六甲山でのエコツーリズムとは? [2010年08月11日(Wed)]
![]() 六甲山でのエコツーリズムの取り組み@ 〜六甲山の観光開発の歴史と背景〜 六甲山と聞いてどのようなイメージを持っていますか? 阪神タイガースの応援歌「六甲颪(おろし)」にもあるとおり、 六甲山は阪神地域(関西)の人々にとって、もっとも身近で 親しみを持っている自然といえるでしょう。 今から100年以上前、明治時代に神戸が開港して多くの 外国人が神戸に住むようになりました。 その中に、英国人貿易商、A.H,グルームがいました。 彼は、私財を投じて六甲山上に初めて別荘を建て、さらに 故郷イギリスで楽しんだゴルフ場を山上に日本で初めてつくりました。 ![]() 左:A.H.グルーム像 右:神戸ゴルフ倶楽部 大正末期から昭和初期に入ると、阪神・阪急の2大電鉄会社が 競って山上の観光開発に乗り出します。 昭和4年に六甲山ホテルが、昭和7年には六甲ケーブルが開業し、 現在の観光事業の礎となっています。 ![]() 左:六甲山ホテル 右:六甲ケーブル 戦時中から戦後にかけて、六甲ロープウェーの撤去等、停滞時期も ありましたが、昭和30年代にかけて六甲山は阪神地域の人々にとって 一大レジャースポットとして賑わいました。 また、関西の企業の保養所も多数建てられました。 ところが昭和から平成に代わるとともに、観光入込数は平成4年をピークに 減少傾向を見せました。 そして平成7年1月17日、阪神淡路大震災により六甲山も大きな影響を受けました。 震災後8年経った平成15年には、神戸全体の観光入込数は震災前の水準に 回復しましたが、六甲山はピーク時の6割程度にまでしか回復しませんでした。 バブル崩壊後の不況の影響から、山上の保養所の閉鎖も相次ぎました。 平成16年には、山上ロープウェーの路線が一部休止されるなど、 観光客の減少の影響が徐々に表面化してきました。 そうした状況の中、平成16年度より、神戸市と環境省は、瀬戸内海国立公園の一部である、 六甲山を「エコツーリズム」という考え方で再ブランド化し、 かつての賑わいを取り戻すべく、様々な取り組みを始めました。 エコツーリズム推進モデル事業のスタートです。 |







