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千里の道も一歩から [2018年02月07日(Wed)]
(13)
<編集長> 
 その考えは正しいと言えません。
 あの偉大なインドの祖父が土壌作りをしてくれなかったら、我が国の若者たちはきっと今でも自治について話をすることさえできない状態のままだったでしょう。



 「穏健主義の国民会議はイギリスの支配を永続させるための道具に過ぎない」という若者に、ガンディーは反論します。
 彼が「偉大なインドの祖父」と呼んでいる人物は、国民会議の創設者の一人、ダーダーバーイー=ナオロージー(1825〜1917)のことです。
 彼はボンベイ(ムンバイ)出身で、ヒンドゥー教徒ではなくゾロアスター教徒だったそうです。ボンベイのエルフィンストン・カレッジを卒業後、母校の教員(物理学と数学)になりました。これは、インド人として初の快挙だったそうです。後にイギリスに渡ってイギリス人のインド理解者らと共に「東インド協会」を結成、帰国後はインド国民会議のメンバーになりました。その後再びイギリスに行き、下院議員選挙に立候補して当選しました。これも、インド人として初めてだったそうです。
 このような経歴からも分かるように、彼はイギリス統治下のインド人の地位向上や生活改善を訴えたものの決して反英主義者ではなく、むしろ理解あるイギリス人たちの支援を受けながら大英帝国内でのインド人自治の拡大を漸進的に実現していこうとする、いわゆる穏健派の指導者でした。
 そういう人ですから、急進的な若者から見ればどうしようもなく保守的で妥協的で、卑屈で意気地なしで、強大な敵の力に圧倒され萎縮して自分たちの当然の権利さえも堂々と要求できないような軟弱な人々の代表と思われていたことでしょう。
 しかしガンディーは、彼のことを「偉大なインドの祖父」と呼んで評価するのです。確かに、千里の道も一歩から、それまでまったく省みられなかったインド人の要求をイギリスに訴えたというのは画期的なことでしょう。国民会議そのものが、初めからイギリスと対立的な姿勢を見せていれば発足させることさえ不可能だったに違いありません。
 実際、ダーダーバーイーはきちんとインドの立場で不平等の是正を訴えたのです。「インド人が貧しいのは、インドの富がイギリスに流れ出ているからだ」という「富の流出」論は、彼によって確立されたのでした。
 さらに、ガンディーは続けて・・・
2月6日の夜は、一体どんなことをしたのかと言うと・・・ [2018年02月07日(Wed)]
 昨日は、第18回「親子で学ぶ小学校6年生社会科ゼミ」または第14回「「小学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」を開催する予定だったのですが、小学6年生のR君が欠席だったので大人だけになってしまいました。
 大人は、初参加の方を含めて3人でした。話したテーマは「自由参加事業への参加者層を広げるためには?」「居場所づくりとは?」「子どもの成長発達と体験」というような内容でした。
 それで、タイトルをどうしようかなあと思ったのですが、後から考えると教育学ゼミに近かった気もしますが、事前にそう告知していなかったのでまた改めてやることにします。というわけで今回は、久し振りの学問サロンだったことにしようと思います。
 さて・・・

                           (つづく)
2月定例学問会の報告(3)人が歩けば道になる。 [2018年02月07日(Wed)]
 2月定例学問会の報告の続きです。
 
●東京で車道を自転車が走れるようになったのは・・・。
●やっぱり、パイオニアがいたから。
●世の中の常識は変化していく。
●人によって見方は様々。
●自転車と自動車が混在して走っている国もある。

 それから・・・

                (つづく)

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