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ばぱなかま

私たちは広島県は福山市のとある地域で学習支援を目的としたNPO団体です。「真の学力はお金で買うものではない!」をモットーに、地道に日々の学習をしている子どもたちを応援しています。
普段は学習塾を運営しています。そして隙あらば(?)イベントを企画実行!さてさて今日は何が起こりますやら・・・


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活動10年目にあたって [2017年04月15日(Sat)]
 福山で学習支援のNPOを立ち上げて今年は十年目の節目の年になる。
 「世界の子どもを見る前に、地元の地域の子どもたちを見てほしい。」当時、ともに学習塾で働いていた同僚にそういわれたのがきっかけだった。それまで私は国連職員として発展途上国の子どもたちを支援する仕事にあこがれ、北米の大学と日本を行き来していた。その同僚の声かけで、ある夏休みに無料の学習会を開いた。自分たちの宿題を持ち寄って、一緒に勉強しようということで行った一週間の学習会には多くはないが地元の小中学生が思い思いに学習をした。そしてその時、地域の世話役をしている方からこんな話を聞いた。「この地域は共働きやひとり親が多い。そのため、子どもを充分に見てやることができない家庭が少なくない。」「子どもたちの中には、夜徘徊する者もいるし、野宿をする子たちもいる。」このことはにわかに理解しがたいものだったが、私は、その後現実を目の当たりにすることになり、「世界の子どもの前に…」と同僚が言った言葉の真意を衝撃をもって受け止めることとなった。
 夜寝る時も、朝起きる時も子だけという家庭。兄弟が多いために一人一人に手をかけることが難しい家庭。食事もきちんととれていない。そうした家庭の子どもたちの心は隙間風だらけだ。野宿や徘徊は親の愛を試しているのではないか、自分自身の存在意義を求めているのではないか…この地域の子どもたちと接してそう感じた。
 「日常的に子どもたちの学習を見てくれる場所を」という夏の学習会に参加した保護者からの声を後押しに、教室会場の提供、教材の寄付など地域の助けを借りて、どんなバックグラウンドにある子どもたちでも学習できる機会を平等に与えることを目的として『学習支援ヴァパウス』(以下ヴァパウス)は立ち上がった。月謝は一般の塾の約半額に設定した。初めは生徒二人からのスタートだったが、噂を聞いて兄弟が多くて塾に行けない高校受験生たちが通うようになった。親が仕事のため家にいない小学低学年の子も通い始めた。そのうち、いじめに遭ったり、家庭問題で自暴自棄になって不登校になった子、生活困窮から進学をあきらめかけた子どもたちが門をたたいてきた。困窮から月謝が捻出できない家庭には、維持費のみの負担をお願いし、スタッフは支援してきた。「鉛筆と教科書があれば勉強はできる。知識・工夫を身につけ学べば自分の未来を拓くことができる」子どもたちはこれを実践してきた。
 また、ヴァパウスに来る子どもたちは学校ではあまり目立たない存在の子たちなのだが、地域のイベントなどで企画から参加してもらうと、それぞれがいろんなアイデアを持ち寄りイベントを支える存在になる子が多い。自分では気づかない能力をこうした機会にスタッフが引き出し、自信を持つことが多いのだ。
 人は自分一人ではその存在意義を見失いやすい。特に大変な環境にある子どもたちにとって自分の存在価値、自尊感情を高めていくには、周りの誰かに認めてもらう必要がある。ヴァパウスはその役割をしているのだと思う。一時は自信を失った子どもたちがここを巣立ち、将来、故郷のみならず日本、世界で活動する人材となればこんなうれしいことはない。
 利用者の困窮世帯の子どもたちの割合が少しずつ増えていく中で、団体運営の資金繰りが難しい状態が続くが、次世代を担う子どもたちへの教育の重要性は変わらない。不器用だがひとりひとりに深く関わる支援をこれからも続けていきたい。
ひたすら待つ。 [2016年07月21日(Thu)]
先日、終業式の日も登校支援をしました。
お母さんからの依頼で不登校の小学生の登校支援に行きました。その女の子Aちゃんはほとんど学校に行っていないそうですが、この日は前から登校する約束をお母さんとしていたんだとか。お母さんもそのつもりでその日のスケジュールを色々立ててたそうです。

そんな訳で、この日は絶対登校してもらいたい!

