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横断歩道での交通ルールについて:原田順一 [2017年12月13日(Wed)]
先日、朝早く自宅から駅まで歩いていると、こんな出来事がありました。

信号のない横断歩道に差掛かりました。
もちろん私は止まり、車が来ていないか確認します。
いつもは何台目かの車が止まってくれて、私は軽く会釈して渡ります。
皆さんもよくあることではないでしょうか。

その日は雨が降っていました。
しかも朝の通勤時間帯です。
10台くらいでしょうか、1台も止まってくれませんでした。
晴天時より交通量が多いのは、きっと普段は電車通勤なのに雨だから車で通勤する方々なのでしょう。
交通ルールでは、歩行者が入れば一旦停止がルールです。
これを免許の無い子どもたちはルールとしては知りません。
逆に、横断歩道は車が来なくなってから渡りなさい。と言っている様なものです。
運転をしている人の中には子を持つ親の方もいるはずです。
もし「車は止まってくれるから手をあげて渡るんだよ」と子どもに教育しているのであれば、
矛盾が生じます。
子どもたちは免許を取るときに、横断歩道は一旦停止というルールを知るのでしょうか。

単に、信号をつければいい、陸橋を作ればいいという問題とはまた違いますよね。
一旦停止の10秒を急ぐのであれば、その分早く家を出る習慣がよいのではないでしょうか。
長く風邪をひきました :桜井義維英 [2017年12月09日(Sat)]
9月に久しぶりでキャンプの指導をした時、雨の中、大きなフライシートを張りました。
若いスタッフもスタッフもいたので、ちょっと張り切っちゃいました。
雨にも濡れ、汗だくにもなり、ちょっと冷えたのだと思います。着替えとかはしたのですが、ダメでした。
若いときは、こんなことで風邪引いたりしなかったのに・・・

その風邪が、なんとつい先日まで尾を引いてしまいました。2か月近くです。
よくなったかなと、思うと、またぶり返すといった感じです。咳が止まりませんでした。
病院に何回も行き、薬もずいぶん飲みました。
のど飴も、たくさん買いました。
小さなバックが薬入れになってしまいました。
若いときは、こんなに薬を飲むなんてことはなかったのに・・・

しかし、そんな風邪を引いている中でも、朝のラジオ体操は頑張って続けました。と、言ってもテレビ体操ですが…
この朝の体操も、今までは、ここまで曲がっていたのが曲がらない。あれ、ちょっと腰が痛い、無理をしない程度にしておこうという。そんなことがだんだんと増えて来ています。毎朝していると、定点観測のように自分の体の衰えがわかります。
若いときは、もっと軽やかにできていたのに・・・


若いときは・・・というようになったら年だと言いますね。
今、まさに、年なんだなと思います。
これが老いるということなんだなと思います。

見た目は、どうとでもなるかもしれますが、風邪を引きやすくなるとか、治りにくいとか、体が思うように動かなくなるといったことは、生きていく上で、とても問題です。
すなわち、死に近づくということです。仕方のないことです。人はいつか死ぬのですから。
しかし、寝たきりで生きながらえたりしないように、その時まで、自分のことは自分でできるような体でいたいと思います。

八ヶ岳の我が家の土地を分けていただいた大家さんのご夫妻は80才をお大きく超えた今も、毎日畑仕事をし、庭の草むしりをされてお元気です。
ご自分では、年だよとおっしゃっていますが、なかなかどうして、お元気です。
こんなふうに年老いたいと思います。
自分のことを自分でしたいることが大切なのかもしれません。
庭を綺麗にし、花を咲かせ微笑み、食べるものは自分で育てる。そのために汗をかく。



WEBだからこそできる写真の代わりの動画をご覧に入れます。
八ヶ岳のうちから歩いて1分のところの贅沢な風景です。
富士山をスタートして、八ヶ岳、南アルプス甲斐駒ヶ岳、そして富士山に戻ります。
音は風の音だけですので消したがいいかも…

