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矢内原忠雄を読む 蝋山政道は帝国主義者 [2015年01月25日(Sun)]
とうとう矢内原忠雄全集の植民地政策を扱った1−5巻を購入してしまった。
やはり線を引きたいし、コメントを書き残しておきたい。
何よりも矢内原先生の文章は難しくて何度も読み返す必要があるのだ。新渡戸先生の文章は明解なのに、なんで矢内原先生はこんな文章になってしまったんでしょうか?

その中の「南洋委任統治論」をぱらぱらめくったら、戦後、笹川良一氏を誹謗中傷した蝋山政道東大教授を、矢内原先生が「馬鹿じゃない、全然意味不明」(下記の引用参照)とケチョンケチョンに叩いているのを見つけた。
しかも笹川良一氏を批判した蝋山政道は矢内原先生が仰け反る、帝国主義者なのだ。
加えて笹川良一氏が反対した翼賛選挙では近衛の推薦を受けて当選している。
南洋を足がかりに太平洋を制覇せよ、オーストラリア、ニュージーランド、アジアへの足がかりとせよ主張しており、まさに彼こそが占領思想、帝国主義思想の持ち主で戦後裁かれるべき人物ではなったのであろうか。


矢内原先生が蝋山政道を叩いている箇所を引用。

「...北に満州、南に南洋を戦略戦術的及び経済政策的に根幹として太平洋に覇を唱え云々の思想言論態度は自殺的矛盾ではないだらうか。」

「太平洋唱覇ー国際平和機構の利用ー未開土人に対する善政、この三者は必ずしも論理的に連関しない。太平洋唱覇必ずしも土人に対する善政者ならず、土人に対する善政者必ずしも国際連盟の一因たるを要しない。余は不幸にして教授の言の解釈に苦しむものである。」

矢内原先生の人柄は良く知りませんが、これだけ言わなければならない気が済まない蝋山政道って、しかも翼賛選挙で推薦もらって当選している蝋山政道って。(笹川良一氏は推薦なしで当選)
言葉がありません。
年末の読書『宿命の子』(2) [2015年01月05日(Mon)]
『宿命の子』には役所との関係が書かれている。

外務省事務次官の柳井俊二氏の対応が書かれている。

「それで陽平は張成沢との交渉の中身を伝えたが、「ほう、そうですか」のひとことで済まされた。柳井の態度は、困惑というより冷淡で、不吉な予感に陽平はとらわれた。」

外務省のこの対応はよくわかる。「ほう、そうですか」の裏側には民間団体が余計なことをしやがって、というメッセージが読める。私もいやというほど経験してきた対応である。

しかし、運輸省(現国交省)との関係はミクロネシア海上保安事業が始まるまで一切知らなかった。
国交省職員、海保職員から
「笹川会長に油を売りやがって」とか「笹川会長にしがみつきやがって」とか言われるのである。
「なんで皆さんとは別組織の笹川会長が気になるのですか?」と聞いた事がある。
「力を持っているからだ。」との回答であった。

同書によると、運輸省の天下りの財団理事長ポストをはずし、財団評議員人事に介入する運輸省を訴えていたのである。これは知りませんでした。この件以来運輸省は無理難題を言わなくなった、とある。運輸省を訴えていた事は知りませんでした。

公営ギャンブルの運営とその公共活動の展開はお役人がやった方が公正なんて思わない。実証主義的理由がある。
太平洋島嶼国の遠隔教育研究会を立ち上げるために加藤秀俊教授に委員を依頼すべくご自宅に伺った。1992年だったと思う。
「笹川ねえ。以前役所が笹川潰しを目的に横並びで公営ギャンブルの調査をする事になり、委員になった事があるんですよ。一番きれいだったのが競艇でした。」
財団に入って2年目。随分オソロしい話を聞いてしまった、と思ったと同時に「役所よりきれいなんだ。」と安心した。

競馬(農林省)競輪、オートレース(通省産業省)、宝くじ(財務省)、サッカーのtoto(文科省)、まだあるだろうか?今これらの運営はどうなっているのだろうか、とふと疑問に思った。

「交付金の99%超が天下り法人へ 中央競馬会の畜産振興」
2010/03/29 【共同通信】
http://www.47news.jp/CN/201003/CN2010032901000087.html
年末の読書『宿命の子』 [2014年12月31日(Wed)]
繰り返すが、締め切りの原稿を抱えているので、後で読もうと購入だけしたのが間違い。ページをめくったら止まらなくなってしまった。

