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パソコン教室開始と初対面の再会?[2007年04月29日(Sun)]
仲間たちのパソコン教室開始

今日は、仲間たちのパソコン教室の日です。日頃、私たちスタッフがパソコンに「パチ、パチ」とやっている様子を見て、自分たちもやってみたいという気持ちがありました。スタッフも、どうやって教えてよいか、また、自分たちもパソコンを熟知していないためか、教室を開くまでは行きませんでした。今回、札幌チャレンジドの皆さんのご協力で、夢が実現しました。本当にありがとうございます。

 さすが、チャレンジドの皆さん、多くのメンバーが好きな演歌歌手の氷川キヨシのホームページサイトをリンクすることから、マウスの使い方を勉強しました。感心したことで、マウス操作を容易にする道具もあり、通常のマウスを大きくし逆さまにした形の何だかボールを使うことで、確実にクリックできる仕掛けなのです。「ようやく思い出しました。トラックボールだと思います。トラックボールは本当に使えると感じました。」

メンバーが、氷川キヨシのHPにつながり、そして、仲間の一人がお試し用の歌にクリックし氷川キヨシの声が流れると一同拍手が沸きました。参加したメンバーたちは、自分も氷川キヨシの歌が聞きたいという気持ちが高まり、急に目が輝き始めました。
 今回のこのように、パソコンを教えていただき、仲間たちもより身近な道具として感じられたのではないでしょうか。私たちの消極的なパソコンへの導入・・・札幌チャレンジドとボランティアの皆さんのおかげで、よりスムーズに浸透できると感じました。
皆さん ありがとうございます。次回は、もっとメンバーの目がキラキラしていると思います。

初対面の再会
  (初対面は再会と言いませんね。どうしても言葉として使いたいです。)


「夕張の知的な支援を必要とする仲間たち」ブログに、コメントをいただいている方が、親子で当園とレラに来られました。初対面なのですが、久しぶりに再会したときのような心境。違和感なく、なんとなく懐かしいというような・・・感じでした。

 お互いにGLAYの曲が好きになったきっかけやらその理由について話をしました。時間がたつにつれて、意気投合して熱っぽく楽しい時を過ごさせていただきました。
 話によると、娘さんがGLAYを聞き始めたのがきっかけでお母さんもはまってしまったとのこと。娘さんがいなければ、夕張の地に来て、今日現在の今には、至らなかったことを暴露していました。とても素敵な、石田がうらやましく思う親子でした。ふたりとも輝いていたね。


        ようやく夕張もミズバショウが・・・・・・咲きはじめました。


        手作りのズラーを仲間たちに送っていただきました。ありがとうございます。
少数派を協力してくれる力強い支援者たち[2007年04月27日(Fri)]
拍手少数派を協力してくれる力強い支援者たち

その1.

4月25日、日本財団から夕張市社会福祉協議会に福祉車両が2台納車されました。一市民として、大変うれしいことです。以前にも、記事として書かせていただきましたが、人工透析されていたメンバーの親御さんが夕張の地を離れて行かれたということ、覚えていらっしゃいますか。 その親御さんも、自家用車はあるのですが、高齢になったこと、北国の特徴である気象に左右される運転状況でやむなく夕張の地を・・・・・・。

そのように夕張の生活環境の中、日本財団が福祉移送の確保を支援したいという趣旨で寄贈をいただきました。当日は、黒澤さんをはじめとした災害ボランティアのチーム沢渡さん鈴木さん福田さん、そしてHOPの皆様が、納車式にご参列いただきました。本当に本当に感謝です。



その2.

夕張の知的障がい者更生施設 清水沢学園に早くから、心配して何とかしたいという意志を表してくれた方がいます。その方は北海道医療大学の横井先生です。

         左から 大原さん  横井先生  藤倉新市長  かつらさん

先生は、夕張の問題は大きな被災と考え、何か出来ることがないかと、たびたび連絡をいただきました方です。「自分も夕張市民になってもいいよ。」など冗談ともいえぬ事を話し、真剣に夕張の福祉のことを危惧されていました。その頃、同じように、上記にある日本財団の黒澤さんも夕張市の行政サービスが財政破綻によって予算も削られ、福祉サービスの削減や病院の縮小で、市民が大きなマイナス影響が見られるということを危惧されていました。
そのようなお二人が柱となって、「今、まさに夕張の福祉活動を支援する」ということを前提とした話し合いを開始し、展開をはかろうとしています。