『エスカレーターは弱者にやさしいですか?』 [2017年11月01日(Wed)]
先日、父の通院の付き添いで、ちょっと大きめの総合病院に行ってきました。
当たり前のことなのですが…エスカレーターは、とてもゆっくりと動いていました。
それはそうですよね。お年寄りや、具合の悪い人が乗るのですから、ゆっくりと動いてないと、乗れませんものね。
もちろん、2人並んで乗れる幅です。駅などでは…片側に乗って、もう片側は急いでいる人が昇っていくという感じですよね。
病院のエスカレーターは、付き添いの方が、具合の悪い人の傍らに乗っています。これは、エスカレーターはこの幅が必要だととても納得する風景でした。

そして、その日の夕方、東京の赤坂で人と会う約束があったので、電車で移動しました。

電車の最後尾に乗り、目的地で降りた駅では、目指す改札口はホーム最前部だったので、ぽつぽつ歩いて最前部のエスカレーターを目指しました。先に見えるエスカレーターには人が殺到して、ホームにあふれています。
どんどんその人たちが、エスカレーターで地上に運ばれて行きます。
私が行くころには、もう、ゆっくり乗れるなと思って歩いていました。すると、なんと、私がエスカレーターにたどり着く前に次の電車来てしまって、あっという間に人の波に飲み込まれてしまいました。

そしてやっと乗ったエスカレーターが、早い!
病院のエスカレーターと同じものとは思えないほどです。
このエスカレーターにはお年寄りや、具合の悪い人は乗れないな〜と思ったりしました。
ましてや、のろのろ乗っていたら怒られてしまいそうなほど、次から次へと人が押し寄せてきます。
エスカレーターは本来、病院にあるように、お年寄りとか、身体の不自由な人のために考えられたのではないでしょうか?
でも、そのエスカレーターが、駅に導入され、もっと早く人を運ばないといけない。
そのためには、エスカレーターのスピードを上げればいい…となって、結果として、エスカレーターを開発した本来の目的である、お年寄りや体の不自由な方のために考え出されたはずのエスカレーターから、そういった人たちがはじき出されてしまっという感じですね。
今の日本の経済社会、何か作る時には弱者のためと言いながら、普及すると弱者のことを忘れてしまう…そんな世の中みたいな気がしています。

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八ヶ岳の秋をとろうと思いました。
自然の風景を切り取るのは本当に難しい。
写真の中に取り込めるほど小さくないと感じました。
同時に、プロの写真家は、それを切り取るんだからすごい!と、思いました。


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クラフトでしゃもじ考えています。
お箸作って、しゃもじ作って、ご飯を炊いて、食べましょう。
『地域で頑張る指導者のみなさんへ』2017年10月号 [2017年10月01日(Sun)]
国際自然大学校も、はや35年です。
私自身はキャンプで飯を食おうと思って、40年になります。
当時は、こんな活動誰もしていないし、仕事になるなんて誰も思いませんでした。
しかし、おかげさまというか、世の中変ったというか、たくさんの方々が同じように仕事にしています。
仕事まではいかなくても、セミプロのような方々を入れると、いったいどれだけの人がいるのか、想像もできないことになっています。
私が志した頃にも、いたにはいたのです。
まるで、プロのようなボーイスカウトの指導者とか。子供会のお父さん指導者とか。教育委員会の人とか。私自身も、川崎市青少年の家の館長さんに憧れました。
しかし、これで飯を食う人はいませんでした。
ところが、現代は逆に、これで飯を食っているからと言って、素晴らしい指導者かどうかは別の話です。ボーイスカウトやガールスカウトにも、漁業の合間に子ども達に海のことを教えてくれている人や、子どもと一緒に農業をして、その素晴らしさを伝えている農家の方、新しいところでは、森のようちえんの指導者など。
プロだからアマチュアだからにかかわらず、キャンプだから、農業だから、環境教育だからにかかわらず、素晴らしい指導者は地域にたくさんいらっしゃいます。
「俺は指導者なんて大仰なもんじゃねえよ。」と、とっとと行ってしまうおじさんの方が、子ども達に大切なことを教えてくれたりするものです。
そんな人たちに、もっとスポットライトを当ててあげたい。
もっと世の中の人に知ってもらいたいと思って、立ち上げたのがジャパンアウトドアリーダーズアワードという表彰制度です。
カタカナで、アウトドアとか言っているので、ちょっとキャンプのリーダーの表彰制度かなと思われがちですが、前にも申しあげた、地域の指導者にスポットライトを当てたいと思っています。
9月23日から、第2回の応募受付を開始しました。

