ふじキンダー学園 竣工式[2016年03月27日(Sun)]
2016年3月27日
ふじキンダー学園さんの竣工式に、来賓として出席させていただきました。
4月1日から認定こども園ふじキンダー学園となります。
1982年(昭和57年)に開園。以来、この場所で34年間、富士宮市の幼児教育を支えています。
当法人代表理事の村松も、ここふじキンダー学園さんの卒園児です。
新園舎内には、交流を続ける、宮城県南三陸町の「あさひ幼稚園」さんからのお祝いメッセージが飾られていました。
「みんなでこいのぼりつくったのたのしかったよ」「いつもとおくからきてくれてありがとう」「しょうがっこうでもがんばります」などたくさんの思い出が描かれいました。
あさひ幼稚園さんとは、ふじキンダー学園鳴海淑子園長先生が、当法人の震災ボランティ(2012年8月)に南三陸町を訪れた時に、「ここにいた園児達は、どうなったんだろう?」と言った一言でした。その後も、何度も一緒に汗を流し、一緒にボランティアをしてくれました。
そんな中で、出会ったのがあさひ幼稚園の小島孝尋園長先生。「手狭な仮園舎で庭で遊ぶことや鯉のぼりを掲げる事も難しい」そんな一言がきっかけでした。2013年5月より交流スタートしました。春には鯉のぼり、夏には七夕、秋には運動会、冬には卒園メッセージ交換するなど1年を通じて年長園児が交流しています。
2012年ロンドンパラリンピックの感動を、もう一度。
当法人が南三陸町へ毎月、ボランティアをする中で出会った人。
南三陸町で視覚障害者のご夫婦を支援する中で出会った、宮城県南三陸町出身の「遠藤義安」さん。視覚障害者に柔道を教えていると言われて、知り合あったことがきっかけ。
話を聞いてびっくり。パラリンピック日本柔道代表監督さんでした。
ふじキンダー学園さんの年長園児さんと一緒に応援した2012年ロンドンパラリンピック。
その、ロンドンパラリンピック柔道日本代表、主将を務めた廣瀬誠選手。
ふじキンダー学園さんの父親参観日にもよく遊びにきてくれています。
そんな素敵な二人から祝辞のメッセージが届き、新園舎で飾られていました。
ふじキンダー学園の皆様へ
ふじキンダー学園の新園舎完成、おめでとうございます。
視覚障害者柔道の廣瀬誠です。
ふじキンダー学園のみなさんが、ロンドンパラリンピックで柔道を応援してくれたこと、今でも忘れません。
あれから四年が経とうとしていますが、今でも時々、ふじキンダー学園に遊びに行かせてもらっています。
父親参観日に参加させてもらった時には私の子供もみなさんと元気に遊ばせてもらいました。
次回遊びに行かせてもらった時、新しい園舎を見るのが楽しみです。
今年はリオデジャネイロパラリンピックが開催される年です。私は視覚障害者柔道60kg以下級日本代表を目指して頑張っています。みなさんも楽しいこと、やりたいことを一生懸命頑張ってください。私はふじキンダー学園のみなさんに応援してもらって力をもらいました。私もみなさんを応援しています。
新しい園舎を大切に、たくさんの良い思い出を作ってください。
2012年ロンドンパラリンピック柔道日本代表主将 廣瀬 誠
ふじキンダー学園御中
新しい園舎が完成し、ふじキンダー学園が新たな歴史のとびらを開くこととなりましたこと、誠におめでとうございます。
思えば4年前、東日本大震災の支援に汗をかいていたヴィレッジネーション代表の村松さんとの出会いから、ふじキンダー学園の皆さんとパラリンピック柔道チームとの物語が始まりました。
皆さんの応援をいただき臨んだロンドンパラリンピック。選手村のエレベーター前に掲げたあの寄せ書き横断幕は、日々選手たちを勇気づけていました。満員の観客席にあっても試合場から確認でき、対戦相手を目の前にした選手を奮い起たせたものです。
皆さんの思いを胸に共にたたかい、共に喜び、共に悔しがり、チーム唯一獲得した正木健人選手の金メダルは、皆さんの物でもあります。帰国時の空港での出迎えでいただいた手作りの金メダルには、感激して涙する選手もいたものです。
早いもので今年はリオデジャネイロパラリンピックの年を迎えました。4年前の感動を胸に、日々選手たちも稽古に励んでいます。再びふじキンダー学園の皆さんと心を一つに南米ブラジルの地で、日の丸を掲げ、メダルを胸にしたいと思っています。これからもパラリンピック柔道チームはふじキンダー学園の歴史の片隅にて、柔道を通じ子供たちの心を育てる歩みを共にさせていただければ幸いと思っております。
ふじキンダー学園の益々のご繁栄を心よりお祈りいたします。
パラリンピック日本柔道代表監督 遠藤義安
お二方とも素敵なメッセージをありがとうございました。
当法人とのかかわりが、ふじキンダー学園さんの歴史に刻まれていて本当にうれしく思っております。