また、北海道医療大学学生たち、「npo法人当別町青少年活動センターゆうゆ24」の大原さんを中心として、この財政破綻した夕張の地域福祉を、若者たちが夕張の現状をどう受け止め、感じるのか。さらに、将来 福祉・医療の現場働く自分たちが、受け止め感じたものを、どう実践に活かせるかを・・・積極的に活動し・考え・進みたいという依頼も受けて再生にふさわしい展開が着実に進んでいる状況です。

 準備として、25日の夕刻、頼もしい皆さんが遠路から集まっていただきました。参加された方たちは、ホップ障害者自立センター 竹田さん、北海道総合防災センター 山口さん、かたるべの森のスタッフ 駒田さん、そして、忙しい時間をさいてきていただいた新市長の藤倉さんと推薦者のかつらさん、また、医療法人希望の杜のDr村上先生と事務長佐藤さんも、お時間をいただき来ていただいています。

                  中央 Dr村上先生  右 事務部長佐藤さん

「夕張だから」というフレーズから、「夕張のような」というフレーズになるよう努めて行きます。ご支援とご指導、感謝しいたします。


その3 .

札幌この実会の加藤先生(通称 加藤寮長)はじめ佐藤さん、川路さん、中山さんそして当事者の2名の皆さんが25日の午前10時ごろ夕張に来られ、「熱い夕張への元気エール」をいただきました。加藤寮長は、見かけと言動は大変怖い人(おっかない人)ですが、芯は大変優しい方で、いつもしょうがい児者のサイドにいる方です。(寮長は、いつも障がいのある当事者と一緒に出かけ、今回も本人たち自身の目で夕張の仲間の様子を確認し、それを札幌の仲間に知らせることを大切にされています。)
  
                        加藤寮長   黒澤さん

寮長が夕張の福祉を見に来た根底には、「夕張の問題は、今後どこの地域でもありうる話。・・・・・もし、夕張がしょうがい児者・高齢者を後回しした市の行政を進めていけば、今後破綻した市町村(破綻しかけた市町村も含めて)が間違った夕張を見習い・模倣し続けて行く。最初である夕張は、みんなが注目していること。というのも、日本の福祉のあり方を本当の意味で問い直すもの。もの申すことが少ない社会弱者が犠牲になることを絶対避けなければ成らない。そして、夕張の仲間たちをはじめとした弱者の代わりになって福祉サービスの低下を毅然と市・道・国に伝えなければ成らない。」現在の日本社会に対して警鐘を鳴らす、重い言葉をいただきました。寮長、皆さんありがとうございます。

その4.

午後からは、npo法人札幌チャレンジドの代表杉山さんと特殊衣料の社長池田さんとお会いいたしました。杉山さんは、夕張出身で財政破綻した夕張の地に何か支援をしたいということを申し出てきてくださり、メンバーのパソコン教室を開催することとなりました。メンバーから見れば、パソコンをしている姿は、一種のステータスシンボルのように映っているようで、この話をいただいて本人部会の話し合いをしたところ多くのメンバーたちが参加を希望していました。

                            レラメンバーと池田さん

{また、池田さんは、手織り工房レラの作品を見学いただきました。詳しくは、今回割愛させていただきますが、「社会福祉法人ともに福祉会」でしょうがい者アートを理解して、本人たちが描いた作品をカレンダーに作ったり、展覧会に出展を薦めたりしていて、本人たちの「輝き」を大切にされている方です。
皆さんありがとうございます。
続 飛んでしまいましたの巻[2007年04月23日(Mon)]
続 飛んでしまいましたの巻

皆さん、TERUさんからの心のこもった直筆の表札をプレゼントいただきました。(またもやロケットドカーンです。)
4月12日午前11時にTERUさんとスタッフ2名が、再度夕張の小さな施設、清水沢学園にやってきました。車から降りたTERUさんは、ラブにこやかに園の中に入ってきて挨拶を交わしましたが、約束した表札作りのことを心配されて、直ぐに私とTERUさん・スタッフ2名とで「レラ」の作業所に向かい、レラの雰囲気とメンバーの作品を見ていただき、表札の電球イメージを膨らませていました。

