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ヤンカン村が新しくなる! [2006年12月09日(Sat)]

ヤンカン村がいま、政府によって建て替えられています。
横幅70メートルもある立派な建物です。

ヤンカン村の人々とワークキャンプは2001年からの付き合いです。村の人々の生活が改善されるのは本当にうれしいです。政府のみなさん、どうもありがとうございます!



今回は広州の日本人ビジネスマンも参加してのミニキャンプ。ワークキャンプは学生だけの活動ではない。社会人がキャンプに参加することで活動は深まる。




***********

ヤンカン村の歴史

1.村の設立からワークキャンプが入る直前まで(1956-2001年)

1956年、ハンセン病隔離治療病院として設立。当初500名もの患者が隔離治療を受けた。当時有効な治療法がなく、ハンセン病を治すことはできなかった。特に文化大革命中は医師や看護師が病院を離れ、病状が悪化した。食べるために労働をしなくてはならず、手足が変形する原因となった。やがて生活は改善され、80年代には隔離政策も終わるが、医師や看護士が訪れることは少なく、病院というよりは、ハンセン病快復者の住む「快復村」となった。しかし、差別や偏見は厳しく、事実上隔離状態が続いていた。


2.ワークキャンプ開始から強制立ち退きまで(2001年2月-2004年12月)

2001年、韓国と日本の人々(学生、主婦、会社員)約20名が村を訪れた。「こいつら、何にしきたんだ?」―多くの村人はそう思った。外部の人間は即、差別者だからだ。その20名のガイコクジンは村の空き部屋を改装して共同台所とダイニングルームをつくった。パーティーを開き、村人といっしょに食べたり、飲んだり。「夢みたいだなぁ」―多くの村人はそう語る。キャンプ最終日、村人とキャンパーたちは抱き合って涙を流した。これが中国史上初のワークキャンプだった。その後、2003年8月より 中国の学生たちもワークキャンプに参加するようになる。2004年2月までに5回のワークキャンプと無数のミニキャンプが行われ、ヤンカン村の生活環境と村を取り巻く地域の人々の差別は薄らいでいった。村の人とマーケットのおじさんが肩を組んで歩く姿も見られるようになった。


3.強制立ち退きから現在(2004年12月-)

2004年12月、政府の国立公園設立計画のため、村人たちは強制立ち退きさせられた。それまでに村は地域社会にかなり開かれており、生活環境もだいぶ整っていたが、新しい場所で一からやり直さなくてはならなくなった。新しい場所は一見キレイな白壁白タイルの2階たての建物だ。しかし以前は薬物常用者の更生施設としてつかわれていた跡(牢獄のような窓)を見ることができる。義足をはいている村人や高齢の村人には床が滑って危なく、部屋にはベッドが2つあるだけで、2人でひとつの部屋を共有しており、プライバシーはない。炊事場、トイレ、シャワーはあるが、各部屋からは遠い。いわば、白い牢獄。村人の強い希望で、建設ニーズはないがここでもミニキャンプを無数に開催する。初めは鼻と口に手を当てて村の前を通り過ぎていた外部の人々や子供たちも、現在では村にやってきて談笑するようになった。今年9月ごろより政府は新しい建物を村人のために建設中。

ゆーちん [2006年09月18日(Mon)]

2004年以来会ってなかった、トゥーグワン村のゆーちん。村の子供たちを集めて公立の学校に通わせる施設に昨日行ったら、いたいた!大きくなってた!しゃべれるようになってた!「あんた、ホントにタイラン?」と何度も確認して、大きな目玉をぐりぐりさしてた。

親族だけの葬式 [2006年07月19日(Wed)]

昨日、遺骨をおいてきた山に行こうと、ワンフーがいう。アジュエン、同年代の3人のいとこたちもいっしょにいく。

これ、害羞草ってゆうんだよ。

害羞とは、はずかしいという意味。

しだのようなその草をアジュエンがつっつくと、葉が真ん中から折れ曲がり始め、花が閉じるようにぴったりと顔を隠してしまった。

風船かずらをいとこの青年がみつけ、それを手のひらに載せ、アジュエンの頭でつぶす。
ぷす。
へんな音がして、みんな笑う。
みんながお互いの頭を風船かずらでたたきあい、笑いあい。

白いたんぽぽの綿毛を吹く。花を食べる虫を見つけ、大騒ぎする。

彼らは山で遊びながら育った。

遺骨の入ったバッグをおいてあるところでは、親戚たちがスコップで草を刈っていた。石を積んだ小さな小さな山が現れた。かなり古い。じいさんとばあさんの墓だ。置き去りにしたわけではなかったのだ。

儀式が始まる。
線香を供え、ご飯を供え、レンゲを添える。
焼酎を各自レンゲに5杯ずつ骨の前に捧げる。
荘族の葬式だ。
爆竹が耳をつんざく。

帰り道、ワンフーはうなるように言う。
おれの親父はこの土地でとても有名だった。
70-80%の人間が親父のことを知っている。
でも、誰も葬式に来ない。

何で?

