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再び南三陸町へ。そして大川小学校へ[2023年04月29日(Sat)]
当法人にとって、久しぶりの南三陸町訪問だった27日(木)。
会いたい人や、訪ねてみたい場所も多かった。
しかし時間的都合で断念せざるを得なかった。それは、28日(金)に仙台空港でのイベントがあったためだった。南三陸町から仙台空港まではおおよそ90分ほど離れていて往復すれば、3時間。

予定のイベントをこなし、あっという間に29日(土)
本来なら今日は、仙台の名所周りを予定していたが、「やっぱりどうしても会いたい・後悔したくない・どうしても行きたい南三陸町」再び、南三陸町へ向かいました。


27日に1度訪れたのですが、どうしても時間がなくてご飯を頂くことが出来なかった季節料理「志のや」さん。
折角来たのに「飯も食べずに帰るのは寂しいな」って、肩を落としやせ細った親方。震災のどんなに苦しい時にも、しっかり前を向いていた親方だが、少し前に身内にご不幸があり、うつむき加減。どうしても元気付けたいと思って再び、今日、南三陸町へやってきたというわけです。
やっぱり来て良かった。飯が美味い。震災から12年。私は、南三陸町内ではここでしかご飯を食べたことがありません!!いつも志のやで腹いっぱい、四季と南三陸町、復興を感じています。
20230429南三陸町「季節料理 志のや」.jpg

20230429南三陸町「志のや 店主」.jpg

(志のや キラキラ丼(春))
20230429「志のや キラキラ丼(春)」.jpg

(志のや 海鮮丼)
20230429「志のや 海鮮丼」.JPG


考えてみたら、いつも南三陸町の絵を描いてくれる子どもたちにお土産を購入していない、グリムナラの院長先生。いつも子どもたちの印象にあるYES工房やさんさん商店街に行って買物をしたり、震災遺構や自然を見て写真やビデオに収め、悲しい場所と自然の豊かさ、海と一緒に生きている2度目の南三陸町を心深く観察していました。様々な場所や人と会い、お土産一杯買ってくれました。
(YES工房)
20230427「YES工房」.jpg

(JR気仙沼線BRT バス)
20230427「JR気仙沼線BRT」バス.jpg

(さんさん商店街から見える防災庁舎)
20230429「さんさん商店街」.jpg

(サンオーレそではま海水浴場)
20230429「サンオーレそではま海水浴場」 (3).jpg

20230429「サンオーレそではま海水浴場」 (2).jpg

20230429「サンオーレそではま海水浴場」 (3).jpg

(伝説の神割崎 南三陸町と石巻の堺)
20230429「神割崎」.jpg

20230429「神割崎」 (2).JPG


そして初めての大川小学校へ。
前日、仙台空港で取材して頂いたときに、毎日新聞の記者さんが教えてくれた「大川小学校」
学校管理下で起きた戦後最悪の事故という事は知っていたのですが、いままで訪れたことがありませんでした。そして南三陸町から仙台へ向かう道の近くにあることも知りませんでした。詳しくは、次回
(裏山から見える大川小学校)
20230429「大川小学校」.JPG
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 22:29 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
韓国の塾の院長、初めての南三陸町と南三陸病院訪問[2023年04月27日(Thu)]
2014年韓国セウォル号転覆事故事故を受け、防災減災安全教育の依頼が来て、当法人が初めて韓国へ2014年6月に訪韓。
それから長期休みなどを使い定期的に訪れ、日々、復興する南三陸町の様子などを使用しながら、防災教育を韓国の美術を中心とした総合学習塾で行ってきました。
(2014年初めて行った絵を見て避難ポーズをする防災ゲームをする韓国の子どもたち)
201406ヴィレッジネーションの防災減災安全教育(그림나라).JPG

