クリスマス・イブの12月24日(日)。聖地巡礼のクライマックスです。旅立つ前から、イブには、イエスの生誕地とされるベツレヘムを訪れようと決めていました。
2日前の22日(金)、イエスが最後の晩餐の後、イスカリオテのユダの裏切りに遭って捕らえられた「ゲッセマネの園」を訪れました。逮捕を予期したイエスが、血のような汗を流して苦悶したという場所に建つ「万国民の教会」。椅子に座って、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書の該当箇所を読み返し、「神の子」人間イエスの苦悩に思いを馳せました。
ゲッセマネの園は、エルサレム旧市街を見下ろすオリーブ山の麓にあります。中腹には、イエスがエルサレムの滅亡を予期したという「主の泣かれた教会」があり、敷地内の展望スポットからは旧市街が一望できます。
一人旅の身にとっては、カメラのシャッターを切ってくれる人がほしいもの。しばらく待っていると、偶然にも、二人連れの日本人の女性が現れました。
一人は、日本の教会で牧師をしているジュンコ先生。キブツ(イスラエルの社会主義的な農業共同体)に住み込んだこともあるイスラエル通です。もう一人は、日本で聖書学校に通う、二十代になりたてのユキコさん。ジュンコ先生の案内で聖地巡礼に訪れた、熱心なクリスチャンです。
二人には、その後、イエスが十字架を背負わされて歩いた「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」を一緒にたどってもらい、イエスが十字架にかけられたゴルゴタの丘に立つ「聖墳墓教会」まで案内してもらいました。
別れ際、イブはベツレヘムに行こうと思っていると伝えたところ、ぜひ一緒に行こうという話になり、24日の午後1時に待ち合わせる約束をしました。
24日。待ち合わせまでは、まだ時間があります。午前中は、エルサレムでイブらしい風景を探すことに決め、あちこち歩き回りました。しかし、キリスト教地区を歩いても、思いの外、クリスマスらしい雰囲気は見当たりません。
そこで再び聖墳墓教会を訪れてみました。讃美歌を歌っている一団もありましたが、同じキリスト教でも宗派によってイエスの生誕日は異なるため、まとまった祝祭ムードはないようでした。
仕方なく教会内を歩き回っていると、どこかで見たことのある顔があるではありませんか。それは、NHK『探検ロマン世界遺産』のエルサレムの回に登場した、日本人司祭の春山勝美さんでした。テレビで拝見しましたと言うと、30分ほどお話をしてくださいました。
聖墳墓教会には、イエスが処刑されたゴルゴタの丘、遺体を降ろされた大理石板、そして、イエスが葬られ、「復活」の場所となった聖墳墓があります。春山さんは、この教会の意味を「指輪」に譬えて説明されました。
つまり、史実的に見ると、本当にここがゴルゴタなのかといった疑問は残ります。しかし、指輪によって結婚を思い起こすように、この場所を訪れることで「キリストの復活」を思い起こす、そんな信仰のシンボルとしての役割があるというお話でした。
春山さんと別れた後、一人の日本人男性が声をかけてきました。「聖墳墓教会ってどこですか?」との、ちょっと拍子抜けする質問。聞いてみると、ガイドブックを持たずに来たとのこと。「ここですよ」と、旅は道連れとばかり、簡単に案内をしてあげました。
「いやー、助かりました」という手には、立派なカメラ。写真家かと思って尋ねたところ、宗教学者とのこと。このお方、『なぜ宗教は平和を妨げるのか』(講談社+α新書)など一般向けの著作も多い、広島大学の町田宗鳳さんという教授なのでした。
イエスの教えも含めて平和の思想に関心を持つ私は、この少し調子がよさそうだけど、問題意識の重なる教授とすぐに意気投合しました。毎月のように、研究で海外を訪れるとのこと。どこがよかったかと尋ねると、「人間の幸せは、結局のところ、心の持ちようでしょう。どこも同じですよ」という答えが返ってきました。
「心の持ちよう」には同感。各々の心のあり方を互いに認められず、「我」と「汝」を峻別することが、平和を妨げているのだと思います。
それにしても、イスラエルは危険というイメージが強いため、ほとんど日本人観光客は見かけませんでした。出会ったのは、宗教に関係のある人ばかりでした。