だけれど、Aちゃんはすごく不機嫌で、登校の準備もできていませんでした。私がお宅を訪問したのが8:30。そして、機嫌の悪い女の子をお母さんが無理強いして玄関から押し出されてきたのが9:00でした。

それでも女の子は学校へ足を向けず、ずっと立って下を向いて黙ったまま。
「どしたん。学校へ行きたくないん?」という問いにうなずき、「なんか嫌なことがあるん?」という問いには首を横に振り…
「なんで行きたくないん?理由をおしえて。」
「行きたくないけぇ、行きたくないんじゃ!」
「それじゃあ、理由にならんな。行きたくない理由を知りたいわな。」
「…」

「Aちゃん、今日は学校行くって約束したんじゃろ?約束を破る理由は約束した人が納得せんといけんわな。」
「…」

そしてAちゃんは玄関先まで戻り、ノックをしかけ、躊躇し、ベルを鳴らそうとして躊躇し…そうこうしていたらお母さんが玄関を開けて彼女がまだいることに気づき、「どうしょうるん?!木村さんがずっと待ちょうるが!いい加減にしなさい!」と叱りました。私は「私は大丈夫ですよ。ずっと待ってますから。」と言って、お母さんが叱るのを止めました。

そして、Aちゃんがどうするか様子を見てました。玄関先でどうしようか悩んでいるAちゃんに言いました。
「力づくで連れて行くこともできるけど、Aちゃんはもう高学年じゃし
無理やり連れて行くことはしたくないんよ。Aちゃんもそれは嫌じゃろ?どうするか、どうしたいんか、考えて教えて。」

そう言ってずっとそばにいました。するとAちゃんは
「昼で帰りたい」と言ってくれました。そして、その理由も教えてくれました。それで、彼女の要望をお母さんに伝え、お母さんもそれを了承する形で、Aちゃんは学校に向けて歩き出しました。私も彼女と一緒に歩いて学校に行きましたが、学校に着くまでの間、朝の不機嫌さが嘘だったみたいに、明るい表情でいろんなことを話してくれました。

そして学校に着いたのが10:00でした。

実に長い時間を要しましたが、これも彼女にとっては意味のある時間だったと思います。家に帰りたいけど、学校にも行かなきゃいけないという葛藤の中で、どうするかを決断したその過程を私はただ観察し、少しだけ助言しただけです。

子どもたちの中には子どもたちの時間の流れがあって、過程がある訳ですが、
普段は大人の社会の中で、大人の都合でその時間を潰されたり過程を省略されたりします。私はなるべく子どもたちの時間の流れで子どもたちが納得の行くように思考して欲しいと思っています。

教育においては待つのも仕事。それを実感した日でした。
貧食の連鎖 [2016年07月03日(Sun)]
先日、ある中学校の先生から聞いたところによると、毎日の弁当を持ってこない生徒が少なからずいるそうだ。たまに持ってくるものも、白ご飯とふりかけのみだったりするらしい。

因みに、弁当を持ってきていない生徒に対して、学校は何の対処もしていない(できていない)。親とも連絡できない状態にあったりする。

ここで学校が弁当を持ってきていない子たちに救済措置できればと思ったりもするが、これが現場の限界なんだろうかとも思う。人の最も基礎となる衣食住のついては、多分に各家庭の裁量に任される部分で、学校としては不可侵的エリアとなっているような気がする。

そんなことを考えていたちょうど同じ日、地域の人たちと子どもの食事情について話を聞くことがあった。
「どんなに粗末なものでも、たとえ親がご飯だけ茶碗に入れて渡されても、子どもって嬉しい気持ちになるもんだ。親がしてくれたことの意義は大きいよね。だけど、それが(ご飯だけの食事が)その子の生活の基準になってしまうと、それ以上のものを望むこともなくなってしまうよね。『これでいいんだ』と思ってしまう。」「そんな子が大人になって、自分の子どもが出来たら、やっぱり自分がしてもらった風に子どもにするよね」

まさにこれが貧困の連鎖。この連鎖を断ち切るにはどうすればいいのか…

ひとつは子どもたちに生活水準の価値観(レベル)をもっと上位においてもらうということ。そのためには、家庭の状況に関係なく教育現場でそうしたものを経験していかねばならない。

生活の一場面ではあるけれども、子どもにとって学校の昼休憩はご飯を食べながら友だちと交流する楽しい時間だ。その時間の経験もとても大切なはずだ。

あなたが先生で、「弁当を持ってきているのを見たことがない」と気づいたなら、あなたならどうしますか?
難題に立ち向かいます。 [2016年06月15日(Wed)]
今、私たちは大きな課題を突きつけられています。それは「不登校の小学生たちをいかに登校できるようにするか」ということです。