2018年韓国の子どもたちが、「ここ(南三陸町)の人たちは今も元気ですか!?」の質問に答えるべく、復興応援横断幕を南三陸病院(旧志津川病院)へ贈ったことがきっかけ。
それから、だんだんに復興も進み、そしてコロナ禍。
当初、復興応援だった横断幕(絵画)も、いつしか「今年も元気を贈ります」と言う絵画に変わっていきました。
南三陸町に訪れたことのない韓国の子どもたちは、いつも私の持っている南三陸町の写真や、YouTubeなどで調べていました。もちろん、塾の院長も同様でした。
(2018年最初に南三陸病院へ贈った、復興応援横断幕)
2018年グリムナラ(南三陸病院).jpg

震災から12年、韓国で防災教育を初めて9年。横断幕を贈り始めて6回。
南三陸町の復興や南三陸病院を韓国富川市のグリムナラ(그림나라)の院長が初めて訪問してくれました。
あさひ幼稚園を訪れ、日本の子どもたちと遊んだり、災害時の教育について意見交換をしたり、震災直後から復興する当時の写真と現在を比べてもらいました。(一部写真を加工しています)
202304227あさひ幼稚園(南三陸町).jpg

20230427あさひ幼稚園(南三陸町).jpg

20230427南三陸町(ヴィレッジネーション) (2).jpg

20230427南三陸町(ヴィレッジネーション).jpg

南三陸病院では、実際に送った絵画を見ながら、病院機能や当時の様子や絵に対しての反応など、意見交換を行いました。
20230427미나미 산리쿠병원(그림나라).JPG

グリムナラ院長は、
「写真や映像で見た南三陸町とは違い、復興が進み、昔の面影はほとんどなく、そこには当たり前の日常が流れ、海鳥が南三陸町震災復興祈念公園にある防災対策庁舎の骨組みに止まっていたりしていた。どこそこに、津波が到達した標識があり、初めて訪れた人でも地震が発生した時にはこれより高い場所にいなければならないことが良く理解できた。災害を悲しい出来事に終わらせず、次に進むためどう安全にするか考え続けていることが伝わった。このことを子供たちにもしっかり伝えたい」と話していました。

全ての南三陸町を回ることが出来ませんでしたが、明日はいよいよ、仙台空港。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 21:30 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2022年10月の宮城県南三陸町 番外編[2022年10月08日(Sat)]
さんさん商店街を久しぶりに散策する中で、いつも寄らせて頂く「わたや」さん。
元々は、クリーニング店を営んでいらっしゃったようですが、東日本大震災の津波で被災。
当時のお店は跡形もなくなってしまいました。
20120915宮城県南三陸町.JPG

20121106南三陸町「わたや」跡地.JPG
(被災前に合ったお店の跡地)


その後、復興商店街、旧さんさん商店街で店を再建。仮設のお店で運営されていました。
どのお店も名産や食堂を営む中に、クリーニング店があり立ち寄ったことがきっかけです。
観光客が訪れる旧さんさん商店街で、町の人が服のクリーニングの為に立ち寄ったり取りに来たり、制服を販売したりして、震災観光地となっていた商店街の中では、地域密着型のお店が印象的でした。(お土産品も少し売っていました)
当時、支援に行く度に、お話を聞かせて頂いたり、四季に合わせてクリーニングに出される種類が変わってきたことなど、当たり前ですがたわいもない話を良くして頂きました。
20120311旧さんさん商店街入口.JPG

20120311宮城県南三陸町「わたや」さん.JPG

20120311宮城県南三陸町「わたや」さん (2).JPG
(旧さんさん商店街の頃)

当時、仮設住宅に住まれているの皆さんの家に表札がなかったので、仮設住宅に住まれている方と一緒に表札を作りをしたワークショップ時に、わたやさんのお店の分も作成しました。(2012年9月)
20120917仮設住宅の表札作り.JPG

20120917仮設住宅の表札作り (2).JPG

20120917仮設住宅の表札作り (3).JPG

201211月旧さんさん商店街「わたや」さん.JPG(旧さんさん商店街のわたやさん)