あなた! 応募してみませんか?
いつもお子さんを面倒見てくれている、あのおばさんを紹介してくれませんか?
是非たくさんの人を社会の人たちの目に触れさせていただき、みんなで励ましたいのです。


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『自分のことは自分で…』 2017年9月号 [2017年09月01日(Fri)]
夏休みも終わりましたね…と、いっても、多くの学校が9月1日前に始業しているのかもしれませんね。
夏休みがどんどん短くなっていく…悲しいです。
今年の夏は、本当に雨が多かったですね。
屋根に乗っている太陽光発電の発電量も例年になく少なかったです。
逆に元気だったのが雑草たち。雑草という名前の草はないとおしかりを受けますが、ひとつひとつの名前を挙げられないので、雑草たちとまとめて呼ばせてもらいます。
この雑草たちは、驚くほど元気に次から次へと延びてきます。
晴れ間を見つけては、草刈りに明け暮れる毎日でした。
そして、ゲリラ豪雨? 激しい夕立でしょうか…、

公道から、家に入ってくる取付道路に雨水が流れ込み、その水が畑へと流れて、畑の中に川ができてしまいました。
そこで、行動と取り付け道路の境に、土手を築きました。
お隣の田中さんも助けてくださいました。
家を建てていただいた宮沢工務店さんは、道にまくバラス(砕石)をくださいました。
草刈りも、土手作りも、みな頑張って自分で行いました。いいえ、違いますね、みなさんに助けていただいて自分たちで行いました。
草刈りをするのに、草刈り機を使う。熊手で草を集め一輪車で、運び一か所にまとめて山積みにする。
細かいところは鎌で刈る。
土手を築くには、今回は、境に穴を掘り、小さな枕木のような木を何本か埋め込み、ねじでつなぎとめておき、周辺にバラスを入れ、固定しました。
色々な道具を使って、作業をします。

ふと思うと、いったいいつ、これらの道具を使いこなせるようになったのだろう。
学校では決して習わないことですね。
ボーイスカウトでだったかもしてません。
植木屋さんでアルバイトして穴掘りがうまくなったことは間違いありません。
人によっては、こんなことは田舎に遊びに行ったときに覚えるのかもしれませんね。
しかしこのようにして、自分の生活を自分の力で守っていけるということは、自信でもありますし、田舎で暮らすには、絶対に必要不可欠なことです。
これこそが生きる力で、夏休みとかに、身に着けることなのです。
でないと、みんなお金で人にしてもらうことができる東京で暮らすという選択肢しか持たない大人になってしまいます。
生きる力、今こそと、思いました。


