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その日は、ベンガル州ではなくイギリス帝国が分割される日であったと・・・ [2018年03月31日(Sat)]
(66)
 彼は侮辱的な言葉を使い、強引にベンガルを分割してしまいました。
 その日は、ベンガル州ではなくイギリス帝国が分割される日であったと見なされることになるかもしれません。
 ベンガル分割令はインド人の大反発を受けました。これは、イギリスの権力が以前に発したどんな法令とも比較にならないものでした。



 「彼」というのは、ベンガル分割を行った当時のインド総督、カーゾン卿のことです。彼はインド民衆の抗議の声に少しも耳を貸さず、尊大な優越意識とインド人を見下す傲慢な態度を露骨に示しながらベンガル州の東西分割を強行したそうです。
 しかしガンディーは、「その日はベンガル州ではなくイギリス帝国が分割される日であったと見なされることになるかもしれない」と言っています。つまり、強引なベンガル分割はインド人の反感と独立意識を高め、結局はイギリス帝国からの離反を促すことになるだろう。そのようにガンディーは考えたのです。
 実際にインドがイギリスからの独立を果たすのは1947年ですから、この文章が書かれたのは約40年前です。すなわち、これはガンディーの予言とも言える言葉なのです。この時点で既に、ガンディーは「イギリスからの独立」というビジョンを持ち、それはやがて実現するはずだと見通していたことが分かりますね。
 さらに続けて、ガンディーは・・・
第19回「小学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(4) [2018年03月31日(Sat)]
 3月27日の第19回「小学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の続きです。
 
●1年前の自分と、どれだけ変わっているか?
●どれだけ知識が増えたか、技能が向上したか?
●できなかったことが、できるようになったか?
●年を取ると、衰えていく能力もある。
●この町の子どもは、大人は、どれだけ学べているだろうか?

 そして・・・

          (つづく)
インド人にできるのはぺちゃくちゃと喋ることだけで、一歩だって前に進めはしないだろう。 [2018年03月30日(Fri)]
(65)
 分割令が出された時、ベンガルの人々はカーゾン卿に撤回を訴えました。しかし、彼は自分の権力を笠に着てどんな請願にも耳を貸しませんでした。
 インド人にはぺちゃくちゃと喋らせておけばいい。どうせ彼らにはそれしかできない。一歩だって前に進むことなんてできはしないだろう。そんなふうにカーゾン卿は考えていたのです。



 1905年に「ベンガル分割令」が発せられると、ベンガル州の多くの人々がこれに強く反対したのだそうです。この時のインド総督がカーゾン卿なのですが、彼はインド人の抗議にちっとも耳を傾けようとしなかったとガンディーは言います。自分の権力を笠に着て、インド人を見下す傲慢な態度を示したのでしょうね。
 当時、ガンディーはまだ南アフリカにいたので、きっとその話は現地の報道などから知ったのだと思われます。いずれにしても、インド総督カーゾン卿の強権的な政治姿勢とインド人民に対する差別意識をガンディーがとても批判的に見ていたのは間違いないでしょう。急進的な民族主義者の若い読者と比べると彼はイギリス人に好意的なのかと思いきや、必ずしもそうではないようですね。
 ガンディーもやはり、イギリス人の傲慢さや差別心にかなり腹を立てていたのです。それは、当然のことでしょう。南アフリカで、彼はイギリス人による理不尽な差別とずっと闘い続けていたわけですから。
 ベンガル分割についてのガンディーの歴史的評価はさらに続きます。
 ・・・
3月定例学問会の報告(11)不思議な出逢い、大切な仲間。 [2018年03月30日(Fri)]
 3月定例学問会の報告の続きです。
 
●二酸化炭素を海底に閉じ込める話。
●いろんな人が下川にやって来る。
●北海道の海で塩を作る。
●自分の生き方・働き方を自ら選び取る。

 そして・・・

                (つづく)
本当の目覚めは・・・ [2018年03月29日(Thu)]
(64)
 あなたのおっしゃる本当の目覚めは、ベンガル分割の後に起こりました。
 このことに関して言えば、私たちはカーゾン卿に感謝しなければなりません。
 


