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仲間をみつける[2019年08月29日(Thu)]
Waterlogue-2019-08-29-06-20-43.jpg

人は何故書くのだろう?

ということについて考えている。

伝えたいことがあるから
とか
わかってもらいたいから
とか
共感が得たいから

なんてことが、あるかもしれないと思っていたけれど

ここのところ思うのは

ある種の(なかま探し)みたいなことなのかもしれないな、っていうこと。

なかま探しというのは、類友を探す、ということとは、ちょっと違う。

同じ問いを探求している誰かと、おおげさでない、密かなつながりをつむぐということ。

...っていう表現のほうが、しっくりくるように思う。

(この答えナイスだよね)っていうのをトスしあうことには、あまりこころが動かない。何かの目的のために、こころが動かないことを綴りつづけていると、空気が薄れてあたまがくらくらきてしまう。

素敵なことが素敵なこととして加速度的に動くのは、素敵かもしれないけれど、自分の役割をみいだすことに難しさを感じる。むしろ隙間をあけたままにしておいた方が自分としてはここちがよいな、という直感的距離感があり、それによって、自分が誠実でいられるための -つまりは相手にとっても誠実でいられるために必要な - 風の通り道が確認できる。

病で倒れる夢をみてから、いま、何をしていたいのか、というのをなおさら考えるようになった。先週、海士町のワークショップのチェックインで話した言葉。病院でおばあちゃんの手をさわっていたい。そのことが確かに大事だ。

私でなくちゃ・いまでなくちゃ。
もどかしさの向こう側[2019年08月28日(Wed)]
鏡に囲まれた部屋に閉じ込められたような感覚を知るようになったのは、この"Blogなるもの"が世の中に登場するようになってからだ。

言葉にしたいことを記す。

誰かに届いて欲しい。

はずなのだけれど、それと同じくらい大きく

その繊細さを不用意に人(ひと)の目に晒したくないという気持ちが出現する。

黄昏時、そっと紙飛行機を飛ばすくらいのさりげなさで、投げかけることができたならがどんなにかいいだろうと思うのだけれど。

あなたにだけ気づかれるくらいに、気配を交わしあうような静けさとともに、シャープに。

Waterlogue-2019-08-28-16-26-32.jpg

"読んでください" なんていう 告知・拡散から程遠いところで
偶発的に届くような言葉が、私は好きだ。

深読みや邪推が入り込めないくらいに透明で流動的な水のなかに、ひとしずくこぼれ落ちるみたいに。時間の連続を証明するために、音がそこに出現し、消えていくみたいに。

いま、とても言葉をかけたい相手がいるのだけれど、かといってその人に連絡をいれるのは、なにか違うと思っている。

逢って、何かを話して、わかりあうなんていう粒の粗いことをやりたいわけではないんだ。

もしかしたらその人が見ているかもしれない夕暮れや遠い空を眺めて、お互いの想像が重なりある領域がどこかにあるのかもしれないし

きっとあるのだろうということだけを感じて、たとえ重ならなかったとしても、その人(彼女)の存在は確かにここにあって、そんないのちを私は生きているということを、ただ黙ってうけとめる。

それだけでいいのかな、というところに、こうして言葉に導かれる。

言葉とともに生きてゆけることのしあわせ。言葉が生まれるくらいの孤独につつまれて生きていられることの安堵。

このBlogを書くときに、こんなことに気づいた。

"解決"はいらない。

ただ"目撃(witness)"されることだけを求めるものたちが、この世界にたくさん、漂っているのだろう。
地に足のついたことを、なさりなさい。[2019年05月03日(Fri)]
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夕暮れの海辺の道を久しぶりに走った。

この時期は、日が暮れたというのに、海辺の通りには人影が多い。公園のベンチでカップラーメンをすすっている若者の集団をみかけると、つい「そのごみ、ちゃんと持ち帰ってくれるよね?」と不安な気持ちになるのであって、それがこの鎌倉のまちの、令和という時代におけるリアリティなのではないかと思う。美化するのでなく、落胆するでもなく。

どんな現実を前にしても、問われているのは自分のまなざしであり、姿勢であり、選ぶ言葉と行為であることは、時代を超えても変わらない。

私の行為と言葉の泉源にあるものは、恐れや諦めの隠れた義務感であろうか。それとも----。

そのことを意識する日々でありたいと、禅僧ティック・ナット・ハンの音声を聞いて走りながら考えた。

その"考え"は観察とともにあり、私はいつもより呼吸に意識を向け、決めた距離を歩かず走り通し、たくさん汗をかいた。
聲のこと[2019年05月02日(Thu)]
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本当に大事な聲を受けとめるためには
耳をよく澄ますことが肝心です。