 その後、学園に戻り、仲間たちとの交流が始まりました。TERUさんの気配を感じて玄関に飛んできた女性メンバーがいました。彼女は、知的なハンディーと難病を患って、性格的に引っ込み思案な方です。GLAYの歌も聴いていないしメンバーの名前も知らない彼女が、「TERUさんの波長」に惹かれるように・・・横に寄り添っているのです。癒されているような、そんな感覚でなかったかと思うのです。
仲間たちは、この女性の方と同様にGLAYというグループも知らないしすいません、歌も知らないすいませんのです。しかし、仲間たちは生活の中から学んだ敏感な能力を持っています。「感性」と言って良いかもしれません。そのキラキラ感性に、訴えるものがTERUさんにあるのでは、ないでしょうか。私も同じ感覚です。

 さて、TERUさんの表札ご覧下さい。




丁寧に描いていました。楽しんでいました。丁度、仲間たちは昼食時間でしたが、その間にも熱心に表札を描いていました。TERUさんの優しさが伝わると感じます。
TERUさんのブログの中に写真が載っていましたが、本当にドキドキ小ドキドキ大心を込めて描いていました。私も、感心したのがTERUさんが話したこととして、「水性ペンキだけども、臭いで気分の悪くなる人もいるかなぁ。」と言って、仲間のことを気遣っている様子にドキドキ大ドキドキ小感心しました。
『自分がやりたいからやる。』という感じです。だから、自然体。考え方も自然体。
また、ペンキを使っていることで、服に付いたら申し訳ないので、着替えを進めると、返ってきた言葉も、カッコイイ。付いたら「味が出る。」と言って平然と描き続ける姿は、カリスマ性を感じました。

 TERUさんのブログで紹介され、走る早くも表札を見に来てくれた方がいます。拍手なおこさんと仲間二人、さらに、その中に夕張出身の方がいて今日再びレラのメンバーたちに会いに来てくださいました。花火感謝しています。


 世の中、本当に捨てたものではないのです。皆さんありがとう。

 P.S. 作品制作にご協力ください。
使わなくなった毛糸・木綿糸・糸というものがあれば送って欲しいと思います。絶対に買ったものはダメです。協力してくれる皆さんが買ってまで送っていただくと長続きしません。  さらに、リサイクルもOKです。(昔、私の母が、ぼっこ手袋を編んでくれましたが、実は母のセーターの毛糸だったのです。)

 宛先  郵便番号 068−0536
       夕張市南清水沢4丁目63番地
         清水沢学園 「レラ」作業所 
      電話 0123−59−7855

            よろしく お願いします。
夕張の近況を報告します 3[2007年04月19日(Thu)]


自宅から清水沢学園に行く途中の「熊出没注意」の看板です。熊さんもようやく春を感じて目覚めたのでしょう。


 財政再建団体となった北海道夕張市の市長選挙・市議会選挙が告示されました。新人7名の市長選挙は、乱戦模様です。本当に、誰が当選するか「22日」にならなければわかりません。

 また、当選に必要な「有効投票総数の4分の1」の得票に達する候補がいなかった場合は、再選挙となるようです。

 私自身は、今回の選挙の意味・そして重みが、「夕張の住民意識が評価される選挙」と感じています。 しかし、 住民は本当に誰に入れようかと迷っています。

選挙カーに乗った市長・市議会議員の候補の皆さんは一様に述べています。数人の候補者は、財政破綻となった原因を究明して、市政を再生のために頑張りたいと。そして、おおむねは、三本柱として「高齢者・お年寄りの福祉の充実」「未来をたくす子供たちの教育の確保」「雇用の場を確保」など語っていました。しかし、少数派である障がい者のことについては、殆ど触れられていないのが現実。まずは、健常者の福祉を充実させてから障がい者の福祉を考えいてるのでしょうか。(個人的な趣味の登山の話ですが、集団登山をする時は、先頭の次に力の弱い人を前列に、力がある人を後列にしリーダーが最尾につきます。そのように、先に小さい弱い人たちが保障される取り組みを願いたいです。)

