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お勉強 (05/11)
第50回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(4) [2019年08月25日(Sun)]
 21日の第50回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の続きです。
 
●いじめられる方にも悪い所があれば、いじめではないのか?
●良いいじめと悪いいじめがあるのか?
●「いじめの認定」って、誰がするの?
●いじめを分類して、それでどうなるの?
●一番重要なのは、いじめられている人の苦痛をなるべく早く取り除くことではないか。

 そして・・・

          (つづく)
贅沢や享楽の追求を断念すべし。 [2019年08月25日(Sun)]
(566)
 こういったすべてのことを悟った上で、贅沢や享楽の追求を断念すべしという訓戒を先人たちは我々に遺したのです。



 (563)から続いている、「人間の欲望にはなぜ制限が設けられなければならなかったのか?」というテーマについてのガンディーの話の続きです。
 「欲望を抑えよ、足るを知れ」というのは、そのことの必要性に気付いた昔の賢者たちが遺した後世への訓戒なのだとガンディーは解釈しているようです。
 これは、人々の自由意志や自然な感情を否定したり、人々の暮らしを束縛の中に閉じ込めようとしたりしたものでは決してありません。むしろ、その反対です。欲望を満たそうとするよりも欲望をコントロールする力を身につける方が、人間の幸福の実現につながると彼らは確信したのだとガンディーは言うのです。
 そういうわけで・・・
第50回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(3) [2019年08月24日(Sat)]
 21日の第50回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の続きです。
 
●仮に、実際にいじめがあった場合。
●問題なのは、いじめの動機やいじめられる側に問題があったかどうかなのか?
●どっちが悪い。どれだけ悪い。それで、いじめは解決するのか?
●いじめの認定、いじめの評価、いじめの裁定。
●それが、本質的なことなのか?

 それから・・・

          (つづく)
第159回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(2)次々にできる地方政権。 [2019年08月24日(Sat)]
 21日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●ターヒルさんは、アッバース朝から自立して事実上の独立国を作る。
●ターヒル朝。
●イランから中央アジアにかけて、いくつかの王朝ができる。
●職人さんが作ったサッファール朝。
●中央アジアのイスラム教国、サーマーン朝。

 それから・・・

                 (つづく)
人間が幸福かどうかはほとんど心の状態で決まる。 [2019年08月24日(Sat)]
(565)
 人間が幸福かどうかはほとんど心の状態で決まる。そのことを彼らは悟っていました。
 金持ちだからと言って必ずしも幸福とは限りませんし、貧乏だからと言って不幸だというわけでもありません。
 豊かであるにもかかわらず不幸に見える人もたくさんいますし、貧しくても幸福そうな人も珍しくありません。
 そして、大多数の人々は常に貧乏から抜け出すことができないのです。
 
 

 「人間の欲望追求には制限が設けられなければならない」というガンディーの話(564)の続きです。
 「金持ちが幸せとは限らないし、貧乏が不幸なのでもない」。これにはきっと、多くの人が賛同してくれるのではないかと思います。
 仏教のお経にも「少欲知足(欲少なくして足るを知る)」と書いてあるそうですし(「大般涅槃経」)、キリスト教の聖書でも、ずばり、「貧しき者は幸いなり(「ルカによる福音書」6章)」と教えています。それから、宮沢賢治は「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、小さな萓ぶきの小屋に住む暮らし」を理想としていました。また、「清貧」などという言葉もありますね。
 しかし、「でも、私は自分の欲望を追求したいのだ。それが私にとっての幸福なのだ」と考える人もいるかもしれません。けれども、みんなが欲望を満たせるほど豊かになるということはありえません。仮にみんながある程度豊かになっても、欲望を追求する人々は決してそれで満足することはないでしょう。
 そういうわけで・・・

      
しもかわ読書会7月例会の報告(9)どうして合意形成ができないのか? [2019年08月23日(Fri)]
 「しもかわ読書会」7月例会の報告の最終回です。
 
●合意形成とは何か?
●説明会を開くなど、形式の問題なのか?
●はじめに補助金ありき。
●合意形成しながら補助金申請するのは非常に難しい。
●だったら、補助金に頼らず、自分たちで話し合い、考え、必要な資金調達したら?


 「しもかわ読書会」8月例会は、明後日、25日に開催します。よろしくお願いします。
第50回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(2) [2019年08月23日(Fri)]
 21日の第50回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の続きです。
 
●いじめの定義は、「心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」だが・・・。
●いじめる側の動機も関係あるのでは?
●いじめられる側にも悪い所があったら?
●それなら、いじめの定義を変更することになる。
●では、君の考えるいじめの定義とは?

 それから・・・

          (つづく)
情欲に溺れれば溺れるほど、それらはますます制御できないものになる。 [2019年08月22日(Thu)]
(564)
 私たちが情欲に溺れれば溺れるほど、それらはますます制御できないものになってしまいます。
 だから、昔の人々は私たちの情欲の追求に制限を設けたのです。



 道徳についてのガンディーの話の続きです。彼によると、人間の欲望は制御されなければならず、それこそが道徳の中心的なテーマであるということのようです。
 確かに、人間は多くのものを得れば得るほど、さらに多くのものが欲しくなるものです。だから、いくら欲望を追求しても人は満足も安心も得られないし、幸福になれないのです。(563)そこで、人間の欲望や情念は決して野放しにしてはいけない。そこに制限を設けるのは人類の偉大な知恵である。それが道徳であるとガンディーは考えるのです。
 欲望の制御とは、単なる我慢や抑圧とは違います。欲望や情念を意志のコントロール下に置くということです。欲望に衝き動かされたり、情念に溺れたりするのではなく、欲望を自己の意志に従わせるということです。
 これは、究極的には孔子が言っている「心の欲する所に従えども矩を踰えず(論語 為政)」(自分の思うがままに行なっても、正道から外れない)という境地と同じと言っていいでしょう。
 また、情念に乱されない超然とした精神的境地(アパテイア・不動心)を理想とし、禁欲と克己の実践を目指したと言われているストア派の哲学者たちの思想にもよく似ていると思います。
 さらに・・・
しもかわ読書会7月例会の報告(8)補助金。 [2019年08月22日(Thu)]
 「しもかわ読書会」7月例会の報告の続きです。

●補助金で良いことができるか?
●必要な事業、やりたい事業、地域で求められる事業じゃなくて・・・。
●有意義である、適切であると役所などが認める事業。
●補助金に合わせた事業になってしまう。
●補助金を使って、報告書を出して、そして何が残るのか?

 そして・・・
                       (つづく)
8月定例学問会の報告(8)コミュニティとは何か? [2019年08月22日(Thu)]
 4日の定例学問会の報告の続きです。
 
●人が集まればコミュニティができる、というわけでもない。
●コミュニティは、出入り自由の集まりではない。
●昔の地域とか、家族とか。
●共通の目的達成のために作られた集団でもない。
●コミュニティは何かの手段ではなく、それ自体が目的。

 そして・・・
                (つづく)
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