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道に伸びた雑草たちです

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刈り終わりました。

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道の境の土手です。
『朝のラジオ体操始まる』 2017年8月号 [2017年08月01日(Tue)]
夏休みが始まりましたね。
国際自然大学校は、キャンプキャンプで、毎日子供たちと太陽の下、走りまわる日々が続きます。
私は、いつも通りの暮らしを続け、朝のラジオ体操を部屋でしていました。
すると、ラジオ体操の音が、少し遅れて聞こえてきます。
近くの公園で、子供たちの朝のラジオ体操が始まったのです。
懐かしいな〜。
あの、ハンコウを押してもらうカードを首から下げているのかな?
最終日には、何かご褒美がもらえるのかな?
そういえば…何日ぐらいするのだろう?…私が小学校の時は…あれ、夏休み中、していたのだっけ? 思い出せないです。でもご褒美の鉛筆とか目指して通ったような気がします。
おりしも、その日の夜、朝のラジオ体操の音がうるさいから、ほかでやってくれという苦情が出たと、ニュースが伝えていました。
苦情を言った人も、朝のラジオ体操は良い習慣なので、やめろとは言わない。しかし私は仕事の関係で、その時間ちゃんと寝ていたい。だから、近くの公園とかに場所を移してもらえないか…というものでした。
生活のリズムが違う人が、一つの地域に住んでいるので、どちらが悪いということはできないように思いました。
昔は、みんな同じような生活のリズムで暮らしていた。だから、そのリズムの中に無理なく朝のラジオ体操も組み込まれたのでしょう。そのリズムというのは、朝日が昇ると起きて陽が沈むと眠るという、ごくごく自然なリズムでした。
そう考えると、不自然なリズムで暮らしている人が多くなってきているのかもしれません。

色々なリズムで暮らしている人がいるのだから、その中で、お互いが折り合あって生きていくのは難しいですね。
人と人の住んでいる間隔をあけるとか、公共の場所を広くとるといった住環境の整備もしなくてはいけないのかもしれません。
その整備は生活様式の変化に完全に追いついていませんね。
これは行政の仕事かもしれません。

私たち教育の仕事は何でしょう。
生きていくのにできるだけ自然のリズムで暮らすことができる生き方をしましょう。
そんなリズムで暮らすのが、隣人にも、地球にも優しい暮らしになるということを教えていき、みんなが、基本的生活スタイルとして自然なリズムで暮らすことを目指すよう伝えていくことなのかもしれません。

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うちのメイルボックスにセミの抜け殻がいました。

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ボーイスカウト山中野営場にお別れに行ってきました。
お世話になった佐久間場長と。


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今年のジャガイモは、豊作。
『おい!?』 2017年7月号 [2017年07月05日(Wed)]
私の携帯電話は、防水仕様です。
この防水仕様ということは、私にとって必須の条件です。なぜなら、お風呂にも持って入りたいからです。
桜井は、そこまでデジタルに侵されたか?。
先月号に続いて、デジタルの話か?…と、思われたでしょうか。
じゃあ、タイトルの「おい!?」は、何なの?と思われますよね。
もう少しお話を聞いてください。

私は、以前、胆石が見つけられず、たびたび激しい腹痛で、救急車に乗りました。
(その激しい痛みも、一昨年、胆石発見、胆のう全摘出という形で無事収束し、それ以来救急車には乗っていません)
いつどこで襲ってくるかわからない痛み…。
大袈裟ですが、死ぬかもしれないと思うほどでした。
そして、単身赴任という、一人暮らしでは、トイレで動けなくなったり、お風呂で動けなくなった時、どうやって助けを呼ぶかは大きな問題でした。
ですから、携帯をトイレにでもお風呂にでも持っていくことが大切な習慣となりました。

そして、痛みが襲ってこなくなった今でも、携帯をどこにでも持っていくという習慣は変わりません。
今は、突然心臓がいたくなったらとか、頭が痛くなったらとかに備えてです。そうなのです。「おい!?」…とは「老い」のことです。そして、「!?」は、老いに対して、どうなるの? と、恐れないぞ!と、いう意味を込めました。
一人暮らしが多い私たち夫婦。そして子供もいません。
還暦をすぎ、老いということを考えなくてはいけない時、いかに死ぬかということを、気にしないわけにはいきません。
長患いなく、コロッと逝きたい。
コロッと逝っても、ずっと誰にも発見されないのはいやです。