話は変わって

 医療法人財団「夕張希望の杜」を立ち上げたDr村上智彦さんについてお話します。先生が来られて、はや4ヶ月。その間、私もメンバーの通院で先生とは度々お話させていただきました。大変、てきぱきされて好感を持っています。
しかし、市民の中にはそのようなてきぱきとされた先生を悪く言う人もいます。「何時間も待たせて、ものの数分で片付けられてしまう。信用して良いのか。」また、「国・道もある意味では財政破綻した責任もあるのだから、いずれは北大や札大の立派なお医者さまが来る。」等 ささやかれ、現実を認められない一部の市民の様子が感じられました。
 4月1日より医療体制をコンパクトにしました。混乱している状況は変わりがありませんが、少し変化が感じらます。夕張市民の多くは、「炭都」であった夕張市しか知らない方も多く、長年ここに住んでいるため色々な変化を知らない部分もあります。そのためか、何事においても依頼心が強い状況ではあります。
 村上先生は、ある雑誌の中で「高度先端医療が拡大しても、平均寿命が200歳になったりはしないんです。それよりも、誰もが健康で過ごしやすく、死ぬまで働けるような環境を整えていく方がいいじゃないですか。」という内容を話していました。

 最先端の医療設備が整った箱モノから主体的に健康はぐくむ「地域包括ケア」について、市民も少しづつ賛同し少しづつ浸透していている感じがします。

飛んでしまいましたの巻[2007年04月12日(Thu)]
GLAYの初コンサートでイスから飛んだロケット石田ですが、今回もロケット飛んでしまいました。サプライズ〓です。

夕張にTERUさんが来ました。昨日ですが、市内にある某店の店長さんから夕方電話がありました。

 内容は、TERUさんが来ているので一緒に食事でもしないかとのこと。店長さんは、非常にウィットのある方で、いつも私を驚かし、その様子を見るのが好きな方。以前より、一緒に食事をしながら「夕張の構想」について話をしたいということを言っていましたから、今回の話しもそうなんだろうと思っていました。丁度、昨日は、公休で時間もありご一緒すると返答いたしました。
待合の場所に行き、腰が抜けたような感覚だった。いるのですTERUさんが、いたのですTERUさんが。ファンの皆様、TERUさんが横にいたらどうされましか・・・。

 「まず、落ち着いて」と自分に言い聞かせました。そして、ご挨拶させていただきました。実のこと、TAKUROさんTERUさんは、二度しか会っていたい方なのです。一度目は、当園で夕張の状況を知りたいということで、二度目は、招待されたコンサートで。
 その場所に、場違いな私がいるのです。「状況を判断しなさい」といわれそうです。夕張の田舎に住んでいる私が会えることじしん「おいおい なんかの間違いだろう」という感じです。時は流れ(数分間ですが)、一緒に乾杯といって再会を祈念している自分がいたのです。「棚から牡丹餅」の騒ぎではないと感じました。

一緒に食事をさせていただき、終始TERUさんは夕張の状況を心配していました。「どうして こんなに夕張のことを考えてくれるのか」と考え込んでしまいました。ファンの皆様はどう解釈しますか。
夕張がこのような状況となって、市民の生きる力がカオスと化し、自分たちができることは、なんだろうと悩んでいる姿がそこにありました。本当に悩んでいるのです。私はインスピレーションを感じたのです。彼らは悩んでいる人困っている人のそばに居て、一緒になって悩んで、一緒に困っていたい。言葉の勇気・慰めを伝えに来ていなく、ただ寄り添って共に悩んでいたい。見守っていたい。というような感覚がしました。
「何かをしてあげる」ではなく、夕張市民と一緒になって悩み、困り、寄り添っていたい。
まさに、「パワァー」です。

私も悦に入りつつ、時計を見ると当に今日の日付となってしまい帰宅。

そうすると、TERUさん、明日、清水沢学園に行き、「手織り工房 れら」の表札を作り楽しみにしていると話してくれました。清々しく、思いやりのあるシグサ。またもや、完全に石田は脱帽です。

レラについては、次回とします。
夕張の近況を報告します。パート2[2007年04月11日(Wed)]
今日は、「仲間たち」の内容ではなく夕張の近況を報告します。3月から4月に入り、新年度始まりました。公的機関は皆小さくコンパクトになり、新体制の下で市民の反応は、さまざま。人口減となり、商店は死活問題。年金生活をされているお年寄りは生活のしずらさを感じつつ、現状を受け止めるしかないと言うあきらめ。若者たちはそんな夕張からひとりづつ故郷を離れ都市に移住。子どもたちが少なくなり・・・・。雇用の場もなく、医療・福祉の体制も不十分な状況。魅力のある・活気のある街を創りたくとも・・・・・創れない現状?
市民の中には、「国が何とかしなければだめだ」「再建団体となった責任は誰なのか」と非難しあい、その端には報道関係の人たちがいる。

