コートを突き貫けて刺さるように寒い北京で、張国成に出逢った。
1月25日。今日は日本財団の笹川陽平会長が主導するGlobal Appeal 2011(
リンク)が北京大学で開催される。財団は僕を北京に招待してくれ、記者会見にも参加させてくれる。
壮年の男が車を降り、真っ先に笹川記念保健協力財団の山口和子と握手し、英語で話し始める。
「この人が張国成よ」。
山口和子は同財団で1982年から中国のハンセン病対策活動を支援しているので、中国医学科学院皮膚病研究所副所長の張国成とは長い付き合いだ。
「彼、昔は英語ができなくてね…。ずいぶん勉強したんだと思いますよ」。
先日はWHOで中国のハンセン病の状況を報告してきたという張国成は、中国のハンセン病対策を推進する責任者であり、中国各省のハンセン病を管轄する政府機関と緊密に協力している人だ。顔は毛沢東、髪は江沢民、体はケ小平のような彼からタバコを受け取りながら、僕はあいさつし、中国のハンセン病快復村でワークキャンプをしていることを伝えると、山口和子がより詳しく張国成に説明してくれる。
「好、好、好」。
と彼は微笑み、しかし、もう次の話題に移っている。
これ以後、27日までの三日間、僕は彼と行動を共にする。26日は河北省のハンセン病療養所を訪れ、その車では隣の席に座らせてもらう。その夜、浙江省へ飛び、その翌日はハンセン病博物館も併設されたハンセン病療養所を訪れる(
リンク1,
リンク2)。昼食後、僕らは抱擁して別れる。
「2月、広州にいくから、そのときにまた会おう」。
「はい。また飲みましょう」。
張国成のハンセン病対策にかける想いは熱い。河北省の療養所を訪れた際には、元衛生部部長(厚労省大臣)や療養所の所長たちを前にしてはっきりという、
「普通の医師や看護師はダメだ。事務的にハンセン病快復者に接する。それに比べてシスターたちはいいぞ。快復者への心が感じられるからな」。
山口和子が帰国後に張国成から受け取ったメールには次のようにあった、
「原田のような若い人たちと仕事をする必要がある。彼の中国での活動の拡大に全面的に協力したい」。
そうは言っても、昨日、ここ広州で張国成と再び会うことになるとはほとんど思っていなかった。彼が22日から数日間広州にいると聞いていたので、その直前、一応電話を入れてみる。
「原田〜!」
ほんわりとした、やさしい、機嫌のよさそうないつもの声が聴こえてくる。24日に食事をすることになった。17時半に指定されたホテルにいくと、ミネラルウォーターを一本くれながら、
「そんなに荷物を持ってるのか。おれの部屋に置いておいたらいい」。
そして車に乗せられ、レストランへ向かう。
四つ星ホテルにある絨毯が敷かれたレストランには、200人以上の人々がいた。彼らは各省で主に性病・HIVの対策にあたっている機関の役人や医師で、この日は性病・HIV対策の全国会議を開いたという。その機関はハンセン病対策も行っているため、各省のハンセン対策のトップにいる役人たちも何人か来ている。
「原田、おまえにハンセン関連の全員を紹介してやるからな」。
張国成とふたりで飲むと思っていた僕は、圧倒されながら、しかしすでに張国成に腕を引かれて歩いていた。
彼はホスピタリティーにあふれている。誰に対してもしっかりと握手してにこやかに挨拶し、そのユーモアで相手を笑わせる。
「久しぶりだな。元気か?今日はゲストがいるんだ。日本の原田だ。原田、彼は黒龍江省のハンセンの責任者だ」。
「おれの友達をつれてきたぞ。これが原田だ。大学卒業後に日本から中国にきてな。原田、この人は安徽のハンセンの責任者だ」。
その他にも江蘇、広東、広西、湖北、海南のハンセンの責任者、広東省衛生庁副庁長、…。彼らの口からは「非常感謝」、「非常支持」、「以後何かあったら何でも連絡してくれ」などの言葉が笑顔で連呼される。
さらに。海南の役人はいう、
「この前もJIAのキャンパーに会ってね。我々はハンセンの専門家ではあるが、君たちの快復者への想いにはかなわない。見習わねばならない」。
彼はわざわざ僕のテーブルまできて、少し眼を潤ませながらいうと、ワイングラスを掲げる。
広東の総責任者はいう、
