フェルケール博物館前の国道を三保へ進んでいくと、2qほどのところに「宮加三」のバス停があります。
そのやや先にフェルケール博物館の屋外展示場があり、ベージュ色の清水の市内電車(モハ65)や、旧国鉄の青い客車(スハフ42 2105)、黄色い起動車(ディーゼル機関車8トン)、ホワイト&ブルー色のヨット(チェリブラV世号)などを陳列していました。
それらはフェルケール博物館の前身、財団法人清水港湾資料館から平成元年に移転したものでした。
狭い所になぜ仮置き状態にしたかというと、いずれ清水港が整備され、新しい近代的な港に生まれ変わる時、その一隅に歴史の証人たる車両たちが必要になる時が来ると信じていたからなのです。
やがて浪漫館、マリンパークやマリンターミナルなどが造られ、その後JR清水駅も整備されて清水は大きくイメージチェンジを果たすことが出来ました。
しかし、その時々にお声のかかるのを心待ちにしていた車両たちは、もはや展示の可能性がなくなってしまっていることにその時気づいたのです。
ここ数年、毎年のように3月になると宮加三の車両内部の一部を一般公開して、3日間で150人程の見学者を得ていましたが、昨年を最後に今年(平成22年)は中止し、老朽化の激しいすべての車両を解体すべく準備しておりましたところ、清水南高校出身の大学1年の学生から市内電車の車両譲渡の要望書が送られてきたのです。
その後、地元のNPO団体や車両の保存運動に実績のある方々が見え、何とか解体せず無償で譲り受けたいとの主旨の話が数件寄せられました。
我々も解体が目的ではないので、出来れば他人に譲って再利用してもらいたく、様々な企画書を読んだり構想を聞かせてもらいました。
しかし当方の希望に適う団体は見つからずにいたのです。
ところで旧国鉄の客車については、すでにJR東海より来春3月、名古屋港金城埠頭に出来る「鉄道博物館」に展示したいので戻してほしい(寄託品だった)旨の要望がありました。
他の同じ型の1両と合体させて新しい車両に再製して展示したいというのです。
この車両の返還を機に、老朽化甚だしい市内電車も解体処理することにしたのです。
事実、市内電車は今年に入って窓のガラスが落ち(枠が朽ちて)、4月には1枚のドアが腐り落ちたのでベニヤ板で塞ぎ、車両に立ち入れぬようにするほどでした。
仮置きのまま20年が経過するということは、車両にとっても過酷だったと思います。
屋根か庇があればもう少し寿命が延びることは判っていたのですが、借地でのこと、ついつい年月を積み重ねていたのでした。
保存は不可能、だから解体も止むなし…。
それに対してマニアの声も届くようになり、少し苦慮していた頃、救世主が現れたのです。
北陸のJR貨物の関連企業より無償で修理したいので無償の譲渡を求めてきたのでした。
さらにその企業は求めさえあれば、市内電車を再び清水に戻しても良いとの可能性も話してくれました。
一方、老朽化激しい起動車は三保にもう一車両あるのでこれは解体、ヨットも旧所有者の了解を得てこれも解体することが決まり、6月末には総てその姿を消しました。
しかし、市内電車と旧国鉄客車が何とか生き延びてくれたことに安堵し、これに関わってくれた人々に今は大変感謝しています。