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お勉強 (05/11)
イタリアの状態はインドが目指すべきものではない。 [2019年11月20日(Wed)]
(648)
 このイタリアのような状態をインドにおいても再現させたいなどとはまさかあなたも思わないでしょう。

 

 「イタリアと同じように、ぼくたちインド人も独立を勝ち取ろう(629)」と若い読者は威勢良く言いましたが、「イタリアは決してインドが目指すべきモデルではない」とガンディーは反論します。なぜなら、「イタリア統一戦争の結果、イタリア王国は成立した。しかし、イタリア国民は自由になっていない(643)」からです。
 イタリアという国家を建設することは、あくまでも手段であって目的ではありません。これについて、マッツィーニは次のように述べています。「祖国とは、ただ一つの目的のために、協調しつつ努力する点で結ばれた自由で平等な者たちの集団です」「真の祖国は、均一な権利のない所には存在しません。そこにあるのは国家でも国民でもなく、状況により結束することもあれば分裂することもある人間たちの偶発的な集まり、烏合の衆に過ぎません」(「人間の義務について」)
 これに続けて、ガンディーは・・・
改革のために必要だと思われたから戦争が始まったのだが・・・。 [2019年11月19日(Tue)]
(647)
 改革のために必要だと思われたからこそ戦争が始まったのですが、そのような改革はまだ行われていません。
 イタリア国民の置かれている状態は、一般的に言って少しも以前と変わっていないのです。



 イタリア統一運動についてのガンディーの論評の続きです。
 イタリア統一運動(リソルジメント、「再興」または「復興」という意味)は、もちろんイタリアの状態を改善したいという共通の思いが強く人々を動かした社会運動だったと言えるでしょう。けれども、「では、イタリアをどうしたいのか」という具体的なビジョンについてはあまり共有されていなかったと思われます。
 「イタリアという国家あるいは君主にとっての変革」を目指した人々もいたでしょうし、「イタリア人民にとっての変革」を希求した人々もいたでしょう。しかし、大多数の人々は非常に漠然と、「それは互いにつながり合っていることだから、一方が達成されれば、他方もいくらかは前進するだろう」と思っていたのではないでしょうか?
 しかし、イタリア統一戦争の結果、イタリア王国は一応成立しましたが、「その国の労働者階級の人々は依然として不幸なまま(645)」だったのです。
 というわけで・・・
外国軍の撤退は、最終目標ではない。 [2019年11月18日(Mon)]
(646)
 オーストリアの軍隊が撤退した後、イタリアにとって実質的な良い変化が果たして何かあったでしょうか?
 イタリアが得たものは、ただ名目上のものでしかありませんでした。



 イタリアの統一戦争で、サルデーニャ王国はオーストリアからロンバルディア地方を獲得しました。(644)
 確かにナショナリズムの観点から見れば「イタリア人による民族国家」という悲願達成に向けて一歩前進したと言えるでしょうが、「イタリアが得たものは名目上のものに過ぎない」とガンディーは言うのです。
 彼の考えは、明らかにマッツィーニと同じです。すなわち、「イタリアとは、イタリアに住む人々全体のことを指している」のです。(642)
 だから、重要なのは「イタリア人国家の支配領域がどれだけ広がったか」ではもちろんなく、「イタリアの民衆の置かれている状態がどれだけ改善されたか」なのです。そういう点から考えると、状況はまったく良くなっていないと思われたのでしょうね。
 さらに・・・
労働者階級の人々は依然として不幸なままです。 [2019年11月17日(Sun)]
(645)
 その国の労働者階級の人々は依然として不幸なままです。
 だから、彼らはやたらに人を殺したり、反乱を起こそうとします。彼らの間では、暴動はいつ始まってもおかしくないのです。
 
 

