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安心の提供[2011年03月29日(火)]

突然だが、当社の経営方針をご紹介したい。3項目ある。

第一は「安心の提供と信頼の確保」。
当社は消防防災・警備を業としているから、安心の提供は方針というよりも使命というべきか。安心が提供できてこそ、客先はじめ社会からの信頼が確保できる。

第二は「有事即応体制の強化」。
安心の提供の中身は、火災や侵入事象に対する有事即応である。その強化とは業務品質の向上に他ならない。

第三は「人材の育成と自己改革の推進」。
有事に即応するものは人間であるから、当社にとっては人材がすべてである。その証拠に総費用の85%が人件費である。人材の育成は企業経営の生命線であり、自己改革はベテランにとってマンネリ防止に陥らないための必須条件である。

ところで、第一の方針の「安心の提供」について考えると、今の時代、すべての企業に通じるのではないかと思う。とくにコンプライアンスがそうだ。私は、社内のセミナーで教えられて以来、「コンプライアンスは人々の安全・安心を確保すること」と理解している。一般に法令は、人々が安心して暮らせることを目的に作られているはずだから、コンプライアンスを法令遵守と訳すことは至当だ。しかし、これをもっと積極的に、「安心の提供」こそ企業の社会的責任、と言えばこれはCSRである。

たとえば電力会社は、電気という使いやすいエネルギーを水や空気のように不自由なく、安全に供給することで社会に安心をもたらしている。仮に発電所に災害が発生し、電気の供給に支障を及ぼし、その事故が原因で人々が生命の維持に不安を感じるようなことになれば、一転して、社会の糾弾を浴び、企業の存立の危機に瀕することになろう。

翻って個人でも「安心」は社会生活を送るうえでのキーワードといえそうだ。会社で評価される人の仕事ぶりは、客先や上司や部下や同僚や関係者に必ず「安心」を与えているからだ。したがって、「安心」は自分の仕事の出来を評価する尺度として使える。自分の仕事は、人に「安心」を与えているだろうか、と反省して見るわけだ。

その自己チェックセンサーが「危機意識」だ。これが、自己改革の出発点であり、業務品質向上の取組みの原動力である。そして、これこそが有事即応体制を強化し、安心の提供をもたらす磐石の基盤となる。

さて、冒頭の写真だが、昨年9月9日、建設中の上越火力発電所である。その地に、明々後日の4月1日、当社の事業所が立ち上がる。所員は10名。うち、所長を含む6名は愛知県と三重県から気鋭を送り込む。残り4人は現地採用の新人ではあるが、二ヵ月間、集中的に訓練を受けたプロの卵たちである。彼らが、互いに助け合い、発電所を守る安心の担い手として、一日も早く事業所を軌道に乗せることを願っている。いい事業所ができるに違いない。

ところで、このブログも、私の55歳の誕生日だった2008年11月10日に始めて以来、この更新でちょうど100号となる。年度の変わり目でもあり、切りも良し。これまた突然だが、この辺が潮時かと思う。コンセプトを変えて、またタイトルも変えて、どこかで再開する・・・日が来るかもしれないし来ないかもしれないが、ひとまずこれで幕を引きたい。長らくご声援有難うございました。
春よ来い[2011年03月17日(木)]

東北・関東地方を襲ったマグニチュード9.0の巨大地震。それに続く、想像を絶する大津波。それに追い討ちをかけるように原子力発電所の想定も出来なかった恐怖の災厄。私の住んでいる名古屋では震度3か4であったが、揺れ始めてから、普段なら治まる頃に却って大きく揺れだし、静まるかと思えばまた揺れ、いつ終わるともしれない不気味な揺れだった。これまでに経験したことのない揺れで、いくつかの地震が重なって起こったように感じた。これはどこかで深刻な大地震が起こったのではないか、と不吉な予感が脳裏をよぎった。

