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早川理恵子
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ミクロネシア連邦クリスチャン大統領のせいでヤップがまだ海底通信ケーブルがつながっていない話(これから書きます) [2018年02月22日(Thu)]
Quite often I think Yap should join Palau, not part of FSM.

The fiber optic cable arrived in Palau by boat this past August
at the same time that it arrived in Yap. Palau's cable is installed. What happened in Yap?


‘Slow’ is an understatement for Yap’s internet connection, so why is the FSM slowing its fiber fix?
February 1, 2018 By Joyce McClure
http://www.pacificislandtimes.com/single-post/2018/02/01/%E2%80%98Slow%E2%80%99-is-an-understatement-for-Yap%E2%80%99s-internet-connection-so-why-is-the-FSM-slowing-its-fiber-fix
稲村公望さんとの出会い [2018年02月14日(Wed)]
私が、笹川平和財団で30年近く働く事ができたのは笹川陽平会長のおかげである。
1991年に財団に入った時、前任者がメチャメチャにしたまま既に財団を去った状態であった。財団の幹部は皆さん匙を投げている状態だった。しかし、当時島嶼国基金運営委員長だった笹川会長だけからはどうにか再建したい、という思いが伝わってきたからできたのだ。
まだ20代の私に「早川女史へ」とメモの入った太平洋島嶼国情報を色々送ってくれたのは笹川会長だけだった。

前任者が混乱のまま置いていった事業の一つが衛星通信の事業だ。
財団で太平洋島嶼国の事も情報通信の事も知っている人は一人もいない。当然の事として資料調査から始めた。そこで出会ったのが当時郵政省の幹部だった稲村公望さんだったのだ。
太平洋島嶼国の情報通信インフラという本来ならば政府ODAの分野だが、政府はどこも関心がなく、奄美大島出身の稲村さんだけが研究会を作って真面目に取り組んでいたのである。

財団のおじさんかたちからは「衛星というと君は目が潤むねえ」と嫌みを言われ、もう諦めろと言われつつも諦めなかったのは稲村さんから、離島へのそして弱者への支援の哲学を教わったからである。下記に引用する。

「孤独の克服は単なる健康の問題でもなく、経済の問題でもなく、最後は良心や愛情や信頼の問題に行き着く。 現代の情報通信技術革命にしても哲学的基礎のないものはすぐさま陳腐化するか悪用されることになりかねない。国や社会の豊かさは『障害者や老人、あるいは社会的弱者をどう処遇するか』で決まる部分があると考える。技術開発や知識の集積も、単なる産業的な利用や経 済の成功のみが目的では、いずれ破綻をまぬがれない。次の時代が知識と情報の時代であればグラハム・ベルの発明した電話の開発の『人間的背景』を思い出し、心優しい知識と情報のネットワーク構築が必要となってくる。」
稲村公望「国際秩序への模索」『国会月報』1992年7月号20-21頁


電話の開発者、グラハム・ベルの母親も妻の難聴者であった。ベルが電話を開発したのは難聴者の生徒メイベルと早く結婚したかったからでものあったのだ。


1989年1月10日、フィジーで行われたカミセセ・マラ閣下と笹川陽平会長の会談で、太平洋島嶼国のために衛星を打ち上げて欲しいという要請を受け、これが南太平洋大学の遠隔教育通信事業に収斂。当初財団の支援事業として検討していたが笹川運営委員長(当時)の判断でODAにするよう動いたのは私である。ここら辺の詳細は一つ目の博論にも書いておいた。
私が戦わねばならなかった相手は、あらゆるステークホルダーの島と通信に関する無知と無関心であった。
稲村さんの「島」へのまた「弱者」への哲学は心の大きな支えになった。


郵政官僚だった稲村さんは、郵政民営化に反対し、小泉内閣で政府を去った。その時の稲村さんも良く存じ上げている。命が狙われるような事件だった記憶ある。その後本当に命を狙われたのではないかと思える場もあった。でも稲村さんは死の淵から生還し、今でも大活躍をされていらっしゃることは私にとって大きな励みなのである。
出会えた事を感謝したい。





Self-determinable Development of Small Islands [2017年10月05日(Thu)]
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昨年、Springerからデジタル書籍で出版された下記の本が、ハードコピーで出版されました。
私は、ICT4D, 情報通信政策と開発について一つ目の博論から1章書かせていただきました。

本来ならばお世話になった先生方に献呈すべきところですが、一冊140£!約2万円もするため自分でも買えません!

