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早川理恵子博士
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パラオと三塚議員と私の買物症候群 [2013年08月30日(Fri)]
自分のワードローブに、サイズの小さくなったスーツが5、6着、ドレスが5、6着ある。
これが捨てられない。合計するとゼロが6個位の代物だ。
あの頃より、1、2サイズ増えたきり元に戻らない。(´_`。)

なぜ私のワードローブから三塚議員の話に飛ぶのか。
今回どうでもいい話です。

日本パラオ友好議員連盟会長の三塚博議員をパラオに連れ出したのが初代笹川平和財団田淵節也会長である。1999年10月の事である。
この三塚、田淵ミクロネシアミッション(サイパン、グアムも訪問した)をアレンジしたのが当方なのである。
今考えてもよくやった、というかどうやったんだろう?と不思議だ。

調整のための三塚議員事務所通いが始まった。
遅刻はできない、といつもかなり早く到着。
時間つぶしで麹町をフラフラしていた時、黒いスーツがバーゲンで店頭に。
ペリリュー島の慰霊に着ていく黒のスーツが必要だよな、と思っていたところだった。
会社帰りに早速同店を訪ねると、バーゲンのスーツはイタリア製でゼロが5つもある。
普段はゼロが2つ、3つ。時々気張って4つ程度の洋服しか買ったことはない。
諦めようとしたところ、ローンを提案された。月々のお支払いは5千円、とかそんな感じ。
で、買ってしまった。
それがきっかけで買物症候群、だと思うが、ゼロ5つのスーツやドレスを買い込む事となった。
大物2人の海外出張の調整なんて、やっぱり相当なストレスだったに違いないと思う。


後で聞いた話だが、その頃中華系マレーシア人から暴力を受けたばかりの当方を心配した回りが止めるのを無視し、田淵会長の独断で出張のアレンジを「早川にやらせてみろ。」と言われたのでそうである。この田淵会長の独断で私は精神的かなり救われた。もしかしたら、今生きていなかったかもしれない。

三塚・田淵ミクロネシアミッションはかなり成功し、今のミクロネシア海上保安事業の伏線になった。


三塚博議員とカストロ議長の関係 [2013年08月29日(Thu)]
Castro.jpeg Mitsuduka.jpeg Nakamura.jpeg

以前触れた故三塚博議員とカストロ議長の関係が気になって(記憶違いかも、と)ウェッブサーフィンしてみた。
やっぱり三塚議員は日本キューバ友好議員連盟会長だった。
(三塚議員は日本パラオ友好議員連盟の会長もされており、今の日パの関係は、三塚議員ーナカムラ大統領の時代に基盤が作られたと言ってよいと思う。)

下記、外務省のウェッブからコピー。
カストロ議長は平成15年に日本を訪ねている。広島も訪ねている。
当時の小泉首相が96年のペルー大使公邸事件に対しカストロ議長に謝辞を述べている。
カストロ議長が尊敬する数少ないリーダーがフジモリ大統領、と聞いた事も思い出した。

やっぱりオリバー・ストーン監督の『コマンダンテ』観なくちゃね。

カストロ議長が参加した非同盟運動首脳会議(Non-Aligned Movement)ーバンドン会議に遡る連帯。
太平洋ではバヌアツが1983年、パプアニューギニアが1993年、そしてフィジーが2011年に参加している。

それから1959年 カストロ議員の盟友チェ・ゲバラが来日。広島市の原爆資料館を訪問し、「アメリカにこんな目に遭わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」と案内人に語った、という。(Wikiから)


<外務省ウェッブから>
カストロ・キューバ国家評議会議長の訪日(概要と評価)


平成15年3月4日


 3月1日〜4日、カストロ・キューバ国家評議会議長がアジア歴訪(クアラルンプールの非同盟運動首脳会議への参加、ベトナム、中国への公式訪問)の最終訪問地として我が国を訪問した。概要と評価は以下の通り。


1.概要

(1) 日キューバ首脳会談(2日)

 2日に行われた小泉総理との日キューバ首脳会談では、二国間関係、北朝鮮問題、イラク問題が主要なテーマとなった(川口外務大臣、三塚議連会長等同席)。
 二国間関係につき小泉総理より、両国間には違いも存在するが、伝統的に良好な関係が維持されている、96年のペルー大使公邸事件の際のカストロ議長からの格別な配慮及びキューバの愛知万博への早期参加表明に対する謝意表明がなされた。
 北朝鮮問題につき小泉総理より、核開発問題、拉致問題及び日朝国交正常化交渉につき説明したところ、カストロ議長はこれに大きな関心を示し詳細にわたる質問を行った上で、日本の立場への理解を示すとともに本件における可能な範囲での協力を表明した。
 イラク問題については、小泉総理よりわが国の立場及び対応につき説明し、カストロ議長からは非同盟運動首脳会議のイラク問題に関する立場等が紹介された。

