中東や中央アジアなどのイスラーム諸国は、私が好んで旅をするところです。なぜなら、シルクロードの歴史やイスラームの聖典「クルアーン」の教えなどもあり、旅人をもてなす文化をもっているからです。
これまで訪れた、イラン、ウズベキスタン、パレスチナなどでは、金儲けなどの下心をもたずに、純朴に旅人に接してくる人たちに出会う確率は、かなり高いものでした。
それゆえ、エジプトにも、観光大国とはいえ、そんな純朴な出会いもあるのではないか、という淡い期待をもって旅立ちました。
もしダマされても恨みっこなし、と心に決め、カイロの街中に歩き出しました。旧市街を散策していたところ、早速、英語で話しかけてくるオジさんの登場です。「この辺りを案内してあげるよ」との申し出に、まずは信じてみようと、近所のモスクを一緒に訪ねてみたりしました。
マクファ(喫茶店)でシャーイ(紅茶)を飲みながらシーシャ(水タバコ)をやっていたときのこと、「オレはエンジニアだったが、オヤジが亡くなって仕事をやめたんだ。だけど、弟や妹のために金を稼がなくてはならない」という身の上話が始まりました。
来たきた、やっぱりそういう魂胆か、と思いつつも、適当に話を合わせていたところ、支払いの段になって、「オレが値段をきいてくる」と持ってきた額は約2,000円。物価が高い新市街でも、シャーイもシーシャも、それぞれ100円くらいなので、完全な嘘つきです。
それでも、参与観察のために、わざとダマされて、引き続き付き合っていると、こんどは、パピルス屋に連れて行かれました。結局、そこでは、気に入ったものがない、ということで何も買わなかったのですが、おそらくは紹介手数料がもらえる店だったのでしょう。
最後に、じゃあね、と別れようとしたところ、「ガイドしてやったじゃないか。オレには弟や妹がいるっていったじゃないか」などというので、オレだって子どもの世話があるっていっただろ、と突っぱねて、多少のチップだけを渡して立ち去りました。
エジプトの沙汰はカネしだいか、といきなり疑念をもちたくなるような洗礼を受けたものの、まだ純朴な出会いがあるかも、という期待もありました。純朴なイスラーム諸国ばかり旅して、さすがに勘が鈍っていたのでしょうか。
エジプトに来たからには、いちおうはギザの三大ピラミッドくらいは見ておこう、でもラクダ乗りやら警察やらが結託してカネをせびるという悪評も高いことだし、現地ツアーに参加して楽をしようかと、旅行会社を探して新市街をウロウロしていたときのことです。
私と同年代のビジネスマンらしい男性が、どこを探しているのかと話しかけてきました。正直に、ピラミッドのツアーに参加できる旅行会社を探している、といったところ、「ツアーは高いから、自分で現地に行った方がいいよ。現地に行けば、安くアレンジしてもらえるから」といってきました。
時刻は夕方。「いま行けば、レーザーショーが見られるし。明るい時間のピラミッドは、明日見ればいいよ。今晩はうちで夕食を食べるといい」という提案に、どのみちアレンジしてもらうのなら、確かに現地で頼む方が安そうだ、また、お宅訪問も魅力的だと思い、この仕事帰りの男性と一緒にタクシーでギザに向かいました。
この男性、結果として、私に高い値段をふっかけて、ダマすことはありませんでした。また、約束どおり、自宅にも招待してくれて、夕食もご馳走になりました。
ただ、ギザのピラミッドをラクダや馬に乗せてガイドしてくれるお店、エジプト土産の定番であるエッセンス(花だけでつくった香水)を売るお店などに連れて行き、おそらく、私に買わせることで、紹介手数料を得ていたものと思われます。そういう意味では、自宅に招待してくれたり、タクシー運賃を値切ってくれたりしたのは、儲けを得るための営業コストだったのかもしれません。
