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新着情報

災害時予定避難場所 2019年03月12日(Tue)
湯田地区コミュニティだより第51号 2019年02月19日(Tue)
'2019 どんど焼きと七草がゆ 2019年01月17日(Thu)
’2018.12月しめ飾りづくり 2018年12月28日(Fri)
バス&ハイク 四境戦争 〜石州口の戦いの跡をたどる〜 2018年12月17日(Mon)

2019年03月12日

災害時予定避難場所

KIMG2388.JPG

今朝、湯田地域交流センター前に見慣れない看板を発見しました。

湯田地域交流センターは、市の災害時予定避難場所に指定されていますが、この災害時予定避難場所に指定されている施設には、この看板が設置されているそうです。

この看板、前から立っていましたが、古くなり、この度新しく看板部分を張り替えられたようです。

新しくなり、前より目につきやすくなりましたね。

KIMG2389.JPG


2019年02月19日

湯田地区コミュニティだより第51号

2019年2月15日発行
湯田地区コミュニティだより第51号


2019年01月17日

'2019 どんど焼きと七草がゆ

湯田地区青少年健全育成連絡協議会が毎年恒例で行われている三世代交流事業の「どんど焼きと七草がゆ」が、先週末1月12日(土)に行われました。
あいにくの曇り空でしたが、たくさんの湯田地区の皆さんが、正月飾りやしめなわ、書き初めを持ち集まられました。

今回は、どんな風にどんどやきのやぐら(小屋[どんどや]ともいうようです)が出来上がるのか、朝から観察してみました。
朝9時半より関係者の皆さんが集まり、準備が始まります。
竹で骨組みをつくり・・・
@どんど焼き準備.JPG
藁を積み上げ、
@どんど焼き準備2.JPG 
正月飾りを入れていきます。
@どんど焼き準備3.JPG 
最後に、やぐらてっぺんに飾りをつけて
@どんど焼き準備4.JPG
出来上がり!!
Aどんど焼き開会式.JPG
受付では、しめ縄の分別を行い、燃やせないものを外します。
Dしめ縄受付.JPG Dしめ縄受付2.JPG
この日は、七草がゆもふるまわれます。
調理室では、朝9時から行われていた七草がゆの準備も万端です。
今年も、湯田中学校家庭科部や中央高校のボランティア部の生徒さんが、応援に駆けつけて下さいました。
E七草がゆ3.JPG

11時、開会式が始まりました。そして火入れです。
地区の皆さんが見守る中、正月飾りや書き初めを焚き上げます。
Cどんど焼き火入れ3.JPG
どんど焼きも落ち着いた頃、気が付くと七草がゆの配布が始まっていました。
調理室は大忙しです。
E七草がゆ2.JPG
調理室の外では、春の七草の紹介もされていました。
F春の七草.JPG
湯田中学校の生徒さんも、部活の後、七草がゆを食べにきてくれましたよ。
E七草がゆ7.JPG

朝早くから作られたりっぱなやぐらは、たくさん集まったお正月飾りや書き初めと一緒にすべて灰と炭となりました。
Cどんど焼き火入れ4.JPG
この1年の湯田地区の皆さんの無病息災お祈りいたします。
本年もよろしくお願いいたします。

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posted by 中川 at 11:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 地域の出来事

2018年12月28日

’2018.12月しめ飾りづくり

12月も終わりに近くこの頃、湯田地区青少年健全育成連絡協議会が三世代交流事業として「しめ飾りづくり」を開催されます。
今年も、12月23日(日)の午前中、湯田地域交流センターの前で行われていました。

@しめ縄づくり説明.JPG
開催時間にはたくさんの人が集まり、協議会の方が作り方を説明されていました。
A縄づくり準備.JPG
まずは、しめ縄をなう藁を準備をします。
Bしめ縄づくり.JPG
小雨も振り出しましたが、皆さん一生懸命しめ縄を編まれています。
Bしめ縄づくり2.JPGDしめ縄づくり5.JPG
KIMG1981~2.JPGBしめ縄づくり3.JPG
大きな縄は二人がかり
Eしめ縄出来上がり.JPG
上手に出来たかな!?
みなさん、嬉しそうに出来上がったしめ飾りを持ち帰られていましたよ。

posted by 中川 at 11:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 地域の出来事

2018年12月17日

バス&ハイク 四境戦争 〜石州口の戦いの跡をたどる〜

11月24日(土)、湯田地区コミュニティ運営協議会主催のバス&ハイクが行われました。
今回は、「四境戦争〜石州口の戦いの跡をたどる〜」と題し、防長史談会の松前了嗣氏を講師に迎えバスで島根県益田へ向かいました。
幕末におこった四境戦争、大島口、芸州口、石州口、小倉口の4箇所で勃発しましたが、このうちの一つ「石州口の戦い」が、今回の旅の目的地である益田市でありました。


益田に向けて出発したバスは、阿東に入ると石州街道(9号線)を三谷駅から左に折れ生雲を通り嘉年に向かいます。

このバスツアー、現在のように真っ直ぐに山陰道9号線を通り益田行くわけではありません。

実は、四境戦争が勃発する1年前より、長州軍(南園隊)の屯所が現在の山口市阿東の生雲村に置かれ、清末藩主毛利讃岐守元純は石州口の総督として生雲にある法田寺を屯所としたそうです。

