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早川理恵子博士
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太平洋の海は日本の海 - SIDSサモア会議(6) [2014年09月29日(Mon)]
<日本は遠洋漁業開拓者>
1954年に米国が実施したビキニ環礁での核実験。被爆した第五福竜丸以外に延べ556隻の漁船が被爆したとのニュースがこの9月あった。
1954年には500隻前後の日本漁船が既に太平洋で活動していたという事である。

しばらく手元にあったがしっかり読んでいなかった下記のFAOの資料に目を通した。
Robert Gillet, "A short history of industrial fishing in the Pacific Islands" 2007

太平洋で遠洋商用漁業を開始したのは、なんと日本なのである。
日本の委任統治となったミクロネシア海域で1920-30年に開始。米国が1899年に一度挑戦したが失敗している。*
戦後もマッカーサーラインがなくなった1952年4月を契機に再び日本漁船は太平洋に繰り出す。(同年「李承晩ライン」が設定される。)遠洋漁業基地がパンゴパンゴ、ソロモン、バヌアツ等等太平洋の島に次から次にできる。これを追ったのが米国。そしてメキシコ、台湾、韓国、中国が続く。
太平洋島嶼国のEEZ設置の背景にも日本の漁業活動があるのであろう。冷凍技術が未発達だったであろう当時は島に水揚げされていたはずだ。
宗主国豪州NZはEEZを設置し、太平洋から外国漁船を閉め出して、若しくは高い入漁料を課して、島嶼国の(若しくは自分たちの)収入にしようと考えても不思議ではない。
ところが何百億円もかけた島嶼の国営漁業は全て失敗。(今は台湾船に旗を貸して営業している。これを始めたのはバヌアツ。)遠洋漁業を知らない豪州は違法操業を取り締まれない。これが現状。

だから太平洋の海は日本の海なのだ。それは領有とか独占とかいう意味ではなくて、共同管理という意味での日本の責任がある、と言う事である。

<日本と島嶼国を結ぶ「島と海のネット」>
笹川太平洋島嶼国基金は羽生会長のイニシアチブで2008年に初めて海洋問題に着手した。
その時羽生会長からのアドバイスの一つが「寺島さんは人格者だから教えを請いなさい。」
というものだった。寺島常務が海洋問題の世界的大家である事を後から人に言われて知り、正直焦った。あまりにも基本的な質問ばかりしてきたからだ。

あれから、7年。寺島常務から声を掛けていただき、サモアのSIDS会議に参加する機会をいただいた。寺島常務から声をかけていただいた、というのは私にとっては勲章をもらうより重いでき事であった。

日本からは政府以外でこの会議に参加した組織は海洋政策研究財団しかいないのではなかろうか。しかも大きな成果があった。日本と島嶼国を結ぶ「島と海のネット」が提案され、多くの参加者の支持を得て採択されたのである。
寺島常務のブログになぜ日本が太平洋島嶼国の関係強化が必要か、なぜEEZ管理を支援するのか、という事も書かれている。
そして海洋政策研究財団が作成した、美しい日本の沿岸地域とその総合管理様子がわかるビデオも公開されたのでここにリンクしておきます。日本人も太平洋の島の人々も、太平洋の海と共に生きて来た歴史がある。

<寺島常務のブログ>
太平洋の島嶼国と日本
https://blog.canpan.info/terashima/archive/1041
SIDS会議のサイドイベントで「島と海のネット」設立宣言採択
https://blog.canpan.info/terashima/archive/1040