三輪車に乗り込みながら、ワンフーは、何かをぐっと飲み込みながら、

病気と関係あるんだろう。

そう、吐き出す。
泣かない葬式 [2006年07月18日(Tue)]

ワンフーの家の側に三輪車が止まる。
「ところで、おまえ、実家に帰るのはどんくらい振り?」
「5年」。

実家には彼のいもうとアジュエンを初め、たくさんの人が集まっている。
「おう」。
ワンフーはごく簡単に、出迎えられるというか、なんというか。

ワンフーのママはこないそうだ。

親族に促され、ワンフーは父に白い布を巻きつける。親戚の誰かが持ち上げたワンフーの父の顔はゾンビのようになっている。本当に昨日死んだのか。

それを見ると、アジュエンがぐっと来る。
後ろから彼女を抱きかかえる。
しばし、そのまま、ワンフーが白布を巻くのを見届ける。

ワンフーの父親は飲みすぎて滑って頭を打って死んだ。
そう親戚のおじさんが説明してくれる。


一枚の紙切れが舞う。
真新しい黒いアスファルトの道を、白い紙切れが舞う。
雄大な大新の山を背景に。
その紙切れは、死者があの世で使うお金。
また、一枚、また、一枚。

くさい。
ワンフーのお父さんはにおいを発し始めている。
白いワゴン車の中、たばこを吸わずにはいられない。
たばこを吸わない人たちも、たばこのにおいに安心している。

「ここがバーグワン村だ」。
ワンフーとアジュエンはうれしそうに向こうの山を指差す。
この村でぼくらはワークキャンプをしている。
しかし、そこに住んでいるワンフーのママ―死んだ親父さんが離婚した妻は葬式に来ない。

お父さんは、モノのようにガーンと炉の中に放り込まれる。
見送るものはいなかった。


隣の葬式では、鳥の丸焼きが線香とともにならべられている。
爆竹がうるさいほど鳴る。
親戚が豪華高級大型バスで現れる。
女の子が、抱き抱えられるようにして、連れて行かれる。

一方、淡々と葬式を済ませるワンフー一家。

高温で焼きすぎたのだろう、ボロボロになった骨をワンフーと妹は紙にくるんで、スポーツバッグに詰め込む。
それはそのまま山の中腹に半ば置き去り状態にされる。

残ったのは、焼き場でもらった火葬証書だけだった。
白い牢獄 [2006年06月21日(Wed)]

その白い牢獄の門は、堅く閉ざされている。暗闇にも映える白が目の前にそびえ立つ。
門番は一言も発さない。扉がギイギイと開いた。中庭に敷き詰められた白いタイルが月光に薄気味悪く浮かぶ。それをぐるりと四角く囲む無機質な箱には、人が住んでいる気配が感じられない。
箱の一角へと急ぐ。天井すれすれについている、横に細長い採光窓からは、ぼんやりと裸電球の光が漏れる。
心臓がひとつ鼓動する。
骨と皮ばかりの老婆が、蚊帳の中に見える。細い指を組んだその胸は、あらわになっている。
ぁぁぁあぁぁぁ…。
苦しみがこもった寝息が、響く。
ここ二日、何も食べていないんだ。
穏やかな、しかし険しい表情で、彼女の隣人は説明する。
小便も大便もベッドの上でしてしまうんだ。今日の午後、むしろを交換して彼女の水浴びを手伝った。
隣人はそうつづける。
あぁぁぁ…。あぁぁ…。
老婆は眠りつづける。
タイロンがきたぞ!
隣人が叫ぶ。
タイロンが…?
目覚めた。が。眼は、虚空をさまよう。目の周りが、黒くくぼんでいる。
彼女は手を握る。力はないが、強さを感じる。
オレンジを口に運ぶと、大きく口を開ける。もう一度、もう一度、…。
すー、すー、すー。
老婆は寝息を立てる。
隣人に煙草をすすめ、火をつける。肺に響く煙草。
タイロンは帰ったのか。
手が離れたのを察した老婆は、そう隣人に尋ねる。