実際、これまでも多くの不登校の子どもたちを主に中学生を中心に進学支援してきました。その活動については、このブログにもたびたび紹介してきました。だからこの課題を見て「何を今さら」と思われる方もいるかと思います。

しかし、今回の不登校はさらに複雑で深いものなのです。

これまでに対応してきた子どもたちは、自分の意思で行動できる年齢であり、親も(ひとり親、ふたり親に限らず)子どもの養育に関心を持ち、不登校である我が子について悩んだ末にヴァパウスに行き着いた事例でした。しかし、今回の課題は、親がネグレクト(育児放棄)、またはそれに近い状態の子どもたちです。

ヴァパウスは、家庭環境に左右されない学習の場を平等に提供することを目的として立ち上がり、今回課題になっているような子どもたちについても、地域の力で育てていくような地盤作りを目指してきました。ただその活動に大きな壁となったのが、課題になっている対象の子どもたちの発見です。地域でそういう子どもたちがいるかもしれないとわかっていても、民間団体ということや、ご近所付き合いがそもそも途絶えている家庭であることが多いことで、なかなか確信に至らずそれ以上のことができない状態でした。

行政との連携についても検討し、教育委員会に掛け合いましたが、「特定の団体の肩を持つようなことになりかねない」ということでヴァパウスの活動が取り上げられることはありませんでした。唯一繋がったのが生活福祉課で、もともと福祉課がされていた貧困家庭の子どもたちの学習支援において、ヴァパウスで見た方が良いような子どもたちを紹介してもらうという形で連携できました。しかし、こちらもヴァパウスに通うまでに至るケースがなかなかなかったのが現状です。

このように、今一歩踏み込んだ活動がなかなかできなかった中、今回、スタッフの1人である私が生活福祉課所属の家庭教育支援員として動くようになりました。支援員の仕事は、家にこもりがちで学校に行くことができていない小中学生に登校できるよう促すことです。併せて保護者の方にも教育についての指導もしていきます。あくまで市福祉課の業務なので、ヴァパウスの活動と分離して考えなければなりません(と、言われました。)が、少なくとも今後ヴァパウスで活動していく中でネックとなっている部分の方針を考える上でとても貴重なものです。何度となくヴァパウスが試みて失敗した行政との連携についても解決の糸口を見つけるいい機会です。本当は一番最初にヴァパウスが成功事例を作りたかったのですが、そんなエゴを言っている場合ではない!ヴァパウスが行政と地域の支援団体との繋ぎの役になればいい!と、今は思っています。

少し話はずれましたが、そのような経緯で、最近いろんなお宅を訪問して子どもたちのおかれいる状況を見てきました。

そこで見えてきたのは、親が子どもを学校へ送り出せない(送り出さない)現実。学校に行くことについて(最低限の知識を身につけることについて)の重要性を感じていない親が子どもを社会から遠ざけてしまっている現状です。校区外の学校へ通わせるために親の送迎が必要なのに、それをしない。親が夜勤から帰って朝寝てしまっていて子どもを朝起こしてご飯を食べさせて学校へだすことができない。ひとり親で、そかもその親が病気や障害を持っていたりして、頑張ってはいるものの子どもたちの面倒を見きれていない。子どもの夜更かしを容認して、朝、起きないでいるのをそのままにしている…そんな家庭が少なからずあります。

私たちは、不登校自体は悪いものであると考えていません。不登校も選択肢の一つであると考えています。ただ、元々通っている状態の子が選択肢として不登校というカードを持つのと、学校に行く概念が全くない状態での不登校は少し種類が別です。

学校にさえ来てくれれば…と、学校の先生たちは言います。しかし、なかなかこうした子どもたちは学校に来ないし、来たとしても少ない時間なので、当然学力はつきませんし、年齢相応の能力も養うことができない状態にあります。彼らが大人になった時、仕事につくことができず、生活保護家庭となるのは目に見えています。まさに貧困の連鎖が生まれるもとになっているのです。

この問題の根本原因のひとつは親にあります。子どもに対する親のマネジメント力が弱いためにおこるものです。こうした子どもたちをいかにして学校に通わせるか。いかにして親に理解をしてもらうかがとても大きな問題となっているのです。どんなに今子どもに関心を持っていなくても、その点を改革していかなければ解決への一歩が踏み出せないと思っています。