英語


日本語




*1949年の国会答弁。
「しかしながら、同じく報告書第二章において指摘されておりますごとく、日本漁業は過去において国際関係を無視し、ために幾多の問題を生ぜしめたことによりまして、遺憾ながら日本漁業に対する世界の眼は確かに猜疑的であり、同情も薄いのでありまして、これを緩和しない限り、日本漁業の国際復帰はおそらく不可能であるのみならず、講和條約に際して、むしろ封じ手を打たれぬとも限らないことをおそれるものであります。」
第006回国会 本会議 第15号 昭和二十四年十一月二十四日(木曜日)より
アダム•スミスと日本の南洋統治 [2014年09月28日(Sun)]
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日本の南洋統治(台湾とかもそうかもしれません。)が西洋の植民地と違ったのは、新渡戸稲造が、矢内原忠雄がアダム•スミスを継承したからである、とこのブログに書いておきながら、関連資料はつまみ食いでしか読んでないので、まずは矢内原忠雄の『帝国主義研究』を再び開いた。
以前読んだ時は難解だったが、今回も難解である。
この中にある「植民地政策より見たる委任統治制度ー故新渡戸博士にささぐ」は日本の南洋統治を搾取と誤解している人に是非読んでいただきたい。
まとめるだけの力がなく申し訳ありません。

矢内原研究は奥が深いようで、どのような研究がされているか、というのを研究したペーパーを見つけた。
岡ア滋樹、「矢内原忠雄研究の系譜 ― 戦後日本における言説 ―」第 24 号
『社会システム研究』24号、2012年 3 月
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/ssrc/result/memoirs/kiyou24/24-11.pdf

スミスに関連して論じているのは下記の2つのペーパー。
飯田鼎「矢内原忠雄と日本帝国主義研究」(1982.4)三田学会雑誌75巻2号
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19820401-0035.pdf?file_id=77260
矢内原勝「矢内原忠雄の植民政策の理論と実証」(1987.10)、三田学会雑誌80巻4号
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19871001-0001.pdf?file_id=76598

それから日本の軍事占領期から既に現地住民の保護をしてきた事が下記のペーパーにある。興味深いのは、教育のある島の人より、島に移民してくる日本の東北地方の農民に教育がない事を当時心配した事が書かれている。
飯高伸五「日本統治下マリアナ諸島における製糖業の展開 : 南洋興発株式会社の沖縄県人労働移民導入と現地社会の変容」1990, 史学 69(1), 107-140, 1999-08
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00100104-19990800-0107.pdf?file_id=60042

1919年、日本がミクロネシアの委任統治をする事になって、新渡戸稲造が国際連盟の事務次長になった事がきっかけで、矢内原忠雄が東大で植民地政策を教える事になったので、当初のミクロネシア統治は新渡戸の影響があったのではないか、と想像するが、まだその文献は見ていない。

新渡戸稲造はアダム•スミスの蔵書を140冊所有しており、今は東大にアダム•スミス文庫として所蔵されている。このスミスの蔵書に関しては水田洋著「アダム•スミスの蔵書」に詳しい。

最後に、私がアダム•スミスに出会ったのは、アマルティア•センの『自由と経済開発』である。この出会い方は幸運だったと思っている。原文で『国富論』の植民地の章は読んでみた。これを読む前と読んだ後では、矢内原論文は随分違って見えて来る。
「太平洋青年協議会」太平洋の人口問題と海洋問題 - SIDSサモア会議(5) [2014年09月28日(Sun)]

2009年コペンハーゲン国連気候変動会議でのクリスティーナオラ(ソロモン諸島)さん。

9月1−4日、サモアで開催されたSIDS.
海洋政策研究財団の寺島常務から声をかけていただき、今後のネットワークの可能性を探る宿題もいただいていた。
今回のSIDSの一つのテーマが"Youth" - 青年。未来を担う世代である。海洋問題始め開発アジェンダはまさに彼らの問題。

しかも太平洋この青年層が人口の半分以上を占める。海洋政策にしろなんにしろ大きな投票数を持つ青年層の理解は欠かせない。


そこで海洋政策研究財団に提案させていただいたのが「太平洋青年協議会」。太平洋島嶼国の国を代表する青年組織の連合体である。事務局をSPC-太平洋共同体事務局に置いている。
1996年に設立されたこの国際組織を作ったのは笹川太平洋島嶼国基金なのである。
https://blog.canpan.info/yashinomi/archive/936

