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お勉強 (05/11)
法廷は人民支配の道具である。 [2019年06月26日(Wed)]
(509)
 けれども、最も肝心なことがしばしば忘れられてしまっています。それは、弁護士がいなければ法廷というものを設立することも運営することも不可能だった。そして法廷がなければイギリス人がインドを統治することもできなかったということです。



 ガンディーの弁護士批判は司法制度批判に発展し、さらに司法制度批判はイギリスの植民地支配に対する批判へと展開していきます。
 「イギリスによるインドの植民地支配を可能にしている主な力は軍事力ではない」と彼は論じていました。(260)その時は経済的な面からイギリスとインドの関係が考察されていたのですが、今度は「法による支配」についてです。
 確かに、ある政治権力が(その権力が国内にあろうが海外の宗主国にあろうが、また専制国家であろうが民主国家であろうが)国を統治できるのは、その国民が法に従うからです。そして、もしも法に従わない者がいればその人を断罪し処罰するシステムが機能するからです。だから、「そのような司法制度が機能しなければ、ある国を統治することなど不可能なはずではないか」とガンディーは言うのです。
 さらに、彼はこの問題についての検討を続けます。
 ・・・
私たちは無知と単純さのために・・・。 [2019年06月25日(Tue)]
(508)
 まったく関係のない第三者が金銭と引き換えに自分たちに正義を与えてくれる。そんな妄想を抱くのは、我々があまりにも無知で単純な証拠です。



 ガンディーの司法制度批判の続きです。彼の基本的な立場は、「自分たちの紛争は自分たちで解決すべきだ。裁判所に解決を依頼するべきではない」というものです。
 そして特に、彼は弁護士を批判しています。「金銭と引き換えに・・・」と言っているのは明らかに弁護士を念頭に置いての発言でしょう。(490)などで彼はとても激しく弁護士を批判していますが、ここでは弁護士に頼ってしまう一般の人々に対しても厳しい叱責の言葉を投げつけています。
 要するに、「正義というものは金銭の対価として得られるものでは決してない。そんなことを考えるのは、正義とは何か、正義はどのようにして実現しなければならないかを理解していないからなのだ」とガンディーは言っているのではないかと思います。
 そして、さらに・・・
第三者による裁定がいつも正しいとは限りません。 [2019年06月24日(Mon)]
(507)
 実際、第三者による裁定がいつも正しいとは限りません。
 本当に正しいのが誰なのか、それは当事者にしか分からないことなのです。



 ガンディーの司法制度批判の続きです。
 ところで、社会的な「法」というものに対する人々の信頼感は一般的に言って絶大なのではないかと思います。すなわち、「法に基づいて判断すれば、きっと妥当で公正なものになるだろう」「法は、我々に最も客観的で公平な問題解決の基準や方策を示してくれる」などです。
 しかし、ガンディーによれば、「何が正義で、何が正義でないか」は、社会的な法が決定することではないのです。それは人間が社会的に定めたルールではなく、もっと絶対的な真理に基づいて判断されなければならない。つまり、人々に道徳を与えるのは国家ではなくもっと超越的なもの(天とか、神とか、普遍的な真理とか、宇宙の根本原理とか)だということです。そして、それを人間が認識しうるのは各自の良心を通じてであり、法廷を通じてではないということです。
 だから彼は、「本当に正しいのが誰なのか、それは当事者にしか分からない」と言明します。もちろん、当事者であっても「何が正しいのか」を誤らずに認識することは難しいことが多いでしょう。しかし、自らの感情や認識を正しくコントロールしていく努力も、自治を目指す者には必要だというのがガンディーの考えなのです。
 (23)で「せっかちな人にとって、自治はまだ遠くにある」と述べられていたように、自治というのは政治的な問題として考えるだけでは決して実現しないものだと彼は考えているのでした。
 さらに、これに続けてガンディーは・・・
紛争の解決を当事者以外の人に依頼するのは・・・。 [2019年06月23日(Sun)]
(506)
 暴力的な戦いで争いの決着をつけるのは確かに文明的とは言えません。
 しかし、あなたと私の間の問題を第三者に依頼して解決してもらうのが果たして文明的なのでしょうか?