大人になる上で必要な学びを子どもたちに受けてもらうことは、ひいては社会の基礎を養っていくものでもあります。ですからこれは社会全体で解決していかなければならないですし、そのためにはご近所や地域でそうした家庭の親や子どもをフォローしていく体制を作るべきだと考えます。

ただ、その体制を作るのも、その体制のもと活動していくのもどのようにしていけば良いのか…なかなかに難しい問題です。

しばらくはこの難題に、個人的に試してみたいことをいろいろと試してみたいと思っています。
なんと今年度最初のブログです。 [2016年05月02日(Mon)]
実は4月から新しい場所に移転しまして、ドタバタと今までやってきました。

書きたいことは本当にたくさんあって、書きたいと思いつつ、パソコン環境がダメになったりなんかであっという間に5月です。

さて、毎年度恒例の禅語からなる今年のテーマの発表です。
「曹源一滴水」
おなじみの禅語かもしれないですね。意味は「一滴の水が大河ともなる。一滴水にとてつもない可能性があるように、一人間もとてつもない可能性を持っている」です。

今年度は、ますます貧困や生活困窮の中の子どもたちに関わることが多くなりそうです。貧困からくる格差は、希望の格差とも言われています。昔は貧乏でも努力をすれば希望が叶うそんな時代でした。今はいくら努力してもそれが報われないことが多いような気がします。
それでも一人一人の持っている可能性はゼロではないし、一人一人の能力を生かすことのできる社会になれば…

貧困や格差は無くなることはありません。どんな社会でも格差は生じます。でもその格差をもろともしない強い人間を育てていくことがたいせつで、そのためにも「希望」を持って困難を克服する力を子どもたちに持ってほしいと願っています。

そんな気持ちの「曹源一滴水」です。



起立性調節障害の子どもたち [2016年02月03日(Wed)]
さて、センター試験も終わって、2月からは大学・高校の一般入試が目白押しです。

節分の今日も、鬼に扮しているスタッフに一応豆をぶつけて、今日の学習を始める生徒たち…(笑)
泣いても笑ってもこの春のために頑張れるのはあとひと月ですから、みんなキリリと身を引き締めて過去問と弱点対策をしています。

そんな中で、不登校生徒のお問い合わせを先日受けました。中学生の女の子のお母さんが単独相談に来られました。中学校に入学して間もないころから登校時に吐き気やおう吐といった症状があらわれ、1年の2学期から学校に行けなくなったとのこと。病院でも診ていただいて、診断結果は「起立性調節障害」とのこと。ここ数年間でこの病名を本当によく聞くようになりました。

自律神経のアンバランスからなる症状で、一言でいえば生活リズムが崩れてしまっていることが原因だそうですが、ではなぜ生活リズムが崩れてしまうのかというと、単に「夜更かしするから」ということでもないそうです。どのみち発達障害と診断された子どもたち同様、理解のない人から「怠け病」と言われてしまっているものです。

実際のところでは、子どもたち自身もなぜそのような体に自分がなってしまったのか、苦しみもがいていることが多いです。学校に行かねばと焦れば焦るほど、体が動かなくなり、「自分はダメな人間なんだ」とネガティブ思考に陥ってしまいます。家族も「規則正しい生活をしないから」とかというようなことで逆に厳しく接してしまうことがあったりするようです。

今回相談されたお母さんも最初は子どもに厳しく当たっていたそうですが、「起立性調節障害」についての正しい知識を身につけていく中で、子どもの自律神経のバランスを整えていくことができるにはどうすればいいか、子どもと一緒に考えていくことができるようになったそうです。そして、現在はなんとか朝起きて、昼間日光を浴びることができるまでになったそうです。

そして来年度は3年生ということで、本人ができれば進学をしたいという希望を持っているので、アンバランスな体調に合わせて学習を見てくれるところを探しているということでヴァパウスを訪問されたそうです。

今日の面談も一緒に来るはずだったそうですが、直前になって調子を崩してしまったとのこと。たぶん人に会うという緊張からきたものなんだろうなと察した次第ですが、なかなか先は長そうです。本人が希望していることを少しでも実行できれば自信になるのですが、今日みたいにできなかったらそれがまた負い目になってアンバランスになってしまいかねません。