ここでご報告させていただき、感謝の意を表させていただきます。

Masahide Ishihara (編集), Eiichi Hoshino (編集), Yoko Fujita (編集) "Self-determinable Development of Small Islands" ハードカバー – 2016/8/2,Springer
https://www.amazon.co.jp/Self-determinable-Development-Islands-Masahide-Ishihara/dp/9811001308/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1507166186&sr=8-1&keywords=self-determinable
パラオヤップを結ぶ海底通信ケーブルー笹川太平洋島嶼国基金の成果! [2017年09月14日(Thu)]
笹川平和財団の前会長、羽生次郎さんは思った事をそのまま口される方だったようだ。
会長室での吊し上げ、という貴重な経験もしたが、最初にお会いした早々
「あんたのやっている情報通信事業は財団のみんなが訳のわからない事やっている、と評判悪いよ。」と教えてくれた。
(ん。わからないと思う。ITのこと誰も知らないもん。)と思ったが黙っていた。
羽生さんとマーシャル諸島に出張した時だ。
「情報と教育、これぞ太平洋島嶼国に必要なこと。島嶼国基金は王道をやっていたんじゃないか!」(ん。さすが東大出て審議官になっただけある。)と思ったがニコニコしながら聞いていた。

財団のみなさんが「訳のわからない事」と言っていた情報通信事業の成果が下記のパラオ大統領府から出たニュースである。パラオ、ヤップを海底通信ケーブルが敷設されたのである。
笹川太平洋島嶼国基金の成果だけれど誰も理解できないであろうから書いておきたい。

島嶼国基金は、私は何をしたのか?ー 情報通信制度、政策改革だ。

情報通信環境を変えるのは通信ケーブルでもコンテンツでもなく、制度、ポリシーなのである。
しかし、財団の幹部でこれを理解したのは当時一人しかいなかった。日本開発銀行から出向されていた河野善彦さんだけであった。

「制度改革」もしくは「政策改革」。こそが当時の開発サークルの主要テーマで、今も変わっていないと思う。しかし残念ながら財団でこれを理解していた河野さんはいつの間にかお辞めになり、私が立ち上げた事業も中途半端で終了。その後は個人的にフォローし、具体的にアドバイスをしたりして支援は継続した。これを一つ目の博論のテーマにしたのである。

(関連ブログ)「開発戦略の変遷と援助の有効性について」石井菜穂子著
http://blog.canpan.info/yashinomi/archive/790


書評ー"Self-determinable Development of Small Islands " [2017年08月21日(Mon)]
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昨年琉球大学から出版された本の書評があった。

Self-determinable development of small islands by Masahide Ishihara, Eiichi Hoshino and Yoko Fujita (Eds.) (reviewer: Thanasis Kizos).
Vol. 11(2) (Nov 2016) Island Studies Journal – ISSN: 1715 – 2593
http://www.islandstudies.ca/node/479


本ができた背景は下記のブログに書いたが、2013年に大城学長から笹川会長に協力依頼があった「島と海」の会議の成果物でもある。


書籍出版のご案内 "Self-determinable Development of Small Islands "
http://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1557


テーマの相談を琉球大学の藤田教授から受け、当方はself-determonationを提案したが、そのままタイトルに使用されているのは驚いた。しかし中身がself-determonationとは離れている論文が多かったようで、評者のThanasis Kizos博士(University of the Aegean)はその事を何度も批判している。
藤田教授からself-determonation議論を相談された事はなく、彼女はその複雑議論を認識しないまま出版を進めたのであろう。
評者のKizos博士は私の章だけ"gem"宝物と褒めてくれている。

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きっといい人に違いない、と思うのは褒められたら当たり前の心情ではないでしょうか?
さっそくUniversity of the Aegeanはどこじゃいな?とさがしたらギリシャのレスボス島にある。しかもトルコの直ぐとなり。いつか行ってみようかしらん?と、観光サイトを探すと、レズビアンと難民の話が。。