(2) その他要人との会談

 綿貫衆議院議長(01年キューバ訪問、新藤外務大臣政務官等3議員同席)及び橋本元総理(01年キューバ訪問)といずれも一時間以上に亘り懇談を行った。また、日本キューバ友好議員連盟(三塚会長、古屋事務局長他)主催昼食会及び日本キューバ経済懇話会主催夕食会等に出席した。

(3) 広島滞在(3〜4日)

 3日、カストロ議長は広島を訪問し、平和公園における献花及び原爆資料館視察のほか、広島県知事主催の昼食会に出席した。視察後、人類はこのヒロシマの苦しんだ経験を繰り返してはならないと述べるなど、深い感銘を受けた模様であった。


2.評価

(1) 両国首脳レベルでの関係強化

 小泉総理とカストロ議長は、二国間関係について大所高所から幅広く意見交換を行ったほか、北朝鮮問題及びイラク問題等についても、詳細かつ包括的な議論を展開した。予定されていた40分を大幅に超える75分に亘った首脳会談を通じ、首脳レベルでの二国間関係の強化が実現された。

(2) 北朝鮮問題を巡るキューバ側の協力姿勢表明

 カストロ議長は北朝鮮問題に高い関心を示すとともに、拉致問題等につき種々質問の上、可能な範囲での協力姿勢を表明した。また、北朝鮮情勢分析及びキューバ・北朝鮮関係に関する見解を披露した。
「雪っこ」と『からごころ』 [2013年08月28日(Wed)]
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大晦日。
家人はとうの昔に寝てしまっている。
炬燵に入って用意したのは酔仙酒造*の「雪っこ」と『からごころ』(長谷川三千代著)。
これがマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』(まだ読んだ事ないけど)に出て来るマドレーヌと紅茶みたい、と思った。至福の時。

酔仙酒造は三陸で津波被害に会い、ゼロから再出発したお酒屋さんである。復興支援と思って一ダース買い込んだ。寒い冬にはお薦めです。


日本人特殊論。あまり触れたくないと思いつつ思いがそこを辿ってしまう。
例えば日本人のワイン狂い。ワイン通気取りのおじさんを観るとどうも違和感を持ってしまう。
本場フランスのワイン文化と相当違うよな気配をフランス人の友人とワインを楽しんだり、ワイナリーを隣に過ごすうちに、なんとなく感じている。
日本人のワイン狂いーフランス産業界の巧みな宣伝効果だそうだ。
赤玉ワインを嗜好してしていた故笹川良一名誉会長はフランスの陰謀をきっと見抜いていたに違いない。

さて、この外国文化を実も蓋もなく取り入れてしまう日本文化。
今に始まった訳ではなかった。
「漢字」中国文化の日本への導入。山本七平がいう日本人最大の発明ー平仮名・片仮名。
『からごころ』は日本が漢字をどのように受け入れてきたかをなぞりながら日本人論を展開する。
確かに「日本」を娘に教える時、また外国の友人に語る時、外観はほぼ中国文化なのに、本場と全く違う日本文化をどのように伝えるか、いつも戸惑ってしまう。どこでどう、日本文化になるのか。

著者は、本居宣長は、そこにあるのは「無視の構造」で、日本文化の根本構造である、という。そこにある醜さ、おぞましさを著者は指摘している。これが「日本国憲法論」に展開されそうになる件は、この本のクライマックスなのだろう、と思う。

”高級”ワインを手に悦に入っている日本人。「底知れぬ、醜さ、おぞましさ」を俄に感じていた。しかしこれを否定しては日本論は語れなさそうだ。
オリバー・ストーンの「語られざる米国史」と小室直樹著『日米の悲劇』 [2013年08月26日(Mon)]
オリバー・ストーンの「語られざる米国史」
http://democracynow.jp/video/20121116-3
http://democracynow.jp/video/20121126-9

オリバー・ストーンの「語られざる米国史」を見ながら、パールハーバーに触れなくていいのかな、と、小室直樹著『日米の悲劇』を思い出した。

昨年、サイバーセキュリティを米国国防省が予算委員会で説明した時「サイバー・パールハーバー」という表現を使用していた事にギョッとした。
米国にとって真珠湾は特別なのだ。どちらが悪い云々の話ではなく、現在の軍事大国を作った要因ー「幼児体験」となったパールハーバー・コンプレックスが小室直樹著『日米の悲劇』に詳しく書いてある。
戦後70年経っても米国が「サイバー・パールハーバー」と言う原因はここにあり。