死というのは、自分で自由にはできないものではありますが、いかに、いつ死んでもいいように、自分の身の回りを、準備して、整えておくことは必要だと思います。
想定しておくといった方がいいかもしれません。
病に侵されたときは、きっと時間の猶予があるでしょうから、準備したり、整えることができるでしょう。しかし、突然訪れる死のためにも、準備し、整えておかなくてはいけないと思うのです。

だって、私は、コロッと死ぬことを望んでいるのですから。



【小淵沢駅が新しくなりました】
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7月2日の小淵沢駅舎
この日で最後になります。
奥に見えるのが新駅舎


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7月3日の小淵沢新駅舎


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新駅舎屋上からの
富士山と南アルプス
『iPadPro』 2017年6月号 [2017年06月10日(Sat)]
衝動買いで、iPadを買ってしまいました。
また、デジタルオタクの桜井がぁ〜と、皆さんに言われそうですが。
はい、何も申し上げません。
しかし今度のは、すごいです。
いよいよデジタルとアナログの境を超えてきたという感じです。
私は手書き派です。それは今でも変わりません。それを頭に入れて、読んでいただければと思います。
今度買ったiPadProというのは、画面上に、専用のペンで書くと、今までのデジタル機器のペンのようにタイムラグがあったり、途切れたりすることなく、実に滑らかに、自然な書き味です。

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iPadProでの手書き風景


そして、その書いた文字が、テキストに相当な精度で変換されたり、メールで送れたりと、自由自在なのです。
もちろん、キーボードで、文字を打つこともできます。
こんな風に文字がかけてしまうと、メモ用紙はいらなくなる感じです。
実際、今までメモに書いていたことはほとんど、このiPadに書くようになってしまいました。
消すのも保存も自由自在ですから、メモしたことが終わったらどんどん消していけばいいですし、残したいときはテキストに変換してToDoリストに送り込みます。
もちろん今までと同じように、スケジュール管理もこのiPadでできますし、メールのやり取りも今までと同じです。

このような機器を手に入れたことで、逆に手書きの研修が復活できたことも収穫でした。
天声人語の要約をして添削をしてもらうという研修が国際自然大学校にありますが、これは、手書きで要約するのが必須です。そしてタイムリーに添削してあげなくてはいけません。
手書きで要約したものを、スマホでPDFにしてメールしてくると、私はその要約にiPad上で手書きで、添削をして、それをメールで送り返すのです。
今日の天声人語の要約を、今日、添削して送り返してあげることができるのです。日本中どこにいてもです。

デジタルも、このように使うことができれば、アナログと相互乗り入れしていけるなと、感じています。
そして、使いこなすことで、可能性が広がると思いました。

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キーボードをつけて


しかし、この機器に使われないようにしないといけないとも思いました。使いこなす道具にしなくてはいけないと思います。

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今日の収穫『いちご』 5月30日
『ふる里としてのキャンプ場』 2017年5月号 [2017年05月10日(Wed)]
私は、小学校2年生の時ボーイスカウト(カブ隊)に入隊して初めてキャンプを体験しました。
そしていつだったか記憶は定かではありませんが、ボーイスカウト山中野営場でキャンプを繰り返しました。
道心堅固の碑というのがありまして、この言葉は、私の座右の銘でもあります。
この言葉は、ボーイスカウトの指導者養成の基礎を作った佐野常羽さんの教えにある、清規三事のひとつであります。
この清規三事とは、
●実践躬行
●精究教理論
●道心堅固  であります。
この言葉を、キャンプを通して、私のものの考え方の中心…背骨ができました。そのキャンプをしたのが、ボーイスカウト山中野営場であります。すなわち、心のふるさとのような場所であります。きっと、たくさんの人がそう思っていると思います。
もちろん、大学時代の野外教育研究会の合宿でも、国際自然大学校のプログラムでも、利用させていただきました。
その山中野営場が閉鎖されるようです。非常に悲しいことです。1925年に開設され90余年を経て、もうすぐ100周年という時になぜ閉鎖してしまうのでしょうか。教育機関としての価値は、その継続性にもあるのではないでしょうか。新しいものを取り込んで進んでいきつつもその価値観を継続していくのはとても大切なことだと思います。
特に社会教育機関としては、その継続が大切と思っています。