旧さんさん商店街は、場所を変え、現在の場所に移転。
その時の送った表札を今でもお店に飾っていてくれています。
あの時、仮設商店街の仮のお店だったから、簡単に作った表札。10年経った今もこんなにも大切にしてくれていることを思うと、この人たちに出会えて本当に良かったと感じます。
20221003宮城県南三陸町「わたや」さん.jpg


現在は、さんさん商店街の真ん中位の位置でクリーニング・学生服・お土産の店として、変わらず店主とその奥さんが切り盛りしています。おすすめです。
宮城県南三陸町「わたや」
20221003宮城県南三陸町さんさ商店街.jpg

20180310宮城県南三陸町「わたや」さん.jpg

Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 17:02 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2022年10月の宮城県南三陸町 その2[2022年10月07日(Fri)]
町の中では、今も復興工事が所々で行われていました。
防災庁舎があった場所は、被災した防災庁舎を一時的に宮城県が保存しながら、その周りを祈念公園として訪れることが出来ます。
周辺は、元の高さの防災庁舎を除き、大きく盛土で形成されているために、高台公園となり、南三陸町を見渡すことが出来ます。
20110423 宮城県南三陸町.JPG
(2011年4月23日 宮城県南三陸町の防災庁舎)

20221003宮城県南三陸町 (1).jpg

20221003宮城県南三陸町 (2).jpg

20221003宮城県南三陸町 (3).jpg


川を渡れば、さんさん商店街。
平日のお昼を過ぎた時間だったので人影はまばらですが、時間をずれれば駐車場に入りきれないほど、今も人気です。
一時は、国の制度を利用してどの被災地も盛り上がっていましたが、被災した町のほとんどが人気を継続できず衰退。南三陸も例外ではなく、さんさん商店街を比喩して閑散商店街と言われた時期もありましたが、町民の工夫を継続して、今も賑わい楽しませるシステムを保っていました。
20221003宮城県南三陸町 (4).jpg

20221003宮城県南三陸町 (5).jpg


そして、2022年10月1日にオープンした南三陸311メモリアル。
震災当時の住民の証言や、写真、映像を継続して収集されていました。
とても衝撃的な写真から、復興が進み、日常を喜ぶ笑顔の写真等、南三陸を体験できます。
館内は撮影禁止のために、1度訪れることをお勧めいたします。
20221003宮城県南三陸町 (6).jpg

20221003宮城県南三陸町 (7).jpg


また、併設して、道の駅があります。
個人的に、道の駅と言うと、地域の物産展の集まりの様なイメージを致しますが、ここの道の駅は、ずばりそのまま、道の駅。道にあるJR駅です。
震災の津波でJR線が流失してしまい、現在は、その線路を埋め立て一部をバスが走っています。
このバスをBRT(バス・ラピッド・トランジット)と呼び、電車の変わりになり生活を支えています。
このBRTのメリットは、予めルートが決まっていますが、混む道路がある場合、埋め立てた旧線路を走ってくるために、場合によっては自家用車より到着が早い場合があり、大変便利です。
そして1度作った駅も、バスの為に町の状況によって駅を移動できるなど、復興が進む町にとってはメリットが一杯です。
説明が難しいですが、道にある駅=道の駅なのです。
20221003宮城県南三陸町 (8).jpg


今回、久しぶりに訪れた南三陸町でしたが、変わらない人の頑張りや、笑顔に触れられたこと。楽しみに待っていてくれた人たちに会えたこと。町はまだまだ変わり、震災遺構の存続など課題はあるけれど、それらもしっかり受け止めて生活している人たちに出会えてよかったと感じました。日本国内の相次ぐ自然災害などが続き、11年前の事など忘れられがちですが、今を生きているほとんどの人があの時、何か一つ出来ることはないだろうと考えていたことが懐かしく、次に起こる自然災害にも、活かしていきたいと思いました。
202210月の南三陸町.jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 16:27 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2022年10月の宮城県南三陸町 その1[2022年10月05日(Wed)]
コロナ禍となり、県外移動の自粛などにより、久しぶりの宮城県南三陸町。
当法人としては、2019年5月以来になりました。
(ベイサイドアリーナ)
202210宮城県南三陸町.jpg

