今年33歳の私にとって、東京オリンピックは、体験していない歴史上の出来事。また、1988年のソウルオリンピックも、まだ中学生だったため、訪れることができるような年齢ではありませんでした。
自分の親ほどの世代の人たちに東京オリンピックの話を聞くと、チケットが学校ごとに割り当てられた話や活躍した選手の話で楽しそうに盛り上がります。それを見ていると、やはりオリンピックは、体験した人たちには忘れられない思い出になるのを感じます。
旅人の私にとって、北京はまだ見ぬ大都市でした。女真(ジュシェン)人の国「金」の中都、モンゴル帝国の「大元」の大都が置かれて以降、中華世界の都となったところ。モンゴルやシルクロードを先に旅した私にとっては、草原や沙漠の方向から目指した場所でした。
そして、現在では、世界の大国へと復権しつつある中華人民共和国の都。オリンピックを境に、何が変わりつつあり、何が変わらずに残るのか。「オリンピック熱」を同時代的に体感しようと、秋の北京へと旅立ちました。
北京の街を歩いてみて驚いたのは、一つひとつのものが、いちいちデカイこと! まず、故宮をはじめ歴史的な建造物が大きい。それから、道路の幅が広い。さらには、オフィスビルやホテル、デパートなど、近代的なビルも、ノッポなのは多くないのですが、どっしりとしていて重厚感があります。
そんなボリュームのあるビルが、あちこちで建設されており、その数に圧倒されます。東京でも、六本木ヒルズだ、東京ミッドタウンだと、2003年をピークに大型再開発が相次ぎましたが、雨後の竹の子ならぬ、オリンピック前の建設ラッシュは、その比ではありません。
オリンピックが変える風景は、大型ビルだけではありません。北京の伝統的な中庭式住居「四合院」と、四合院の壁に囲まれた路地が形づくる街並み「胡同(フートン)」がクリアランスされ、「○○胡同」という標識だけを残して、大型ビルが建つ場所も少なくありません。
今回、万里の長城に行く現地ツアーでガイドしてくれた青年は、私が泊まったホテルのある、宣武門付近の胡同に、数年前まで住んでいたそうです。急速に変わる街並みの背後に、人の暮らしが見えた瞬間でした。
ところで、胡同はすべてが無くなるわけではなく、その一部は観光資源として保存されます。「観光資源」としてというのが、したたかではありますが、外国人観光客の持つノスタルジックな感情を引きつけようとすれば当然の戦略です。
もっとも、保存される胡同と四合院の街並みも、さすがに、手つかずというわけにはいかず、実際に歩いてみると、道路が掘り返されたり、電気の配線工事が行われたりしており、こちらもオリンピックに向けて「槌音高く」といった趣です。
什刹海付近の胡同ツアーに参加した際、訪問した四合院のお宅の中庭には、練炭がうず高く積まれていました。これからの冬本番に向けての備えかと思いきや、今年の冬はもう使わないかもしれないとのこと。
練炭の煙がもうもうと揚がる胡同の冬の風物詩は、文明的でないということか、オリンピックを前に、くだんの電気に世代交代をすることになっているようです。小さなところにも、オリンピックがもたらす変化が見てとれました。
それにしても、驚いたのは、北京には、日本語のできる若いガイドさんが、たくさんいるということです。胡同案内をしてくれた、張軒さんもその一人。日本には行ったことがないとのことですが、かなり流暢に日本語をしゃべります。
大学で日本語を専攻したとのことですが、もともとは、日本のアニメが好きで、高校生のころから独学で始めたとのこと。私と十年ばかり世代が異なるため、観ていたアニメにズレはありますが、共通の話題として楽しむことができました。
一昨年、反日運動が高まった北京でしたが、アニメなどを通して、日本の文化に親近感を抱く若者が、中国社会の基層を形成しつつあるのを感じました。
日本の新聞やニュースでも、開発のための立ち退きをめぐるトラブルが報じられることの多い北京。そんな暗い影を落としながらも、オリンピック開催に向けて、新しいものも古いものもひた走っています。
2008年8月8日−北京オリンピック開幕。悠久の都は、歴史の地層をまたひとつ重ねます。
故宮の建物群も、多くが改修中で、
オリンピックに向けてお化粧直しの最中である。