NVC | この記事のURL
尊厳と、支援と。[2017年02月12日(Sun)]
library.jpg

Bay NVC Leadership Program (LP) からの余韻の中にいる。2月12日。帰国してから、まだ5日。

山奥でのリトリートは、確かに世間から離れた世界でのできごとだったけれど、私にとってあの学びは、"私が "というより"私という人生が"参加したもので、それはこの日常と限りなくボーダレスな世界にある。

高校時代、交換留学でアメリカ(アラスカ)の高校で学んだ日のことを思い出した。言葉が通じなくて、でも、耳だけはなんとか追いつけるところもあったので"Makiko?彼女に言っても意味通じないし、放っておこう」何て言葉をクラスメイトが発するのを聞いてひどく落ち込んだこととか(そしてその落ち込んだ気持ちも表現できずただ自分を責めて過ごしたこととか)。学校にいくことを、罰ゲームみたいと感じつつ、日本への手紙にたのしいことを書いて慰めていたことだとか。あの頃と比べたら随分臆せず話せるようになったけれど、いまだにLとRやBとVの区別はでたらめで、Liberalという発音が通じなくって、"ひゃあ、難しい、英語!"と、ここぞとばかりに"日本人の特徴"をアピールしてみせたり。

英語でのコースを受ける体験がはじめて、という日本からの参加者もいたので、ついつい、通訳でサポートしようとする自分もいた。サポートだとか、貢献したいという気持ちで動いていたつもりだけれど、私は、その人たちの心の声を訪ねることもなく動いていたのかもしれないと気付かされたのは、ある参加者から、「言葉を超えた、もっと深いところで通じ合えることを味わいたい」という言葉を受け取ったときだった。ああ。私はなんて、表面的なレイヤーでの"理解"に心を奪われていたのだろう。そして、"英語ができること=困っている人を支えられる"と思い込んでいた自動思考に、恥ずかしさを覚えた。私、なんのためにここにいるんだっけ?そう。"ひととひとと、こころを通わせるコミュニケーション"というものに惹かれて、その実践を身につけるということが、目的のひとつだったというのに。

LPの学びで、私が素敵だと感じたのは、日々の暮らしのささいなやりとりのなかに、気づきや、行動をみつめなおすきっかけをたくさん味わうことができたことだ。どうしてそれが起こったのだろう?意識的になったから??

ひとつには、コースのはじまった日の夜、とあるアシスタントのひとから「あなただったら、どうしたいの?」という問いかけを受けたことに理由がある。とある困りごとに直面し、私はそのアシスタントの人に("アシスタント=助ける役割を持つひと"へのリスペクトのつもりで)相談を持ちかけた。その時、「アシスタントは別にそういう意味でのサポートに入るわけではない」のだよ、ということを教えられた。それを解決する方法を私は知っている。すくなくとも考えることができる。だったらそれを表現する行動とはなんだろう。LPで感じ取ったものは、行動という言語活動へと、意識を向けてくれることだった。そこから私にとって、このプログラムに対するスリルな気持ち、挑戦のこころにぐいっとギアがはいった。"解けないふりをするのは、やめよう。自分への信頼を取り戻すのだ"。

さて。昨日は鎌倉に暮らす友人と"支える"ということについて話す機会に恵まれた。それも、ふた組のひとたちと。

NVCも、あるいはそれ以外のことも、"切実に必要とする"状況にある人が、それを手にするアクセスを持たない、ということはよくある。お金、時間、情報、精神的な状況、などなど。では、それらの状況にある人を"支援したい"と思う気持ちとはなんなのだろう。

"支援"あるいは"支える"という言葉に、私たちはつい、"持つものが持たざるものを支える"というイメージを描きたがる。そしていつしか"支援から自立を促さねば"などということを語り出す。

本当にそうだろうか。

私がNVCや合気道に惹かれるのは、そこに、Power Over(力による支配)をPower With(調和)へと転換する世界観を感じるからだ。Power Withの世界には、優越や力の上下関係はない。そこは、各々のいのちの尊厳で満ちた空間となる。

"支援"という言葉は、しばしば平和的なやさしい顔をした "権力構造"をつくりやすい。貧しい人に施しを与えよう、という考えは、その人の尊厳に対するどのような眼差しからもたらされた姿勢だろうか。そういう一見ささいで重大な違いに、意識的でありたいと思った。

このPower Withの世界をつきつめると、経済活動だとか、社会で起こっていることに、これまでとは違う視点から関心が高まってくる。

私が知っていることって、ほんとうにほんのわずかだ、ということが、可能性にも思えてくる("知っている"ことを解き放つことの力よ)。

そんなどきどきを抱えながら、電車に揺られる日曜の朝。これから、企業組織に対してNVCを伝える講師となるための講習をうけてくる。

写真は、LPで、講師やアシスタントが朝のミーティングをしていた場所。彼らはこのミーティングを参加者が観察者として参加する場としてひらいた。私たちの生きる言葉は行動において強い力を発する。その隠しようのないことばを開示した彼らの姿勢に、私は深く敬意を表する。
Posted by makiko21 at 07:46 | NVC | この記事のURL
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