2021年3月18日に死去された岩崎あや子宅へ、弔問させて頂きました。
夫である惣一さんは、元気を取り戻し、お元気な様子でホッとした。
いままで妻が色々してくれていたけど「今は何でも自分でしないとならない」と、頭を搔きながらやさしく出迎えてくれました。
南三陸町の岩崎惣一さん.jpg

すっかり町が変わった様子や、近況を報告しあって、時を戻すかの様にたくさんお話をしました。
お庭には、2011年8月27日に、目の手術を終えたあや子さんの退院祝いに送った、「初雪かずら」が自生していました。
20110827 南三陸町の岩崎あや子さん.JPG

202210 自生したハツユキカズラ.jpg

南三陸町の岩崎惣一さん (2).jpg

町も大きく変わり、支援から繋がりそして親友へ。
多くの時が流れたことを感じました。
2011年8月の東山公園
2011年8月の宮城県南三陸町.JPG

2022年10月の東山公園
2022年10月の宮城県南三陸町.jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 20:24 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
宮城県南三陸町のあさひ幼稚園「運動会」[2022年10月01日(Sat)]
2013年から始まった、静岡県富士宮市と宮城県南三陸町の園児が繋ぐ
「友情こいのぼり」プロジェクト
2011年、東日本大震災の津波の被害を受けた、南三陸町にある「あさひ幼稚園」さん。
園舎は津波で流され、仮設園舎を転々とし、大変な園生活を送っている園児を勇気づけようと始まったのがきっかけのあさひ幼稚園さん。
2020年の鯉のぼり交流を最後に、コロナ禍で交流自体が難しくなりストップ。
当時は、コロナ感染者が0人をキープしている南三陸町を考えると、県を跨ぐ移動も儘ならない状況化でした。

見えないコロナ禍でしたが、当法人は「あさひ幼稚園」さんとの繋がりを大切にしてきました。
幼稚園内の夏祭りイベント時期には盆踊りも踊れず時間短縮。
今回、コロナが無くなった訳ではありませんが、出来ることをやろうと奮起している「あさひ幼稚園」さんを応援しに行ってきました。
お会いするのは本当に久しぶりでしたが、久しぶりな感じがしない感覚ってなんなんでしょうか?
20221001 南三陸町あさひ幼稚園.jpg

20221001 南三陸町あさひ幼稚園 (2).jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 20:28 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
南三陸病院さんから、届いた[2021年06月28日(Mon)]
先日、宮城県南三陸町にある南三陸病院さんから、メッセージと写真を頂きました。

南三陸町では唯一のワクチン接種会場となり、当院でも慌ただしく高齢者ワクチン接種が進んでいます。韓国から頂いた、復興応援横断幕(絵画)を高齢者の方々の目に止まる場所に展示して、頑張っています。とのメッセージを頂きました。

展示されている写真も、添付されていました。(写真の一部を、加工しています)
南三陸病院(ヴィレッジネーション グリムナラ).jpg

南三陸病院(ヴィレッジネーション グリムナラ) (2).jpg

南三陸病院(ヴィレッジネーション 그림나라).jpg


2011年東日本大震災がきっかけのご縁。
南三陸町とヴィレッジネーションと韓国
今でも人を想う気持ちが続いています。
(2021年2月韓国の塾그림나라(グリムナラ)での制作風景)
그림나라(ヴィレッジネーション 미나미산리쿠병원).jpg

