こんにちは、職員のミヤモトです。VOLUNTEERS2015春号、発刊しました!
今回の特集は「東日本大震災から四年 あの日から 止まったままの時間、進みゆく時間」。関東では日に日に震災に関する情報に触れる機会が減っていく中で、「風化」という言葉が浮かびます。
「被災地はもうある程度復興しているんじゃない?」そんな言葉すら聞こえてきそうです。
私宮本は、以前仙台でNPOの仕事をしていたということもあり、今でも定期的に宮城や福島を訪れる機会があります。その中で感じたことや出会った方のお話しを誌面で伝え、そして湘南からできることを考える。今回はそんな特集にしました。
その中で、本日は宮城県石巻市を中心に海岸清掃やボランティアダイビングを行う団体「石巻海さくら」の代表、高橋正祥さんのインタビューをお届けします。
高橋さん、実は湘南とも関係の深い方なんですよ。紙面でもご紹介していますが、お伝えしきれないことをロングバージョンで。
「海さくら」といえば、江ノ島で毎月1回「楽しく、ファンキーに」ゴミ拾いをしている団体。その石巻版?ということで、まずは「石巻海さくら」の活動内容、そして高橋さんご自身と湘南についてや、活動にかける想いも語っていただきました。
―「石巻海さくら」はどんな活動をしているのですか?「umihamaそうじ」という、月に1度の海岸・海中清掃活動をしています。他にも、ご家族からの依頼を受けての行方不明者捜索や、漁師さんの依頼で海中のがれきを撤去したりしています。漁場に瓦礫があると、網が傷ついてしまうのを避けるため漁がストップしてしまうんです。依頼の頻度は月に1−2回くらいですね。漁師さんとの関係も良くて、僕は海さくら以外にダイビングショップを経営しているのですが、そのプログラムで定置網の中にダイブさせていただくものもあります。
行方不明者の捜索も、月に一度は必ず行い、多いときは3回行っています。
―活動場所は石巻なのですか?活動場所は石巻市内や、お隣の女川町、また最近は仙台の東にある七ヶ浜町でも行うことがあります。海岸清掃をする場所は、毎回変わります。メンバーで話し合って決めたり、また僕らの活動を知って「ここをお願いしたい」という依頼を受けたりすることもあります。
―団体のメンバーはどんな方たちですか?メンバーは12人くらいで、地元の方と、震災後に兵庫や香川など県外から来た方が半分ずつくらいですね。地元の漁師さんや、写真家、会社員もいます。ご自身も被災して、その後ダイバーの資格を取って活動しているという方もいますよ。
僕自身も、ダイビングショップの仕事の合間を縫ってボランティアで活動しています。
―地元の方も、震災後に移住された方も一緒に活動しているんですね。月1のumihamaそうじに来るのはどんな方ですか?地元の方はもちろん、関東圏など遠くから来てくださる方もいますよ。これも半々くらいですね。ダイビングショップのお客さんだったり、知りあいの知りあいだったり、あとは江ノ島の「海さくら」経由で来てくださる方も多いです。
―口コミで広がっているのですね。最近の、石巻の海の状況はいかがですか?震災後に比べれば、生き物は戻ってきていると思います。ただ、まだ海中に瓦礫が残っている場所がたくさんあります。「3.11のまま」。そのがれきの上に海藻が生えて、新たな生き物が居ついている場所もありますし、ヘドロがすごくて真っ暗な状態という場所もあります。
―海開きもまだまだできない状態が続いていると聞きます。宮城県内で海開きできているところはまだ少ないですね。(編集部調べ:2014年時点で6か所。震災前は28か所の海水浴場があった。)
海開きをするために、砂浜のゴミ拾いや海中に残っているがれきの撤去、そして「海の中が安全です」と証明するための水中チェックが必要です。仙台の東にある七ヶ浜町では、地元の方たちが、今年の海水浴場オープンに向けて頑張っています。海さくらでも、水中のチェックなどをお手伝いしています。
参考:
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201407/20140709_75010.html―防潮堤や護岸工事も進んでいるのですか?いたるところで工事がありますね。かさ上げ工事が始まって、浜辺に人が入れないところも多く、ビーチクリーンをしようとしても「工事をするのでダメです」という場所がいっぱいある。今、いろんなところで防潮堤を作っているんですよね。海に壁ができるような形で、僕は自然に反しているんじゃないかなと思うし、住んでいる方の中にも違和感を覚えている人もいます。
工事の仕方にもあれ?と思うところがあって。震災で、石巻は1mくらい地盤沈下したといわれているんですが、今は反対に、40cmほど隆起しているんです。それなのに、かさ上げ工事は「1m」の計画のまま進んでいる。合計で1m40cmも地面が上がってしまっているんですよね。上がりすぎて、漁師さんが船から地上に登れないなんて弊害も聞きます。場所によっては、その場所が今後どうなるかわからないまま工事が始まっていて、勝手に進んでしまっているようなところもあります。工事が進むということは復興が進んでいるという事でもあるので、全部が全部否定はできないですし、良い事でもあるとは思っています。
