私の心は弱くなってしまいました。 [2019年07月19日(Fri)]
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つまり、医者は私にいらないお節介をしたのです。そして、私が自分の欲望のとりこになる手助けをしたのです。 彼のお蔭で私の体は確かにより楽になりました。しかし、私の心は弱くなってしまいました。 「もしも私が食べ過ぎて消化不良になってしまったら・・・」というたとえ話(529)の続きです。 消化不良になった私は、医者の所へ行って薬をもらいます。そして、薬を飲んだら腹痛は治まりました。しかし、ガンディーに言わせれば、これは余計なお節介だったのです。なぜなら、消化不良による腹痛は私が当然受けるべき罰であり、これによって私は自分の過ちを悔い改め、そのような行いを二度と繰り返さないように不退転の決意するはずだったからです。 人間とは弱いものです。だから、人間が自分の過ちに気付き、真の悔い改めをするには、やはり何らかの「痛み」を感じる必要がある場合が多いのではないでしょうか? 昔から、自分の精神を強くしたいと望む人はしばしば難行苦行を自らに課しました。それは、強い痛みを感じることによって初めて人は深い気付きを得ることができ、また苦しみに耐える過程を通して自己の内面を見つめ、その精神を鍛錬することができるからなのではないかと思います。 さらに、ガンディーは・・・ |