お母さんには、今日本人が来れなかったことを責めないようにお願いしました。そして、気が向いたときにまた連絡いただくようにお願いしました。

はじめの一歩。
これがどれだけ大変なことか、とてもわかります。

でも、この一歩を踏み出せれば、これがどれだけ思ったほど大変なことでなかったかがわかるんだと思います。それを積み重ねていけるよう、今はそのタイミングを待つ、卵がかえる寸前の親鳥の心境ですね。
涙の向こうに [2015年12月04日(Fri)]
12月に入り、受験生の緊張が増してきました。

今日は、国立大学を目指している高3の子がいつものようにやってきて、センター対策試験に取り組みました。答え合わせを終わらせた時、小さくため息をついたのを見逃さなかったスタッフは、「どうだった?」と聞くと、その子は「…ダメでした」と言ったとたん、涙が溢れてきました。

いつも明るく活発な子が… 受験というプレッシャーに押しつぶされそうになっていました。試験本番直前にスランプになる子を今までもたくさん見てきました。特にヴァパウスの教室に来る子たちは、いわゆる「滑り止め」を受験せず、受験校を1本に絞って受験する子が多いので、失敗は許されないという気持ちが重くのしかかってがんじがらめになり、スランプに陥るのだと思います。

その子とはこのあと、他のスタッフも交えて1時間ぐらい話をしました。同じような経験をした先輩の話や我々スタッフ自身の経験を紹介しながら、本人の辛い気持ちに寄り添う形で…。受験は自分との戦いなんだなぁと子どもたちを見てもつくづく思います。

この仕事をし始めて、我々スタッフは多くの子どもたちの涙を見てきました。勉強のことに限らず、親に怒られたときや、先生に怒られて悔しかった時、学校でいじめられてつらかった時、就活がうまくいかず気持ちが追い詰められた時…なぐさめて欲しくて甘えたくて流す涙でなく、ピンと張り詰めた糸がプツッと切れるように、きっと他では流さない涙をヴァパウススタッフの前で見せるというのは、子どもたちがスタッフを信頼して気持ちをさらけ出してくれているということでもあるのかなぁと思います。

辛い気持ちをとその涙を一旦スタッフが受け止めたら、切れた糸をより直して前より強い糸を作っていくのは本人次第。そのヒントになるような先人のエピソードや経験をスタッフが紹介して、子どもたちは涙を乗り越えちょっとずつ強くなっていくのだと思います。

スタッフとしてはこれからも子どもたちが気持ちをさらけ出せるような、そんな存在でありたいと思います。

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↑新しく子どもたちを見守るガーゴイルのガーくん。自分の持っている能力(背中の翼)に気づかずに、いつも不安がって自分がダメなやつだと悩んでいるっぽいでしょ?なんとなくヴァパウスに来ている子どもたちと似ているのです。




第4回座談会をしました! [2015年10月12日(Mon)]
お久しぶりです。
最近はfacebookで近況報告をしているので、こちらのブログはなかなか更新できないでおりますが、忘れているわけではないですよ!!
…と、少し言い訳をいたしまして…

先日10月11日の昼下がり、ヴァパウスの大学生グループNes.福山主催の座談会を開きました。

今回のテーマは「教育」について。普段教育を受けている側の高校生、大学生たちがどのような内容を話していくのかと思いましたが、そうした立場だからこその意見がたくさん出たように思います。途中でスタッフの木村も疑問をぶつけてみましたが、みんなそれぞれ自分の意見を言いつつも他の人の意見にも刺激を受け、かなり深い内容になりました。今回は総括として、ここに内容をまとめてみたいと思います。

出席人数 高校生4名 大学生3名 社会人1名 

Q1学校生活で楽しいこと、いい思い出
 ・休憩時間などに友達とはなしをしたりすること
 ・学校行事で生徒たち主催で企画をして成功したこと
 ・修学旅行はやっぱりいい思い出
 ・5泊6日の野外活動は時間が長いうえに友達と協力し合えてよかった
 ・給食の時間!
 ・いい先生に出会えて、その先生のおかげで苦手な教科を好きになった
Q2学校生活で嫌なこと、嫌な思い出、つらい思い出
 ・友達関係に悩むこと。
   +誤解から半年間不和になった
   +先輩に生意気だと思われていたらしく、SNSなどで誹謗中傷されて苦しかった
   +部活や生徒会活動で孤立した
   +(柔道部だったので)減量自体も苦しかったが、減量中周りにひどく気をつかわせてしまっていたのがつらい。
   +不登校になったが、学校に行けないで勉強がおくれてしまうことがプレッシャーになっていた
 ・