それにしてもオリバー・ストーン監督の作品は意識して観た事はなかった。
第2次世界大戦の犠牲者でソ連が2700万人という数字は初めて知った。
中国は1,000-2,000万人。
ユダヤ、ドイツ人が夫々600万人、
ポーランドが300万人、
日本は250万人,  
ユーゴスラビアが150万人、
米、英等は夫々25万から50万人
(以上の数字は上記のビデオから)

パラオのナカムラ大統領とも親しかった故三塚博議員が友情を結ばれたのがキューバのカストロ議長と聞いている。
『コマンダンテ』も観てみたい。
『南洋群島と帝国・国際秩序』浅野豊美編集 慈学社出版 [2013年08月24日(Sat)]
『南洋群島と帝国・国際秩序』浅野豊美編集 慈学社出版 2007年

この本は私にとって特別な本である。
表装と内装に使用されているパラオの写真を提供させていただいたからだ。
何の気もなく撮影した写真だったが、渡辺昭夫先生のところでご覧になった浅野先生が気に入られたようで、使用いただく事となった。

カバーを飾るエメラルド色の海。
戦争の記憶を知ると、この海を見ながら命を落としていった人々の事を思うと、その美しさの分だけ痛々しく目に写ってしまう。

だから、私は靖国の近くにいる時は、なるべくお参りをする事にしている。
神社への参拝の後、裏手の茶室の庭と、うっそうとした林の木々に付けられたカードを見ながら暫く散策する。

日本がミクロネシアを統治していった背景、その経過、大戦へと繋がった様々な背景はあまり知られていない、もしくは語られていないように思う。
書評を書く力量もないし、今それができない状況でもある。
しかし、日本がミクロネシアを侵略した、という話を聞くとちょっと待ってよ、と言いたくなる。
少なくとも赤道以北は第一次世界大戦に参戦する条件として、英露仏との秘密協定があった。日本海軍は豪州に対しヤップ島の件で相当気を使った経緯もある。豪州海軍や、米国沿岸警備隊の知人友人もそんな事は知らない。興味深く聞いてくれる。
この本には当時の複雑で入り組んだ国際情勢と日本の対応が、丁寧に鋭く記されている。

時々本棚から出して、事実確認をしている。
虫食い読みで、まだきちんと読んだ事はまだありません。
パラオ米国Shipriders協定締結 [2013年08月20日(Tue)]
2008年から米国沿岸警備隊が太平洋島嶼国と次々に締結している"Shipriders"協定。
8月、新たにパラオと協定が締結された。
以下のIsland Timesのニュースから。

Palau, U.S. Sign Enhanced Ship Rider Agreement
Countries to cooperate against ‘illicit transnational maritime activity’
By Aurea Gerundio-Dizon
KOROR, Palau (Island Times, August 15, 2013)



パラオと米国の"Shipriders"協定は2008年の前レメンゲサウ政権の時の合意されている。しかしそれはパラオの法執行官が米国沿岸警備隊の船舶に乗船する、という内容でしたかなった。
今回の協定では、米国の法執行船舶か飛行機に乗れるという内容。即ち沿岸警備艇である必要はない、ということだ。

さらに同協定は、米国の法執行官がパラオEEZにおいて、パラオの法執行官を乗船させていなくとも、疑いのある船舶に乗船し、検査する事を許可する内容。さらに犯罪の可能性がある場合は米国の法執行官が勾留する権限まで容認している。

協定には米国がこれらの取り締まりを強化するために、パラオの法執行機関のcapacity and technical, logistical and material resourcesについても支援すると明記されている。

同協定の調印式に出席した、マリアナの米国海軍司令官、Rear Admiral Tilghman Payneは同協定の内容は米国のパラオ海洋安全保障の支援の一部でしかなく、来週(今週ですね。)にはニュージーランド(なぜ!)から米国海軍の P3 Plane とC130 plane がパラオに向けて飛行し、パラオ海域の監視を行う、と述べている。
300px-Lockheed_C-130_Hercules.jpg300px-Orion.usnavy.750pix.jpg