 「国民会議はインドの人々に民族的な自覚を持たせる最初の契機を作った。しかし、それはまだ本当の覚醒とは言えない。インド国民の本当の目覚めは、いつ、そしてどのようにして起こるのか?」という若者の質問に対するガンディーの答えです。ここで、章のタイトルである「ベンガル分割」が出て来ました。
 「ベンガル分割」とは、イギリスによるインド民族運動の分断策です。1905年に「ベンガル分割令」という法令が発せられたのですが、この時のインド総督がカーゾン卿なのです。カーゾン卿(ジョージ⁼カーゾン 1859-1925)はイギリスの貴族で、インド総督の後は外務大臣なども務めた人です。
 「私たちはカーゾン卿に感謝しなければならない」。これはもちろん、ガンディーの皮肉でしょう。インド人たちは、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の対立を利用して反英闘争の弱体化を図ったイギリスの狡猾な分断統治策に激しく反発し、かえって民族的な自覚と連帯意識を強化したのでした。これによって、非常に体制的だった国民会議も一時は急進派(ティラクなど)が台頭して強く自治を要求するようになったそうです。(ただし、イギリスの弾圧や分断策によって再び国民会議は穏健派が主導権を持つようになりましたが)
 しかし、一度目覚めた人々の意識はもう後戻りはしないのです。だから、ガンディーはこれを「本当の目覚め」と言ったのです。
 さらに、ベンガル分割の歴史的意義について彼は詳しく・・・
第125回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(1)日本各地の地名 [2018年03月29日(Thu)]
昨日は第125回楽しく学ぶ歴史ゼミを開催しました。
春休み中ということで鉄道好きの小学生も参加したため、いつもと少し雰囲気を変えて、8世紀ごろの出来事と鉄道とのつながり(!)について学びました。

●いま学んでいるのは、8世紀前半ごろの出来事ですね。
▼奈良時代のちょっと前くらいまでやりました。
▼律令=法律をもとに政治をすると決めた時代。
ー律は今でいう刑法、令は民法や行政法にあたるらしい。
ー701年、大宝律令というのが初の本格的な律令。
ー少し前、天智や天武も律令を作ったが、怪しい面あり。
▼官僚制や、文書に明記した支配制度もこの時代に登場。
ー文書は木などに書いていた。

●そしてこの時代、都道府県のようなものもできた。
▼日本列島を支配した政権が各地に名前をつけた。
ー西は九州、東はおそらく東北南部くらいまで。
ー各地から特産品を集めたり、各地に人を送ったりした。
▼その名前というのが、鉄道にも関係していまして…。

(つづく)
第19回「小学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(3) [2018年03月29日(Thu)]
 3月27日の第19回「小学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の続きです。

●何も考えないで日々を過ごすことはできるだろうか?
●言われたからやる、何となくやる、惰性でやる・・・。
●何も考えないで仕事をし、何も考えないで遊ぶ。
●「嫌だ」「面倒臭い」「やりたくない」と思いながらいろいろなことをやっても・・・。

 そして・・・

          (つづく)
地面の下の種の働きは、目に見えない。 [2018年03月28日(Wed)]
(63)
<編集長>
 地面の下の種の働きというのは目に見えないものです。そして、種そのものは土の中で朽ちてしまいます。私たちの目に見えるのは、地面の上で成長していく樹木の姿だけなのです。
 国民会議についても、これと同じようなことが言えます。



 「国民会議のお陰でインドの人々が国民という考えに気付いた。それは確かにその通りでしょう。でも、これはまだ本当の目覚めではありませんよね。インド国民の本当の目覚めは、いつ、そしてどのようにして起こるのでしょうか?」(62)という若い読者に対するガンディーの回答です。
 彼はまず、哲学的な比喩を用いて話を始めます。確かに、植物の種は土の中で芽と根を出し、そうして伸ばした芽と根が自ら栄養を作り出せるようになる頃には、種は自分の中に蓄えていた栄養を使い尽くしてそのまま土に還っていきます。植物はやがて大きく成長し、運が良ければ見上げるほどの大木に育つこともあるでしょう。しかし、どんな大木でも初めは種から出た小さな芽生えに過ぎなかったのです。そして、種の栄養を与えられなければ絶対に自らの成長を始めることはできなかったのです。
 この比喩でガンディーが何を言わんとしているかは明らかでしょう。インドのナショナリズムにとって、国民会議は種のようなものだということでしょう。種から出た芽がほんの小さなものであったとしても、その小さな芽生えがなければ大木は育たない。だから、国民会議の功績はその最初の段階における成果が不十分に思えたとしても決して過少に評価してはならない。そのように彼は考えているようです。
 さらにまた、インドの国民意識が成長していくにつれて、国民会議はやがてその役割を終えるだろうと彼は考えていたとも解釈できますね。
 ただ、この話の主題は決して国民会議ではないようです。続けてガンディーは、若い読者が言うところの「真の目覚め」について語り始めます。
 ・・・
第19回「小学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(2) [2018年03月28日(Wed)]
 昨日の第19回「小学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の続きです。
 
●学ぶとは、どういうことか?
●経験をすれば、何かを学べるのか?
●学校に行けば、何かを学べるのか?
●勉強することが目的なのではなくて・・・。
●勉強を通して、何を、どれだけ学べたのか?

 そして・・・

          (つづく)
3月定例学問会の報告(10)教育について。 [2018年03月28日(Wed)]
 3月定例学問会の報告の続きです。
  
●羊の餌は、何を作る?
●デントコーン、ライ麦・・・
●積雪地では、冬の食料が問題。
●稲わら、麦わらができればいいな。
●春になったら、生産活動に励みましょう。

 そして・・・

                (つづく)
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