今回出席してくれた現役高校生4人のうち実に3人がこの友達関係のもつれから不登校を経験していました。そこでこんな質問をしてみました。
Q3不登校になったときの学校の先生の対応はどうだったか
 ・家に訪問してくれたりして、気にかけてくれていた
 ・いろいろ相談にのってくれて、今思えばとてもありがたかったけど、当時は一人にしておいてほしいと思っていた
Q4学校(クラス)で先生は生徒とよく向き合っていたと思うか
 ・小学校の時はクラスで一致団結のような形を作っていっていたが、中学以降はそういうのがなくなってしまったように思う
 ・アンケートとかはとるけれど、実際に話し合ったりということはなかった
 ・クラスの人数が多くて細かに指導するということはない気がする
Q5クラスの生徒の人数は何人がベストと思うか
 ・今の半分(約20名)

出席者のほぼ全員がクラスの人数を20名ぐらいにしたほうがよいと考えていました。
そして不登校を経験したことも踏まえて、学校は行ったほうがいいと思うかどうか聞いたところ、1名を除いて全員が学校は行ったほうがいいと答えました。
そこで、まずは学校に行かなくてもいいと思っている人に意見を聞きました。
 ・勉強は自分で努力すればできる
 ・コミュニケーションや社会の規律などはボランティア活動など地域の活動などでもできる
 ・学校ではない別の環境(塾やフリースクール)があれば学校の代わりになるから

この意見を聞いた学校に行ったほうがいい派は、「なるほどそれもそうだ。学校は絶対必要とは言えない」と理解をしめしたうえで、次のような意見を出していました。
 ・学校だと同級とのつながりの中で活動していくから、同級生のネットワークを作るのに適していると思う
 ・自分に合わない人たちも含めてそうした中で生活することが鍛えられる
 ・まずは学校という枠の中で生活することを経験することで、社会という大きな枠で生活するための基礎ができる気がする

これらの意見を聞いて木村が思ったのは、子どもたちにとって居場所は一つでなくてもよいということでした。以前からそうした思いはありましたが、実際、子どもたちの話を聞いてやっぱり自分の居場所の選択肢を複数持っているほうがいいと思います。いい思いも嫌な思いも詰まっているけれども1日の大半を過ごす学校、くつろげる家庭、地域での居場所…。人ってその場所その場所での自分たちの立ち位置が変わります。学校での顔、地域での顔、家庭での顔… そんな中でちょっと自分が本音でいられる、素でいられる場所があれば、バランスがとれるのかなと思いました。

そして最後の質問
Q6もし自分が学校を作るとしたらどんな学校にしたいか。理想の先生像は?
 ・ひとりひとりの能力、個性を生かすことのできる学校
 ・結構、昭和時代の先生像が理想。泥臭い感じ(?)厳しいけれど愛があるような。体罰も多少は可。
 

今は保護者(モンペアを含む)にいい顔をして、子どもたちにもなめられている先生が多いから、厳しい先生がいいという意見がほとんどで、その象徴が昭和時代の先生ということでした。ん?松岡修造さんみたいなのかな?
とにかく子どもたちが望んでいるのは優しい先生ではなく、威厳のある先生であるということのようです。


こうしてあっという間の2時間の座談会がおわりました。
教育について、教育を受けている側の意見というのは今振り返ってみてもとても貴重です。
学生の企画に乗っかって参加した座談会でしたが、とても興味深かったです。

参加した生徒の一人も「こんな話し合いって普段しないので、楽しかったです。学校で話すこともあるけれど、ここまで本気で話をすることないですもん。」と言っていました。
参加者全員が、今回の座談会を通して、いろいろ感じて帰ったことと思います。

企画運営した学生の皆さん、おつかれさまでした!
いじめが原因でまた貴い命が失われました。 [2015年07月08日(Wed)]
いたたまれない事件がまた起こってしまいました。
中2がいじめを苦に自殺しました。しかも、少年は何度となく生活ノートで先生にその苦しさを訴えていました。けれど、先生はそれを重く受け止め、対応することはありませんでした…

忙しいとはいえ、子ども一人一人の話に耳を傾ける、一人一人の状態を先生全員で把握しておくということは、教育現場では基本中の基本だと思うのですが、どうも公立学校の先生(担任)たちはワンマン主義で子どもについての情報を他の先生と共有したり、自分の学級の状態について他学級の先生と意見交流をして切磋琢磨することがないように思います。