年末の読書2冊目は『宿命の子』

本書の中盤から書かれている笹川批判キャンペーン。1991年に財団に入った自分にとって、初めて知る事ばかりで尚更止まらなくなってしまった。
当時、日経新聞の友人から電話をもらい逮捕の件を聞いた。一応総務部長(だったような記憶)に報告した事がある。多分メディアで公開される寸前の情報だったのであろう。「そんな事をおまえが言うな!」と怒鳴られた事を記憶している。

先にも書いたが、財団に入る事が決まってすぐに笹川批判を体験する事になった。しかし批判する人に限って悪い事をしていたり、わざわざ私のような非力な小娘を(今は非力なおば娘)呼び出して吊るし上げにする卑怯な人ばかり見て来たので、逆に「プロ-笹川」になってしまった、のだと思う。
もし笹川批判をするのであれば、なぜ本丸に行って正々堂々と批判しないのか、と。

笹川批判の背景にあった、運輸省の反応とお家騒動として書かれている内紛。二重の批判を受けてきたのである。加えて東大の蝋山政道教授のような人が書く誹謗中傷文章。「学者」とは実証主義を知らない、三流ジャーナリズム並み、思い込みの非論理思考を好むようだ。

現在、当方に原稿を依頼されている琉球大学の藤田陽子教授。臆面もなく私にこう告げた。
「笹川良一のやっている事は贖罪なんです。私の父は笹川の事を知っていてそう言っていました。」
藤田陽子教授のお父様は亡くなられたそうなので確認できないが、笹川良一氏は藤田教授の父親を知らないのではなかろうか?また父親の言う事をそのまま信じ、人に臆面もなく話す様子は「これでも学者か。」と思わざるを得なかったが、残念な事に世の中こんな学者ばかりなのである。せめて実証主義的論文を自分が書いて、学問とは、常識とは、況や倫理とはこういう事である、と示してみたい。

話が逸れたが、『宿命の子』は笹川陽平会長の伝記である。
本を読むまで知らなかったが唖然とするような苦労をしてきた方なのである。
読後、ジワッと湧いて来た感想は、笹川会長に出会えて幸運だった、という事だ。
ブログを読ませていただく前は当方も、お金持ちのボンボンというイメージを持っていた。

私がこうして25年間続けさせていただいているのも、笹川会長のおかげなのである。
羽生会長から繰り返し聞かされている。「あんたを評価しているのは笹川会長だけだよ。」
ではどのように評価されてるのか?
日本財団、広報の宮崎正さんが笹川会長に私の事を聞いた事があったそうで、教えてくれた。
「あいつは頭がおかしいんだよ。」とおしゃっていたそうである。
喜ぶべきか、悲しむべきか。
「橋本行革の決定と挑戦」 松井孝治 2014.5 世界 [2014年06月29日(Sun)]
笹川平和財団の長谷川さんが、何か読みたい資料はないか、あれば送るとの事。気になっていた松井孝治さんの「橋本行革の決定と挑戦」をリクエストした。

橋本行政改革。総理府(当時)系の青少年組織の幹部をしていた時だったので、その動きは末端の方で感じていた。しかし、この改革が30代の若手官僚松井氏の発案であった事は始めて知った。こういう大事をする松井氏もスゴイと思うけれど、そういう大事を若手官僚に任せる政治家(だと思う)もスゴイと感動している。下記引用する。

”(前略)松井君一案作れ、との指示が下る。この「発注」こそが私の運命を変える仕事になるのである。せっかくだから、自分自身の、霞ヶ関への、そして首相官邸へのもどかしい思いを一旦全部ぶちまけてみよう、そんな思いで、ここは行革の中核の中核、霞ヶ関改革を橋本政権の目玉にしてやろうと思った。” (「橋本行革の決定と挑戦」 松井孝治 2014.5 世界 から引用)

行革で運命が変わったのは松井氏だけではないはずだ。

私がこの松井氏の原稿を読みたいと思ったのは、来年第7回目が予定されている太平洋島サミットが、まさにこの行革の真っ最中の橋本政権下で開始した事が理由である。
第1回島サミットは、メディアにも殆ど取り上げられず、日本国内の島嶼関係者も何をするのか、したのか、ほとんど知らされず、もっとひどい事に、太平洋の首脳を呼びつけておきながら、当の日本の首脳、橋本総理はちょっと顔を出しただけで、後は外務省の官僚に任せきりだったのだ。
この件をP国のN大統領から指摘され、「申し訳ありません」と日本を代表して謝っておいたが、次回お会いした際はコレコレこういう事情がありました、と弁明できる。