なるほど、バスが9号線から逸れて、この生雲や嘉年を通るのも意味があったわけで・・・

車窓に、長州軍の屯所であった法田寺や、嘉年村郷勇隊司令士となった市原儀伝太旧宅跡を眺め、バスの中で松前講師の話に耳を傾けながら当時に思いを馳せます。

 @バス2.jpg @バス.JPG

山口市嘉年を出ると萩市小川に入ります。
島根県との県境にある下小川には、最初の見学箇所である妙権寺があります。

【妙権寺】
妙権寺も、四境戦争石州口の戦いの際、長州軍の屯所となったところで、長州軍が連日演習を繰り返していたそうです。
妙権寺境内には、萩市指定天然記念物の樹齢300年のイブキの木がありました。
この大きなイブキの木、考えてみれば四境戦争の最中もあったわけで、江戸、明治、大正、昭和、平成・・・と、幕末から近代への歴史の移り変わりを見下ろしてきたんでしょうね。
A妙権寺 入口.jpg A妙権寺 境内.jpg
銀杏で黄色で彩られた境内に立つイブキの木の下で当時に思いを馳せます。

 A妙権寺 付近 叶谷の井戸.jpg A妙権寺 付近 叶谷の井戸2.jpg
近くには、旧街道が通り、叶谷の井戸を見学することも出来ました。
半楕円形に作られた石垣の下にある井戸は、とても立派なものです。

妙権寺を出て街道を少しバスで走ると、生雲で別れた石州街道(9号線)に再会します。
こうして実際に通ってみると、長州軍が津和野の町(津和野藩)を避けながら県境を超え益田に入ったことが実感できます。

益田市街の手前に横田という町があります。ここに大村益次郎率いる長州軍が集結したそうです。
そして、長州軍がいっせいに渡ったという川が・・・

【小木の河原】
B小木の河原1.jpg
旧説?? 小木の河原
高津川。広いです。
B小木の河原4⇒横田舟橋.jpg
新松前説?? 横田船橋

横田船橋がかかっている川の様子
B小木の河原4⇒横田舟橋2.jpg
水面に隣接する建物が写り、とてもきれいです。
今日は本当に天気に恵まれ空も青く澄んでいます。
天高く馬肥ゆる秋・・・

何はともあれ長州軍は、横田で、行く手を遮る川を渡り益田の城下町を目指したのでしょう。。。
ツアーのバスもその道をたどり、「石州口の戦い」の火ぶたが切られた津和野藩と益田藩の藩境にある関所「扇原関門跡」に向かいます。

【岸静江國治の墓・扇原関門跡】
バスを降りると、関守岸静江國治のお墓がありました。
C岸静江國治墓1.jpg
岸静江國治の墓の前にて

お参りを済ませ、扇原関門跡へ・・・
ここからは、徒歩でトンネルを抜け山道を登ります。
D扇原関門跡6.jpg D扇原関門跡5.jpg
トンネルを抜けるとタイムスリップしたよう。
ぶち雰囲気あります。
苔むした山道を登さらに登って行くと、その一番小高い場所に扇原関門跡がありました。
 

扇原関門跡には、「岸静江戦死の地の碑」と書かれた大きな碑があります。
ここには、津和野藩と浜田藩の当時の領界を示す標柱も残っていました。
ツアーに参加された皆さん、この標柱を手で触れながら、当時の様子に思いを馳せられている様子でした。
D扇原関門跡2.jpg D扇原関門跡4.jpg D扇原関門跡3.jpg

扇原関門跡を後にし、長州軍が幕府軍の様子を探り作戦を立てたという、机ア神社、稲穂山を車窓に見ながら、益田市街に入ります。

石州口の戦いの戦地であった益田の街では、妙義寺、医光寺、萬福寺をめぐります。
【妙義寺】
E妙義寺.jpg E妙義寺1.jpg E妙義寺4 長州兵の墓.jpg
妙義寺もまた、秋の紅葉に彩られていました。
ここには長州軍の本陣や野戦病院が置かれました。
戦いで亡くなられた長州兵のお墓が残っています。
松前講師が持参されたお花とお酒をお供えします。

【医光寺】
F医光寺2.jpg F医光寺3.jpg F医光寺4.jpg
次に向かった医光寺は幕府方の福山軍の本陣となった場所です。
雪舟庭を眺めながら、しばしお寺の説明に聞き入ります。

Iその他 1.jpg
当時、長州軍がどのような経路を通って益田市街へ入ってきたのか、松前講師が持参された写真地図を広げ確認します。

【萬福寺】
G萬福寺1.JPG   
萬福寺は幕府方の浜田軍の本陣となった場所だそうです。
G萬福寺3.jpg
萬福寺の横を流れる川の向こうから長州軍が射撃。
境内の柱には、今でもその当時の弾痕が残っています。
G萬福寺2.jpg
住職の奥様がお寺の説明をして下さいました。すてきな奥様です。

旅の最後は、萬福寺の横にある小高い丘の上に登りました。
H高台より2.JPG H高台より1.JPG
眼下に、当時の石州口の戦いの激戦の地であったであろう益田の街が広がります。
この川の上を銃弾が行きかったのでしょうね。。。などと、ツアーの皆さんと一緒に当時に思いを馳せたのでした。
posted by 中川 at 11:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 報告