ボーイスカウトとは、とても比較できませんが、国際自然大学校の日野春校も、少しずつ歴史を積み重ねてきています。
もう少し立てば、建設当初の参加者が親となり、そのお子さんが、また参加者として日野春校を訪れる時代になるでしょう。
「お父さんも、お前の年の頃に、日野春に行ってキャンプをしたんだよ。その時はな…」
「え〜そうなの、今はね…」
というような、子どもさんとの話が紡がれていくことを思うだけでも、幸せを感じます。
子どもにとって、お父さんやお母さんにとって、おじいちゃんおばあちゃんにとっても、思い出の地、心のふるさとになるような、日野春校になれたらいいなと思います。





そして、ボーイスカウトの山中野営場が閉鎖になることを聞き、ボーイスカウトにできなかった、100年の歴史を持つ心のふるさととなるキャンプ場を目指したいと感じています。

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ボーイスカウト山中湖野営場の正面です。

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私の少年時代、山中湖でのキャンプです。

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山中野営場で、信号塔を作っています。
もちろん乗っているのが私です。
『生きる力の続きの話』 2017年4月号 [2017年05月02日(Tue)]
生きる力の続きのお話をさせてください。

この春皆さんはお花見をされましたか?
私は酔狂なことに、八ヶ岳で、ライトアップをして、みずから夜桜などを楽しんだりもしました。

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50m近く電線引張りました。


ご近所さんと、桜の下で、お茶会もしたりしました。
しかし、この楽しみもあっという間でした。
今はもう、緑の葉が茂っています。
この季節、桜の木の成長が目に見えてわかりますね。
成長と申し上げましたが、花が咲き、散り、葉が茂っていく姿を見て、成長と感じる方はどれぐらいいるでしょう?
間違いなく成長のあかしですよね。
花が咲いた時だけもてはやして、その後の葉が茂った姿を見て、成長と感じることはあまりないのではないでしょうか?

自然は、いつも絶えることなく、しかし、緩やかに成長を続けるものなのです。
そのように成長を続けることこそが、生きる力なのではないでしょうか。
そして、その変化は、時として見落としてしまう。
時として、その変化をお祭り騒ぎのようにもてはやし、潮が引くように相手にしなくなる。
そんな風に扱われても桜はもくもくと成長を続けます。
しかし自然の一部である、人間の、それもまだまだ傷つきやすい若木の子どもが、そんな風に扱われたらどうなるでしょう。

かわいい子には旅をさせろというのは、しばらく子供を自分のそばから離して、新鮮な眼を取り戻して、もう一度子どもを見てみなさいということなのではないでしょうか。
毎日見ていると、日々少しずつ成長している変化に気づかない。
しかし、少しの間、離れて、まとめてその成長を見ると、気が付くことになるのではないでしょうか。
逆に考えると、子どもが、短時間で成長するなんて言うことはないのだということを、肝に銘じておかないといけないということでもあるのです。

生きる力、成長していく力は、どの子供にもきちんと備わっているのでしょう。
しかしその力を発揮できるよう、水や肥料をやるのは、子どもにとって、その変化に気づき、タイミングよく、ほめてやったり、励ましたりすることなのでしょう。

気づくには、ちょっと離れてみることも大切なのではないでしょうか。

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畑の真ん中にあった梅の木を植木屋さんに頼んで移動してもらいました。
その根の大きいこと…これも生きることの証明。


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清里の清泉寮で、ソフトバンクさんとのコラボ事業で、ソフトバンク自然学校開催。
清里に、ペッパー君登場です。
このように、自然の中での活動と、最新技術とどう組み合わせていくか考えないといけませんね。
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