「今新しい事務員を募集しているところなのよ。で、ひとり、あなたたちの活動に参加していた子を面接したの。応募してきている学生には中山大学なんかのエリートもいるんだけれど、でも、あえてJIAのボランティアを採用しようかと思っていて。彼女にはハンセン病快復者への心が感じられるから」。
この子は素Ting(Tingは女偏に亭)というキャンパーで、2008年からそこで働きたいと語っていた。というのも、彼女がいちばん好きなハンセン病快復村を管轄する地方政府は2008年、JIAがその村で活動するのを禁止したからだ。彼女はその状況を打開したいといつも話していた。
張国成は引っ張りだこで、席を温める間もない。が、それでも、要所で僕を紹介することを忘れない。彼が山口和子に書いたメールは、本気なのかもしれない。張国成は、ハンセン病対策をライフワークとして捉えていると思う。同じ機関で性病を担当している人を知っている広東の役人は言う、
「ハンセンはとても仕事をしやすいが、性病をやってる連中はたいへんそうだ。性病は任務がはっきりしていない。評価指標もない。予算もない。ところがハンセンはその三つがすべてそろっている」。
それをしたのが、中国医学科学院皮膚病研究所副所長の張国成だ。
壮大な飲み会が終わりに近づくと張国成は、同じテーブルについている自分のスタッフにいう、
「よし、これから明日の報告の打ち合わせをするぞ」。
熱心にJIAの資料を見ていたスタッフは、顔を上げ、しっかりとうなずく。明日も大事な会議があるそうだ。それを聞いていた会議の主催者はいう、
「まだ仕事するんですか!もう今夜はやめにして、これから珠江くだりの遊覧船に乗りに行きましょう。もうチケットも取ってあるし。アジア大会のあと、珠江の夜景はもっときれいになったから」。
「いや、すまないが、チケットはキャンセルしてくれ。今夜も仕事だ」。
*
帰り道、張国成はゆったりと尋ねてくる、
「原田、おまえ今日、香港にいったんだってな。出張か?」
「出張ではなくて、VISAがないので二週間に一度、大陸を出ないといけないんです」。
「中国人と結婚してるんだから、グリーンカードを申請すればいいじゃないか」。
「確か、あれは『仕事』がないとダメなんです」。
「『仕事』って、JIAで働いてるじゃないか」。
「いや、JIAは法人登録がないので、『仕事』をしていることにはならないんです」。
「ナニ、登録がない?そうか、法人登録は難しいからな」。
「そうなんですよ。何とかなりませんかね?」
「おまえらが南京にいれば、おれたちが業務主管単位になってやるぞ」。
じわり、と僕の顔に笑みが浮かんでくる。
この「業務主管単位」が、法人登録の鍵だ。この「業務主管単位」になる資格のある、限られた数の政府系の団体にぶら下がることができれば、草の根NGOは民政部門に法人登録をすることができる。しかし、それら政府系団体はふつう、NGOをぶら下がらせはしない。一文の得にもならない上に、草の根NGOの責任だけは抱え込まなければならないからだ。そのため、中国のほとんどの草の根NGOは法人登録のないまま「地下活動」をしている。
「ホントですか!それなら南京にオフィス、つくりますよ!?」
「好、好…」
NPOに詳しい清華大学の教授曰く、JIAの法人登録は普通に考えれば不可能だ。ただ、どんな意外なきっかけで、ポンと法人登録できるかは誰にもわからないので、あらゆる機会をつかむようにとアドバイスされた。それが、いま、来たのか?張国成は何事もなかったかのように、簡単に引き受ける。冗談だと思われているのだろうか。悲願がかなうのか。
「さて。そろそろ仕事に戻ろう。また3月に会おうな」。
「また会議ですか」。
「今度はハンセンの全国会議なんだ」。
「僕も行っていいですか?」
「いいだろう」。
「プレゼンとかさせていただくことは可能ですか?」
「いいだろう。おれがアレンジしておいてやる」。
各省のハンセン対策のトップがずらりと並ぶ会議で、だ。ここで僕らキャンパーの想いが役人に伝わり、張国成からのコメントが加われば、活動を許可しない地方政府は今後、出ないかもしれない。さらに法人登録が成功すれば、中国の財団に助成金を申請することもできる。企業からの寄付も受け取ることができるようになる。学生が「非合法」ワークキャンプに参加することを反対する大学もなくなるだろう。父母の反対を受けるキャンパーも減るだろう。
そして、より多くの村人とキャンパーたちの間にツナガリが生まれていく。