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お勉強 (05/11)
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 「下川わわわ大学」のイメージキャラクター
  「わわわだいがくん」
それは私が当然受けるべき報いだったのです。 [2019年07月18日(Thu)]
(531)
 はじめに私が過食のせいで消化不良になった時に、もしも医者の薬を飲まなかったとしたら、一体どうなっていたでしょうか? もちろん私は腹痛に苦しんでいたでしょう。しかし、それは私が当然受けるべき報いだったのです。
 そのような罰に苦しめられたら、私はもう二度と過食を繰り返したりはしないでしょう。



 「もしも私が食べ過ぎて消化不良になってしまったら・・・」というたとえ話(529)の続きです。
 消化不良になった私は、医者の所へ行きます。そして、医者に与えられた薬を飲んだら腹痛は治まったのです。しかし、そうして腹痛という苦しみからすぐに解放された私は、また過食を繰り返すのです。まあ、もしお腹が痛くなったとしても医者から薬をもらって飲めばいいのだから、当然そうなるでしょうね。
 しかし、ガンディーにはこれが許せないのです。彼の考えでは、腹痛は過食という罪に対する当然の罰、報いなのです。また、それは再び罪を犯さないようにする抑止力として是非とも必要なことなのです。ですから、医者が薬によって腹痛を治してしまうことは、まったく望ましい問題解決ではありません。むしろ反対に、真の問題解決を妨げてしまうことなのです。
 そこで、ガンディーは続けて・・・
しもかわ読書会6月例会の報告(10)遊行期。 [2019年07月18日(Thu)]
 「しもかわ読書会」6月例会の報告の最終回です。
 
 ●人生の最後は「遊行期(隠遁期)」。
 ●この世のことにはもはや関心を持たない。
 ●現世を超えた存在になる準備をする。
 ●死は、終わりではなくて始まり。


 「しもかわ読書会」7月例会は、28日の予定です。
第45回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(1) [2019年07月18日(Thu)]
 昨日は、第45回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」を開催しました。
 R君、今日のテーマは何ですか?
 「はい。今日は・・・『心』について!」
 ほう、心ですか。面白いテーマですね。
 しかし、問題はここからです。
 考えを深め、発展させていけるかどうか・・・

                        (つづく)
第156回楽しく学ぶ歴史ゼミの報告(2)政権が長く続くと、いろいろおかしくなって来る。 [2019年07月18日(Thu)]
 10日の楽しく学ぶ歴史ゼミの報告の続きです。
 
●イスラム教は、アラビア半島から西アジアに広がった。
●ササン朝ペルシアは滅びてしまった。
●東ローマは滅びなかったが多くの領土を失った。
●イスラム教は、魅力があったのか?
●ペルシアや東ローマ帝国の支配からの解放を民衆は望んだのか?

 そして・・・

                 (つづく)
私は再び度を越した暴食を繰り返すでしょう。 [2019年07月17日(Wed)]
(530)
 そうしてしばらくすると、私は再び度を越した暴食を繰り返すでしょう。それでまた消化不良になったら、前と同じように医者からもらった薬を飲むのです。



 「もしも私が食べ過ぎて消化不良になってしまったら・・・」というたとえ話(529)の続きです。
 私は消化不良のためにお腹が痛くなりましたが、お医者さんから薬をもらって飲むと腹痛は治ってしまいました。それで、「腹痛」という問題はすっかり解決してしまったのです。
 大抵の場合、問題が問題として意識されるのは、それが激しい痛みや大きな苦しみをもたらしている間です。その痛みが苦しみが消えてしまうと、問題そのものも忘れられてしまうことが多いのです。
 「喉元過ぎれば熱さ忘れる」「災害は忘れた頃にやって来る」「雨晴れて笠を忘る」、英語でも、" The danger past and God forgotten.(危険が過ぎれば神は忘れられる)"という言葉があるそうです。日本でも「苦しい時の神頼み」と言いますから、苦しくない時は神のことは忘れているのですね。
 というわけで、私は前に食べ過ぎが原因で消化不良になったという事実を忘れてしまいます。あるいは、忘れないにしても、「たとえお腹が痛くなったとしてもまたお医者さんから薬をもらえばいい」という具合に大して深刻には考えないでしょう。
 そして実際、そういう人は暴飲暴食を繰り返し、お腹が痛くなればお医者さんに腹痛を治してもらうでしょう。しかし、ガンディーにとっては決してこれは好ましい問題解決ではないのです。
 ・・・
第44回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(5) [2019年07月17日(Wed)]
 10日の第44回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の最終回です。
 