”しかし、橋本行革に携わってみて、やはり痛恨としか言いようがないことは、総理の主導性が、1997年の秋以降の与党内調整において見事に覆されていくさまであった。” (引用、同原稿)

第1回島サミットは1997年10月開催である。まさに1997年9月の内閣改造の直後、即ち総理の主導性が覆されている最中のイベントであったのだ。
そして、このブログで何度も書いているが、当時のサミットは、太平洋島嶼国の地域組織Pacific Islands Forumが日本のプルトニウム輸送に強い反対を表明していた事への対処であった。
電事連、外務省、通産省がどのような動きをしたのか?橋本総理、官邸はどのように対処したのか?

いい方が悪いが、島嶼国を黙らすための目玉事業を外務省は探していたのである。この日本政府の思惑とは全く別に、笹川陽平会長からODA案件にしよう、と言われて1991年から当方が動いていたUSPNetがこの島サミットの目玉事業となった。これは歴史の偶然、運命である。
さらに、予期しなかった成果として既存の電話通信会社を外したネットワークであるUSPNet事業は現在の太平洋島嶼国の通信制度改革にも繋がっている。

来年第7回を予定している島ミットはもう電事連は抜けて、官邸主導のイベントになる事を期待している。それは、パプアニューギニアの液化天然ガスだし(エネルギー安全保障)、これも笹川会長の指示で当方が外務省大洋州課に提案させていただいた広義の太平洋海洋安全保障協力だし、PIFメンバーではない米国との協力である。

来週からの安倍総理の太平洋訪問は、その意味でも特別であり、松井氏の行革の成果でもあって欲しい。

松井氏の原稿まだ続くようであるが先を読むのが楽しみだ。


"Peacemakers: The Paris Peace Conference of 1919 and Its Attempt to End War"( [2014年06月25日(Wed)]
200px-Paris1919bookcover.jpg

今年の一年の計は百周年を迎える「第一次世界大戦」にした。
最近、マーガレット•マクミランを知り"Peacemakers: The Paris Peace Conference of 1919 and Its Attempt to End War"(英文)を手にした。厚い!5センチ位ある。
全部読むのはあきらめてForward, Introduction, Mandate, Japan and Racial Equality, Conlusionだけ読んだが面白かった。
E. H Carrが『平和の条件』で批判しているself-determination。ウィルソン大統領のいい加減さはまさに空いた口が塞がらない。しかし、この理想主義が現在の国際問題にもつながっている。
ニクソン大統領がウィルソンの肖像画を飾った時、キッシンジャーが戦慄を覚えた、というほど。

そして、今集団的自衛権が議論されている中、第一次世界大戦こそ、日本史上最初で最後の集団的自衛権の行使だったのであるから(のはずだけど間違っているかもしれません。)この経験を今検証しないでどうする?と思うのだが、歴史のif呪縛にかかっているのかifの議論がされてないよね。
ANZACを護衛した日本は逆にANZACから恨みを買ったのだ。豪州ヒュー首相のベルサイユでのあの態度。日本に守ってもらったのにお礼の一言もないわけ?墓を掘り起こして問いただしたい。
今の豪州にもありますよ。この件を話題にするとOZは気まずそうである。特に王立豪州海軍。
やっぱり情報操作、プロパガンダが必要だし、いよいよ安倍首相の豪州訪問が重要な意味を持ってくる。


本の方が断然おもしろと思うが、下記の記事は手軽に読めます。マクミラン、ワシントン軍縮会議の事を取り上げていないのが気になっています。
World War I: The War That Changed Everything
World War I began 100 years ago this month, and in many ways, writes historian Margaret MacMillan, it remains the defining conflict of the modern era.
By MARGARET MACMILLAN
Updated June 20, 2014
http://online.wsj.com/articles/world-war-i-the-war-that-changed-everything-1403300393

追記
今日は朝から、ショパン(ポーランド)、ハチャトリアン(アルメニア)、シューベルト(オーストリア)、マンチア(伊)を弾いて、欧州の民族自立を思いを寄せた。欧州の音楽の豊かさは民族文化の多様性と民族自決の精神と無縁ではないであろう。例えそれが好ましくない結論を導いてしまったのだとしても。
『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』 [2014年06月07日(Sat)]
『日本が二度と立ち上がれないようにアメリカが占領期に行ったこと』