しばらくして、東北地方で震度7の報道。三陸沖が震源地だという。これは大津波が来るぞ、と直感したが、30分後にテレビに映し出された映像は、これは現実か?映画ではないのか?と我が目を疑う光景であった。しかも、あの街でもこの町でも。「日本沈没」という言葉が浮かんだ。

巨大地震の只中にあった福島原発。健全に自動停止装置が作動し、炉心の冷却も始まったのに、津波が冷却系統を打ちのめしてしまった。あとは今も続く報道のとおり。被害は拡大する一方で、予期しないことの連続である。これだけ広範囲に、かつ前例のない被害が続出しては、復旧作業は言語に絶する苦労を強いられているに違いない。電力関係者の必死の努力が実を結ぶことを祈るばかりだ。

こんな暗いニュースが続くときは、気持ちを切り替えて、春の足音でも聞いてみるのがいい。「何をのんきな」と言われるかもしれないが、冒頭の写真は、会社の庭に咲いた紅梅である。その後ろに見えている白い花をつけた枝々は、紅梅に並んで植えてある白梅である。私がこの会社に来てから4回目の春を迎えるが、紅白の梅花を同時に見られるのはこれが初めてである。遅咲きの紅梅の開花を待ちきれず、これまでは毎年、散ってしまっていた。紅白はやはり打ち揃ってこそ目出度けれ。


この写真は、通勤途上にある民家の花壇に植えられたネコヤナギである(と思う)。ネコヤナギは雌雄異株だそうだ。高さ1メートルに満たないこの幼木は、いろいろな写真を調べて見ると雌のようである。ネコヤナギと聞くと、懐かしいキャンディーズの「春一番」を思い出す。二番の歌詞に「雪をはねてネコヤナギが顔を出します もうすぐ春ですね ちょっと気取って見ませんか」とある。

地震、津波、放射能の三重苦に、冬将軍が便乗して襲い掛かっている。被災地に一刻も早く春が訪れることを祈りたい。
ドラマ化[2011年03月07日(月)]
昨年2月15日のブログで紹介した四十九日のレシピがNHKでドラマ化された。第1回の放送が、あれからちょうど1年後の2月15日だったというのも奇遇である。

原作者の父君のT氏からドラマ化されるという情報が入ったのが昨年の3月23日だから、ドラマ化決定まではあっという間だ。その後、キャスティングやら、撮影場所探しやら、なにやらかにやら長い準備期間があり、撮影が開始されたのが10月中頃のようである。そして試写会が年明けの1月28日。放送は延べ3時間と20分弱。

実はドラマ化が決まったと聞いたときは、漠然と、夏ごろには放映があるのかな、と思った。素人の浅はかさだ。考えて見れば建築工事だって、設計から業者選定、仮工事、基礎工事、本体工事、設備工事、内装工事、家具調度品の調達などなど、様々の工程を経て、いろいろな人が動いて、やっと出来上がるわけだから、そうそう簡単にはいかない道理だ。

一方、番組そのもののほかに番組ホームページも丁寧に作りこまれている。作品を大切に扱っていることが伝わってきて好感が持てた。驚いたのは、そこにリンクされているスタッフブログの存在だ。T氏が教えてくれるまで見落としていた。

覗いてみると、なんとこのブログは、撮影の開始された10月から始まっていた! これも番組PRの一環に違いないが、用意周到さには大したものである。

原作者の撮影現場訪問(11月27日、その14と15)の様子も記されていて、スタッフの緊張感が伝わってくる。原作者ならば、例えばキャスティングなど、制作に少しは関わってるいるのではないかと想像していたのだが、まったく予想外だった。

このブログで教えられたのは、小道具一つひとつまでこだわり続けるプロ集団が、持ち場持ち場で準備に準備を重ねていくプロセスの大切さ。そして妥協しないことの意義。それらの力がバラバラでなく有機的な集合体を構成しうるのは、原作からシナリオにいたる理想像が存在するからこそ、ということ。要するにイメージの力だ。