 「イタリア王国ができても、イタリア国民は自由になっていない(643)」という話の続きです。
 イタリア統一戦争の結果としてサルデーニャのヴィットリオ=エマヌエレ2世を国王とするイタリア王国ができたとしても、それは決して「イタリア国民が自治を獲得した、自由になった、幸福になったということではない」とガンディーは指摘するのです。
 実際、イタリアの一般庶民の暮らしは少しも改善されなかったようです。イタリア王国の成立は1861年ですが、その頃はヨーロッパで資本主義の矛盾が深刻になり、労働者運動が非常に盛んになっていた時代でした。ちなみに、カール=マルクスの「資本論」第1部が刊行されたの1867年だそうです。
 イタリアの労働者の状況も、かなりひどかったのでしょうね。マッツィーニも、「人間の義務について」という著書(633)の中で「みんなが労働者を抑圧し、人間に属す権利がことごとく履行を妨害されている」「不幸という不幸は労働者階級のためにある」と書いています。
 そして・・・
国民を人質にして、2人の王がチェスの試合をしているようなもの。 [2019年11月16日(Sat)]
(644)
 国民戦争と呼ばれた戦争も、その本質はイタリア国民を人質にしてその土地の支配権を争う2人の王がチェスの試合をしているようなものでした。



 「国民戦争と呼ばれた戦争」とは、一般にイタリア統一戦争と言われている戦争のことでしょう。これは、イタリアの統一を目指すサルデーニャ王国がフランス(ナポレオン3世)の支援を受けて1859年に起こしたオーストリアとの戦争です。これによって、サルデーニャは北イタリアのロンバルディアを獲得しました。
 ですから、この時にイタリアの支配権を争った2人の王とは、サルデーニャの王ヴィットリオ=エマヌエレ2世(641)と、オーストリアの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世のことです。
 つまり、ガンディーはこれをイタリア対オーストリアの戦争ではなく、単にイタリアの統治権を巡る支配者同士の戦争でしかなかったと見ているのです。だから、どちらが勝ったとしても、イタリア国民は勝った方に支配されるだけで、その状態は少しも改善されるはずがないのではないかと言いたいのでしょう。
 実際・・・
 
イタリア王国ができても、イタリア国民は自由になっていない。 [2019年11月15日(Fri)]
(643)
 マッツィーニの示した意味におけるイタリアは、今もなお隷属状態から抜け出せていません。



 マッツィーニの示した意味におけるイタリアとは、イタリアに住む人々全体のことです。(642)
 イタリア統一運動(リソルジメント、「再興」または「復興」という意味)の目的は、ある人々にとっては「イタリアを独立した一つの国にすること」だったでしょう。その政体については様々な意見があったと思われますが、君主政が自分の利益になるような階層に属する人々は積極的に「イタリア王国」の成立を望み、また、「とにかくまずはイタリアを統一国家にしよう」と考えた人々の多くは、それも一歩前進と受け止めたことでしょう。
 しかし、マッツィーニにとっては決してそうではなかったのです。彼にとって、問題は「為政者が外国人か同国人か」ではなく、「イタリアが統一国家になっているかどうか」でもなく、「イタリアのすべての人民が不当な支配を受けることなく人間らしく生きることができているかどうか」だったのです。
 そう考えると、たとえイタリア王国によって統一が実現されたとしても、マッツィーニの考えに基づけばそれはリソルジメントの達成ではありえなかったのです。それどころか、一歩前進でさえないと思われたのでしょうね。
 さらに、ガンディーは・・・
国王は、人民の僕に過ぎない。 [2019年11月14日(Thu)]
(642)
 しかし、マッツィーニが考える「イタリア」とは、イタリアに住む人々全体のことを指していました。つまり、彼にとっての「イタリア」とは「イタリアの農民」と同義だったのです。国王エマヌエレは、その僕に過ぎませんでした。