그림나라(무라마츠 미나미산리쿠병원).jpg

동일본대지진(빌리지 네이션 미나미산리쿠병원).jpg
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 17:03 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2021年2月13日 福島県沖地震M7.3[2021年02月14日(Sun)]
2021年2月13日23時08分、福島県沖でマグニチュード7.3の地震が発生。
震源の深さは、約60キロ
20210213福島県沖地震.jpg

福島県内の震度6強は、相馬市、国見町、新地町。
震度6弱は、福島市、郡山市、南相馬市、広野町、楢葉町、大熊町、双葉町、浪江町等
震度5強は、いわき市、白河市、二本松市、猪苗代町、飯舘村等

宮城県の震度6強は、蔵王町。
震度6弱は、石巻市、岩沼市、登米市、亘理町、山元町等
震度5強は、仙台市青葉区、仙台市宮城野区、仙台若林地区、名取市、松島町等
震度4は、南三陸町

どの町も、2011年東日本大震災が起きる前だったら、知らなかった町ですが、知っている町の名前が次々と地震速報から流れてきた。
北は北海道から、南は、広島県まで揺れた大きな地震でした。
ここ、静岡県富士宮市では、震度3を記録しました。

この地震では、震源の深さが深かったために、多少の海面変動が起こるかもしれないが、津波の心配ないと、すぐに報道されて、ホッとしました。
ただ、2016年4月14日から16日未明まで相次いで震度7や震度6強を記録した雲本地震の記憶と重なり、改めて地震の怖さを思い出しました。

地震速報からは、次々と地震を体験した人達の映像や、町の様子が映し出されて、東北で知り合った方々の安否が気になりました。
深夜の時間帯だったのですが、SNSでオンラインになっている方の安否が気になり連絡。

1番被害が大きかった福島県南相馬市に住む方からは、家の瓦の落下や、壁の崩落の写真。
20210213福島県南相馬市 (2).jpg

20210213福島県南相馬市.jpg

宮城県仙台市内の方からは、食器棚から出た食器の破損状況。
宮城県南三陸町の方からは、東日本大震災を思い出すと不安ですすり泣く声や、再建させたお店が不安と震えが止まらない様子.
20210213宮城県仙台市.jpg

幸いにも?と言っていいだろうか?しかしこの巨大な地震の中でも、多くのけが人の報告もなく、私の知り合いの中でも人的災害はありませんでした。
10年前の東日本大震災からの余震だと思われ、今後一週間程度、余震に注意が必要と発表されていました。
翌日、韓国でも大きく報道され、福島県には1300人、宮城県には約3200人に韓国人が日本で暮らしていると知りました。

2月25日追記:この地震で50代男性1名が家財道具の下敷きになり死亡が確認されました。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 14:37 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2020年12月の南三陸町[2020年12月27日(Sun)]
2020年12月からコロナ禍が始まり、2021年3月に訪れる予定だった宮城県南三陸町。
当法人が最後に訪れたのは、2019年5月が最後です。
それから、1年7か月ぶりの宮城県南三陸町の様子。

現在も、南三陸町ではコロナ感染者0人を記録中。
益々、海外や県外から行けそうにありませんが、自粛も応援!?

そんな中、いつもお世話になっている季節料理「志のや」さんの従業員の方にお願いして、南三陸町の写真を撮って頂きました。現在の南三陸町をご覧ください。
2020年12月の南三陸町.jpg

2020年12月の南三陸町 (2).jpg

2020年12月の南三陸町 (3).jpg

2020年12月の南三陸町 (4).jpg

2020年12月の南三陸町 (5).jpg

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2020年12月の南三陸町 (7).jpg

2020年12月の南三陸町 (8).jpg

2020年12月の南三陸町 (9).jpg

どの写真もどこから撮って頂いたかわかる写真ばかりで、だんだん町が出来てきていることが分かります。
お忙しい中、ご協力ありがとうございました。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 15:32 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2019年5月の南三陸町[2019年05月17日(Fri)]
震災から9年2か月。

