「隅田川焼」復権なるか?
[2009年03月15日(Sun)]
江戸時代、「お国焼」と称して、各地で陶磁器の製造が盛んになりましたが、墨田区の向島百花園で焼かれたものを、開園主である佐原菊烏(烏は正くは土扁が付きます)が、「隅田川の土をもって製す」といい「隅田川焼」と名づけたそうです。現在でも、先日取りあげた「隅田川七福神巡り」で、各寺院で頒布される七福神人形などにその姿を留めています。
郷土史家の小島惟孝氏によると、在原業平あづま下りの墨田の渡しでの「名にしおはばいざ言問わん都鳥・・・」の古事にあやかり、「都鳥」型の香合・徳利・向付・湯冷し・箸置・紅入などを焼いたものが、おみやげとして好評を博し、名物となっていったのだそうです。また席焼として、素焼の素材に絵付けが出来るようにもなっていたと言いますが、これは今でいう体験教室みたいなものでしょうか。
この「隅田川焼」が、骨董の専門誌などで最近、にわかに注目を集め始めています。きっかけの一つとなったのが、墨田区の小さな博物館にもなっている「古伊万里資料館」の應後館長が10年前から始めた「隅田川焼」の蒐集で、そのコレクションが専門誌などに取りあげられたのが反響を集めるようになったとのことです。新タワー完成を控えて、墨田名物としての「隅田川焼」の復権なるか、今後も注目していく必要がありそうです。
郷土史家の小島惟孝氏によると、在原業平あづま下りの墨田の渡しでの「名にしおはばいざ言問わん都鳥・・・」の古事にあやかり、「都鳥」型の香合・徳利・向付・湯冷し・箸置・紅入などを焼いたものが、おみやげとして好評を博し、名物となっていったのだそうです。また席焼として、素焼の素材に絵付けが出来るようにもなっていたと言いますが、これは今でいう体験教室みたいなものでしょうか。
この「隅田川焼」が、骨董の専門誌などで最近、にわかに注目を集め始めています。きっかけの一つとなったのが、墨田区の小さな博物館にもなっている「古伊万里資料館」の應後館長が10年前から始めた「隅田川焼」の蒐集で、そのコレクションが専門誌などに取りあげられたのが反響を集めるようになったとのことです。新タワー完成を控えて、墨田名物としての「隅田川焼」の復権なるか、今後も注目していく必要がありそうです。