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2018年9月23日 富士山新報[2018年09月23日(Sun)]
富士山新報さんより。
2018年9月23日 富士山新報.jpg

「タイトル」
日曜インタビュー
あのときの選択
人はみな生活のあらゆる場面で、選択しながら生きています。選択肢がいくつもある中で、選びとった結果が人の人生を大きく変えることもあります。みなさんのターニングポイントとなった「選択」に迫ります(三浦)。
NPO法人ヴィレッジネーション
代表理事 村松広貴さん

「本文」
『普通と異なる人生』
フワフワの髪の毛、お洒落な外観、イマドキの雰囲気。
NPO法人代表理事として、視覚障害のあるパラリンピック選手に応援メッセージを渡す。東日本大震災被災地支援や被災地幼稚園と交流し、韓国セウォル号事件をきっかけに、韓国での活動を開始する。
畑での作物栽培から地域コミュニティづくりに発展させ、東日本大震災で被害を受けた遠方の福島原発のある街の市職員を公園に招き、来場者の心をつかむ。
村松さんの見た目と活動がまっすぐ繋がらず、何ねんも不思議なイメージを抱いていた。
今回、偶然話す機会があり、見た目と活動のギャップについて、ズバリ尋ねた。

『わくわくしたい』
交流は相手があることだから、連絡を取り続けて信頼関係を構築し、訪問したり招いたり労力は果てしない。「暇ですから」村松さんは謙虚に語るが、暇だからといって、人と交流する事業を企画を立案するのは、別問題、好奇心や実行力、勇気や忍耐力が必要となる。
「わくわくすることがしたい。その過程が、大事。みなさんにもわくわくしてほしい」断られても再びだめだと思っても、チャレンジしようと思う。
「先日結婚したんです。塾を経営する韓国の女性と。文化も社会も全く異なりますが、チャレンジです」
韓国の人たちは情熱があり、いろいろなことに縛られている日本人よりも自由だと感じる。「いいなと思います」「みんなと一緒」「普通」「既成概念」に縛られている日本人と異なる風に生きている村松さんは、だからこそ発想を自由に、大胆な企画を実現させてきた。話を聞いて納得するものがあった。

『光をくれた入院生活』
23歳の頃だ。転職の5日前、信号待ちをしているときに追突され、首が動かずに静岡県立病院に3か月入院した。その後、中伊豆リハビリ病院に「送り込まれ」1年間寝たきりの生活を経験する。
「もうだめだと思い、絶望しました」
左半身に麻痺があり、合計3年間、入院生活を余儀なくされた。
入院中、事故を起こした警察官が弁護士を通じて「あちら(村松さん)のクルマも動いていたかもしれない」と言いがかりをつけてきた。裁判で争わなくてはならなくなり、法律関係の書籍を読み続けた。

父と母は中学生の時に離婚、苦労をかけた母に頼る訳にはいかず、自分一人で事故相手と闘わなくてはならなかった。勉強した末に自分でも弁護士をたて、100対ゼロで入院費から弁護士費用から、全て勝ち取った。その経験は大きい。「警察官と闘い、相手がどうすると起こるのか、どうすると困るのか、心理を学びました。それが今に生きていますね」裁判で勝ったことは、多きな自信となった。

さらに、リハビリ病院に入院してくる社会的地位のある中高年男性たちの話が、人生を変えた。
「僕がいた病院は、東京近郊で会社経営する人が脳の病となり、お忍びで来る場所だったんです。ロールスロイスがずらっと並ぶような。ヘリポートで通ってくる人もいます。暴力団組合長もいました。どうしたら成功するのか経験談を教えてもらい、いろんな世界があると知りました」
その人脈は退院後も続き、会社を興す方法やお金を借りる方法、様々な生きる方法について学んだ。「1億円借りたいなら、借りたことがある人に聞かなきゃ」若い村松さんにとっては全てが新鮮に聞こえ、柔軟な心に自然に入っていった。「病院で学んだことが、子どもの頃、あきらめてばかりいた僕を変えた。人生はあきらめてはいけない。やりたいことをやろうと、決めたんです。人生の大先輩たちが、僕の行く道に光を当ててくれました」人と異なる人生を歩むことに抵抗はなくなっていた。

退院してからもしびれがあり、杖をつく状態が続いたが、それでも村松さんは治るという確信があったという。「なぜでしょうか。だんだんと少しづつ動くようになっていく自分の身体を諦めていなかった。なぜかはわかりませんが、確信があった」
母と妹が関わる病院業務に関心があった村松さんが退院後、次のステージに選んだのは、事故前に就職が決定していた精神病院だった。「3年待ってくれました。ありがたかったし、嬉しかったですね」

『実は、次世代社会の先駆例』
精神病院では、逮捕された人間や暴れる人間、死のうとする人を部屋にいれて鍵をかけることも経験した。人間が生きるということの極端な場面に仕事として接し、考えることは大きかった。
そして東日本大震災が起こり、支援活動をするうちに広がったつながりから、交流事業が始まることになる。現在は東京オリンピックやパラリンピックでの交流について、内容を考えている。
畑で種を蒔く作業や収穫することが、人を呼ぶことに繋がる充実感を持っている。結婚したばかりで遠距離結婚だが、お互いのビジネスや事業を充実させることが大切と考える。「チャレンジすること、あきらめないことが、今の僕を作ってきました」

フワフワ頭の不思議な雰囲気を持つ村松さんは、多くの人を巻き込みながら、人がしない活動を展開してきた。福祉交流や地域コミュニティづくりなど、次世代型社会を提供する若手として、ある意味先駆的な考えを持っているともいえる。
何かの雑誌に書いてあったが、現在のリーダーはカリスマと言うよりも「甘え上手」なリーダーが好まれるそうだ。村松さんにもどこか、そういう雰囲気がある。
応援しようと考える私は、もうすでに村松マジックにかけられたようだ。(全文)
Posted by NPO法人 ヴィレッジネーション at 11:08 | メディア情報 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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