 ガンディーの司法批判の続きです。司法、と言うよりも、結局彼は近代的な法治国家のあり方を批判しているのです。
 確かに、「法」というものが確立される前は、人々はしばしば互いの間に生じた紛争解決の手段として暴力を用いていたことでしょう。それについては、「そういうのは野蛮だ。原始的だ。動物的だ。そのような社会は決して知的で洗練された文明社会とは言えない」と思う人が多いのではないでしょうか?
 しかし、ガンディーによれば、「個人間の紛争解決を国家権力に委ねるということが文明的なのではない」のです。裁判所に紛争の裁定をしてもらい、当事者双方がその裁定に従うならば、確かに彼らが直接暴力を用いることはなくなるだろう。しかし、裁判所はその決定に国民が従うようにさせる強制力を持っている。もし従わなければ、罰金を課したり、懲役を命じたり、場合によっては身体的苦痛を与える刑罰を与えることもある。それは結局、国家権力が合法的な暴力を独占するようになっただけで、最終的な問題解決の手段が暴力であるという点は何も変わらないではないか。そのように彼は言いたいのではないしょうか?
 ちなみに、文明という言葉についてですが、ガンディーの見解では「現代文明と呼ばれているものは実際には非文明である」(187)ということになります。
 さらに、ガンディーは・・・
争いを解決してもらおうと法廷に訴えるならば、彼らは臆病者で卑怯者になってしまいます。 [2019年06月22日(Sat)]
(505)
 人が争いを解決する場合、暴力的な戦いで決着をつけるのが男らしいとか親戚に頼んで仲裁してもらうのが女々しいとかいうようなことはありません。
 しかし、もしも争いを解決してもらおうと法廷に訴えるならば、そうすることによって間違いなく彼らは臆病者で卑怯者になってしまうでしょう。



 ガンディーの弁護士批判は、だんだん司法制度に対する批判になってきました。
 つまり、この本のテーマはやっぱりタイトルの通り、「インドの自治」なのです。彼にとっての「インドの自治」とは、イギリスの女王を君主とするインド帝国がイギリス本国と交渉してなるべく広範囲の自治権を獲得できるようにすることではありません。(119)
 また、インドからイギリス人を追い出してインドを独立国にすることでもありません。
 ガンディーの考えでは、仮にイギリス人を完全に排除して「インド人による政府」が樹立されたとしても、それがイギリスと同じような政府であったとすればまったく意味がないのです。(134)
 そういうわけで、ここで明らかになった彼の考えは、「インドは自治を目指すべきである。しかし、現在イギリス人が行っているような政治をインド人自身が行うようになれば良いのでは決してない。自治とは自分たちの問題は自分たちで解決するということだから、紛争の解決を公権力に委ねるべきではない。それは隷属の始まりであり、自治の放棄である」ということだと思います。
 なお、「男らしい」とか「女々しい」という言葉は使いたくなかったのですが、原文(英語)で用いられている単語が"manly"だし、ガンディーの中にそのような伝統的な意識があるのは否定できない事実だと思われるので敢えてこう表現しました。
 さらに、彼は続けて・・・
自分たちのけんかを自分たちで解決できなければ、第三者の介入を許してしまう。 [2019年06月21日(Fri)]
(504)
 もしも人々が自分たちのけんかを自分たちで解決できたとすれば、そこに第三者が一体どんな口出しをすることができるでしょうか? そんな権威など決して誰も持てはしないのです。
 


 ガンディーの弁護士批判は、法によるイギリスのインド支配に対する批判に重点が移ってきたようです。
 人間社会の中にはもちろん様々な紛争があるだろう。しかし、それは当事者間で解決できるように努力すべきである。決して法廷(つまり公権力)に頼ってはいけない。そうすることで我々は気付かないうちに国家に従属、隷属する存在にさせられてしまうのである。このように彼は考えているようです。
 (471)では、2人の争いの調停を第三者に委ねれば、当事者は結局双方共に大きな損失を被り第三者が漁夫の利を得ることになるだろうと述べられていました。
 これは、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立についての議論の中で語られていたことですが、今回はより一般的に、「すべてのインド人は、自分たちの紛争は自分たちで解決するように努め、決してイギリスの司法制度に頼ろうとするな」と訴えているのです。
 さらに、ガンディーは・・・
法廷は一般の利益のためのに創設されたのではない。 [2019年06月20日(Thu)]
(503)
 法廷というものが一般の人々の利益のために創設されたと考えるのは大間違いです。
 自分たちの権力をずっと維持していたいと願う人たちが、その目的を遂げる手段として法廷を利用しているのです。



