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会津若松へ行ってきました! [2010年04月25日(Sun)]

テンパリです。
昨日、会津若松市へ戊辰殉難者春季祭典を見学に行ってきました。
会津若松市では、春秋年二回開催されており、ゆかりある方々が各地から参加されているそうです。
浦柄からも、朝日山古戦場史跡保存会の方々が参加されました。


浦柄朝日山史跡保存会の皆さんの玉串奉納








祭典の最後には、日新館の流れをくむ会津高等学校の学生さんたちの、凛々しい白虎隊剣舞が奉納されました。白虎隊士の後輩へ脈々と受け継がれていく剣舞を見て、会津の歴史に対する深い想いを感じ感動して帰ってきました。






もうすぐ、ゴールデンウィークになりますね。近隣では、5月3日に小千谷闘牛場で今年の初場所の角突きが開催されます。また、朝日地区では、5月3日〜5日まで生産者による錦鯉即売会もあります。興味のある方はどうぞ
謹賀新年 [2009年01月01日(Thu)]

新年明けましておめでとうございます。

激動の新しい年が始まりました。

浦柄町内も新しい取り組みを始めた様子をお伝えします。
あいにくの小雪の中、各家庭のまえに雪灯篭を作り、ろうそくを
灯して、浦柄の歴史の一旦を垣間見ました。

今年は始めての試みなので、試行錯誤しましたが、なかなか幻想的で
いいものです。
これが松飾りをしない所以を知るきっかけとなればいいと思っています。




浦柄神社への2年参りに合わせて、階段から神社境内に108灯のろうそくを
灯しました。竹筒に入れてあります。




雪灯篭です。



ある家庭の雪灯篭です。



こちらも別の家庭の雪灯篭で、風のため直ぐに消えるのを防ぐために
コップに入れてあります。




神社階段に設置した竹で作った灯篭。
これらの写真はプロの写真家ならばもっときれいに写すことができたでしょうが。


雪灯篭で蘇る浦柄の正月 [2008年12月29日(Mon)]

いよいよ年の瀬も詰まってきました。

年末から年始に掛けて行う「雪灯篭で蘇る浦柄の正月」について
詳しく説明します。

まずはその云われからです。

浦柄の西側の山頂に、城の越という場所(妙見の崩落現場の基点の辺り)に昔
石坂予十郎という武将が立て篭もっていた会水城がありました。

与十郎は優れた名将だったうえに信仰心の厚い情深い人だったので、人々に深く
尊敬され、慕われていました。しかし、上杉謙信に従わずにいたため、謙信は
小千谷の深地城の城主、深地入道時景に与十郎を滅ぼすように命じました。

そして、12月31日の夕方に兵を集め、夜の闇に乗じて信濃川を渡り、天文21年
(1552年)の元旦、東の空が白みかけたころ、奇襲をかけ落城させました。

与十郎を慕い、落城を悲しんだ浦柄の人々は、それ以後正月の松飾りやお祝い
を一切やめ、12月31日の夜は夜なべ仕事をしながら、その時の事を話し合う
ようになりました。

このような背景には、浦柄に住む人達の人柄を表した風習のように思われ、北越
戊辰戦争で亡くなった東軍兵士をねんごろに祀っている今につながるものがあり
ます。

ただ、この風習は時代とともになくなり、忘れ去られてしまっています。
この風習を現代風なものとして蘇らせたいと企画したものです。

雪が少なく、少し心配ですが、ちょうど年越しの時間帯に雪灯篭に火を
灯す予定です。

雪灯篭は各家庭の玄関前に数個、作ります。現在の浦柄の人達自身、
始めてのことであり、なんとか実施できることを願っています。




大晦日の行事 [2008年12月14日(Sun)]

今年の大晦日はかっての浦柄の歴史を思い出す行事を計画しています。

そもそも、浦柄町内は正月に松飾りをしない風習があります。
なぜと言われても、昔からの言い伝えとか、その昔に大晦日に落城した
とか?などとと曖昧な答えがほとんどです。

それらを明らかにし、昔のことを現代風に蘇らせる活動を始めます。

大晦日から元旦に掛けて、各家庭の入口付近に雪灯篭を作り、
数時間ロウソクを灯して、当時を偲ぼうというものです。

そのいわれ等についてはまた詳しく伝えたいと思いますが、時代が
上杉謙信の頃に遡ることなり、来春の大河ドラマ「天地人」の頃の
出来事が今でも浦柄の風習として伝えられていることになります。