旅行日数の短い私としては、他と比較する時間ももったいないため、致し方ない面もあります。もっとも、ラクダ乗りのお店でアレンジしてもらったピラミッド観光は、決して安いものでなかったとはいえ、そんなところかなと思う値段で折り合ったのも確かです。その際、彼は、お店を紹介しただけで、値段について口を挟んだり、無理やり申し込ませようとしたりすることはありませんでした。
エジプトでは、定価が明示されているモノやサービスがほとんどないため、相手にまずは言い値をきくしかありません。ふだん、マーケットで調整された価格が提示されるのが当たり前の私たちにとっては、売り手と買い手の相対(あいたい)で価格が決まる仕組みは、やはり面倒なものです。
いちいちカネの交渉をし、できるだけ高く買わせよう、できるだけ安く買おうというやりとりは、一見すると、顧客へのサービス精神のカケラもないヒドイ商法です。しかも、エジプトでは、料金とは別に結構な額のチップやバクシーシ(イスラームに基づく「喜捨」)まで要求されるので、正直、カネのことを考えるのがおっくうに思えてきます。
しかし、恨み節を唱えながらもハタと気がついたのは、売り手には、高い値段をふっかけたとしても、ダマしているつもりはないのでないか、ということです。なぜなら、買い手がその金額でいいと納得すれば、ダマしたことにはならないでしょう。買い手と売り手がお互いに納得した価格が、実は最も適正ともいえるからです。
そういえば、彼らは、「インシャーアッラー(神が望み給うならば)」という言葉をよく使います。例えば、今回の旅で、ダハブという海辺のリゾート地に1日だけ泊まる機会がありました。チェックアウトの際、次回来たらもっと長く泊まるよ、といったところ、一見軽いノリの従業員のおニイちゃんが、「インシャーアッラー、インシャーアッラー」と神妙な顔で唱えるのでした。つまり、「我々の意志ではなく、神がお望みならばそうなるよ」ということでしょう。
また、くだんのギザのラクダ乗りのお店に、ドルからエジプトポンドへの両替のお遣いを頼んだときのことです。「いくらになる?」ときかれ、○○ポンドのはずだ、といったところ、キッチリその金額しかもってこなかったのです。日本人なら、「さっき○○ポンドっていったけど、今日のレートだと△△ポンドで、ちょっと儲かったね」などといって、銀行で交換した額を正直に渡すでしょう。
しかし、実際は、「○○ポンドでいい」といってくれるお客さんを私のもとに送ってくださって神様ありがとう、とでも感謝しているかのように、こちらの言い値しかもってこなかったのです。同様に、モノを売ろうとする際も、意図的に高い値段を提示したとしても、買い手が納得していい値段で買ってくれるということは、神様がいいお客さんを送ってくださった、と捉えているのではないでしょうか。
ノー天気な日本人のお人好しな解釈と笑われるかもしれませんが、カネのことも最終的には神のご意思だと思えば、確かに理屈も通るし、こちらの腹も立たなくなります。
もっとも、神のご意思は、私にもいいことをもたらさなかったわけではありません。
エジプトの子どもや学生はとても純朴で、観光地などで修学旅行生(?)などに会うと、学校で習った英語を一生懸命使って、「ワッツ・ユア・ネーム?」「ウェア・アー・ユー・フラム?」などと、見学そっちのけで、話しかけてきてくれたのでした。
特に、中高生くらいの女子学生が積極的で、数人でキャッキャッと騒ぎながら、一緒に写真を撮りたいと声をかけたり、握手を求めたりしてくれました。
また、最後も最後、帰国便の飛行機のなかでは、もう1つおまけが。
隣の席に座った、エジプトの隣国リビアの青年。がっちりした体格ながら、やさしい笑顔の持ち主に、自然と声をかけて話すようになったところ、なんと驚くなかれ、北京オリンピックの柔道100キロ以下級に出場する、ムハンマド・アリ・ハミドという選手だったのです。オリンピックに向けてトレーニングを行うために、来日するところでした。
日本人以上に礼儀正しく、強いのにやさしい、まさに柔道家。北京オリンピックで応援できる選手が増えるとともに、ナイル川の向こうに広がる次のアフリカへの旅の展望が、着実に開けました。