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2016年3月11日 東日本大震災から5年が経ち…[2016年03月11日(Fri)]
震災から5年目の「東日本大震災犠牲者南三陸町追悼式」
あの日と同じ金曜日。
海は青く、空も澄み、時よりちらつく春を知らせる雪。
天皇陛下が「国民が心一つに寄り添っていくことが大切」と述べられてました。
南三陸町においては死者620人。未だ行方不明者の数は、212人(南三陸町HPより抜粋)
2016年3月11日東日本大震災南三陸町追悼式.JPG

震災をきっかけに3年目まで、毎月訪れたここ宮城県南三陸町。
さまざまな思いとご縁で、いまここにいます。
震災後、町の景観や繋がり方にも、時間と共に変化してきました。
これからも新しい繋がり方に変化しながら同じ日本を日本人として、世界に生きる人として考えていこうと思いました。
2016年3月11日の南三陸町.JPG

未来をみる南三陸町.JPG
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 23:25 | 2011.3.11 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2016年2月11日 東日本大震災から4年11ヶ月が経ち…[2016年02月11日(Thu)]
東日本大震災から4年11カ月が経ちました。
最近、頻繁に日本各地で地震が起き、8日には鹿児島県にある桜島が噴火。
近隣諸国では、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)が、「人工衛星打ち上げ用」にも「弾道ミサイル」にも共通する「ロケット」の打ち上げに成功。
6日には、台湾南部で大地震が発生。死者61人行方不明者約60人(2月11日現在)
東日本大震災後、交流が続く南三陸町が、全町一丸となって募金活動を開始した。


来月で東日本大震災から5年。
宮城県南三陸町の広報に追悼式のお知らせがありました。
「東日本大震災 南三陸町追悼式」
平成23年の東日本大震災により犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、復興への誓いを新たにするため、本年も南三陸町主催による追悼式を開催いたします。
震災のご遺族及び関係者の皆様のご参列を、ご案内申し上げます。
日時:3月11日(金)午後2時30分開式(予定)
          (午後1時45分開場)
場所:南三陸町総合体育館ベイサイドアリーナ(志津川字沼田56番地)
※ 詳細については広報みなみさんりく3月号でお知らせいたします。
2015年南三陸町追悼式.jpg
(写真は、昨年行われた南三陸町追悼式の様子)
5年目を迎える来月、南三陸町で手を合わせたいと思います。
一緒に参列される方を募集しています。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 20:33 | 2011.3.11 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2016年1月11日 東日本大震災から4年10ヶ月が経ち…[2016年01月11日(Mon)]
東日本大震災から4年10カ月が経ちました。
今月も行方不明者の方の集中捜索を各地で行いました。
死者数1万5894人、行方不明者2563人、合わせて1万8457人の手掛かりを遺族の思いを胸に探しました。

今週末は成人の日であり、各地で成人式が行われました。
地元新聞によりますと、中学卒業と震災の記憶が重なる新成人たちは、郷土の復興や町の再建、地震の飛躍を誓ったそうです。(河北新報より)
式では支援の感謝の気持ちを忘れず精一杯生きることの大切さを語りました。
成人の日はひとつの節目の日でもあり、将来を新たに誓う日でもあります。
1日も早い復興を心より願っております。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 10:23 | 2011.3.11 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2015年12月11日 東日本大震災から4年9ヶ月が経ち…[2015年12月11日(Fri)]
東日本大震災から4年9か月が経ちました。
震災、原発事故によりお亡くなりになられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
また、仮設住宅で困窮な生活を強いられている被災者の方々の一日も早い再建をお祈りいたします。

全国での死者は15,893人、行方不明者2,565人、関連死では3,331人と警察庁は発表しています。
全国j避難者数は18万7千人です。

南三陸町の復興ライブカメラはこちら
24時間いつでも見ることが出来ます。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 17:00 | 2011.3.11 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2015年11月11日 東日本大震災から4年8ヶ月が経ち…[2015年11月11日(Wed)]
東日本大震災から4年8か月が経ちました。
各地で警察やボランティアの方々が集中捜索を行いました。