下記の難民のルポを読んだ。
太平洋のマヌス、ナウルどころではない悲惨さで大量の難民の問題を抱えている。
Kizos博士が書評の中で、沖縄は犠牲者だと議論しているらしい章に対し評価が厳しいのは、こんな現実をご存知だからなのかもしれない。
それにしても国家がまともに運営されている、という事がどれだけ貴重な事なのか。

「現地で見た難民押し寄せるギリシャ「監獄島」のリアル60万人が流れ着いたレスボス島の「金網の中」」
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/9348
博論のアクセス [2017年08月21日(Mon)]
今年受理された当方の博士論文はオープンアクセスにしてある。
先日、そのウェッブサイトを見たら統計がある事が判明。

https://ourarchive.otago.ac.nz/handle/10523/7139/stats

ダウンロードは233件
ページビューは620件

であった。

国別の統計もあり多い順に
Fiji 44
United States 40
Vanuatu 31
New Zealand 16
Japan 14
South Korea 7
Papua New Guinea 7
China 6
Solomon Islands 6
Australia 5

USPNetとPEACESATそしてバヌアツのケーススタディを取り上げたので上位3位は納得。
韓国7件、中国6件というのが気になる。開発とは何を書いているので参考にしてもらえるといいのだけれど。。


ここでセクハラの話に変わる。
博士論文を女性が書くのは、男性陣には耐えられないらしい。
私より2、3世代上の女性陣だと、教授と寝たんだろう、と平気で言われたそうだ。
私は主人に書いてもらったんだろう、と既に何人かに言われた。主人は考古学者で情報通信や開発学は音痴なのよ。英語をかなり助けてもらったが、勝手に内容を変えるので夫婦喧嘩が絶えなかった。

おじさん、おばさん、下衆の勘ぐりをする前に勉強した方が、イイヨ。
悔しかったら勉強してみろ。
安全保障と情報通信ーカナダ、サイパンの動き [2017年06月15日(Thu)]
カナダ政府が、米国国防省も台湾軍も使用する、衛星会社を中国に売り渡すことを許可したと言うニュース。勿論米国が激しく批難。

U.S. rebukes Canada over Chinese takeover of Norsat
https://www.theglobeandmail.com/news/politics/us-rebukes-canada-over-chinese-takeover-of-norsat/article35294914/


そして、サイパンにグアムからの海底ケーブルが施設され、陸のインフラも整備されるというニュース。こちらは日本のdocomoの事業。
通信は安全保障の基本のキ!docomo、NECに期待したい!
ついでに昨年からサイパンで中国が毎月何千億円も、カジノと称したマネーロンダリングをやっているのも見張って欲しい。

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Docomo Pacific announces Atisa submarine cable system ready for service
15 Jun 2017
http://www.mvariety.com/cnmi/cnmi-news/local/96067-docomo-pacific-announces-atisa-submarine-cable-system-ready-for-service

追記:それにしてもインタ−ネットの米国一国支配を打ち砕いた、日本の元郵政省官僚、元ITU事務総長だった内海さんの功罪は大きい、と思う。米国は激しく内海氏を批難していると、これも元郵政官僚から伺ったが、そうであろう。
安倍総理のハノーバースピーチ [2017年03月31日(Fri)]
海洋問題はこれから本格的に学術的に!勉強するが、当方の最初の博士はICT政策なので、実はこの件が非常に気になっていた。
Facebookに記録しても検索機能がないので埋もれてしまう。
ブログに記録しておきたい。

なぜ安倍総理はハノーバーへ行ったのか?
ICT, IoT関連のイベントへ参加であった。そして、私の誤解かもしれないが総理としては2000年の沖縄G8サミット以来、日本政府としてのICT政策を押し進める力強いスピーチだったのではないか?
今回は日独の協力がメインだがこれによって世界が刺激を受ける可能性がある。

IT中心ではない、人間、社会が中心のスピーチ。すごく、いいと思う。拡散しよう。


Address by H.E. Mr. Shinzo Abe, Prime Minister of Japan CeBIT Welcome Night
Sunday, March 19, 2017
http://japan.kantei.go.jp/97_abe/statement/201703/1221682_11573.html

国際情報通信技術見本市(CeBIT)ウェルカムナイト 安倍総理スピーチ
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2017/0319welcome_night.html

世耕経済産業大臣が「ハノーバー宣言」に署名しました〜第四次産業革命に関する日独協力の枠組みを構築〜
http://www.meti.go.jp/press/2016/03/20170320002/20170320001.html
博士論文が受理されました! [2017年03月05日(Sun)]
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2008年に開始した博士論文が先月正式に受理されました。
私事ですが、この26年お世話になった方が山のようにいて、このブログを読んで下さっている方もいるのでここに書かせていただきます。

昨年最終原稿を提出してから約1年。英国式博論は提出後が長いと聞いていましたが、もう茨の道、発狂寸前の細かな修正の連続。例えば "a history" ではなく"an history" との指摘。どっちでもいいじゃないか!