やっぱり、米国が動くと、違うような気がします。

関連のこの記事も興味深いので、取りあえずリンクしておきます。
Ban commercial fishing: Palau’s goal 
Islands Business July 2013.
http://www.islandsbusiness.com/2013/7/fisheries/ban-commercial-fishing-palaus-goal/
And use drones for surveillance
久々のPosse Comitatus Act. ー 法執行と軍事執行の棲み分け、共存 [2013年08月17日(Sat)]
本日の新聞に、内閣法制局の小松法制局長官のコメントが掲載されていたので、しばらく忘れていた法執行と軍事執行の棲み分け、共存、につて思い出した。

この分野何もわからないのだが、ミクロネシアの海上安全保障支援の窓口がなぜ、海上保安庁で、海上自衛隊ではないのか?を語る時、考える時重要だ。
また日本国内だけでなく、広く世界の海洋安全保障は、一義的には法執行ー即ち海上保安庁であり、海上自衛隊は二義的という、寺島常務の主張(当方が誤解している可能性もあります。)の意味を掘り下げる作業もまだまだ必要だ。

冷戦後の日本の安全保障体制は、笹川太平洋島嶼国基金第2代目運営委員長もつとめていただき、当方の恩師でもある渡辺昭夫東京大学名誉教授が実質的に執筆した「樋口レポート」がある。
しかし、これはあまりにも日本の自主性を押し出し、日米同盟を2番目に語ったために(秋山昌廣氏著の『日米の戦略対話が始まった』参照)米国に潰されてしまった経緯がある。

さて、法執行と軍事の棲み分けは、女王様の英国系が軍事に法執行権を認めているのに比べ(非常に大雑把な理解ですが。)意外と米国が明確にしている。このブログでも何度も取り上げている Posse Comitatus Act.だ。

これも、米国では解釈、実行を巡ってさまざまな議論がされているようである。
なによりも9.11が大きなきっかけとなった事は事実のようだ。
米国沿岸警備隊は新たに創設された国家安全保障省に丸ごと移管された。civil lawとmilを明確に分けた、と理解して良いのではないだろうか?

海洋安全保障に関する米国のDODとDHSが2006年に合意した協定を以前入手したのを思い出した。
ここに添付しておく。またこの資料と共に米国の友人から追加コメントをいただいたので、これも下記にペーストしておく。
日本に必要なのはこのPosse Comitatus Act.に準じる概念、協議ではないだろうか?

ー ー ー
Hi Rieko-

Attached is the DOD / DHS MOA for DoD support to USCG for Maritime Homeland Security.
MOA.DOD-DHS.MHLS.pdf


Here's some additional info on POSSE COMITATUS ACT (18 USC 1385): A Reconstruction Era criminal law proscribing use of Army (later, Air Force) to "execute the laws" except where expressly authorized by Constitution or Congress. Limit on use of military for civilian law enforcement also applies to Navy by regulation. Dec '81 additional laws were enacted (codified 10 USC 371-78) clarifying permissible military assistance to civilian law enforcement agencies--including the Coast Guard--especially in combating drug smuggling into the United States. Posse Comitatus clarifications emphasize supportive and technical assistance (e.g., use of facilities, vessels, aircraft, intelligence, tech aid, surveillance, etc.) while generally prohibiting direct participation of DoD personnel in law enforcement (e.g., search, seizure, and arrests). For example, Coast Guard Law Enforcement Detachments (LEDETS) serve aboard Navy vessels and perform the actual boardings of interdicted suspect drug, smuggling vessels and, if needed, arrest their crews).

Renaissance - Sounds Of The Sea [2013年08月15日(Thu)]
時々聴きたくなるルネッサンスの- Sounds Of The Sea
ここに貼っておこう。



Watching winter pools take me to the sea
Carried by the wind sighing feeling free
On the beach alone seabirds circle there above me
Lonely winter day makes me want to stay
There where I belong
Where I am real, where I can feel sounds of the sea
Rivers flowing down streaming in the sand
Shells are tangled in seaweed drifting strands
Pools of silence stem peace is sounding all around me
Lonely winter day makes me want to stay
There where I belong
Where I am real, where I can feel sounds of the sea
Sun sets slowly and night returns once more
Standing by the surf coasting on the shore
Shadows in the night echoes of the sea inside me
Lonely winter day makes me want to stay
There where I belong
Where I am real, where I can feel sounds of the sea

これもつでに貼っておく。ピアノがいいのよね

The Young Prince And Princess


これは歌詞がイイネ。

Ocean Gypsy
死と向かい合う(2) ー イランとお盆 [2013年08月15日(Thu)]
8月は日本人にとって、少なくとも私にとって、終戦記念日と、お盆と、高校野球の入り交じったイメージがある。