さて明日3月8日は、ついに最終回。どんな四十九日になるか。


金亜軍の揚琴[2011年02月20日(日)]

金亜軍の揚琴のコンサートが能楽堂であるけど行く? と珍しく妻からの誘い。もちろん二つ返事で行くことに決めた。はっきり言って金亜軍氏はおろか、揚琴だって見たことも聞いたこともない。中国の琴かもしれないが、蘇州で接したことのある中国琴は、揚琴とは言わなかった。

さて、舞台に登場した揚琴はキーボードより小ぶりな楽器である。弦がたくさん張ってあるように見える。ウィキペディアによると144本の弦があるらしい。これを撥で叩いて音を出すところは木琴のようであるが、原理はピアノのようでもある。事実、ピアノと祖先は同じらしい。チターとは親戚で、チェンバロの音に似たようにも感じる。撥は木琴のものに比べると頭が小さいし形も違う。ちょっと見には指揮棒のようでもある。竹で出来ているらしい。弾き出される音色は何だか優しくて懐かしい響きだ。

一般的には伴奏楽器で通っているらしいが、金亜軍氏が独奏楽器として普及革命を起こしているという。革命というに相応しい超絶技巧の衝撃的な演奏だった。加えて、演奏するのが楽しくて仕方ないという風情のパフォーマンスと、日本に来て20年、10年前に帰化したという流暢な日本語でのユーモアを交えた語り口が親しみ深く、当社のM副長と何となく雰囲気がダブって(そういえば風貌も似ているような)、すっかりファンになってしまったようだ。

2週間前に聞いた尺八とマリンバのコラボを思い出し、尺八と合いそうだな・・・と思ってプログラムを読み返してみると、2001年と2006年に、加藤条山氏とのセッションがあったとのこと。ああ・・知っていたら聞きに行っていたのに。しかし待てよ。5年足すと2011年。ということは、今年あたり3回目があるのかな??? ともあれ、金亜軍氏と、揚琴の未来に期待したい。

なお、写真は、プログラムとホームページから転載させていただきました。
藤原道山[2011年02月09日(水)]

藤原道山・・・尺八界の貴公子といわれています。写真(道山さんのホームページから借用しました)のようにスマートなイケメンでテレビ出演も多いのでご存知の方も少なくないのではないでしょうか。

その藤原道山の演奏会が、先日、吹上にある千種文化小劇場で催されました。このホールはステージが八角形で、その回りをすり鉢状に客席が取り囲むユニークな形状。奏者と観客との距離が非常に近い利点がありますが、どう使っていいのか悩ましい構造でもあります。


それはさておき、このコンサートは三夜連続で共演者も違い、曲目も違うという意欲的な企画でした。私はそのうちの第二夜に妻を伴って聴衆となりました。この日はマリンバと尺八のコラボ。マリンバはご存知のように巨大な木琴で、音色は深く柔らかく、尺八との相性は絶妙でした。

マリンバを小オーケストラに見立ててアレンジされたクラシックの小品の数々はどれも感動的で、なかでも私が脱帽したのは、バッハの管弦楽組曲第二番からポロネーズとバディネリ。私は青春時代、フルートをいじっていた頃があり、この曲はお気に入りのひとつで、かなりしつこく練習したものですが、所詮独学の哀しさ、ついに指が滑らかに動かずあきらめた思い出があります。フルートでダメなら尺八でなんてとても不可能と思っていたのに、あれほどの超絶技巧を見せ付けられては、自分の努力不足を証明されたようなもの。

彼我の差に落ち込むかに見えましたが、身の程知らずにも、「一丁あらためて挑戦して見るか」という気持ちが沸々と湧いてきたのが我ながら不思議不思議。プロの技には時折り触れてみるものだと、つくづく思いました。到底プロに匹敵できるわけはないにしても、眠りかけた向上心に火がつけば、めっけもの、であります。
パンに餅[2011年01月31日(月)]


