コートジボアールとサッカー
[2008年01月21日(月)]
サッカーのアフリカ選手権(アフリカネーションズカップ)が1月20日からガーナで開催されています。
私の第二の故郷のコートジボアール(象牙海岸)にとって特別な日が続きます。
私がコートジボアールに青年海外協力隊の隊員として初めて行ったのは、今から16年前、コートジボアールがアフリカ選手権に初優勝した3日くらい後のことでした。
サッカーのアフリカ選手権は、アフリカ人にとっては、オリンピックなどよりもはるかに重要なイベントです。
コートジボアールにとっては、それが、隣国のガーナで、しかも優勝候補の最右翼として迎えられるのは、まさに特別な日だと思います。
今日は、サッカーと絡めてコートジボアールのことを少し書きます
コートジボアールは、60の部族からなる国家です。
私がいた当時は、ウフェボアニという、独立(1960年)以来、30年以上大統領をしていた人がいて安定したのですが、彼が死亡した後、大混乱して、南北に分裂し、内戦状態に突入しました。
北部を支配する反乱軍を前大統領が操り、南部を支配する政府軍を現大統領が操るという、まさに地獄の構図が続きました。
主に南部はキリスト教中心で、北部はイスラム教中心、部族宗教も入り混じって、いろいろな部族がおり、色彩がかなり違うのも事実でした。
混乱するコートジボアールに、希望をもたらしているのがサッカーの躍進です。
サッカーは、コートジボアールにとって(おそらく他の多くの国にとって)、他のスポーツとは比較にならないくらい重要な地位を占めています。
そのサッカーで、最近、世界的な有名選手が次々に輩出されて、ワールドカップの出場も果たしました。
そのなかでも、「ディディエ・ドログバ」という、大英雄がでてきました
彼は、今、世界最高のフォワードと言われていますが、ユニセフの親善大使も努め、さらには、コートジボアールの政治情勢にも積極的な発言をします。
その彼が、形だけの停戦協定が結ばれた後の、昨年の3月にアフリカ最優秀選手の授賞式のときに、受賞会見で、次のように語りました
「内戦でもっとも傷つき、悲しい想いをしたブアケ(反乱軍の拠点となった北部の街)の人たちに、代表チームの公式戦をプレゼントしたい」
アフリカ選手権の予選のマダガスカル戦は当初南部の中心都市、アビジャンで行われるはずでしたが、ドログバ自らの大統領への直訴により、試合会場は急遽、北部の街、ブアケに変更になりました。
南部のアビジャンのサッカースタジアムは、私も何回も行きましたが、とても立派なスタジアムでしたが、ブアケのスタジアムは、水道も電気も通らない、国際試合をやるようなスタジアムではなかったと聞いています。
当日の試合では、VIP席で元政府軍と元反乱軍が肩を並べるなど、真の意味での和解が見られたということです。
ドログバは、南部の中心都市、アビジャンのヨプゴンという下町のようなところの出身です。
アーセナル(名古屋グランパスの元監督のベンゲルが監督をしているチーム)、バルセロナ(ロナウジーニョのいるチーム)というヨーロッパのビッククラブの中心選手であるコロ・トゥーレ、ヤヤ・トゥーレの兄弟は、北部の街、ブアケの出身です。
サッカーチームには、南北もなく、一体化します。
そのサッカーチームにコートジボアールの人は熱狂します。
マダガスカル戦は、5対0で、コートジボアールは快勝し、最後の5点目のゴールをドログバが決めた、ということです。その時の熱狂がどれほどであったか。
試合後、ドログバは、次のコメントを出したそうです
「代表チームの中には北部出身者もいれば南部の出身者もいるし、イスラム教の信者もキリスト教の信者もいる。
それでもわれわれは、苦労や喜びを分かち合いながら、いつだって力を合わせて戦ってきた。
政治家の皆さんにも、代表チームの姿勢を少しは見習ってもらいたい」
そして、アフリカ選手権です。
コートジボアールにとっては、今回のアフリカ選手権は、特別なものでしょう。
サッカーは、今回のアフリカ選手権は、コートジボアールに真の平和をもたらすのに、きっと大きな役割を果たすと思います。
がんばれ!コートジボアール!!