笹川会長がブログで推薦していた同書を手に取った。

ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
こんなのは始めて知った。日本人の特殊性。日本人が好きな日本人論の原点はこの
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」にあるのではないか。
しかもこのプログラム。目がくらむようないい加減な文化人類学者の説を土台にしている。

でもこれを読んでいて笑えなかった。数年前、日本の幼児教育を学んだニュージーランドの学者の発表を見る機会があった。日本の幼稚園の先生が、幼児を並ばせてホースで水をかけている写真の分析だった。見ようによっては虐待? でも真夏の事で悪意のない水浴び、のようにも見える。
とにかくこんな題材が某かの偏見に繋がるのではないか、と危惧した事だけは覚えている。

さて、同書を読んで一番心に残ったのが中国人による2011年の震災に見た日本の評価である。

米国在住の中国人作家・張朗朗氏
 「明治維新後の日本人は西洋化の過程の中でも、東洋の精神を放棄しなかった。日本人が有している教養は、文化のジャンルから見ると、彼らの着物や剣道と同様、漢や唐の時代の中国から伝承されてきた儒教精神の表れだと思う。これは日本人が有する特別な国民性というより、中国古代の義の精神と伝統的儒教思想、更に老子や荘子の思想も取り入れて、高いレベルの情操に発展させたものである」
「中共の言う『新中国』が設立されて以来、特に10年にわたって続いた文化大革命の嵐の中で、中国人の道徳や、社会の基盤となる責任感が破壊され尽くした。その後に続いた改革開放経済の時代には、資本主義の諸段階のような弱肉強食の精神が広がってしまった。もしここで政治改革をしなければ、たとえ今の中国経済が一部の国民に裕福な生活を与えられたとしても、国民は高いレベルの精神状態に達せないだろう」

東北大学で助教授の張陽氏
「日本国民は、まさしく中国2千年の儒教思想を受け継いでいる。遣隋使が中国から儒教文化を日本に持ち帰った後、聖徳太子は十七条憲法を発表した。その憲法の第一条に『和を以って貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗と為す』とある。これはまさに孔子の『論語』の内容に合致している」
「日本人をこれほど素晴らしい民族に教化した儒教思想は、現代の中国では見られない」

(上記 「菊と刀の国よ、再び」 日本の復興を見つめる中国人 から引用http://www.epochtimes.jp/jp/2011/04/html/d76889.html )

ここ数年老荘思想を中心に中国の思想を学んでいる。この事を中国人の友人に話すと流石に老子、荘子、孫子の名前は知っているが中身は全く知らないようなのである。だから議論に発展しない。たまたまそういう中国人に会ってしまったのかもしれない。
そしてこんな数千年前の中国思想に現在の西洋学問の解が、スラッとあったりするのだ。
問題は中国思想を英語で説明するのが一大事、ということだ。
高嶋博視著『武人の本懐』FROM THE SEA 東日本大震災における海上自衛隊の活動記録 [2014年05月01日(Thu)]
140320b.jpg 東日本大震災で自衛隊が米軍と共に活躍しているのニュースで聞いていた。
元海上自衛隊の高嶋博視氏がその詳細を本にされた事をツイッターで知り、『武人の本懐』を手にした。

無法地帯と化してる太平洋の海に日本のシーパワーが出て行く事を期待しているし、特に米国から日本の貢献が期待されている。
日本のシーパワー、断然的に海上自衛隊なのだろうが、戦後レジームは彼らの手足を縛り、実質的には2つの庁ー海上保安庁と水産庁がその役割を担っているのが現状だ。

現場経験のない海上自衛隊が、現場に、しかも未曾有の大震災でどのような活動をしたのか?また被災地、他の支援機関とどのような連携が取れたのか取れなかったのか、関心があった。

同書では米軍との協力が非常にうまく行き、相互の信頼関係が今まで以上に確認された事が強調されている。

 日米共同については、何ら不安はなかった。海上自衛隊は東西冷戦期から、もっといえば海上自衛隊創設の時から日米共同を視野に入れて建設され、長年にわたってその実をあげてきた。
 数十年にわたる日米共同の実績が我々に自信を与えていた。かつては英文電報を日本語に翻訳したり、無線で英語が流れてくるとお互いに美しい譲り合いをしたものであるが今時そんな海上自衛官はいない。(同書 57−58頁から引用)


他方、海上保安庁と協力があまりなかったようである。

 私は海上保安庁第二管区保安本部長にコンタクトし ー中略ー 現在行っている活動と同時並行してできることがあれば協力したい。ー中略ー
 当方の申し出をありがたく受け止めてくれたが、現在のところその必要はないとの回答であった。念のためにと携帯電話番号を教えてくれた。(同書 70頁)