 夕張を考える上で、それぞれの人たちがうごめいていますが、まさに、今の夕張を象徴する言葉として「同床異夢」。立場の違った人たちが、色々なことを言っている。

「再建」して行こうという目標の中で、それぞれの立場の思惑がうごめいているのではないかと感じのです。
偉い先生方は、もっともなことを言って分析しくれるが、仮再生論でしかない。コンサルタントの人たちは、数字を持ちえて経営戦略を構想していくが、ひょっとしたら市民が不在だったり。夕張市民に元気になってもらいたいといって慰問(政治的?)・物資のカンパをいただくが、ありがたいと思うが慰問・カンパは今の市民には必要がないのかもしれない。

お年寄りは、国の偉い先生方がきっと夕張を何とか支援してくれるという依存的考え方が大半。
働いている人たちは、市の借金が18年間あるという状況で、少しづつ返済していくが、さらなる人口流出すると到底18年間だけでは支払いきれないというあきらめ・・・・・。
頑張ってと言って激励をしてくれるのがうれしいが・・・・市民の本心は「何がなんだかわからない」のが現状。

 ある報道関係の方が、清水沢学園に来られました。北海道の知事が決まって再生夕張の市民の声を色々な人たちから意見を聞いているとのことでした。
一般的な意見としては、「夕張再生の支援」を協力して欲しいとのコメントが標準なのかもしれません。しかし、私としては、夕張がこのようになったからといって不幸とは感じないのです。市民の負担が多くなって、雇用・医療機関が不十分でも不幸ではないのです。不幸と感じてはいけないといったほうが正確かもしれません。

「なぜか、」というと、愚痴や不満など言ったらきりがないし、そのような感情を引きずって生活しても、一度しかない人生にあてるのがおしい気がします。また、報道する側では、結果的には行政のあり方を問いただすことと、犠牲になった市民を描き出すことで社会的問題を提示するという使命がありますが、私たちが幸せになれるのでしょうか。

現状を受け入れ「ありのままを生き」「常に夢を抱くこと」。それは、知的なハンディーのある仲間たちから学んだことです。そうすることによって人が輝けるのかもしれません。

「ありのままの輝きを」の写真展です[2007年04月06日(Fri)]
2006年の5月、夕張の市立夕張美術館で行われた写真展です。

ズブの素人が撮った写真展ですが、心は「ホット」でプロの写真家に負けない自信作です。

写真は、2005年の秋から撮りはじめました。

数多くの写真を撮りましたが、今回 割愛してご覧いただきたいと思います。

p.s.ご覧いただく際には、皆さんの好きな音楽を聴きながらスライドショーをしてください。
         より、親近感が感じられると思います。


            




ここをクリックカメラ「ありのままの輝きを」キラキラの写真展です。感想待っています。メール
仲間たちの「ありのままの輝きを」[2007年04月04日(Wed)]
今回、去年の5月下旬に日常生活を記録した「ビスターリさぽーと」写真展を夕張美術館で開催いたしました。その様子を報告します。

 「ビスターリ さぽーと」のメンバーは、支援や介助を多く必要としているメンバーたちが中心となって、日中の活動を行っています。メンバーたちは、生産的な活動ではなく、「からだの機能を衰えさせない運動(リハビリ)」や「本人の好む活動(生きがい)」を行っています。一見して、他の作業所から比べると躍動感がなく精彩に欠けたように感じますが、「一人ひとりを良く知る」と いつも豊かな感性をあらわしてくれるのです。

 写真は、全スタッフで写しました。みなズブ素人です。




  「ありのままの輝きを」の主人公の仲間たちが観賞しています。

「ビスターリさぽーと」写真展の『ありのままの輝きを』のprolog(プロローグ)を紹介します。

 知的障がい者施設という小さい社会では、一般の社会から特別とされています。
しかし、私たちは、その中で彼らと一緒に生活し支援を行っているときに「癒し」に似た感情を得ることに気付かされました。
 どうしてか・・・何故なんだろうと考え、スタッフみんなと話しあった結果、答えが少し見つけることができたのです。そこには「ひとが本来、もっているありのままの姿とひとがひとを必要とする関係」が・・・・