音、とりわけ効果音のようなものに惑わされることなく
その聲の持つ独特の響き

こころを静めて
音になるその三層ほど奥にある振動の余白のようなところに
尋ねていってはじめて
触れることができるような言葉を

表面に漂う音と聴きわける感度が
とても大切になるのです。
呼びかける夜[2019年04月06日(Sat)]
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もっと、安心して怖がれる場所があるといいのに。
死んでしまった人のこと[2019年04月06日(Sat)]
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大切に温めておいて、そのまま心に閉じ込めてある感情がいくつもある。

大切すぎて言葉にできない。けれどこんな気持ちを抱いていたことを、この世の誰かひとりでも知ってくれるひとがいたらいいな、と思うようなこと。

99.99999999%の想像の世界につながる0.1%に満たないところの入り口に、秘密の扉を用意する。多分誰もが、そんな風にして守る聖域のような場所をもっている。そして、そんな無数の扉に埋め尽くされた世界が、モザイク模様のようにこの世界に広がっているのだろう。

死んでしまった友達(なんという言葉で形容したらいいのだろうか。固有名詞が一番きっとふさわしいのだけれど)のことを考えている。気づいたらほとんど毎日、考えているのではなかろうか。

その理由は、私の現在の仕事とも深い関係があるように思う。例えば、コーチングをしているとき。相手についての解釈を手放し、純粋な好奇心をもって向きあうというその意味を考えるとき。

その人を失う前の私は、その人のことを、ああだこうだと、ずいぶんと"解釈"や"評価"をしていたと振り返るのだ。その人の奥にある深い想いだとか情熱だとか、じゅうぶんに受けとめることをできずにいた人間の深みのようなものを、もしもっと生きている間に受けとめ、リスペクトを忘れずにともにいることができていたならば........。なんて書きながらも、そんな優等生みたいなことを言っている私ってどうなの?と。馬鹿なことを言って衝突する関係性が出現していた世界が、結局は恋しいんだろうなあ。あなたのことを、"いい人"みたいに総括したくなんかないんだよ。

ということで。あまりウェットになるつもりもないのだけれど、本当にこころからその人のもつ可能性や力を受けとめて向きあっていたならば、今とはきっと違う涙を流していたことだろう。

人が亡くなったあとに、こんな風に意味づけを足していくのも本当はあんまりしっくりこない。(だってこのような言葉は、本人に届けることに一番意味があると思うのに、伝えたいあなたはもうこちらにはいないのですよ)。

急ぐ気持ちで階段を駆けおりていくような、つまづきそうなもどかしさごと、スピードをあげて、なにか、どこかに、たどり着こうとしている私のこの感覚は、いかにも、時の流れを共有意識のもとにあきらかにする、桜という花の咲くこの季節にふさわしい。

傷つかないひとになりたいわけではない。傷の痛みを、痛みとしてうけとめられる私に、私はなってゆきたい。

この世からいなくなってしまったKさん。会いたいよ。でも幽霊はちょっと怖いから、でてこなくてもいいからね。そうこういううちに、四十九日も近づいているね。空の上から薄紅の世界の展望を、どうか楽しんで過ごしていてちょうだいね。
名づけることの難しい気持ち[2019年04月04日(Thu)]
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"詐欺の子"という、オレオレ詐欺を題材としたドキュメンタリー風のドラマにであった。

なんという衝撃。

"そんな風なんだ、知らなかった"という類のものとは違う。

"犯罪"を"容易"にするために
"主語"から"人格"がいとも簡単に削ぎ落とされてゆくさま。

"分業"と"命令系統"の織りなす
ある種のエモーショナルなつながりの"堰き止め"。

"わかってもらう"にはあまりに複雑で明確な犯人の指定できない状況が、"救い"を手放したなるほどの麻痺として世界を包み込んでゆく。

これらは私たちの日常にあまりにさりげなく組み込まれたものでもあり、"犯罪"と私たちの"習慣的行動"との地続き性のことを思わずにはいられない。

私が"犯罪"に手を染めていないのだとして、それもまた、なにかの偶然なのではないか。

そもそも"犯罪 "に加担していない人なんて、この世に存在するのだろうか。

"闇"とは、私たちひとりひとりの共同作業によって存在し、つまりは、共有物なのだと、私は思う。

"わかって欲しくても誰ひとりわかってくれない"という叫びのような孤独が、"共有物"だなんて、なんて皮肉じゃないか。

でも、そうとしか、私には捉えようがないのだ。

"犯罪"といったできごとの報道に触れるとき、だから私は、それを"自分とは無関係のひとたち"のこととして捉えることに難しさを感じる。"無関係"としたがるかに見える報道やひとびとの反応の目の奥にある光を、覗き込みたい気持ちになる。