町の復興の一環として南三陸町では、南三陸町震災復興計画のエコタウンへの挑戦のため、
バイオガス施設を建て10月16日に竣工式が行われました。(南三陸町ブログ)
バイオガス施設とは、例えば生ごみやし尿、林地残材等捨てられてたものを活用するシステムです。
廃棄物を資源として見直し、エネルギー、人、経済が循環するように建てました。
自然豊かな町だからこそのプランですね。
自然に敬い、自然に共生する町づくりです。
当法人も今年度から畑を始め、大地の恵みや食物を食べるありがたさ、周りの方々への感謝を改めて実感しています。

1000年に一度といわれる東日本大震災から一歩ずつ確実に前へ進んでいます。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 11:40 | 2011.3.11 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2015年10月11日 東日本大震災から4年7ヶ月が経ち…[2015年10月11日(Sun)]
東日本大震災から4年7か月が経ちました。
台風の影響などで大雨になる地域もあり、河川の氾濫なども起こったところもありました。

4年7か月が経った現在、河北新報によりますと宮城県沿岸部の暮らしの変化が起きています。
平野部が多い、仙台市や東松島市などでは災害公営住宅の整備や仮設住宅の解消、防災集団移転促進事業が進んでいます。

塩釜市や南三陸町などでは、防災集団移転促進事業は反面進んでいますが、災害公営住宅の整備や仮設住宅の解消は進んでいません。
石巻市や気仙沼市、女川町などでは住宅再建の遅れが目立ちます。

自然災害からは逃れられませんが、自分たちができる防災、減災を行っていきたいと改めて感じました。
今月、久しぶりに宮城県南三陸町を訪れてみようと計画中です。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 10:37 | 2011.3.11 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2015年9月11日 東日本大震災から4年6ヶ月が経ち…[2015年09月11日(Fri)]
東日本大震災から4年6ヶ月が経ちました。
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、昨日から続いている豪雨により、被災された方々の復興を心よりお祈りいたします。

大雨特別警報が出され、河川の防波堤が決壊し、住宅街に水が流れて津波の様子がよぎった方も少なくないと思います。

今月は、防災月間にあたります。
改めて、自分ができる防災、減災について見直してみませんか?
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 01:24 | 2011.3.11 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2015年8月11日 東日本大震災から4年5ヶ月が経ち…[2015年08月11日(Tue)]
震災から4年5か月が経ちました。
風化が進む中、遺族の心の中は一度たりとも風化になったことはないでしょう。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

今日、鹿児島県にある九州電力の川内原子力発電所を再稼働いたしました。
福島原子力発電所の爆発事故をもとに新規制基準に改定されてから、原発ゼロ解消から約2年、日本で初めての再稼働となりました。

福島原発が終息を迎えていない今、再稼働をする必要があるのか、そんなに再稼働を急ぐ必要があるのか、など様々な意見が飛び交っています。
川内原発の近くには過去に巨大噴火した火山もあり、火山噴火対策も問題となっています。
再稼働が始まった今、できることは対策だと改めて感じました。

南三陸町が合併をして10月1日で10周年を迎えます。
記念してロゴをデザインしました。
絆とモアイ像をモチーフにしています。
南三陸町ホームページからご覧ください。

Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 13:26 | 2011.3.11 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2015年7月11日 東日本大震災から4年4ヶ月が経ち…[2015年07月11日(Sat)]
韓国の編集幹部らが被災地を訪れた。
写真は宮城県南三陸町、防災庁舎。(河北新報より)

解体方針から一転し、南三陸町の防災対策庁舎が2031年まで県有化されることになった。佐藤仁町長は「未来の命を守るため、庁舎が果たす役割は何かを皆さんと話し合う時間が必要と判断した」と県の提案を受け入れた理由を述べ、村井知事は県が所有する間、震災遺構として公開する考えを示した。ただ、庁舎で犠牲になった職員の家族ら町民の意見は二つに分かれたままだ。
■娘奪った場所 なぜ残す
 「娘を奪った庁舎を壊して、早く穏やかな気持ちになりてえ」。南三陸町歌津の漁師千葉正志さん(67)は、県有化の受け入れに納得できない。

 町議会事務局の職員だった長女の小野寺光子さん(当時35歳)は庁舎で津波に襲われ、行方不明になった。「お父さんはすぐ仕事で無理するから、私が近くにいなきゃ」と、町役場を就職先に選んでくれた光子さん。震災直前、「たまにはみんなで温泉にでも行こうね」と気遣ってくれたことを千葉さんは昨日のことのように覚えている。