さて、午後1時になり、約束通り、ジュンコ先生とユキコさんと合流。お二人が、前夜、礼拝に行った、新市街のバプテスト教会で、ベツレヘム巡礼のツアーが企画されているとのこと。そこで、そのツアーに便乗することにしました。
ツアーを企画したのは、世界を旅するトランペッターの宣教師、デイヴィッド先生。豪快な人柄で、巡礼団を率います。巡礼団には、われわれ日本人のほか、アメリカ、ジャマイカ、スイス、スウェーデン、ドイツなどからの参加がありました。
エルサレムからベツレヘムまでは、車で30分程度の距離。しかし、ベツレヘムは、パレスチナ自治区にあるため、途中、検問所を通過します。われわれは、最初、バン型のタクシーに乗り、途中、イスラエル観光省が出している、クリスマス巡礼のためのバスに乗り換えて、向かいました。
検問所では、デイヴィッド先生が、巡礼団であることをイスラエル警察に告げて、パスポートチェックもなく、あっさり通過。分離壁を超えて、パレスチナ自治区に入りました。パレスチナ側に入って振り返ってみると、灰色の分離壁は落書きでいっぱい。パレスチナ側の抵抗がうかがえます。
バスは、エルサレム同様に起伏の激しいベツレヘムの街を進んでいきます。遠くを見やると、「天空の城ラピュタ」のような巨大な街の塊が、山のように切り立っています。イスラエルが、パレスチナのヨルダン川西岸地区に築いた「ユダヤ人入植地」の一つでした。
中心部の駐車場でバスを降り、巡礼団はベツレヘムの街に繰り出します。手には、アラビア語の布教チラシや聖書物語を持ち、配りながら歩きます。特に、CDはぜいたくな娯楽なのでしょう、子どもたちの間でうわさが伝わり、あっと言う間に掃けてしまいました。物乞いをする子どもも目立ち、イスラエルとは比べものにならない貧しさを感じました。
街の中心部、イエスの生まれた場所に建つ「聖誕教会」が面する「メンジャー広場」に着きました。イベントステージが特設され、クリスマスのとんがり帽などの露店も出ています。フランスのテレビをはじめ、諸国のメディアも取材に訪れていました。ふと周囲の建物の屋上を見上げると、銃を持ったパレスチナ警察が監視していました。
巡礼団は、土産物屋の並ぶテラスの階段に陣取り、デイヴィッド先生のトランペットの演奏に合わせて、讃美歌の合唱を始めました。「もろびとこぞりて」「荒野の果てに」「きよしこの夜」「神の御子は今宵しも」「あめにはさかえ」などなど。かつて中高で習った讃美歌を聖地で歌う日が来るとは、と感慨を込めて日本語で熱唱しました。
もっとも、クリスチャンでない私は、布教に来たわけではありませんし、一方的に合唱するばかりで、パレスチナの人たちとろくに話もしないことには、違和感がありました。そこで、合唱する巡礼団を珍しく思って話しかけてきた少年たちと、みんなが熱唱する横で話し始めました。
イスラエルと違い、英語がわかる人は多くないようですが、イブラヒムという少年は英語がある程度は話せます。そこで、彼が他の少年たちとの会話を通訳してくれました。どこから来たのか、何歳か、結婚はしているか、などから始まり、家族の写真を見せながら話しました。
そのうち、「イスラエルは好きか?」「パレスチナは?」といった質問が飛び出し、「日本はパレスチナを支援してくれている。ありがとう」などと、日本人を代表して感謝されました。政府のお金の使い道は、国民としてきちんと知っておく必要がありますよね。そして、日本のよいイメージを、政府の一時の誤った判断で台無しにしたくないですね。
それにしても、どこの国の若者も、最後に行き着く話はセックス。「セックスは好きか?」と聞かれて、「まあまあかな。もう子どももいるし」とかわしたのも束の間。「ユキコ、ビューティフル。シー、ライク、セックス?」。さすがに、それはわからん。「本人に聞いてみたら」と答えました。
巡礼団が合唱するかたわらで、そんな話をしているうち、日もとっぷり暮れて、合唱も終了。クリスチャンのパレスチナ人が運営する教会に移動しました。
そこには、戦火の絶えないガザ地区からクリスマス巡礼にやってきた、クリスチャンの少年少女たちも来ていました。正直、パレスチナ人=ムスリム、と思っていたのですが、クリスチャンもいるのだと気づかされました。
遠く日本からやってきた私。マスメディアを通してしか知らなかったガザの人たちと、まさに同じ時間と空間を共有したひとときでした。
こうして、聖夜の聖地巡礼は、様々な人たちとの出会いをプレゼントしてくれました。