加えて、漁網の除去を行っていた海上自衛隊に、突然海上保安官が事情聴取を行った事が書かれている。

 行き違いがあったのかもしれないが、我々は承知していなかった。
 何の目的で、何の権限があって聴取したのか、今後どのような扱いをしようとしているのか説明を求めたが、海保からは何のリアクションもなかった。(同書 221頁)


 政府内部の不協和音であり本来ならばここに書くべき事ではないであろう。またこのような書き方は、海保を一方的に非難する事になってしまう。著者は高嶋氏は、それを百も承知で敢えて書いたのではないか、と想像する。そこには将来、海保海自の協力、連携が重要である、とのメッセージがあるのではないか。
 そして本来であれば自衛隊の最高の指揮監督権を有している内閣総理大臣が、また 自衛隊法第80条に則って内閣総理大臣が海保海自の共同を判断・命令をする範囲なのではないか?
 この本には本来ならば司令塔であるべき内閣の事に一切触れられていない。その事自体が当時の政権がどのような状況であったかを物語っているようにも読める。

 最後にもう一カ所、被災支援活動とは関係のない、記述を取り上げたい。
 ミクロネシアの海上保安事業が開始し、海洋安全保障研究会を立ち上げた際、立命館大学の佐藤洋一郎教授から教わった事がある。世界の海事は大きく商船と海軍の両大車輪で動いている、と。
 海保と海自、商船と海自のわだかまりは、口頭で聞いたりしていたが、この本に書かれていた。

 例年観音崎で実施される戦没船員の慰霊祭に参加した。 先の大戦において商船と船員に甚大な被害が出た事から、戦後,海上自衛隊と商船の間には深い溝ができていた。ー中略ー  司会者が冒頭に、海上自衛隊の長年にわたる本慰霊祭に対する支援・貢献について長々と説明した。(同書222頁)

 日本の海上自衛隊が現場へ出て行く事のわだかまりは、その手足を縛った連合軍は既に忘却しており、逆に国内の方が強いような気がしている。しかし、それでは何のために我々は、日本国民は海上自衛隊を保持するのか。
 戦争やこのような大震災はない方がよいが、現場を知らない海上自衛隊や、自分たちがどんな軍事力を持っているのか知らない事の方が恐ろし事ではないだろうか。
 海上自衛隊の歌姫、三宅由佳莉さんを先頭に立て、(世界の紛争には一切無関係に見える)太平洋の島々にも(医療支援、被災訓練、音楽交流等々)どんどん出て行って欲しいと個人的には考えている。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ヴェーバー [2013年12月04日(Wed)]
小室直樹さんの著書で知った『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』。
実は10年ほど前に入手したのだが、どうせ読んでもわからないと思って開いた事はなかった。
しかし、ビリオネラーと知り合いになったり、経済開発論を扱うようになって、やっぱり読まなきゃと思って読み出したら面白くて3日程で終了した。
猿でもわかる、音大生でもわかる(というと他の音大生に失礼かもしれませんが)「プロ倫」です。

読めたからと言って理解できた、という訳ではないが、Wikipediaに書かれている内容より本書の方がわかりやすい。

キリスト教、金儲けや利子収益は悪い事である。なぜ悪いかというと享楽的生活、無駄な時間を過ごす事になるから。神に選ばれた民、即ち予定説を信ずる者は禁欲的生活をしなければならない。禁欲的生活とは天職を全うする者である。禁欲的に天職を行うとお金が貯まる。金儲けが究極の目的ではないので、儲けた金は世の中のために使う。自分の享楽のために使っていけない。
ただし、基本となる予定説がどこかで抜け落ちる。その後キリスト教の宗教的信仰も倫理性も抜け落ちて、ひたすら金儲けが、即ち資本主義が王道を走る。
これがベンジャミン・フランクリンの「時間が貨幣という事を忘れてはいけない。」で始まる言葉となって表象されている。

本書最後の下記の言葉はウェーバーのものであろう。
「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無の者は、人間性のかつて達した事のない段階にまで登りつめた、と自惚れるだろう」

しかし、この本を理解するのに重要なのは訳者解説にあるように、ウェーバーが儒教、道教、ヒンズー教、仏教等々宗教社会学研究をし、この広大な比較宗教社会学のなかにおいて理解しなければならない、ということである。