かき乱される。
アジェーは、どう死んだのだろう。
タイヌンとキャッサンにはもう会えないな。
これば、アジェーの最期の言葉だった。
無題 [2006年04月07日(Fri)]

無機質な白い建物にひんやりと雨が降りる。
一階のトイレの隣の隣の部屋に入ると、蒸した、膿みのにおいを身体全体で感じる。そこにアンモニア臭が混じる。
蚊帳の中の陰がぼくをみとめる。
「タイロンか」。
「フォンボ」。
うつろなフォンボの頬はこけてしまっている。あれから20日しか経っていないのに。フォンボはベッドに座り、左足を少し動かしている。大きな、大きな傷が見え隠れする。ほこりや砂がこびりついている。
フォンボに近づこうと、足の踏み場を探す―この白いタイル張りの牢獄は雨季、床も壁もだくだくに汗をかく。すべる。ひとりの村人の劉さんは転倒して死んだ。
フォンボのベッドの前は結露だけでなく、飯粒やこぼれたおかずのかけら、排泄物などが散らかっており、足を踏み出しにくい。
消毒すると「痛」を繰り返す。ハンセン病の後遺症で知覚麻痺を起こしているはずなのに、なぜ―傷の奥に茶色のものがある。骨だ。
「痛」。
「もうガンかも知れない。こんな短期間でやせるなんておかしい」。
小牧義美はうなりともため息ともつかぬ声を出す。
ぼくが包帯を巻き終えると、フォンボは巻き具合をゆっくりとした動作で確かめ、テープで固定してくれないかという。ふとんの中で動くと、包帯がとれてしまうから。と。
同じ部屋の向さんは耳がほとんど聞こえないが、ぼくたちのやり取りをずっと見ている。手のない両腕でクッキーの缶を空け、そこからテープを取り出し、両脚の義足をきしませながらぼくの方へ。
「セッイーン」。
テープを貼り、すべてを終えると、フォンボはぼくにタバコをくれる。リンホウ村のアジェーもそうだった。アジェーはごはんが次第に食べられなくなり、血を吐いて、死んだ。
「このメシは硬くて食えん」。
ペナペナのプラスチックのコップに密封された豆乳がいくつか転がっている。
「飲む?」
「いらん」。
ふと、リンホウ村のベンスイさんを思い出す―
あのときに見た、あの、肌の色。
あのときに背筋を冷やされた、あの、眼の光。
あのときに聴いた、あの、細い声。
あのときに感じた、あの、死のにおい。
ハンセン病快復村で鍛えられた根性 [2005年12月13日(Tue)]

朝、グロイ夢を見る。
 ワンフーはふだん、室内につばを吐くは、でかい声で夜中までしゃべるは、汚すぎる言葉や強烈なネタで冗談に取れないくらいの冗談を言うはで、僕はいっぱい一杯になっている。居候をつづける彼に僕はついに切れ、彼を追い出す。彼の持ち物を僕は全部外に放り出す。それを呆然と見つめるワンフー。
と、ワンフーはいつの間にか弟・真二に変わっている。真二は愕然と、呆然と僕の行為を見つめる。僕が何を話しても、彼はまったく上の空だ。そして次の瞬間、彼はパンツいっちょうでビルから飛び降りてしまう。ゴツンともドスンとも言えない重たい音が下から聞こえてきて、僕は絶叫し、そこで眼が覚める。朝だった。
その夜、22時ごろ。ワンフーが風のように帰ってくる。彼は月曜日から仕事を始めた。調理師見習いだ。湘菜(湖南省の料理)の大きなレストランで働いている。けっこう大変な仕事のようだ。
「今日は何やった?」
「シャーユーラ」。
魚をさばくという意味だ。「殺魚」と書く。
「手、感覚がねーよ」。
そう言って彼は手を見せる。浅くて薄い切り傷が数ヶ所にある。ウロコをそぐときにできるそうだ。
「昨日(オフィスに)つれてきた同僚のヤツ、あいつは今日来なかった」。
仕事がハードなため、そんじゃそこいらのヤツでは務まらないらしい。彼は今日、数十匹の魚をさばいたという。
「今日、何人か新しいのが入ったけど、いつまで続くか」。
たいていの人間はすぐにやめていくそうだ。給料は一ヶ月300元(約4500円)だし。
ワンフーがこの店に面接に行った土曜日、付き添った僕に店のボスは言った、
「こないだ入ったヤツは数日で逃げ出したんだ。寮のふとんを盗みやがったんだ」。
このボスもかつては給料300元から始めたという。今では数千元を稼ぐボスだ。
根性はあるか、というボスの問いにワンフーははっきりと、しかしシンプルに言う、
「ある」。
後で彼は僕に言った、
「ライ村に4年もいたんだ。何だってできるさ」。
今度は、中国の社会人! [2005年11月16日(Wed)]