 「法廷がなければ統治はできない(502)」と述べた後に、ガンディーはこのように主張します。
 「法廷(裁判所)」というのは、つまり法によって社会の中の紛争を解決したり、犯罪を犯した人を罰したりする機関です。
 だから、「法廷とは社会の正義と秩序を守ってくれるものだ。しかも、特定の権力者の意志や感情や利害によって左右されるのではなく、公平な法に基づいて判断や決定がなされるのだから人民にとって歓迎すべきもの、望ましいものである」というふうに考えることもできます。
 しかし、別のとらえ方もありえます。それは、「法というのは権力者が人民を支配する道具だ。権力は自らの意志に人民を従わせるために法を制定し、自らに都合の良いように法を利用して政治を行い、自らの意志を通すために法を拠り所にし、自らの意志に反した動きを弾圧するための組織的暴力を法によって正当化しているのである」というような理解です。
 ですから、「法治主義」という言葉にも二通りの意味があるのです。
 @ 絶対主義における王の全能的支配を否定し、権力はあくまでも法に従って行使されなければならないという政治原理。
 A 人の本性を悪とし、徳治主義に反対して、厳格な法によって人民を統治する主義。
 明らかに、ガンディーは後者の立場から「法に基づくイギリスのインド統治」を批判しているのです。
 さらに、続けて彼は・・・
法廷がなければ統治はできない。 [2019年06月19日(Wed)]
(502)
 もしも法廷がなかったら、イギリスによるインド統治はとてもやってはいけなかったでしょう。違いますか?



 今までガンディーはかなり多くの言葉を費やして弁護士批判を展開してきたのですが、どうやらその主眼となるのはやはりイギリス人によるインド支配だったようですね。
 欧米列強によるアジア・アフリカの植民地化、そして帝国主義的支配と言えば、軍事力の大きな差が強調されることが多いのですが、ガンディーは一貫して違った視点からこの問題をとらえています。
 例えば、(272)では「イギリスによるインド支配を可能にしているのは私たちです。彼らの武器も弾薬も決して役に立ってはいないのです」と言っていました。そこで語られていたのは、植民地支配の経済的な側面でした。「イギリスがインドを支配しているのは経済的な利益を得るためである。そして、それを可能にしているのはインド人がイギリスの経済活動に巻き込まれている、あるいは加担・協力しているからだ」と彼は指摘していました。
 しかし、もちろんお金の力だけでインドという巨大な国をイギリスが支配し続けられるはずもありません。やはり、政治的な支配にも目を向けなければならないのです。そして、文明国の政治支配は主として「法による支配」です。
 法による支配であればいつでも公平で民主的なのではないかと思うかもしれませんが、決してそうではないのです。
 ・・・
弁護士はイギリスによるインド支配を強化している。 [2019年06月18日(Tue)]
(501)
 しかし、弁護士たちがしていることの中で最も国の害になっているのは、彼らがイギリスによる支配を強化する働きをしているということです。



 ガンディーの弁護士批判も、いよいよ核心に近付いてきました。
 この本のタイトルは「ヒンド=スワラージ(インドの自治)」なのに、どうして延々と弁護士に対する攻撃が続けられているのだろうか? そのような疑問を抱いた人もいるでしょう。実は、ガンディーが弁護士に厳しい批判の目を向けている最大の理由は、彼らがイギリスのインド支配を促進・助長・補完・強化する働きをしているからだということのようなのです。
 今までガンディーが弁護士を批判してきたのは、「弁護士は人々の争いを余計に煽っている(487)」とか「弁護士は金儲け主義であり、貧しい人々を苦しめている(491)」とか「弁護士はヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立を助長している(497)」とか、主としてインド人社会に対する害悪を問題にしてきたのでした。
 しかし、ここではイギリスによる植民地支配に彼らが加担しているとガンディーは弾劾しています。それは一体どういうことなのかと言いますと・・・

全財産を奪われてしまう人々。 [2019年06月17日(Mon)]
(500)
 たくさんの人々が、その全財産を奪われてしまうほどのひどい目に遭っています。
 このような事例はいくらでも挙げることができます。



 ガンディーの弁護士批判はさらに続きます。弁護士のために破産してしまう人がたくさんいるとガンディーは言っています。この発言の真偽は定かではありませんが、少なくとも彼の周囲ではそのような事例が多数見られたのだと思います。
 「弁護士の報酬は一般の労働者に比べて高額だ(495)」と述べられていたので、弁護士に多額の報酬を請求されて支払いが困難になってしまった人がたくさんいたのかもしれません。あるいは、弁護士を付けられなかった方の当事者が途方もない賠償金の支払いを命じられて破産に追い詰められてしまったケースもあったのではないでしょうか?
 しかし、ガンディーが「弁護士が社会にもたらしている害悪のうち最も深刻なもの」として挙げているは、今まで述べられていたいずれでもないのです。
 それは・・・
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