●途中で切れている、つまり不連続なグラフもある。
●確か、上空の空気は冷たいんだったよね。
●暖気団と寒気団は、上下の関係か、水平な関係か?
●うーん、混乱してきたなあ。


 第45回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」は、今日、7月17日の予定です。
医者の所へ行けば、私の消化不良は治る。 [2019年07月16日(Tue)]
(529)
 例えば私が食べ過ぎたとします。その結果、私は消化不良になります。
 私は医者の所へ行きます。すると、彼は私に薬をくれます。その薬を飲めば、私の消化不良は治るのです。
 


 「病気の原因は、私たちの不注意と不節制です(528)」と述べた後、ガンディーは上のような具体例を提示します。
 「食べ過ぎが原因で消化不良になる」というこの例の場合、確かにその消化不良の原因は「不注意と不節制」であると言えるでしょう。ここで、「不節制」と表現した部分は原文では"indulgence"(道楽に耽ること、耽溺、放縦、わがまま、甘やかし)です。つまり、「体に過度な負担を掛ける」というよりも「欲望に身を任せて節度を失ってしまう」という意味だと思われます。なので、「不養生」でも「不摂生」でもなく、「不節制」にしました。
 さて、ガンディーの考えでは、この事例の場合、問題は腹痛ではなく、その原因となった「不節制」です。だから、この人にとって重要なのは、「どうすれば腹痛が治まるか?」ではなく、「どうしたら不節制を克服することができるか?」なのです。
 しかし、医者は単に薬を与えて腹痛を治してしまうのです。
 すると・・・
第44回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告(4) [2019年07月16日(Tue)]
 10日の第44回「小・中学生の疑問に答えないけど一緒に考えるゼミ」の報告の続きです。
 
●位置によって、空気の温度が変わるということは?
●ああ、これは一種の関数だ。
●この関数のグラフはどうなるだろう?
●暖かい空気と冷たい空気は、すぐには交じり合わない。

 そして・・・

          (つづく)
7月定例学問会の報告(1)やっぱり○○が好き。 [2019年07月16日(Tue)]
 一昨日は、モレーナで7月の定例学問会をしました。
 今回のテーマは、新メンバーのYさんの興味関心に合わせて・・・

●動物では、何が好きですか?
●どんな動物の姿を見れば、胸がキュンとしますか?
●ネコ科という人もいる、トリケラトプスという人もいる。
●愛は、理屈を超えたもの。
●私はやっぱり、馬が好き。

 それから・・・

                (つづく)
病気の原因は、私たちの不注意と不節制です。 [2019年07月15日(Mon)]
(528)
 ところで、これらの病気は一体どのようにして生まれるのでしょうか?
 その原因はまさに、私たちの不注意と不節制です。


 
 「医者のしている仕事は、病気を患者の体から引き離すことだ(527)」と述べた後、ガンディーは上のように病気の原因を問題にします。
 つまり、手術にしても薬や抗生物質の投与にしても、医者がしていることは病気という結果に対する事後的な処置に過ぎない。しかし、問題の根本的な解決のためには、結果として生じた状態よりもそれをもたらした原因に目を向けなければならないとガンディーは言うのです。
 実は、これは繰り返し述べられている彼の持論で、(250)では「病気の原因を探ろうとする人こそが本当の医者です」と言っていましたね。
 ということは、どうやら彼がこれから批判を展開しようとしているのは「人間の中で生じている病気という現象だけに焦点を当てる近代西洋医学」に対してなのではないかと想像されますが、果たしてどうでしょうか?
 ・・・
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