今回のサイドイベントに同組織からクリスティーナ•オラさん(ソロモン諸島)が参加してくれた。私は受け付け係をしていたので、内容はわからなかったが立派にコメントを述べていたようである。
島嶼国基金の役割はこの「太平洋青年協議会」という地域組織を産み落とすところまでだった。20年後に成人した子供に出会ったような思いであった。
提案を受け入れていただき、再会(事業として)の機会をいただいた寺島常務に改めて感謝したい。





レメンゲサウ大統領の国連総会演説 [2014年09月26日(Fri)]
サモアのSIDSで日本財団、笹川平和財団の名前を何度もスピーチで出していただいたレメンゲサウ大統領。
国連総会のスピーチでは下記のように述べていただきました。
「private」とは言わずと知れた日本財団、笹川平和財団。「public」というのは水産庁の取締船の事でしょう。パラオ政府の期待は大きいようです。

"We also are hopeful that Japan will continue to support and enhance public and private assistance to our EEZ surveillance efforts and our continued efforts to develop our National Marine Sanctuary."



音楽のDNA - 古代ギリシャに求める声明とグレゴリア聖歌の起源 [2014年09月26日(Fri)]
220px-Alexander_the_Great_mosaic.jpg img_0.jpeg


昨年の事だが、未だに感動しているのが、京都、大原、勝林院で聞いた声明。
「これ、グレゴリア聖歌」だと直感で感じた。

仏教文化に西洋のDNAが残っている可能性は最近知った。
吉田考著『日本の誕生』は15年以上も前に渡辺昭夫先生から教えていただいた書籍だが、そこに
「学問的にはまったく根拠のない、法隆寺のエンタシス=ギリシャ起源説が、広く普及したのは、そのような背景があった。」とある。
そのような、とは100年以上前の「脱亜入欧」の時代思潮の事である。
私もなんとなく、この主張を信じて来た。
法隆寺とギリシャがいくらなんでもつながるわけない。回廊の柱のデザインが似ているのは単なる偶然、と。

その後、考古学者の愚夫のおかげで、この説をはじめに説いたアーネスト・フェノロサの論文の内容を知る機会があり「学問的にはまったく根拠のない」というのが「学問的にまったく根拠のない」議論である事を知った。
日本の仏教文化が北インドの影響を受けている。北インドはアレキサンダー大王の遠征でギリシャ文化の影響がある事を根拠にフェノロサは論を展開しているのだそうだ。(ちなみに私はフェノロサの原文を読んでおりません。)だから、日本の仏教文化にギリシャの面影があっても「学問的」に不思議ではない。

西洋音楽、グレゴリオ聖歌もギリシャ音楽を起源としているらしい。
そうであれば、グレゴリア聖歌と日本声明、特にその原型を残す天台声明が似ていても不思議ではない。
だから声明に起源を持つ日本音楽に、長唄とか能音楽にギリシャのDNAを感じても不思議ではないし、西洋で展開したクラシック音楽を日本人が傾倒するのはその同じDNAを感じているからかも、しれない。


最後に、少し太平洋島嶼の話につなげるてみたい。
アダム・スミスは植民地論をその語源でもあるギリシャ、ローマの植民地政策から論じている。そして日本がスミスを継承して統治した太平洋島嶼では未だに日本の音楽が歌い継がれている。
団伊玖磨さんから直接聞いた話である。テレビの取材でポナペを訪ねた際地元の子供達が歌うのを収録。団さんはそこで「日本の音楽にとてもにたメロディーです。」とコメントしたそうである。日本に帰ってその録画を見るとその音楽は日本の歌そのもの。現地で収録したコメントを消す訳にもいかず困った、というお話でした。音楽って意外とDNA的連鎖をするようだ。
南太平洋大学学長の握手 - SIDSサモア会議(4) [2014年09月24日(Wed)]
今月初旬に開催されたSIDSサモア会議。海洋政策研究財団のサイドイベントにスピーカーを確保する事が当方の役割の一つでした。
パラオ大統領の件は既に書きましたが、大統領のハグだけではなく、南太平洋大学のチャンドラ学長から握手を求められたのです。
なぜでしょうか?