2012年1月2日に、YES工房で働いていた、高橋さんのお店。「志のや」さん。
キラキラ丼の発祥地。2012年2月の仮設商店街さんさん商店街がオープンしてからここ以外の店で食べたことがありません。5月1日から始まったキラキラ丼は、雲丹。
201905「志のや キラキラ丼」.JPG


志津川湾を見渡せる、サンオーレそではま。オクトパス君をモチーフにした遊具を発見しました。
20190513サンオーレそではま (2).JPG

20190513サンオーレそではま.JPG

袖浜漁港
20190513袖浜漁港.JPG


旧志津川病院の事務長の横山孝明さん。
南三陸病院の事務長を経て、現在は2006年に完成2011年の東日本大震災の、津波の被害を免れた、介護老人保健施設ハイム・メアーズの事務長に異動されていました。
志津川病院時代には、避難マニュアルは3階以上へ避難。実際には、津波は4階まで到達。入院患者107人中72人が死亡・行方不明になりながら、最前線で指揮を執り42人の入院患者を救った。
穏やかな人ですが、たくさんの仲間を失い、2013年1月にはアルジェリア人質事件で友人まで失いながら、ふるさとの復興をいつも考えている人です。
201905介護老人保健施設ハイム・メアーズ.JPG

ヴィレッジネーション村松と横山孝明事務長.JPG


ホテル観洋から見える、南三陸町。
ラムサール条約に登録された志津川湾。養殖業が盛んです。
ホテル観洋から見える南三陸町.JPG


志津川中学校からの風景。
下には総合運動公園(仮)が出来ています。
何故かトラックが300メートル。どうやら昔あった松原公園をモチーフにしているからだとか…400メートルトラックなら公式に使えるのに…と住民が嘆いてるが、役所の仕事とはそんなものなのか?ここの情報は定かではありません。
20190513志津川中学校からの南三陸町.JPG


45号線からの防災庁舎。
震災復興祈念公園を建設中。
20190513防災庁舎と震災復興祈念公園建設中.JPG


いつもお世話になっているYES工房さん。
何と「クムトパス君」を発見。これは、公開してもいいものなのか?
2020年東京パラリンピック日本柔道で活躍する、ゆるキャラ。
20190513YES工房 (2).jpg

20190513YES工房.jpg


桜沢仮設住宅があった場所。
あんなにたくさんの人が住んでいた仮設が取り壊され、一軒家が建設中。
20120812桜沢仮設住宅.JPG
(2012年8月の桜沢仮設住宅)

20190513桜沢仮設住宅跡地.JPG
(2019年5月の桜沢仮設住宅跡地)

東山公園から見える、南三陸町。
ここから見降ろす南三陸町が好きだったのに、盛り土がされそんなに高く感じなくなってしまった。
20190513東山公園からの南三陸町.JPG


さんさん商店街を歩く、高校生カップル。
何げない、普段の姿に復興や当たり前を感じることができる。
2019 0513さんさん商店街.JPG


この時期に普通に見られるようになった、田植え。
私が1番復興が進んできたことを感じる瞬間。
当たり前のことが出来るようになってきた南三陸町。
20190513宮城県南三陸町 (2).jpg


復興が進む南三陸町。生涯学習センターがオープンするなど、町民が住みやすくなってきている一方、まだまだ現地の人が通う、居酒屋やショップなどがない。この理由の一つに、居抜き店舗がないことが挙げられる。居抜き物件がない為に、若者がチャレンジするには店舗建設からしなければならないと、ハードルが高い。また高齢者にも言えるが、店舗建設までして店舗を維持しようと思わない。使用しなくなった仮設住宅を、チャレンジショップとして数年単位で貸し出せば、若者や高齢者もチャレンジできる環境が出来るのだろうけど、仮設住宅は国のもので解体されてしまう。行政と市民のミスマッチが、復興を遅らせているように感じた、2019年5月の南三陸町でした。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 18:37 | 南三陸町 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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