 線香を手向けようと、震災後に初めて庁舎を訪れたのは2011年夏。「『防災』って名前のくせに、娘の命は守ってくれなかった。こんなものがなければ、別の安全な場所に避難していたはずだ」。怒りがこみ上げ、落ちていた木材を庁舎の鉄骨に何度も打ちつけた。

 それ以来、取り壊しを求め続けてきた。佐藤町長が13年9月に解体を表明すると、胸がすっとした。同年11月、庁舎で行われた慰霊祭に参加し、「これを見るのは最後になる。娘が早く見つかりますように」と花を供えた。

 県有化提案のニュースを耳にしたのは今年の正月、神棚に手を合わせている時だった。穏やかな気持ちは吹き飛んだ。4月に行われた村井知事や佐藤町長との意見交換会。前から2列目に座り、思いをぶつけた。「前を向いて生きようとしているのに、なんでまた蒸し返すんだ」

 光子さんは今も見つかっていない。身長約1メートル50と小柄な娘の骨が見つかるようにと、漁に使う刺し網の目を小さくした。引き揚げるたびに目を凝らす。

 悲劇を伝え続ける必要性は分かる。ならば、跡地に慰霊碑を建て、当時の映像を流すようにすればいいのではないか。「何度も声を上げたのに、俺たちの声は届かなかった。生きてる間、苦しみ続けないといけねえのか」と吐き捨てた。

■解体待ち 議論すべきだ
 南三陸町の企画課長だった父・逸也さん(当時56歳)を亡くした同町の団体職員、及川渉さん(33)は、県有化を求めてきた。「何を後世に伝えるべきなのか。立ち止まって、町民全体で議論したい」と語る。

 家庭に仕事の話は持ち込まず、休日は家族をキャンプや山登りに連れて行ってくれた逸也さん。獣医師を目指した及川さんが故郷を離れて岩手大に進学した時も、夢破れて東京の食品会社に就職した時も、「自由に生きろ。ただ、責任は持て」と背中を押してくれた。

 震災当時、逸也さんは庁舎にいて、行方が分からなくなった。DNA鑑定を経て、遺骨が戻ってきたのは2012年2月。「悲劇を伝えることは必要。解体することが正しいのか」と及川さんは疑問を抱くようになった。同年8月、他の遺族と解体延長を求める陳情書を佐藤町長に提出した。

 人口約1万4000人の小さな町。庁舎の存続を巡り、町民の意見は割れた。解体を望む人から「どういうことだ」と問い詰められたこともある。「冷静に議論ができる状況ではない」と感じていたところへ、県有化案が持ち上がった。状況が変わったと考え、提案の受け入れを求める請願を今年1月、町議会に出した。

 保存か、解体か。自分自身、結論は出ていない。ただ、震災を機に戻ってきた故郷で生きると決めた以上、議論にかかわっていくつもりだ。遺族だけの問題ではないとも考える。「誰もが納得できる答えは出ないと思う。でも、十分に話し合ったという過程が、町の将来にとって大事なのではないでしょうか」。そう信じている。(読売新聞より)
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 11:06 | 2011.3.11 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
2015年6月11日 東日本大震災から4年3ヶ月が経ち…[2015年06月11日(Thu)]
東日本大震災から4年3か月が経ちました。
月命日に合わせ、東北各地で集中捜索が行われています。
未だに見つからない方、身元が分からない方がいます。傷は癒えませんが、少しでもいいから手掛かりになってほしいと思っています。

復興の温かいニュースは飛び込んできます。
仙台市あおば通と石巻市を結ぶ仙石線が5月30日に開通しました。
石巻市は石ノ森萬画館があり、マンガッタンライダーという電車もデコレーションされてお目見えしました。
開通により、仙台市と石巻市を1時間30分ほどで行き来ができます。各駅停車です。
(仙石線開通ニュースはトラベルwatchより)


そして、仙台市宮城野区にある中野小学校が来年3月で閉校ということで地元住民の講座にて、震災前の模型を作る計画がされています。
宮城野区といえば当法人も訪れたことのある海に近い場所です。住宅や田んぼがありましたが、津波により被害を受けた地域です。
模型は、仙台港が整備される前の1958年と震災前の2006年を形にし作成します。
住むことができないが皆が集える場所を作り、交流を維持するのが目的です。
(河北新報より)

4年3か月経ちましたが、復興を目指すとともに次世代へも様々な形で受け継がれるのがわかります。他人ごとではない震災や防災を改めて考えさせられました。
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 13:52 | 2011.3.11 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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