同大学の遠隔教育システムUSPNetに続き、Japan-Pacific ICT Centreが日本のODAで設置。現在もICT開発(情報通信)を中心にアジ銀、世銀その他あらゆる支援がつきない南太平洋大学。太平洋地域全体のICT開発の牽引者ともなっています。
そのきっかけを作ったのが笹川平和財団なのです。

これは何度でも繰り返したい。日本政府は、外務省は、JICAは、20年前、南太平洋大学にも遠隔教育にもこれっぽちも関心はありませんでした。
ではなぜ笹川平和財団が?
1988年に太平洋島嶼会議を開催した笹川平和財団。その時にフィジーのカミセセマラ首相から太平洋島嶼国のために衛星を打ち上げて欲しい、と要請されたのがきっかけなのです。
「衛星打ち上げ、一応調査しましたが、とてもとても。もう少し規模が小さくなりませんでしょうか?」
「では、USPNetをなんとかして欲しい。」
USPからの申請案を受け取ったのが1991年で、当方が財団に入った年。今のチャンドラ学長に出会った年でもあります。
スッタモンダの経緯はすっ飛ばし、最終的に笹川陽平営委員長(当時)の判断でODA案件に。その後のスッタモンダもすっ飛ばすと1997年橋本ボルジャー共同記者会見でUSPNet支援がめでたくODA案件となったのです。(この時も豪州は日本の関与に難癖をつけたが、最終的に日NZ豪の共同案件となった)

レメンゲサウ大統領のハグはその意味を今でも探っていますが、チャンドラ学長の握手の意味は明確で「もうUSPNetの歴史を知っているのは君しかいなくなった。」とはっきり言っていただきました。

チャンドラ学長、SIDSではダブルブッキングをされていましたが、海洋政策研究財団のイベントには学長代理で副学長を出していただきました。

News @ USP
"USP committed to Marine Research in the Region"
http://www.usp.ac.fj/news/story.php?id=1620



デカプリオ、今度は気候変動の使者に。安倍総理1万4千人の人材育成発表(国連気候変動サミット) [2014年09月24日(Wed)]


昨日23日、国連気候変動サミットが開催された。

数ヶ月前、米国の海洋会議で「イルカやサメがかわいそう」と訴えたあのデカプリオが、今度は国連の「気候変動メッセンジャー」に任命された。
気候変動。キリバスのトン大統領が、マーシャル諸島のデブルーム外相がいくら叫んでも、CO2を二番目に多く排出している(一番は中国)肝心の米国は貸す耳を持たない。
デカプリオの配置は米国を自ら禁める、という視点からグッドアイデアかもしれない。

CO2.png

世界のCO2排出国、外務省ウェッブより




演説はこちら。国連気候サミット 安倍総理スピーチ(プレナリー・セッション)


他方、安倍総理は何を述べたか?
向こう3年で1万4千人の気候変動に関わる人材育成を、主に太平洋、カリブ海の島嶼国を対象に行う、と発表したのである。
1万4千人? 太平洋島嶼国が14カ国、CARICOMが15カ国。単純に割ると、1年一カ国から160人。カリブ海は知らないが、太平洋島嶼国にそんなに人がいないのではないだろうか?と要らぬ心配をしてみたくなる。
しかし、これら島嶼国の方達に日本の沿岸地域、島嶼地域にきていただき、日本の歴史と伝統に沿った沿岸管理をしているところを観ていただく絶好の機会でもある。「地方創成」にも役立つ。どうでしょうか?この案。