JIAは12月、チャリティーコンサートを開く。今回はGIVESのジョン=ジャミソンのアドバイスで、ホワイトカラーで独身のビジネスマンのサロンで23日に活動紹介をし、団体でコンサートに来てもらおうということになっている。そして、彼らがキャンプに参加したりワークキャンプを資金的に援助してくれる可能性を探る。
 そのサロンの名前は広州微酸文化沙龍(サロン)といい、英語を話すことが目的だそうだ。ホワイトカラーの独身ビジネスマンのサロン。40-50人が集まるという。
 今日は23日の活動紹介の下見でそのサロンを訪れる。JIAバックアップチームのツァイ=ハン、タタ、JIAのスタッフのジエシャン、タタの友達もいっしょに行く。
「ホワイトカラーのビジネスマンってどんな人だろう?みんな英語ペラペラかなぁ」。
期待を膨らませてサロンに行く。
始まるとすぐ、ドンビンは帰った。司会者によると、このサロンはいつも英語でのジョークで始まると言う。ひとり一人がジョークをみんなの前で披露する―失笑がもれる。場はまったく盛り上がらない。彼ら英語がペラペラというわけではない。
次は単語当てゲーム。ふたり一組のチームをつくり、片方が紙に10個英単語を書き、ひとつずつ英語で説明していく。それをもうひとりが当てる。このチームは必ず男と女が組みになってつくらなければならない。そういう目的のサロンなのだ。
追い討ちをかけるような次のコーナーは、英語の映画をみながら、その台詞を男女が組みになってまねるというものだ。
“I love you…”
そんな愛の言葉をささやきながら、熱い演技が男と女の間で繰り広げられる。
「もうがまんできない。もう帰るわ」。
タタはそう言い、折りを見て友達と帰ってしまう。ツァイ=ハンも後を追うように去る。
3時間に渡るサロンが終わり、それでも残っているジエシャンと僕に司会者が話しかけてくる、
「JIAはどんな活動をしてるんですか」。
「ワークキャンプという活動をしています。中国、韓国、日本の人々がハンセン病快復村に住み込んで、…」
ジエシャンがここまで話すとその司会をしていた、30代くらいの彼は薄気味悪い笑みを浮かべながら言う、
「ハンセン病ね…」。
明らかに見下している。僕は尾てい骨からガタガタと怒りが振るえ上げていくのを感じる。
「オフィスはどこにあるんだい?」
「ドンプーです」。
ジエシャンも顔を引きつらせて答える。
「あぁ、ドンプーかぁ」。
ドンプーは広州の外れにある田舎だ。
「スタッフは何人いるんだね?」
「3人です」。
「3人かぁ」。
ちょっと酔っているのか、彼は赤い顔をヘンな笑顔でゆがめて言う、
「君たちはハンセン病問題に取り組むよりもまず、スタッフの問題に集中した方がいいんじゃないのかね?」
数年前の僕なら彼をぶちのめしただろう。いいことだか悪いことか、成長したのか退化したのかわからないが、とりあえずその衝動を押しとどめる。
ハンセン病と聞くと、急に態度を変える人間。外に出て、ニコチンをただ体内に入れるだけかのようにタバコを吸いながら、以前のことを思い出す―そういえば、中国の一部の学生もそうだった。2003年8月以前、ろくに中国語も話せなかったあのころ、ハンセン病という言葉を出すだけで態度の変わる人間がいた。
戻ると、ジエシャンはサロンの責任者の女性と話している。ハンセン病快復村でのキャンプについて彼女は熱弁する。しかし、責任者は何だか腑に落ちないといった表情をしている。
「私たちに何をしてほしいの?」
「ワークキャンプに参加して、村人と出会えば…」
ジエシャンは語り続けるが、その責任者はすっと立って言う、
「あの人たちが帰るから、ちょっとあいさつしてくる」。
あの人たちというのは、今日飛び入りで参加したデンマークのビジネスマンふたりのことだ。そして、責任者の彼女はビジネスマンと話し込む。
「ジエシャン、キャンプのことを直接話してももうダメだ。もっと搦め手から攻めないと。外国のキャンパーが来るとか、JIAのチャリティーコンサートにはガイコクジンがたくさんくるとか。彼女の表情を見ろよ」。
僕は半分自棄になって言う。
ブルースという名のサロン参加者(中国出身)が、ビジネスマンと向こうで話し込む責任者に中国語で言う、
「このビジネスマンはビジネス目的で来てるだけだ。重要じゃない。大事なのはJIAのあのふたりだ。戻れ」。
責任者は僕らのところに戻ってきた。ジエシャンは、搦め手の話を盛り込みながら活動を紹介し続ける。そしてついに、23日にキャンプの紹介をすることに対し、OKが出る。
帰り道、ふと、想う―今後のターゲットは中国の社会人だ。学生はワークキャンプに参加するのがふつうになった。ワークキャンプをつくることさえできる。今度は社会人を巻き込もう。この種のサロンや社会人の集まりに片っ端から参加してキャンプを紹介する糸口を探ろう。