僕たちもお手伝いしている七ヶ浜町なんかは、地元の方が中心になって話し合いをし、行政も動いて、防潮堤の計画が一部変更になったりもしています。女川町も、「防潮堤を作らない」と決めています。考え方や対応は、場所によってまちまちですね。
―場所によって状況が異なる中、海さくらの活動はどう進めているんですか?地元の人たちが「こうしたい」と言っていることに対して、メンバーで何ができるかを話し合って決めていきます。地元の人たちと常に話をしていますね。その場所が将来的にどうなるかを見据えて行動します。
―ご出身はどちらなのですか?出身は仙台です。父が宮城県石巻市、母が福島県南相馬市の出身で、親戚はみんなこっち(東北)にいます。大学も福島県いわき市でしたし、石巻・仙台・南相馬・いわきと、自分を育ててくれた、自分にゆかりのある場所が変わってしまったというのは大きかったですね。何かしなきゃと感じて、震災の4日後には職場に休みをもらって山形経由で宮城に戻りました。
―高橋さんは、神奈川に住んでいらしたこともあるんですよね? 2008年から4年ほど、逗子市に住んでいました。葉山のダイビングショップNANAというところで働いていたんです。そこで江ノ島「海さくら」の代表の古澤さんとも知り合って、震災後に「一緒に何かしよう」ということで、石巻で海さくらを立ち上げたんです。
―高橋さんにとって、湘南ってどんなところですか?何か想い出があれば教えてください。サーフィンもするので、七里ガ浜にもよく行きましたし、えのすい(新江ノ島水族館)の年間パスポートも持っていて、一人でふらっといくこともありましたよ。テラスモール湘南にも行ったことがあります。あの辺りは気候が暖かいしおしゃれだし、海も近くて自然もあって、日本の中では住みやすい場所ですよね。震災無かったら、もしかするとずっと住んでいたかもしれないです。
葉山のダイビングショップには、年に2-3回は行っていますね。あ、4月11日に江ノ島海さくらのイベントに参加しますよ。よかったらぜひ(笑)
―今後やってみたいことってありますか?江ノ島海さくらの古澤さんは、学校で授業なんかもやられていて。僕も、いつか子ども達に海のことを伝えるような活動をしたいですね。
―色々な活動をされている高橋さんを、「突き動かしているもの」は何ですか?突き動かしているもの・・・うーん、「やりたいことをやる」ということですかね。子どもたちに背中を見せてあげたいです。「人生これやったら上手くいくよ」という物はないですが、自分が思ったことはやってみて、失敗しても良いというか、そういう部分もみせてあげたらいいかなと思います。失敗したからといって死ぬわけじゃないしですし(笑)
とにかく「思ったことはやる!」というのが自分のスタイルです。
あとは、震災も原発事故も、自分たちが生きている時代にこういうことが起きてしまったけれど、子どもたちが大人になったときに「何であの時何もしなかったの?」と言われたくない。僕たちが行動しないと、自然も壊れてしまうし、魚がいない時代が来てしまうかもしれないし、日本や世界が滅びてしまうという危機感があります。未来の子どもたちに、環境を残していきたいですね、そのために、ビーチクリーンをして海をきれいにしていますし、月に1度の海の放射能測定もしています。海、大好きなので。
あとは勢い!仲間がいて、やれるときに、どんどんやらないとね。
―では、最後に読者に伝えたいことをお願いします。まずはこちらに来て、参加してもらえたらと思います、来ないと分からないことがたくさんあります。
関東でもいろいろな考え方があると思いますが、放射能のことは気にされている方からたまに聞かれます。僕らは実際に毎月1回海中も線量を測っていますが、一度も基準値を超えたことがありません。僕には8か月の息子がいますので、そのあたりはとても気にしていますが、海も食べ物も安全だと思います。放射能測定はお金もかかりますが、次の世代の子どもたちの安全は、今いる大人たちがやっていかなければならないですよね。
「風化」という言葉もよく聞きます。ボランティアもあまり来なくなっているし、活動自体も減ってきています。それは、時代の流れだからある程度しょうがないと思います。だけど、「忘れちゃいけない」ということが大事ですし、こっちに来て現状を知ってもいたい。「町が復興しました」「こういう状況ですよ」という復興の現場もですが、今でも行方不明捜索を依頼される遺族の方のように、気持ち的にはまだまだという現状もあります。
被災状況も人それぞれですし、復興って、一人ひとり違うんだなと思います。「被災地は復興しました」と言えるのは、まだまだ、当分先なんだと思います。
「忘れないで」とっても、人間ですし、遠く離れていると忘れてしまう。それは人間なので、しょうがない部分もあります。僕はたまたま、日々の活動の中で感じることが多いだけで。忘れないためにどうするか、何ができるかを考えていかなきゃならなない。
僕たちは、日々活動つづけるということが大事だなと思っています。続けるのが一番大変で難しい。それでも、続けていれば発信していけるので、これからも継続していきたいですね。
ありがとうございました!東北の海の復興、遠くからも応援していきたいですね。(職員・宮本)