 知的な支援を必要とする人たちは、それぞれに豊かな個性をもっています。
また、できることできないことも人それぞれです。しかし、彼らに共通することは、何よりもみんなが正直なのです。日常の生活で彼らは彼らなりの喜怒哀楽を表し、ありのままの姿で接してくれるのです。

時には、心の中をぶつけ合いながら、そして共に涙を流し・・・・。突飛な仕草に驚きながらも笑いの渦が生まれ・・・・・。生活をあずけあうことではぐくまれ・・・・。

 この写真展は、厚い支援を必要とする人たちの一瞬を撮りました。まさに、私たちに「癒し」を与えてくれた証なのです。彼らの表情ひとつひとつを観ると遠く置き忘れた感情をふたたび揺り動かしてくれると思います。

 彼らの表情の中にある「ありのままの輝き」を感じていただけたら幸いです。


   写真については後日お見せできるようにしたいと思います。楽しみにびっくり
夕張の状況を報告します[2007年04月01日(Sun)]
昨日は、晴天の夕張でしたが、今日は小雪まじりの天気。寒暖を繰り返しながら、春が来るのですね。

 先週は、市内あちらこちらで引越しの光景が目に付きました。何か物悲しい感情がありましたので、ちょっと皆さんに伝えたいと思います。

夕張市は財政破綻をして、市行政機能が実質的に国の管理下になりました。簡単に言うと「借金を返せずにいるので、偉い人(国)がお金を使わないように見ている」事です。
 そのような中で、市行政の見直し計画が始まり、新しい年度(19年度)より実施することとなったのです。
 これを機に一気に夕張の人口が減るでしょう。市役所の職員・市立病院の看護師・消防署員など、公共機関の運営が財政的に無理が生じ、縮小するとの事。
 大きな社会問題。本当は、夕張で仕事をして生活したいということですが、夕張は雇用の場がなく、退職された方々は離れざるを得ないのです。また、市立病院も同様で総合病院から診療所となり縮小することとなりました。

 清水沢学園の仲間の親御さんも、3月に夕張の地を去っていきました。
お父さんは、腎臓を患って人工透析を市立病院で一日おきの治療を行っていました。北海道の冬、夕張の冬は厳しいものがあります。車があっても風雪がひどければ危険があり、また交通の便が悪かったりします。タクシーを使って通院しますが、度重なる失費・・・・。
 去年の11月にそのお母さんが園にきました。内容は、「冬の時期、夕張でお父さんと私とで生活することに不安を感じました。娘からいつでもおいでという話があるので、暖かくなる3月末まで行ってこようと思います。その間、息子をよろしくお願いいたします。」の事。

 そして、2月中旬、電話がありました。「夕張の病院は、透析治療をしないとの事でニュースに載っていました。私たち夫婦は決断しました。夕張から離れるということを。」  
その内容の裏には、しょうがいのある子どもから離れるという口惜しさ・歯がゆさもどかしさ。そして、わびしさが感じられたのです。
 知的な支援を必要といる本人は、二十数年学園に住んでいます。しょうがいの状況や年齢な面・別な土地での環境の変化を考えると・・・簡単に施設を変えることは負担も大きい。
3月のはじめ、お別れの日 お母さんと本人は寄り添いながら廊下を歩き、何かを確かめ合っている様子。お母さんが、涙がこぼれ落ち、幾度となく本人の名前を呼んでいた光景・別れた後も幾度となく電話をかけてきた心境。

 そして、昨日、はがきが届きました。「転居のおしらせ」です。
   永年住み慣れた夕張に別れをつげ、左記に移転いたしました。七十年近く過ごした夕張では、皆様に大変お世話になりました。今後は娘家族と同居致す事になりましたので、お近くにお越しの節は・・・・・・。    敬具

 この高齢のご両親が一番望む事は、本人がよりよく生活できる事と同時に私たちが誠意を持って生活を保障する事だと強く感じました。
 今日は、重たい記事でした。読んでいただいてありがとうございます。  
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