2019年3月の南三陸町[2019年03月09日(Sat)]
震災から8年。3月11日で9年目。
3月9日(土)の南三陸町は少し汗ばむ陽気。
とっても天気がいいです。
しかし明日からは天気が下り坂。明後日11日は、雨模様の予定です。
南三陸町が一望出来る、志津川中学校。
今日は、卒業式でした。
中学校のグランドに建てられていた、応急仮設住宅の解体が終わっていました。
ここに住んでいた方々は、新たな住宅へ移っていったのでしょう。
元通りになりつつあるグランドを眺めながら、復興を感じることが出来ました。
ラムサール条約湿原に登録された南三陸町の志津川湾。
海一面に、養殖されているわかめや牡蠣。
海を眺める漁師さん。
漁港周辺は、復興の工事が進んでいます。
市役所では、2018年10月2日に登録された、ラムサール条約の横断幕が飾られていました。
2018年3月29日に開通した45号線。震災前とほぼ同じ道筋になりました。
その脇には、被災した高野会館です。
南三陸町で一番有名な、防災庁舎。
盛り土に囲まれ、何だか小さく見えます。
視覚障害の岩崎さんご夫婦。
この時期になると被災していた頃を思い出すより、私たちが来ることを楽しみになると言ってくれました。もう8年のお付き合いです。
復興が進む南三陸町。
こう言った日常のチラシに復興を感じます。
これが当たり前の生活。
正直、このチラシに一番復興を感じました。
未だ、仮設住宅から出ることが出来ない人たち。
60棟ある内、4家族が住んでいる様に見えました。
震災から間もなく8年。
震災から7年目を迎えた辺りから、現地の人たちが通う、大型スーパーが出来たり、その近くに住宅街が出来たり、バスが通ったりしてようやく当たり前の生活が戻ってきたように感じていました。そして8年目には、たくさんの生活に欠かせない道や橋なども続々完成し、生活が便利になりつつあります。
しかし一方で、ほとんどの仮設住宅の方が、新天地に移動されていますが、いまだにこうして暮らしている人もいる。復興が進むなか、この場所から出ることが出来ない家族がいること。
今更ながら、知り合いでもないために、声を掛けることもできない。
こうした場所に取り残された人たちのコミュニティが、衰退していくことに不安を覚えました。
目に見えるハードの復興は進む中、人の復興はまだまだ先だと感じた2019年3月の南三陸町でした。
3月9日(土)の南三陸町は少し汗ばむ陽気。
とっても天気がいいです。
しかし明日からは天気が下り坂。明後日11日は、雨模様の予定です。
南三陸町が一望出来る、志津川中学校。
今日は、卒業式でした。
中学校のグランドに建てられていた、応急仮設住宅の解体が終わっていました。
ここに住んでいた方々は、新たな住宅へ移っていったのでしょう。
元通りになりつつあるグランドを眺めながら、復興を感じることが出来ました。
ラムサール条約湿原に登録された南三陸町の志津川湾。
海一面に、養殖されているわかめや牡蠣。
海を眺める漁師さん。
漁港周辺は、復興の工事が進んでいます。
市役所では、2018年10月2日に登録された、ラムサール条約の横断幕が飾られていました。
2018年3月29日に開通した45号線。震災前とほぼ同じ道筋になりました。
その脇には、被災した高野会館です。
南三陸町で一番有名な、防災庁舎。
盛り土に囲まれ、何だか小さく見えます。
視覚障害の岩崎さんご夫婦。
この時期になると被災していた頃を思い出すより、私たちが来ることを楽しみになると言ってくれました。もう8年のお付き合いです。
復興が進む南三陸町。
こう言った日常のチラシに復興を感じます。
これが当たり前の生活。
正直、このチラシに一番復興を感じました。
未だ、仮設住宅から出ることが出来ない人たち。
60棟ある内、4家族が住んでいる様に見えました。
震災から間もなく8年。
震災から7年目を迎えた辺りから、現地の人たちが通う、大型スーパーが出来たり、その近くに住宅街が出来たり、バスが通ったりしてようやく当たり前の生活が戻ってきたように感じていました。そして8年目には、たくさんの生活に欠かせない道や橋なども続々完成し、生活が便利になりつつあります。
しかし一方で、ほとんどの仮設住宅の方が、新天地に移動されていますが、いまだにこうして暮らしている人もいる。復興が進むなか、この場所から出ることが出来ない家族がいること。
今更ながら、知り合いでもないために、声を掛けることもできない。
こうした場所に取り残された人たちのコミュニティが、衰退していくことに不安を覚えました。
目に見えるハードの復興は進む中、人の復興はまだまだ先だと感じた2019年3月の南三陸町でした。