ふじキンダー学園の皆様、新園舎完成おめでとうございます。
ふじキンダー学園さんの竣工式に、来賓として出席させていただきました。
4月1日から認定こども園ふじキンダー学園となります。
1982年(昭和57年)に開園。以来、この場所で34年間、富士宮市の幼児教育を支えています。
当法人代表理事の村松も、ここふじキンダー学園さんの卒園児です。
新園舎内には、交流を続ける、宮城県南三陸町の「あさひ幼稚園」さんからのお祝いメッセージが飾られていました。
「みんなでこいのぼりつくったのたのしかったよ」「いつもとおくからきてくれてありがとう」「しょうがっこうでもがんばります」などたくさんの思い出が描かれいました。
あさひ幼稚園さんとは、ふじキンダー学園鳴海淑子園長先生が、当法人の震災ボランティ(2012年8月)に南三陸町を訪れた時に、「ここにいた園児達は、どうなったんだろう?」と言った一言でした。その後も、何度も一緒に汗を流し、一緒にボランティアをしてくれました。
そんな中で、出会ったのがあさひ幼稚園の小島孝尋園長先生。「手狭な仮園舎で庭で遊ぶことや鯉のぼりを掲げる事も難しい」そんな一言がきっかけでした。2013年5月より交流スタートしました。春には鯉のぼり、夏には七夕、秋には運動会、冬には卒園メッセージ交換するなど1年を通じて年長園児が交流しています。
2012年ロンドンパラリンピックの感動を、もう一度。
当法人が南三陸町へ毎月、ボランティアをする中で出会った人。
南三陸町で視覚障害者のご夫婦を支援する中で出会った、宮城県南三陸町出身の「遠藤義安」さん。視覚障害者に柔道を教えていると言われて、知り合あったことがきっかけ。
話を聞いてびっくり。パラリンピック日本柔道代表監督さんでした。
ふじキンダー学園さんの年長園児さんと一緒に応援した2012年ロンドンパラリンピック。
その、ロンドンパラリンピック柔道日本代表、主将を務めた廣瀬誠選手。
ふじキンダー学園さんの父親参観日にもよく遊びにきてくれています。
そんな素敵な二人から祝辞のメッセージが届き、新園舎で飾られていました。
ふじキンダー学園の皆様へ
ふじキンダー学園の新園舎完成、おめでとうございます。
視覚障害者柔道の廣瀬誠です。
ふじキンダー学園のみなさんが、ロンドンパラリンピックで柔道を応援してくれたこと、今でも忘れません。
あれから四年が経とうとしていますが、今でも時々、ふじキンダー学園に遊びに行かせてもらっています。
父親参観日に参加させてもらった時には私の子供もみなさんと元気に遊ばせてもらいました。
次回遊びに行かせてもらった時、新しい園舎を見るのが楽しみです。
今年はリオデジャネイロパラリンピックが開催される年です。私は視覚障害者柔道60kg以下級日本代表を目指して頑張っています。みなさんも楽しいこと、やりたいことを一生懸命頑張ってください。私はふじキンダー学園のみなさんに応援してもらって力をもらいました。私もみなさんを応援しています。
新しい園舎を大切に、たくさんの良い思い出を作ってください。
2012年ロンドンパラリンピック柔道日本代表主将 廣瀬 誠
ふじキンダー学園御中
新しい園舎が完成し、ふじキンダー学園が新たな歴史のとびらを開くこととなりましたこと、誠におめでとうございます。
思えば4年前、東日本大震災の支援に汗をかいていたヴィレッジネーション代表の村松さんとの出会いから、ふじキンダー学園の皆さんとパラリンピック柔道チームとの物語が始まりました。
皆さんの応援をいただき臨んだロンドンパラリンピック。選手村のエレベーター前に掲げたあの寄せ書き横断幕は、日々選手たちを勇気づけていました。満員の観客席にあっても試合場から確認でき、対戦相手を目の前にした選手を奮い起たせたものです。
皆さんの思いを胸に共にたたかい、共に喜び、共に悔しがり、チーム唯一獲得した正木健人選手の金メダルは、皆さんの物でもあります。帰国時の空港での出迎えでいただいた手作りの金メダルには、感激して涙する選手もいたものです。
早いもので今年はリオデジャネイロパラリンピックの年を迎えました。4年前の感動を胸に、日々選手たちも稽古に励んでいます。再びふじキンダー学園の皆さんと心を一つに南米ブラジルの地で、日の丸を掲げ、メダルを胸にしたいと思っています。これからもパラリンピック柔道チームはふじキンダー学園の歴史の片隅にて、柔道を通じ子供たちの心を育てる歩みを共にさせていただければ幸いと思っております。
ふじキンダー学園の益々のご繁栄を心よりお祈りいたします。
パラリンピック日本柔道代表監督 遠藤義安
お二方とも素敵なメッセージをありがとうございました。
当法人とのかかわりが、ふじキンダー学園さんの歴史に刻まれていて本当にうれしく思っております。
ふじキンダー学園の皆様、新園舎完成おめでとうございます。