このお盆、あの世に行った死者を迎えて、また送り出す、と言った簡単な理解でしかなかった。が、最近家族を亡くし、死に向かい合うとはどういう事だろうか、と日々か考える中で改めてお盆の意味を探りたかった。

京都、法然院の梶田真章住職のお話を伺う機会に恵まれた。
お盆には3つの説がある、という。

1、仏説盂蘭盆経 によるお盆。
2、先祖教によるお盆
3、仏教によるお盆

1の仏説盂蘭盆経は中国で作られた偽経ー即ち偽りのお経で、仏教の本来の哲学に沿っていないそうである。理由を説明いただいたが、忘れた。
2の先祖教は柳田國男の説で精霊を迎えて供養する、という一般に理解されている説。
3は「一切衆生」即ちこの世に生を受けたすべての生き物の成仏を祈るという、これぞ仏教の神髄。

現在のお盆は2、3が共存。お寺のお坊さんはイエの個人の魂を祈ると同時に頼まれた訳ではないが一切衆生も祈っているのだそうだ。

また、イエという制度が日本に定着したのが室町時代頃で、お墓という習慣は江戸時代から。
即ちイエ代々のお墓の歴史というのは300年の歴史、とのこと。

戦後このイエ制度が徐々に崩れ、今まであったイエのお墓、イエのお盆という制度では受け入れられないケースも多くなってきている、とのこと。
個人の、またはコミュニティのお墓、お盆といった、新たな死への向き合い方を、お寺がまた人々が考えていく必要がある、というお話だったと理解しています。
が、なにせ、猛暑の中、また何の知識もないところで伺ったお話なので、曲解、誤解している可能性が高いです。

最後にこのボン、Bonという言葉、サンスクリット語の”ウッランバナ”から来ていて、意味するところは「逆さ吊りの苦しみ」と恐ろしい。
しかし最近の研究ではイラン語の”ウルヴァン”が語源という説もあるそうで、こちらは「霊魂を祭る」という意味。今の日本のお盆に近い。
お盆休暇を "Bon holiday week"と訳し、海外の友人知人に伝えているが、Bonとは何か?と聞かれたらイラン語の方を話しておきたいと思う。
宇野千代 [2013年08月13日(Tue)]
50近くで得た人との出会いは、10代20代30代とはまた違った、奥の深いものがあるように思う。
最近、外国の方から日本を学ぶ機会が多い。
学ぶというか、気づかせてもらう、と言った方がよいかもしれない。

米国、ワシントン大学のレベッカ•コープランド教授は宇野千代の研究者である。
宇野千代の研究で博士号を取られ、1992年にUniversity of Hawai'i Pressから"The Sound of the Wind: The Life and Works of Uno Chiyo" という本を出版されている。

宇野千代。
よく知っている名前であるがなぜか本を読んだ事はなかった。
米国人のコープランド教授がライフワークにしている宇野千代が急に気になりだした。


コープランド教授のアドバイスも得て、この2週間程で次の作品に目を通した。

『色ざんげ』
『薄墨の桜』
『八重山の雪』
『恋愛作法』
『生きる私、老いる私』
『風の音』
『生きて行く私』
『青山二郎の話』

語り口の小説は読みやすかった。
もっと読みたいが仕事の資料が待っているのでここで一旦止める事に。
有名だという『色ざんげ』はなぜか心に響かなかった。
泣きながら読んでしまったのが『八重山の雪』。後書きには本当にあった話だという。できればこれ英語にして、連合軍のみなさんに読んでほしい。(もう英訳されているかもしれませんが。)


『風の音』は、著者の家庭を題材にした小説であろう。まだ読んでいない『おはん』も同じような耐える女性が出てくるのではないか。駆け足ではなく、じっくり、しっとり読みたい作品だ。

意外にも『青山二郎の話』が面白かった。
青山二郎の生涯を著者がヒアリングして書いたものだが、小説を読んだような感覚が残った。青山二郎の名前は知っていたが、骨董好きのお金持ち、という印象であった。しかし、どうやら父を父とも呼ばない、もしくは呼べない、特殊な家庭にあったようだ。それでも青山二郎はお釈迦様のような、子供のような人徳を得て、人々を魅了した。

コープランド教授は『人形師天狗屋久吉』が好きだと言う。これは次の機会の楽しみにとっておきたい。

最後に、宇野千代のような生き方を同性としてどう捉えるか。
気持ちはわかるし、やってみたいけど、後の始末が大変そうである。
ジャスティン•ビーバーの追っかけで、止めておこう。
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