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早川理恵子博士
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JICAのおじさんとサンダルの話 [2012年05月11日(Fri)]
太平洋は広いようで狭い。
特に島を訪ねる人は限られていて、日本の援助関係者JICAやOFCFの方に出会う事が多い。

キリバスでJICA職員の方に出会った。シニアの男性で援助の思いを語ってくださったのだが、私にとっては唖然とする内容で、今でも忘れられない。

「この島を訪れて、裸足の彼らにせめてサンダルを履かせることが自分の目標、使命だという考えを強く持ったんです。」

1991年に財団に入ってすぐの頃の話だ。
財団に入りたての当方は20代後半だったが年より若く見られるので異議を唱えるようなことはしなかったが、かなり衝撃的内容で未だに忘れられない。
(JICAに入らなくてよかった。)と正直その時思ったのは事実だ。
最近開発をテーマに論文を書く友人に話したら大変興味を持たれたので英語でメモしてみたが日本語でも書いておく。



このJICAのおじさんのコメントを3つの視点から検証してみる。

1.開発の意味
JICAのおじさんの頭にある開発段階とは 裸足 → サンダル → 運動靴 → 革靴
のような流れだと想像する。
裸足健康法が説かれているように、靴を履くより裸足の方が健康にいい事もあるし、島嶼国のある村では靴やサンダルを履いてあがることがタブーとされている場所もある。
かなり偏った価値観だと思うが、これが開発論の主流のようだ。

2.誰が開発の価値を決めるのか?
島の人がサンダルを履きたいという希望があったのであろうか?それともJICAのおじさんが勝手にそう思っただけであろうか?サンダルの効用と裸足の効用が十分に援助される側とする側で協議されたのであろうか?

3.サンダルの経済性
島の人々がサンダルを履けるようになったキリバスを想像したい。サンダル工場がある状態か、海外からサンダルが輸入できるだけの現金があるか、であろう。そしてどちらにしてもその持続性があるか。

なんだかJICA批判のようになって気が引けるので、身近な例も書いておく。
笹川平和財団のプログラムオフィサーと呼ばれる人たちは、わたしも含め海外出張も多く一見「華やか」な職業のようだ。しかし現実は違う。
10円のコピー代が何枚、電話代が3分10円で何分、という地味な計算をして何百万円、何千万円の予算を組み立てる。
また1円たりとも稟議書、伺い書を作成する必要があり、人生の半分は稟議書作成で終わるのではないかと思う程の量である。
実際はかなり「地味」な職業である。

この地味な作業に耐えられず「辞めます!」と飛び出そうとした若い職員に財団のおじさんがお説教していた風景が、これも10年以上前の話だが忘れられない。

「君、今辞めてコンビニのスタッフやタクシードライバーで一生を過ごしてもいいの?」

このコメントも上記の3つの視点で検証が可能だ。
1.財団のプログラムオフィサーはコンビニにスタッフより、何が優越するのか?
2.誰がその人の職業を決めるのか?
3.それぞれの職業は誰かがやらなければならない社会の機能で、全員が財団のプログラムオフィサーになったら世の中どうなるの?
まあ、財団のおじさんはその若者に辞めて欲しくなかったんだろうな。
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