肝腎の中身ですが、財団入団時から即ち1991年から担当させていただいた情報通信がテーマです。貴重な経験をさせていただきました。この事業経験がなければ、2つ目の修論もこの1つ目の博論も書く事はありませんでした。
これも1989年1月10日、フィジーでカミセセ閣下が笹川会長に太平洋島嶼国のための衛星を打ち上げて欲しいと要望されたの全ての始まりです。
よってこの論文はお二人に捧げさせていただきました。

論文はオープンアクセスにしてあります。
http://hdl.handle.net/10523/7139 

改めてお世話になった皆様にお礼申し上げます。
電気通信大学名誉教授小菅敏夫先生 [2017年02月22日(Wed)]
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右から小菅敏夫教授、田中正智教授、当方 90年代半ば。グアム大学のPEACESATにて


電気通信大学名誉教授小菅敏夫先生に20年ぶり位にお会いする機会を得た。
太平洋島嶼国の情報通信(ICT)政策で博士論文が通過したことをご報告させていただいた。

実は、小菅教授は、私より早く笹川太平洋島嶼国基金のICT事業に関わっている。
1988年の太平洋島嶼会議を受けて設置された島嶼国基金は、1989年1月の笹川カミセセマラ会談を受け、衛星通信事業を最初の案件として検討していた。

「1989.1.10笹川陽平会長カミセセ・マラ閣下会談と日本政府ODA案件USPNet」
http://blog.canpan.info/yashinomi/archive/1712


私が財団に入った1991年4月には前任者は既に退職しており、残された資料で過去の経緯を追っていたのだが、そこに小菅教授の名前がありお会いした。
小菅教授は同時にPEACESAT政策会議の申請案件を当方に示された。
これが笹川太平洋島嶼国基金が、そして私がUSPNetとPEACESATに深く関わり、2つ目の修論と博論まで書くきっかけであった。


当時、控えめに言っても島嶼国基金は瀕死状態だった。前任者は、努力の形跡は読めても、かなりひっちゃかめっちゃかにされたようだ。
まずは基金ガイドラインを作成した。そしてそのガイドラインに沿って遠隔教育研究会を立ち上げ、小菅先生に委員長になっていただいた。
この研究会の中でUSPNet申請書を作成して行ったのである。勿論USPが一人で作成できる訳がない。特に技術的面である。さらに、太平洋から追い払ったはずの日本がUSPの一番重要な遠隔教育の部分に出て来ることへの英米豪NZからの反発。そして独占体制の電気通信事業者からの反発を緩和して行く必要があったのだ。

そうして出来た申請書であったが、94年か95年頃、当時基金運営委員長だった笹川会長から「ODA案件にしよう」との鶴の一声。私が太平洋諸島フォーラム、南太平洋大学へのロビーイングを開始し、結果1997年の第一回太平洋島サミットの目玉ODA案件となったのである。

小菅教授には当時は言えなかった財団内での苦労などもお話した。
最後の方は、もう諦めろ、止めろ、と皆から批判されODAになる可能性も否定されていた。
それがODAになってしまったのだから批判していた人たちはおもしろくないわけだ。
ここら辺の経緯は日本政府の動きとして博士論文に書いた。

そう、英米豪NZそして独占体制の電気通信事業者からの反発だけでなく、財団内からの批判もあり、四面楚歌の当方は小菅教授を上手く利用させていただいたことも事実だ。だって私がなんか言っても「小娘が生意気な!」と反発を受けるだけだが、そこは小菅教授に前面に立っていただいた事で、少なくとも表面上は皆さん納得するのだ。
小菅教授との久しぶりの面談、色々思い出してケーキセットはおごらせていただいた。
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