私の第二の故郷のコートジボアール(象牙海岸)にとって特別な日が続きます。
私がコートジボアールに青年海外協力隊の隊員として初めて行ったのは、今から16年前、コートジボアールがアフリカ選手権に初優勝した3日くらい後のことでした。
サッカーのアフリカ選手権は、アフリカ人にとっては、オリンピックなどよりもはるかに重要なイベントです。
コートジボアールにとっては、それが、隣国のガーナで、しかも優勝候補の最右翼として迎えられるのは、まさに特別な日だと思います。
今日は、サッカーと絡めてコートジボアールのことを少し書きます
コートジボアールは、60の部族からなる国家です。
私がいた当時は、ウフェボアニという、独立(1960年)以来、30年以上大統領をしていた人がいて安定したのですが、彼が死亡した後、大混乱して、南北に分裂し、内戦状態に突入しました。
北部を支配する反乱軍を前大統領が操り、南部を支配する政府軍を現大統領が操るという、まさに地獄の構図が続きました。
主に南部はキリスト教中心で、北部はイスラム教中心、部族宗教も入り混じって、いろいろな部族がおり、色彩がかなり違うのも事実でした。
混乱するコートジボアールに、希望をもたらしているのがサッカーの躍進です。
サッカーは、コートジボアールにとって(おそらく他の多くの国にとって)、他のスポーツとは比較にならないくらい重要な地位を占めています。
そのサッカーで、最近、世界的な有名選手が次々に輩出されて、ワールドカップの出場も果たしました。
そのなかでも、「ディディエ・ドログバ」という、大英雄がでてきました
彼は、今、世界最高のフォワードと言われていますが、ユニセフの親善大使も努め、さらには、コートジボアールの政治情勢にも積極的な発言をします。
その彼が、形だけの停戦協定が結ばれた後の、昨年の3月にアフリカ最優秀選手の授賞式のときに、受賞会見で、次のように語りました
「内戦でもっとも傷つき、悲しい想いをしたブアケ(反乱軍の拠点となった北部の街)の人たちに、代表チームの公式戦をプレゼントしたい」
アフリカ選手権の予選のマダガスカル戦は当初南部の中心都市、アビジャンで行われるはずでしたが、ドログバ自らの大統領への直訴により、試合会場は急遽、北部の街、ブアケに変更になりました。
南部のアビジャンのサッカースタジアムは、私も何回も行きましたが、とても立派なスタジアムでしたが、ブアケのスタジアムは、水道も電気も通らない、国際試合をやるようなスタジアムではなかったと聞いています。
当日の試合では、VIP席で元政府軍と元反乱軍が肩を並べるなど、真の意味での和解が見られたということです。
ドログバは、南部の中心都市、アビジャンのヨプゴンという下町のようなところの出身です。
アーセナル(名古屋グランパスの元監督のベンゲルが監督をしているチーム)、バルセロナ(ロナウジーニョのいるチーム)というヨーロッパのビッククラブの中心選手であるコロ・トゥーレ、ヤヤ・トゥーレの兄弟は、北部の街、ブアケの出身です。
サッカーチームには、南北もなく、一体化します。
そのサッカーチームにコートジボアールの人は熱狂します。
マダガスカル戦は、5対0で、コートジボアールは快勝し、最後の5点目のゴールをドログバが決めた、ということです。その時の熱狂がどれほどであったか。
試合後、ドログバは、次のコメントを出したそうです
「代表チームの中には北部出身者もいれば南部の出身者もいるし、イスラム教の信者もキリスト教の信者もいる。
それでもわれわれは、苦労や喜びを分かち合いながら、いつだって力を合わせて戦ってきた。
政治家の皆さんにも、代表チームの姿勢を少しは見習ってもらいたい」
そして、アフリカ選手権です。
コートジボアールにとっては、今回のアフリカ選手権は、特別なものでしょう。
サッカーは、今回のアフリカ選手権は、コートジボアールに真の平和をもたらすのに、きっと大きな役割を果たすと思います。
がんばれ!コートジボアール!!









税金マニアの木村先生絡みでこちらのブログは読ませて頂いています。
実は、僕は小学1年の頃から大学までずっとサッカーをしていました。
なので、今回のエントリーは非常に興味深く読ませて頂きました。
貴重なお話、ありがとうございました。