ところで日本の南洋統治がなぜ、西洋のそれと違ったのか?それは新渡戸稲造、矢内原忠雄がアダム・スミスの植民地論を継承していたからです。倫理学者であったスミスは、先住民や移民者への搾取を反対しています。主権国家となった島嶼国に、教育の機会を提供する。これは今も昔も変わらない、日本の、スミスの哲学に共通する事なのです。
「植民」と聞くと過去4−500年の虐殺と略奪による西洋人のそれと想像してしまいがちですが、人類の歴史は植民の歴史でもあり、それをスミスや矢内原は近代経済に合わせて論じています。音大生も読んでいる『国富論』。
オールジャパンで守るパラオの海 [2014年09月23日(Tue)]
9月22日の読売新聞にパラオEEZ全面商用漁業禁止に関する記事が出た。

PalauEEZ.png

英文はこちら
"Japan boats face Palau fishing ban"
September 24, 2014
By Haruka Teragaki and Akiko Inoue / Yomiuri Shimbun Staff Writers
http://the-japan-news.com/news/article/0001583916

これでこのブログにもやっとかけます。

<法執行による集団的自衛権の行使>
今年初旬から、オールジャパンでパラオの海を守る仕組みをコツコツ作ってきたのだ。
記事には「日本政府はパラオの違法船の監視ができないか、検討を始めた。」とあるが水産庁が検討を始めたのは実は2008年で(追記2010年の間違いでした。)、やっと本腰を入れ始めたのが今年になってからだ。背景にはパラオ大統領のこの過激案もあるが、安倍政権の太平洋島嶼国重視がある。いくら官僚にその意思はあっても肝心の親分が動かなければ政府を動かす事はできない。
現在検討されているというのは水産庁の取締船の派遣である。戦後日本の海を実際に守ってきたのは海上保安庁と水産庁、この2つの法執行機関である。
私は勝手に「法執行による集団的自衛権の行使」と考えている。現在の安全保障、多様化、多角化している。法執行が一義的には前面に立つ事が重要である。

<日本財団、笹川平和財団の取組み>
この日本政府の動きをリードしたのが日本財団、笹川平和財団が2008年から開始したミクロネシア海上保安事業である。日米豪政府とミクロネシア3国の6政府と2NGOsの協力枠組みを形成し、現在小型の監視艇をミクロネシア3カ国に供与している。もっと言うとミクロネシア3カ国の地域協力枠組みを90年代後半から支援してきたのは笹川太平洋島嶼国基金である。

<Its not just about Fish>
クロマグロ、ニホンウナギ、捕鯨問題とここ数週間水産資源管理で大きな動きが出ている。水産資源問題、実は奥が深い。魚の話だけでは済まされない。日本漁船がアラスカのブリストル湾に出ていかなければ現在のEEZは存在していなかったであろう。戦後、1952年にはバヌアツのサント島に日本の遠洋漁業基地ができた。戦後いち早く太平洋で漁業を始めたのも日本である。ミクロネシア連邦は日本との国交の前に漁業協定があった。
70年代から協議されたEEZ。小さな島々が広大なEEZを持つに至った背景には、冷戦の構造もあるが、日本漁船の進出に対する豪州NZの警戒感もあるであろう。それが証拠に現在太平洋島嶼国のEEZを守る手段は豪州のパシフィック・パトロールボート・プログラムしかない。そしてこれが殆ど機能していない。担当する豪州王立海軍自ら認めているところである。

<オールジャパンで守るパラオの海>
今から100年前、チャーチル海軍大臣に頼まれて第一次世界大戦でANZACを守ったのは日本である。ANZAC未だに太平洋の広大な海を守る能力はない。意思とプライドだけはある。
広い太平洋、日本に守ってもらうしかない、と言っているのは米国である。キーティング司令官である。
日本財団が供与する小型船は主に沿岸監視を目的とする。外海は全くの無法海域であると言ってよい。そこを守るのは日本の取締船しかない。
そして忘れてはならないもう一つの活動は自衛隊OBによる海底に沈んだ不発弾の処理である。2012年から「日本地雷処理を支援する会」がパラオで活動を開始している。

