福田内閣メルマガのこと
[2008年08月28日(Thu)]
つい最近、福田内閣メルマガというのを購読し始めた。特に、福田さんのファンだとかいうわけではないけれど、なかなか本音の見えづらい我が国の総理の考えていることと、表に出てくる政策を関連付けて見ていこうと考えたからだ。
今年度から始まった四国学院大学の非常勤の仕事の中で、明日、提出期限の、社会活動原論を受講した生徒たちの成績をどうつけようかと悩んでいる合間に、福田さんのメルマガを開いた。
今日の福田さんのメルマガは、こんな書き出しで始まっている。
“一枚のうろこ。福田康夫です。
私の好きな言葉に「龍蛇無鱗(りゅうにへびのいろこなし)」があります。
「龍には数十万枚ものうろこがある。しかし、その中にたった一枚でもヘビのうろこがあれば、それは本物の龍ではなく、ヘビが龍に化けたニセの龍である。」
つまり、いくら立派にみえる政策でも、そこにひとつの嘘があれば、国民の目をごまかすことはできない、ということです。”
龍蛇無鱗…この時期に、こうした言葉を、誰が読んでいるか分からないメールマガジンで書き切ってしまうというのは、相当の勇気があるか、アピール力の弱さを指摘される中で、思い切って書かねばならないところに自分を追い込んだということなのか。それは考えすぎ?
福田内閣そのものが、この発言に上げ足を取られて、つつかれるかもしれないのに・・・とも思った。
しかし、いずれにしても、ドキリとする言葉だ。
そして、我が身に問うてみる。
この国の、この社会の、一枚のうろことしての、私自身は、どうなのか?
蛇のうろこが龍のうろこ(実際は竜の落とし子のうろこ程度であったりするかもしれないけれど)に化けた(あるいは化けてみせようとしている)偽物ではないのか?
私の行っていることについては、どうなのか?
そして、一点の曇りも、戸惑いもなく、私は本物の龍のうろこだと胸を張れる市民運動家は、今の日本にどれほどいるのだろう?
この日本が、本物の龍として、世界の国々から評価され、尊敬されるためには、政治に携わる人間だけでなく、国民のひとりひとりもまた、一枚のうろこであることを自覚し、龍のうろこたらんとする必要がある。
本物の龍のうろこであることは、難しい。
けれども、わたしたちが創り上げる龍は、支配する龍ではなく、破壊する龍でもない、こころやさしい、夢見る龍でなければならない。
龍のうろこたちが、天空を駆け抜ける龍になって、世界のどんな人たちにも平和を夢見る勇気を与えられるような、そんな龍となれるような、一枚の龍のうろこでありたい。
しかし、夢見る龍のうろこであることは、もっと難しい。
福田さんは、どんな龍の姿を思い描き、その一枚のうろこであろうとしているのだろう?
今年度から始まった四国学院大学の非常勤の仕事の中で、明日、提出期限の、社会活動原論を受講した生徒たちの成績をどうつけようかと悩んでいる合間に、福田さんのメルマガを開いた。
今日の福田さんのメルマガは、こんな書き出しで始まっている。
(以下、福田内閣メルマガより引用)
“一枚のうろこ。福田康夫です。
私の好きな言葉に「龍蛇無鱗(りゅうにへびのいろこなし)」があります。
「龍には数十万枚ものうろこがある。しかし、その中にたった一枚でもヘビのうろこがあれば、それは本物の龍ではなく、ヘビが龍に化けたニセの龍である。」
つまり、いくら立派にみえる政策でも、そこにひとつの嘘があれば、国民の目をごまかすことはできない、ということです。”
龍蛇無鱗…この時期に、こうした言葉を、誰が読んでいるか分からないメールマガジンで書き切ってしまうというのは、相当の勇気があるか、アピール力の弱さを指摘される中で、思い切って書かねばならないところに自分を追い込んだということなのか。それは考えすぎ?
福田内閣そのものが、この発言に上げ足を取られて、つつかれるかもしれないのに・・・とも思った。
しかし、いずれにしても、ドキリとする言葉だ。
そして、我が身に問うてみる。
この国の、この社会の、一枚のうろことしての、私自身は、どうなのか?
蛇のうろこが龍のうろこ(実際は竜の落とし子のうろこ程度であったりするかもしれないけれど)に化けた(あるいは化けてみせようとしている)偽物ではないのか?
私の行っていることについては、どうなのか?
そして、一点の曇りも、戸惑いもなく、私は本物の龍のうろこだと胸を張れる市民運動家は、今の日本にどれほどいるのだろう?
この日本が、本物の龍として、世界の国々から評価され、尊敬されるためには、政治に携わる人間だけでなく、国民のひとりひとりもまた、一枚のうろこであることを自覚し、龍のうろこたらんとする必要がある。
本物の龍のうろこであることは、難しい。
けれども、わたしたちが創り上げる龍は、支配する龍ではなく、破壊する龍でもない、こころやさしい、夢見る龍でなければならない。
龍のうろこたちが、天空を駆け抜ける龍になって、世界のどんな人たちにも平和を夢見る勇気を与えられるような、そんな龍となれるような、一枚の龍のうろこでありたい。
しかし、夢見る龍のうろこであることは、もっと難しい。
福田さんは、どんな龍の姿を思い描き、その一枚のうろこであろうとしているのだろう?
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