ヴァパウスではいつもスタッフ間で「今日、〇〇くんがこんな話をした」「〇〇さんは今日はこんな勉強をしたけれど、こんな感じだった」「学校では〜」「家では〜」と、子どもたちから聞いた話や、子どもたちを観察して気づいたことはすべて共有するようにしています。そうすることで、いろんなスタッフの知恵で子どもたちを守ることができるし、子どもたち自身を強くすることもできると信じています。

「子どもたち自身を強くする」というのはおこがましいかもしれないです。正しくは、「自分のことを分かってくれる人が周りにいる」と、子どもたちがスタッフに信頼を寄せてくれたら、子どもたちは自分で自分を強くしていくことができるのだと思います。

それが子どもたちの生きていく力の基だと思います。



自殺した少年は、本当に孤独の中で自分の生に自ら終止符を打ちました。信頼できる大人を探していて、その大人にはぐらかされて絶望したのです。彼をいじめていた生徒以上に、大人の責任は大きいと思います。




2015年度もよろしくお願いします。 [2015年05月27日(Wed)]
気づけばもう5月も終わり…

とてもとてもご無沙汰しております。
学習支援ヴァパウスの木村です。

忙しさにかまけて、ブログ更新ができずにいました。大反省です。前回の更新から今回まで、実はいろんなことがヴァパウスの教室でありました〜。

その中でも一番感動的だったのが、地元のお祭り「福山ばら祭」で私たちヴァパウスのスタッフが担当となって運営しているベビーカーの貸出のテントにボランティアとして参加してくださった方が、本当に偶然にも私たちのこのブログをご覧くださって、本当にたまたま参加してくださったこのお祭りで、ベビーカー貸し出しのスタッフとヴァパウスが同一団体だったと気づかれたこと。
「福山でこんな活動をしている団体があるなんて知りませんでした!」とおっしゃってくださいました。

そう、なんだか今年に入って、こんな感じで地元の方々がブログやHPを見てくださって、私たちの活動を知ってくださる機会が増えてきたような感じがしています。
それまではどちらかというと、地元より外の方のほうが興味を持ってくださっていましたが、やっと…!

これもひとえにいつも支援してくださっている皆様のおかげです。

さて、毎年度このブログのカテゴリを禅語で表現させていただいていますが、2015年度は、
「和敬静寂」としました。

意味は、「相手を敬えば和になれる。相手の個性もそのまま認めて一緒にすごすということ。居心地のよい清々しい関係が生まれる。」という意味です。

昔、ある高校の入学説明会で校長先生が「我が校の生徒は、将来周りから尊敬される人を目指しています。」と言われていました。でも木村は思ったんです。「それより、相手の良いところを見つけ、その人を尊敬する心を持つ方がいいのでは?」と。そんなふと思ったことが、この禅語の一言に言い表されて、これを見た時、「おぉ〜」と思いました。

世の中、気づかないうちに分類されています。健常者と障碍者。勉強できる子、できない子。性別、国籍などなど… あるときは区別も必要ですが、お互いのことを理解せず、無知のまま相手を遠ざけてしまっていることって結構あります。

海外のドラマやアニメでは、障碍者のキャラクターが必ずいます。日本では、弁護士といったら中学高校から成績優秀で、大学を出て司法試験に合格をして…と言った風な超優等生街道を進んだ人のようなイメージですが、海外では、大人になって弁護士の道を目指した人などざらにいます。(だから大学に託児所があったりするのも当たり前だったりします。)

最近では、ガングロギャルが漢検1級の保持者だとかで、いわゆる「常識」(という名のステレオタイプ)を打ち砕くような人物を紹介するテレビ番組があったりしますね。その意外性がとても面白いのですが、こういった類が話題になるのでは日本もまだまだです。そういう人もいる、ああいう人もいる。自分もそのうちの一人。そんな感覚で、多様性を認め、その多様性の中で共存していくための術を見つけていくことができればいいなと思ったりします。

ちょっと話がそれましたが、2015年度、和敬静寂という言葉を胸に、これから出会う子どもたち、保護者の方、支援してくださる方々、批評される方々、いろんな方に接していくことができたら、そして、出会ったいろんな方々から教わったいろんなことをこのブログでご紹介できればいいなと思っています。
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