パラオの海を守るために、農林水産省(水産庁)、国交省(海上保安庁)、外務省、防衛相(OB)そして日本財団、笹川平和財団の2つのNGOsによる、まさにオールジャパンの協力体制が構築されつつあるようだ。
海上自衛隊ガダルカナル、パプアニューギニア訪問。そして安倍総理NYで太平洋島嶼国首脳会議開催 [2014年09月22日(Mon)]
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(写真は太平洋訪問中の海上自衛隊練習艦船。かしま、あさぎり、せとゆき)


フィジーの総選挙等々お伝えしたいニュースは山ほどありますが、海上自衛隊のガダルカナルとパプアニューギニア訪問、そして安倍総理が国連総会で太平洋島嶼国首脳会議開催、とのニュースがありましたので、先に。
日本の対太平洋島嶼国外交を大きく変えるイベント、だと思います。


9月19日、海上自衛隊の練習艦船がソロモン諸島のガダルカナルを訪問し、戦没者遺骨を引き取り、母国へ連れて帰ります。初めて事。
”ガダルカナル島の戦没者遺骨、海自艦で帰還へ 政府主導し初の輸送”
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140920/plc14092008000008-n1.htm

パプアニューギニアには23−25日訪問。国会、博物館等を訪問予定。ソマレ閣下ともお会いになられる機会があるのではないでしょうか?できれば1週間早めて独立記念日に参加すればもっとインパクトがあったかもしれません。中国軍は軍楽隊が独立記念日に演奏を披露しています。


パラオのレメンゲサウ大統領にサモアでハグをリクエストされ、妙に嬉しそうだったのは先週発表のあった両陛下パラオ訪問の件だったのかと納得していました。しかし、それだけではなかった。

”菅官房長官、両陛下のパラオ訪問を関係省庁に調整指示”
http://news.tbs.co.jp/20140916/newseye/tbs_newseye2299968.html


今日日本を発つ安倍総理はNYで25日太平洋島嶼国首脳会議を開催。太平洋島嶼国側の議長はレメンゲサウ大統領なので、とりまとめ役をされると思います。これもハグの理由だったのかもしれません。

”首相、国連総会出席 常任理事国入りへ支持狙う”
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140922/plc14092208050005-n1.htm
小林秀雄ー本居宣長と桜 [2014年09月21日(Sun)]
Sakura2014.jpg Sakura2014-2.jpg



敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花



2年前に植えた桜の木、ソメイヨシノが、今年も満開になった(上の写真)。いったいいつまでこの木の成長を見る事ができるのであろう?

桜と言えば、ソメイヨシノの思っていたが、『小林秀雄 学生との対話』を読んでそうじゃない事を初めて知ってショックだった。
日本の桜とは本居宣長が詠んだように山桜を指すそうである。

山桜、いったいどのような桜なのだろうか?開花と共に茶色の葉っぱがでてきて、花もソメイヨシノより野趣がある感じ。近くのボタニカルガーデンに似た桜があり、これが本居宣長が自分の墓の近くに植えて欲しいと言った桜かと思うと特別に見えてくる。

小林秀雄氏曰く、ソメイヨシノは桜の中でも一番低級な花なのだそうだ。がく〜(落胆した顔)

と言われても、生まれたときからソメイヨシノで遊んで、ソメイヨシノで入学して、ソメイヨシノでお花見をしてきた自分には、やっぱり桜はソメイヨシノ。

坂口安吾の『桜の森の満開の下』と黒沢明の『羅生門』(ストーリーは芥川龍之介の『藪の中』)も今まではソメイヨシノと想像していたが、山桜なんだろうな。そうすると花ばかりのソメイヨシノではなくて、小さな葉っぱがある山桜が舞台装置になると、その物語のイメージも大分違ってきてしまう。
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