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ヨキータの哀愁日記

ジプシーの血たぎる(妄想)
私ヨキータの人生は
流れ流れてどこへ漂着するのでしょう。
チクチクもの哀しくて、だけどサクっと笑える日々を綴ります。


プロフィール

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在りし日の。 [2017年08月03日(Thu)]
マリーザとステェファノ.jpg



この一枚にフォーカス。


しつこいですが(笑)

強制ダンシャリ真っただ中です。


仕事の資料、手紙類や写真、アルバム。などなど。

ごっそり処分しよう、、、と意気込んでいたのに。

やっぱそこそこな処分となってます(笑)


仕事の後に、コツコツ始めて

夜1時、2時ごろまでやっているのに、


朝の6時には目が開いて。パッチリ。

やらなければ!という交感神経が全開のようで。


鍋もフライパンも処分したので、、

何しろ料理ができません(笑)

なるべくお弁当じゃないものを食べてます。

市販のお弁当、あまり好きじゃなくて、、、


写真、に話は戻りますが。

なんかね。

これまでの人生を眺めているようなもんだよね。


ごっついアルバムは捨てて、

大事な写真だけをもぎとってますが。


選ぶのも辛いわよね。。。


デカイアルバム → 小さなフォトブックに! 

ちょっとずつやってます。


データだけじゃ寂しいし。

眺めて眺めて選んで捨てて。


一言。出た。思わず。


よーく、頑張ってきたな。私。


マジで。ホントに踏ん張ってきたわ〜〜〜。

ってね。胸が熱くなりますわ。


私のちっさな人生の片鱗がそこにあり。

思わず泣けてくる。


頑張った、頑張った、

そりゃ失敗もたくさんあったし、

辛いことの方が9割だったかもだけど。


それでもいーんだな。

なんとかやり過ごし、振り返れているんだもん。


イタリアでのこと。


ちょっとトラウマがあり。

ブログにはあまり書いてません。


でもね。あの1年、2年、3年が。

人生の大きな大きなピークでもあったのだなと。

今更ながらに思うのです。


あそこで踏ん張れたことが。

私にとってはめちゃくちゃデカイ。


その後の人生を創ったのは

紛れもなくあのイタリアでの暮らし。


楽しい事や刺激的なこと、ばかりではなかった。

辛いことも多かったし。

何度も悔し泣きしたし、寂しくて泣いたし。


今のようにfacebookもない。ラインもない。

仕事が忙しくて、パソコンを開けることもほぼなく。

メールもしないので。


日本の誰ともコンタクトを取ることもなく。

仕事をし。人間関係を創り。毎日が必死で。苦しくて。


なんつうても。言葉はまあまあわかるとしても。

初めての畑仕事。


夏の猛烈な暑さ。

朝の5時半から陽がギラギラ照りつける昼過ぎまで。

何度も熱中症になり。迷惑かけた。


冬の空っ風の中のオリーブ収穫の仕事。

収穫の終わった葡萄の木の剪定。


寒かった。手が凍ってハサミが握れず。


その合間に昼食や夕食の準備。片付け。

宿泊客のお相手。お食事の手伝い。

部屋を整え、ショップにもたつ。


夜にはマッサージの仕事。

ほぼ一日中働いてた気がする。


でも、みんなとてもいい人で。

たくさんのイタリア人、トルコ人、、エトセトラ。

みーんなに助けてもらってね。

愛をたっくさん感じることができた。


もともと、あのトスカーナの農園には、、、

不登校児の社会復帰プログラムのボランティアに

お姉さん役を買って出て。

そこからのご縁でした。


絶対にやりたかったことだから。

やめようと思ったことは一度もなかった。


子供たちと。受け入れ側の間に立つことになる、

「おねーさん役」はことごとく、自滅してしまい、

フェイドアウトしていくから、


だからもう、要らない、と最初は断られました。


プロジェクト自体やるかどうかわからない、と

農園のオーナーに言われ。。。


それから一年、しぶとく私は食い下がったのです。

やらしてほしい。やりたい。絶対に。と、手紙を書き。

イタリア、トスカーナの現地にも足を運び。


東京や長野でのシンポジウムやワークショップにも

スタッフとして参加。活動を続けた。


何が私をそうさせたのかな。


私はよくわかんないけど、

絶対にこれは私のやるべきことだ、という

不思議なほどの確信があったんだよね。


その辺のいろんなこと書いていたら

100ページかかるから(笑)。省略しますが。


オーナー御夫婦とのご縁は。

ずっとずっと昔から。山口にいた頃から。

ひょっとしたらもっと前!


から強く結びついていた気もするので。

運命ですね。運命。


断られ続けた「お姉さん役」を見事ゲットし、

何故プロジェクトに関わることになったのか?。


イタリアに飛び、お客として宿泊をし。

仕事で疲れ切ったマリーザが気になって、

マッサージをかってでた、ことがキッカケです。


1,2時間のマッサージで、その疲れが全て

飛んで行ったそうで。ホントに喜んでくれた。


翌日、私は日本への土産としてワインを持たされ

それも一本ではない!たくさん。


その秋には、、長野でのシンポジウムだったかな。


それまでは日本で会っても目が合う程度だったのに

あちらから駆け寄ってこられ・・・


一年ぐらい農園に住まないか、と打診されました。


わかります?皆さん。断られても断られても、

食い下がり。そして、、たった一度のマッサージが。


私の人生を大きく変えたのレスよ。


長くなってきましたが。


ちょっと補足しますとですね、、、


群馬県前橋市出身のオーナーは、若かりし頃、

バイクで世界を走り、旅をしていましたが。

イタリアで運命の出会いがあったわけです。


マリーザはその後、広島に留学します。

ちなみにですね、、、


当時、彼女にイタリア語を学んだ才女が

時を経てウン十年後、私のイタリア語の先生に!!!