 
 国王のヴィットリオ=エマヌエレ2世にとって、「イタリア」というのはイタリア王及びその臣下を意味する言葉だったとガンディーは言います。(641)
 これに対して、共和主義者のマッツィーニが考える「イタリア」とは、もちろんイタリア国民すべてを指しているのです。そして、国民のほとんどが農業に従事しているならば、彼ら農民こそがイタリアなのです。
 では、国王は一体何なのかと言うと、「国王は国民の僕(しもべ)」なのだそうです。人民の上に立つ君主が僕だというのは奇妙に思えるかもしれませんが、そうでもありません。
 例えば、新約聖書にはこう書いてあるそうです。「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい(マルコの福音書10章)」と書いてあるそうです。
 しかし・・・
国とはすなわち国の支配者のことなのか? [2019年11月13日(Wed)]
(641)
 エマヌエレにとって、「イタリア」というのはイタリア王及びその臣下を意味する言葉でした。カヴールにとってもそうでしたし、ガリバルディにとってさえも同様でした。



 エマヌエレ(ヴィットリオ=エマヌエレ2世)とは、サルデーニャ国王で統一戦争後に成立したイタリア王国の初代国王になった人です。彼にとっては、自分がイタリア全体の王になれば、それがすなわち「イタリアの統一」「イタリアの独立」だったのです。だから、彼にとってはサルデーニャ王国を中心としたイタリアの統一、そして自らを君主とするイタリア王国の成立こそがイタリア統一運動(リソルジメント、「再興」または「復興」という意味)の目的だったのです。
 それはもちろん、彼に仕えるサルデーニャ王国の首相カヴールにとっても同じでした。
 ガリバルディについては、思想的に彼は共和主義者だったと言われているので、エマヌエレやカヴールとまったく同じ考えとは言えないと思いますが、最終的には自分が占領した南イタリアを国王に献上したので、イタリア統一についての考えは前の二者とあまり変わらないとガンディーは評価しているようです。(636)
 さて、これに対してマッツィーニの考えは・・・
 
1つの言葉に、異なる2つの意味が与えられた。 [2019年11月12日(Tue)]
(640)
 ある1つの言葉に、ヴィットリオ=エマヌエレ2世とマッツィーニは異なる意味を与えました。


 
 「支配者が自国民であれば、国民は幸せなのか?(638)」という議論の続きです。
 ここで、突然「ヴィットリオ=エマヌエレ2世」という人物が登場しました。より正確には、ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世(1820-1878)は、サルデーニャ王国の最後の国王であり、イタリア王国の初代国王です。つまり、サルデーニャ王国を中心としてイタリアが統一された時に、イタリア全体の王となった人です。そして、カヴール首相が仕えていた王様です。
 要するに、ヴィットリオ=エマヌエレ2世とマッツィーニは共にイタリア統一運動の中心人物だったのです。
 この2人が、ある1つの言葉に対して異なる意味を与えていた、つまりまったく違った解釈をしていたということは、果たしてその言葉とは、何なのでしょうか?
 ・・・
イタリアは自由になっていない。 [2019年11月11日(Mon)]
(639)
 マッツィーニはこう結論せざるを得ませんでした。
 すなわち、「イタリアは自由になっていない」と。
 


 「イタリア人がイタリアを統治しているのだから、イタリア国民は幸せだ。果たして本当にそう言えるのだろうか?」とガンディーは問い掛けます。(638)
 もちろん、 「決してそうではない。イタリア人が統治者となっても、その統治が正しいものでなければ、またすべてのイタリアの人々が良好な社会関係の中で暮らすことができているのでなければ、イタリア国民は幸福とは言えない」と彼は考えているのです。
 それはガンディーだけの見解ではなく、イタリア独立運動の中心的な指導者の1人、マッツィーニも同じように考えていたそうです。マッツィーニはイタリアが単に外国勢力からの独立を果たすだけでなく、真にあるべき未来に向けて前進していく社会を祖国において実現させようとしていたわけですから、もちろん「イタリア王国」の成立によって民族運動の目的が達成されたとは考えなかったでしょう。
 中国辛亥革命の指導者である孫文が、「革命なお未だ成功せず」という遺言を遺したことなども想起されますね。
 そして・・・
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