"共感的コミュニケーション"とか"対話"とか"コーチング"だとか。それらに可能性を感じているし、とても好きではあるのだけれど

そこからだけでは出現させることの難しい"わかちあう言葉"に辿り着きたい気持ちがある。

個に触れるために"個"を離れる、という言葉が、ふと、こころに浮かんだ。

その"空気感"に触れるためのスペースを描く、水彩画のような言の葉と出逢うこと。

私の地面からつながる(できれば目を背けたいとされている世界)を描きたい衝動に、そろそろ、かたちを与えてあげたらどうか。

それが、"仕事をする"ということではないか。
何故[2019年01月07日(Mon)]
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新年あけましておめでとうございます。

ひさしぶりに、ここに綴っています。ここはもう、ほとんどUPDATEをしていないのに、それでも毎日何十人かのひとが訪れてくれている。それはとても不思議なことだといつも驚かされます。ものすごくありがたいことだなあという気持ちにも包まれます。

随分前に、このサイトから本名の掲載をはずしたはずなのに、私の名前で検索すると、ここにたどりつくことが多いのだそうです。あ。もしかしたらfacebookにリンクを載せているからかな。

このサイトにたどり着いた幾人かの方から、過去まで遡っていくつもの記事を読んでくださったとご連絡をいただいたことがあります。それはとても光栄だと思います。私の気づかないところで、私はその方と深く出逢いを重ねていたのかと思うと、それは宇宙的で不思議な浮遊感を私に与えてくれます。世界は幾重もの層の重なりによってできている。そう、感じずにはおられません。

仕事始めの方も多い今日、私はつながりのある方々に新年のご挨拶をおくりました。その際、自分の紹介として「言葉といのちのつながりをテーマに活動する人」と記しました。通訳だの講師だの、あるいは執筆だの、あれこれの仕事をしているので(そして、そのどれもがいまもまだか細い枝のようなので)いまだによく「何をしているの?」と尋ねられます。いろいろは違うようであり、私のなかでは確かにつながりを持ったこと。そのつながりの部分を表現するとこんな形になるのかなと考えました。「言葉といのちのつながり」。改めて声にして、うん、と深くうなづきます。生きているあいだ、片時も離れることなく、私たちはこれらに包まれて暮らしている。つまり、生きることそのものではないですか。この、生きているという不思議なことへの好奇心を、私は生涯大事にしたいと考えています。

今日、私の見知らぬところで、この場に出会ってくれたあなたへ。私は畏敬の念をもって、あなたの存在を受けとめます。

ありがとう。近くて、遠いあなた。
ブルー[2018年06月16日(Sat)]
紫陽花というのうは、こんなにも鮮やかに、一斉に
花開くものなのですね。

そんな風に
"たどたどしく丁寧な"言葉をかけられたとき

私の身体は
少しこわばる感じがします。

まるで、駆け出す直前のように。

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スピード感覚の奪還[2018年06月15日(Fri)]
梅雨に入った。

朝から雨の日は、
観光客の数がぐっと減る鎌倉だが
この時期ばかりは
雨さえも、
気分を盛り立てる材料のひとつになるのだろうか。

紫陽花で有名な神社は
ひとだかりでいっぱいだった。

(人もいなくて、静か)
という、時間と空間を選ぶことが
いつしか
もっとも価値あることになってきている。

そして、まるで野良猫のように
雰囲気のある気配をまとった
土地のひとと、遭遇したりを
楽しんだりして。

Waterlogue-2018-06-06-21-08-52.jpg

「スピード感覚の奪還」というタイトルを
どういうわけか、この記事につけていたのを

寝落ちして、UPするのを数日保留したのち
いまごろになって、ふと、目にとめる。

奪還されるスピード感覚とは、
なんのことなのか、自分で書いておきがら
思い出すことが難しい。

ただ、ああ、そういえば
(スピード)という感覚が
ひとの身体から奪っていった
さまざまな体感はきっとあるはずで

昔のひとにあいたくなるのは
いま、この時代に
たくさん隙間があいているからでしょうか。
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