なった、というわけです。


その後、イタリアに帰国後二人は結婚。

可愛い4人の子どもにも恵まれましたが、、


韓国、インド、そしてイタリア、、、

哀しい境遇にいた子供3人を養子として受け入れ、

皆、一緒の大家族としての生活となったわけです。

舞台は、そう、、トスカーナ。ブリケッラ農園。


その後、日本でのひきこもりと呼ばれる子供らを

プロジェクトを組んで、農園に定期的に預かり。


数十人の子供たちが巣立って行きました。

私は最後の9期生の「姉役」として活動したんです。

そのことは長くなり過ぎだから書けないけど(笑)


その他、麻薬常習者や刑務所からの雇用などなど。


いろんなことを家族一団でされてきた方たちです。

最後の数年。その活動を傍で見せていただきました。


気の利かない私は、、、

皆の前でよくマリーザに怒鳴られたし。

キッツーい皮肉も良く言われたし(笑)。


落ち込むこともたくさん。

真意が伝わらないな、と思う事もたっくさんあった。

キライになっちゃいそう、、と思ったことも。


でも、、悔しいけれど、、

彼女の笑顔はやっぱり世界で一番、かわいいのよ。


メッチャ怖いのに、かわいい、ってどーゆうこと?

と、よくひとりごと言ってた。私(笑)


やがて私がイタリアを去り。本帰国して。。。

それから2カ月後にご夫婦で来日されて。


電話で呼ばれてホテルに会いに行った時。

びっくりするぐらいに優しくしていただき。


私の食べたいものがメニューになかったのだけど。

何しろ、ここ数年の定宿でもあり。

ホテルの人たちも愛されてだからね。


マリーザは立ちあがって、ずんずん厨房に入って行き。

ヨキータの食べたいもの作って、お願いよ、と。


これだ。

これが皆を惹きつける由縁だ!


私は、、ようやくそれを実感することができた。


すっごく嬉しかった。

彼女のカワイイ笑顔は私だけに注がれた。


「ね、ヨキータ。イタリア帰ってくるでしょ?」


まさかのひと声にビビった。

おもらししそうなほどビビった(笑)


「またうちで働くでしょ?許可書も取るから!帰るね?」


思わず帰る!と言いたくなってしまうような、

そーゆう、とろける笑顔。


いやいや、帰りませんとも!

もう、暮らすのはいいっす、と心の中で叫ぶ。


そしてね。その日が、、最後になりました。


マリーザの笑顔に心ふるえたのは初めてで。

そして、最後になってしまったのです。


突然の死。


どうして???


私はようやく、彼女と心から仲良しになれると

ホントにそう思ったのに?


訃報を聞いて、イタリアにすぐ飛んだけれど、、、

あの時のことは忘れられない。


それから一年後かなあ。NHKのBSで、、

彼女の追悼番組が特集されました。


〜天国からのメッセージ

「マンママリーザがはぐくんだ大家族」〜


そう、けっこう知る人ぞ知る御夫婦なのです。


でね。ダンシャリでDVDの整理をしていたら、、、

そのDVDがポンっと出てきまして。

あら、懐かしい。と手に取り、、、


忙しいくせにまた全部観ちゃったよ。


その番組を観て、、

あ、そうだった、、と思いだしたのだけど。


彼女の遺影は私が撮影したものなのです。

年の瀬の忘年会で、、

農園で働く皆が楽しく食事をした時でした。


ご夫婦でとても楽しそうにしてらしたところを

何も考えず、撮らせていただいた一枚。


私の中の一番カワイイ笑顔がそこにあった。


ミサや聖壇、そして、ドキュメンタリーの表紙。

その写真を使ってくださった。

やっぱ、ご縁ですよね。


私はホント、よく怒られたんだけど(笑)


トリノから車で戻ってこられた時のこと、

頑張ってちらし寿司とお吸い物を作って待っていて、


疲れ果ててご帰還のマリーザがお寿司を見て。

瞬間絶叫。めちゃくちゃ喜んでくれて

それがすっごく嬉しかった。


お料理の達人。あるものだけを使って

創作お料理をいとも簡単に作ってしまう。


お料理するときはゴキゲンで、、、

「巨人の星」の鼻歌歌ってた(笑)


そんな時の彼女は最高に魅力的だった。


秋にはハサミを持って山へ入り。

キノコをたくさん取りにいったなあ。


ストーブで焼くポレンタが最高。

薪なので、火を消さない様にするのが私の役。

これが一番大変だったあ(笑)


思い出は尽きない。


やはり感謝だ。大きな感謝。


この番組、観たい方、、、

コピーあるので、いつでも声かけてね♪


そういえば。


このDVDを久しぶりに見つけて観た日、、

マリーザの命日でした。


奇遇だな、、、ほんと。


なんか、こうして考えるとさ。


引っ越しって、、、「振り返り」だね。


古きを偲び。感じ入り。それを捨てて

新しいスタートをきる。


そういう時期にようやく私もきたってことだね。



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