バーグワン村をめぐる差別 [2005年11月13日(Sun)]

ワンフーは、バーグワン快復村に対する周りの村の無知を話してくれる。
ワークキャンプで学生たちがバーグワン村に来るようになったとき、隣村・ハーラン村の村人たちはこんな風に考えていたという、
「学生たちはハンセン病の予防薬を飲んで、それから村に来ているんだろう」。
そんなものがあるはずはない。ワンフーはそう笑う。
かつてバーグワン村には肉売りが来ていた。彼はハンセン病を恐れない人だった。村に来て、まず村人たちと酒を飲んでから、それから商売を始めたという。
「あの人はいい人だった。でも、もう死んじまった」。
現在は彼の後を継いだ人が肉を売りにバーグワンに来ている。彼も村人と酒を飲む人だ。
ある日、いつものようにその肉売りがワンフーとビールを飲んでいるとき、ふとワンフーは自分が「麻風病病人」であることを話した。まだ薬を飲んでいると。
すると、その肉売りはワンフーに訊いた、村の人はまだ薬を飲んでいるのかと。村人はもう治っていて薬を飲んでいないこと、自分もあと数ヶ月で薬を飲まなくてもいいようになることをワンフーは話して聞かせる。
その肉売りはあまり村に来なくなった。
しかし、今年8月ワークキャンプのとき。キャンパーたちがその肉売りにたくさんの肉を注文した。そこで彼はキャンパーを目の当たりにする。
「彼もだんだん変わっていくと思う」。
ワンフーはハンセン病問題を話すときは真面目な表情になる。
どうなるか、ワンフー… [2005年11月13日(Sun)]

20051113
ワンフーは相変わらずうちに居候している。
朝7時半。チャリティーバザーの会場へ向う。パンフレットなどの資料がたくさん入った袋を両手で担ぐワンフー。彼の片方の手から袋をとると、彼はホッとしたように放す。
バザーが始まると、いろいろな反省点が上がってきた―
・ バザーで扱う商品の価格はもちろんのこと、商品の特徴に関する知識をボランティアスタッフは持っていなければならない。値段の引き下げ幅も知っておかなければならない。
・ 商品を売りながらワークキャンプという活動を説明する上で、ハンセン病に対する正しい知識を英語で説明できるくらいだと効果的だ(今回は中国外の人々が多くいたため)。
その他にもいろいろとある。
準備不足だ。結局コストと売り上げはトントンだった。

一日中バザーで走り回った帰り道。重い荷物を持つワンフーは、荷物を放さなくなっていた。むしろ、より重いものを持ってくれる。
「バザーで物を売ってるとき、英語の重要さを知ったよ。もし、英語ができたら客引きができたのに。商品を持っていろんなところに行って売ったり。でも、できないからただ見てるだけだった」。
彼は悔しそうにそういう。
僕は5月、彼に中国語の辞典を贈った。
「夜、何にもすることがないときは辞典をただ読んでるんだ」。
半年たったその辞典はすでに手垢で汚れ、厚みを増している。その辞典を見たとき、こいつはやるなと思った。その彼が英語を勉強したいという。パソコンもできるようになるかもしれない。
「おれ、ピンインは少しわかるんだ。辞典を読んでるからね。だからパソコンもできると思う」。
ピンインとは中国語の音をアルファベット表記したものだ。これは勉強していない人が自然にわかるものではない。
利発な彼の可能性を最大限に引き出してみたくなった。