2017年5月19日付 岳陽新聞[2017年05月19日(Fri)]
岳陽新聞さんより。
「タイトル」
NPO法人ヴィレッジネーションとふじキンダー学園
650q離れた被災地幼稚園とのこいのぼり交流
「本文」
市内万野原新田のふじキンダー学園(鳴海淑子園長)で17日、被災地の南三陸町立あさひ幼稚園との交流を象徴する「こいのぼり」の掲揚を行った。
この取り組みは、2011年3月11日に発生した東日本大震災の復興支援活動を展開してきたNPO法人ヴィレッジネーション(村松広貴代表理事)が繋げた縁で始まったもの。
津波による大きな被害を受けた宮城県南三陸町で唯一の私立幼稚園「あさひ幼稚園」では、園児他関係者に被害はなかったものの、低地にあった園舎が流されたことによるショックは大きく、村松代表理事は卒園した縁もあったふじキンダー学園の鳴海園長の協力で同園との交流をスタートさせた。
園児たちは何年もの間、仮園舎での生活を余儀なくされていたが、昨年11月には役所や病院が並ぶ山の上に新園舎が完成し、現在は36人(震災前は約80人)の園児たちが元気に通園している。
今回で6年におよぶ両園のこいのぼりを通じた交流には卒園児も合わせて延べ600人以上の園児たちが関わり、一番始めに交流した子どもたちは小学校4年生になる。これまでの交流は、不繊布に描いた自分の似顔絵と名前をこいのぼりのうろことしてこいのぼりに縫い付け、4月はキンダー学園に掲揚し、5月にはあさひ幼稚園に5匹のこいのぼりとビデオレターを贈っていた。
今回、あさひ幼稚園の新園舎完成に伴い新設されたポールには、同園児が似顔絵とうろこを付けたこいのぼり1匹と、村松代表理事と鳴海園長がビデオレターと新幹線で持参したこいのぼり4匹を掲揚し、5匹そろって大空を泳ぐこと実現。帰郷したこいのぼりは、17日にはキンダー学園のポールに掲揚され、両園で同時に掲揚することとなった。
同日、年長児85人のうち4人の園児代表がこいのぼり2匹をポールに揚げ、みんなで拍手を送った。
7月には七夕の願い交流、10月の運動会にはメッセージ交換、来春の卒園前には1年生進学時の御守り交換などの交流を継続して実施するという。
鳴海園長は「650キロメートル離れていても、両園の子どもたちはビデオレターなどを通じて交流を続けてきました。私たちもいつの日かそうなる(被災する)かもしれない。震災を風化させてはいけないとの思いで、続けていけたらと考えています」と話し、村松代表理事は「両園の協力で5年間の交流を続けてこられました。今後も支援にとらわれない交流活動を行っていきたい」と語っていた。(全文)
「タイトル」
NPO法人ヴィレッジネーションとふじキンダー学園
650q離れた被災地幼稚園とのこいのぼり交流
「本文」
市内万野原新田のふじキンダー学園(鳴海淑子園長)で17日、被災地の南三陸町立あさひ幼稚園との交流を象徴する「こいのぼり」の掲揚を行った。
この取り組みは、2011年3月11日に発生した東日本大震災の復興支援活動を展開してきたNPO法人ヴィレッジネーション(村松広貴代表理事)が繋げた縁で始まったもの。
津波による大きな被害を受けた宮城県南三陸町で唯一の私立幼稚園「あさひ幼稚園」では、園児他関係者に被害はなかったものの、低地にあった園舎が流されたことによるショックは大きく、村松代表理事は卒園した縁もあったふじキンダー学園の鳴海園長の協力で同園との交流をスタートさせた。
園児たちは何年もの間、仮園舎での生活を余儀なくされていたが、昨年11月には役所や病院が並ぶ山の上に新園舎が完成し、現在は36人(震災前は約80人)の園児たちが元気に通園している。
今回で6年におよぶ両園のこいのぼりを通じた交流には卒園児も合わせて延べ600人以上の園児たちが関わり、一番始めに交流した子どもたちは小学校4年生になる。これまでの交流は、不繊布に描いた自分の似顔絵と名前をこいのぼりのうろことしてこいのぼりに縫い付け、4月はキンダー学園に掲揚し、5月にはあさひ幼稚園に5匹のこいのぼりとビデオレターを贈っていた。
今回、あさひ幼稚園の新園舎完成に伴い新設されたポールには、同園児が似顔絵とうろこを付けたこいのぼり1匹と、村松代表理事と鳴海園長がビデオレターと新幹線で持参したこいのぼり4匹を掲揚し、5匹そろって大空を泳ぐこと実現。帰郷したこいのぼりは、17日にはキンダー学園のポールに掲揚され、両園で同時に掲揚することとなった。
同日、年長児85人のうち4人の園児代表がこいのぼり2匹をポールに揚げ、みんなで拍手を送った。
7月には七夕の願い交流、10月の運動会にはメッセージ交換、来春の卒園前には1年生進学時の御守り交換などの交流を継続して実施するという。
鳴海園長は「650キロメートル離れていても、両園の子どもたちはビデオレターなどを通じて交流を続けてきました。私たちもいつの日かそうなる(被災する)かもしれない。震災を風化させてはいけないとの思いで、続けていけたらと考えています」と話し、村松代表理事は「両園の協力で5年間の交流を続けてこられました。今後も支援にとらわれない交流活動を行っていきたい」と語っていた。(全文)