つい食べ物の話題が多くなるのは自分の食いしん坊を証明しているようなものだがそのとおりだから仕方がない。全国展開のあんぱんの専門店、その名も「あんぱんや」さんの話。定番の粒あんぱん、こしあんぱんはもとより、かぼちゃやつなまよ、クリームチーズ、いちごあん、うぐいすあん、などなど各種変わりあんぱんも豊富である。私はごくたまに客となることがあるが、いずれも小振りで食べやすい。もちろんおいしい。

今日は、夕刻に掛川に私用があったため午後休を取り、やや遅めの昼食の後、名古屋駅に出た。駅構内にある「あんぱんや」の前を通ると、きなこ餅というのに目が止まった。パンの中に餅が入っているというので、変わった物好きの私としては試して見ないわけにはいかない。3時のおやつに少し早い時間であったが、新幹線の車内で缶コーヒーとともに試食した。

ひとかじり。いきなり餅が姿を現した(冒頭の写真)。どんな食材でも餡になりうるのだろうが、まさか餅そのものがデンと入っているとは思わなかった。最中やどらやきに見られるように、あずきあんと一緒に餅が用いられるのはいまや珍しくないが、餅が単独で主役を張っているのは斬新だ。しかも思いがけず餅の軟らかさがパン生地のふわっと感と絶妙にマッチしていてちょっとした感動ものであった。ほんのりした甘さも上品でいい。表面を被うきなこが、しっとりと生地に馴染んでこれまたいい。食材の組み合わせからして味はきなこのおはぎに似ているが、やはり食感は見事にパンである。

食文化に限らず、専門屋が専門のこだわりを守りながら、新しいものにチャレンジするからこそ文化は発展するのだと思う。当社も消防防災・警備の専門屋として見習うべきであろう。
ゆき[2011年01月17日(月)]

久々の大雪(この地方にしては)を記録しておきたい。

黄色や赤色の実と、真っ白な雪のコントラスト。


墨絵の世界を演出する見事な枝振りの松の木。
雪に煙る竹林。
白い花を咲かせた我が社の庭の桜。


そして車にはツララ。


最低気温マイナス2度。
最高気温0度。
温暖化何処吹く風。
とにかく寒った(この地方にしては)。

竜馬がゆく[2011年01月11日(火)]

年末の大掃除の途中、書棚に手を伸ばし、むかし買った「竜馬がゆく」の文庫本を手に取った。第1巻は1977年10月の第6刷とあるから大学4年のとき購入したものと思われる。第2巻は1978年7月の第6刷。すでに社会人となっている。最終の第8巻は1979年1月の第8刷だから、新入社員の年にほぼ1年かけて読んだことになる。実は学生時代に読んだとばかり思っていた。記憶は当てにならないものだ。

ともあれ以来およそ30年、昨年のNHK大河ドラマ「竜馬伝」の最中でも読み返すことがなかったのに、大掃除がきっかけで、読み出したらグングン引き入れられてどうにも止まらない。とはいうものの私は遅読家なので、年末年始とこの3連休で十分に時間があったにもかかわらず、ようやく第3巻まで読み進んだところである。ここから先は通勤途上でボツボツ読んでいくしかない。

ところで、情けないことに、これまでのところ、30年前の読書の記憶がまったく蘇えってこない。「ああ、ここは感動したところだなぁ」という場面がそこここに出てきそうなものなのだが、本当に読んだのかさえ自信がなくなってきた。読んだ時期の錯誤どころの騒ぎではない。

考えて見れば新入社員当時の私は、これだけの長編になると、読み切るだけで精一杯だった。30年のサラリーマン生活は、私の本の読み方を多少とも進歩させているには違いない。それにしても、この本の吸引力は凄い。坂本竜馬という希代の人物の魅力もさることながら、巨匠司馬遼太郎の筆の力によるものである。筆の力というのは、ただ文章表現が上手いというだけでは、当然ない。取材力と洞察力と想像力と構成力と、あらゆる力の総合体である。この本はビジネス書ともいえる。実に仕事へのヒントが満載だからだ。