ウェーバーは決してプロテスタンティズムが現代の資本主義を生んだ、と言っていないのである。


ところで、日本の勤勉主義。速水融さんの「勤勉革命」や、小室直樹さんの『信長 ー近代日本の曙と資本主義の精神ー』を勉強すればわかるかもしれない。
ただ、ふと思い出したのは飛行機の中で偶然観た『あかね空』(山本一力)というお豆腐屋さんの映画である。
勤勉な2人のお豆腐屋さん。一人の息子は日本橋で人攫いにあって後にヤクザの親分に。もう一人の息子は博打で借金を。
この2人の息子には「心情のある享楽人」の姿が見える。つなりそうなってしまった背景が理解できる。
勤勉な豆腐屋の父親は2人とも悲しい死を迎えるのだが、豆腐作りに命をかける姿は「精神に満ちた専門人」だ。
そしてなぜか映画を見終わった時、登場人物全員が救われたような気がした。
『南太平洋における 土地・観光・文化』白川千尋著 [2013年10月23日(Wed)]
フィールドワークを予定しているバヌアツの、同国政府からの許可がやっと取れ、今度は自分の大学の倫理委員会の審査に臨む事となった。ヤレヤレ。長い道のりだ。

それで思い出したのがずっと以前に購入した『南太平洋における 土地・観光・文化』
著者白川氏が過去協力隊で入っていたバヌアツの村に、再度伝統医療の研究で入ろうとした際、拒絶されたという経験を元に文化とは誰のものか、ということを議論した本。

笹川太平洋島嶼国基金は長年バヌアツの遺跡保護管理事業を支援してきたので、この本を購入した記憶がある。同事業の事が少し触れられている。
ほんの数行。その事業を実施したバヌアツ文化センターの動きは国に影響を与えていない、と記述してある。いったい何を根拠に、どのように影響を与えていなのか書いていないので、無責任な記述のようにも思える。
この本は日本語だが、英語で書かれていればバヌアツを知る学者に読まれ、某かの批判を得る事であろう。

バヌアツに限らず、太平洋島嶼国、アジア諸国でも調査に入る前にその国の政府、もしくはそれに準ずる機関(例えば博物館とか研究所)の許可を必要とする。

現地調査の倫理規定が厳しくなったのは、主に医学調査で血液やDNAを採取し、時に現地の人に被害を与えたり、採取したデータで新薬を開発し大きな利益につなげたり、と言った事が問題として取り上げた事がきっかけだったと思うが定かではない。

文化人類学は、そもそも西洋の植民地支配の延長線にあったという歴史を背負っている。
学問が発達し、「未開の野蛮人」は一方的な視点でしかく、相対的な視点が養われても、そこには某かのバイアスがかかってしまうだろうし、多くの伝統文化が違ったコンテクストで語られる事の危険は避けられない。

それを避けるには日本語だけではなく、広く読んでもらえる記述で、多くの批判を受けられるようにするしかないような気がしている。

特に小さな島国では、人類学者の記述が村や国に大きな影響を与えてしまう事もある。


『愛するということ』エーリッヒ・フロム [2013年10月22日(Tue)]
昔、心理学者の友人に薦められて買ったエーリッヒ・フロム著『愛するということ』
一度読んで、あまり印象に残らず本棚にあった。
フロムは『自由からの逃走』の方が印象に残っていつも自由について考える時に思いめぐらした。

アドラー心理学の本を探していたら本棚にあった『愛するということ』を見つけ、思わず週末の友にピックアプ。
今回は読み出したら止まらなかった。
読了後、友人数人に読め読め、と薦めている。

老荘思想が出てくるのだ。荘子と老子がアリストテレスと対極ある論理として引用されている。
フロムは鈴木大拙を招いてワークショップも行っている。

アリストテレス以来、西洋世界はアリストテレス哲学の論理に従ってきた。
その論理とは、同一律、矛盾律、排中律。
例として、以前このブログでも取り上げた「郡盲象を撫でる」が出て来る。
「正しい思考が究極の真理ではなく、したがって救いの道でもないとしたら、自分とは違う原理に到達したほかの人々と争う理由はない。」

西洋が宗教戦争で容赦なく殺し合いをしてきた歴史がなんとなく説明できるような気がしてきた。日本が、真言宗、天台宗、浄土宗と別れても殺し合いをするまでの教義の不寛容さはない。
そこには老荘思想がある、と知れば納得できるような気がする。

”何も知らない者は何も愛せない。”
パラケルスス

愛とは知る事。= Philosophy 
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