第4巻に差し掛かったところ、竜馬は29歳である。物語はこれから本題に入る。高齢化社会を迎え、65歳まで働くとすれば、32歳を目前にして凶刃に斃れた竜馬のこの歳は、59歳に当たる。57歳の普通のおじさんも、青雲の志ならぬ、白頭の志(聞いたこともないが)を持てば、まだまだ捨てたものではないかもしれない。
嬉しかったこと[2010年12月30日(木)]
今年最後の更新は、2010年、仕事以外で嬉しかったこと。

○下の娘が志望の給食会社に就職できたこと。さらに管理栄養士試験に合格したこと。

○会社の「品質向上事例発表会」後の懇親会で、尺八+ギター+二胡という和洋中楽器コラボによる「ムーンライト・セレナーデ」のアンサンブルに挑戦し、好評を博したこと。

○親会社の、ある課長さんと懇親したとき、私と会話すると「気持ちが前向きになる」と言われたこと。

○以前勤務していた財団で種まきをした事業「企業とNPOの協働アイデアコンテスト」の参加団体から、事業の所期目的であった、NPO法人パートナーシップ・サポート・センターが主催する「パートナーシップ大賞」の受賞団体が生まれたこと。

○その「協働アイデアコンテスト」の今年の発表がどの団体も素晴らしかったこと。


これらの嬉しかった共通項をまとめると、人々の「志」に触れた喜び、自分がその中で何がしかの貢献が出来たことを実感した喜び、ということになります。

人として生まれてきた限り、そして生きている限り、何かの役に立ちたい、立っていたい、と思います。また、そういう気構えで生きている人を見ると嬉しくなります。さらに、そういう人たちのために多少とも貢献できた自分を確認できることは無上の幸せです。来年もそんな喜びをたくさん体験できるように行動したいと思います。
能楽・邦楽[2010年12月17日(金)]

最近、筆が遅くていけません。一週間ほど前、名古屋能楽堂に行ってきました。名古屋音楽大学の邦楽演奏会でした。さすが音楽大学です。ふつうの大学のクラブ活動ならば活動資金のために入場料を頂戴するのが一般的でしょうが、大学の授業の延長なのでしょう。入場整理券は必要でしたが無料でした。

いや、少し脱線しました。さすが音楽大学、といったのは無料のことよりも、講師陣のミニ講義付きだったということです。今回は名古屋開府400年記念ということで、あるいは特別だったのかもしれません。最初に登場したのは能楽笛方の人間国宝(重要無形文化財保持者)藤田六郎兵衛(ふじたろくろびょうえ:私と同い年)氏。まずはその淀みなく話される美声に感心しました。音大の声楽科を首席で卒業されたというのがなるほどと肯けました。能舞台に関する講義(解説)は興味深く、昔は橋掛りはなかったとか、橋掛りに配置されている三本の松の木の高さが違うとか、海外公演には能舞台の寸法の檜の板を輸送して現地で組み立てるのだとか、舞台下には壺が入っているとか、壺と蹴鞠の関係とか、普段聴くことのできない内容で時間を忘れました。講義の後、鼓とともに演奏された能楽「三番三(さんばそう)」は、能管の冴え渡る響きと鼓の掛け合いが、理屈抜きで胸に迫り、目頭が熱くなりました。

学生さんたちのお琴、三味線、尺八演奏、それに地唄も素晴らしかったです。もちろんプロを目指している人たちですので、我々のような片手間に楽しんでいる者とはレベルが違うのは言わずもがなにしても、それは大したものでした。また、邦楽本科生でない、ピアノ科などの学生さんによる三味線の演奏もあり、大学側の教育姿勢に感心しました。邦楽に親しむことによって日本人ならではの感性が育ち、例えば三味線が弾けるピアノのプロは、外国人には弾けないピアノ演奏ができるのだ、という考え方には共感を覚えました。文化は混ざり合うことで進化していくのですから。
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