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感動 [2011年08月06日(土)]

このところいろいろとたいへんなことがある。
ときに、「こんなことやってて、何の意味があるんだろう?」と思う。

けれども、そんなとき、キャンパーのActionをみると、勇気づけられる。

最近、BUT (Back up Team, JIAのOG/OB会)がPRのムービーをつくった。
いろんな古いメンバーの想いがつまってる。
http://v.youku.com/v_show/id_XMjkxMzI4MjI0.html

東莞のピンチャンは新聞学科の学生、ドキュメンタリーをつくった。
(現在Up Load中)。

いろんなところで、JIAをつくったときの想いが、現実のものとなっている。
われながら、感動…。
Posted by tynoon at 22:07 | JIA | この記事のURL
ボランティアの事故に関する説明 [2011年06月28日(火)]

関係者の皆様へ

本協会のボランティア・王君(王偏に君);さん(ワン=ジュン、広西民族大学カンボジア語専攻1年の女性)が6月の端午節の休暇で広西壮族自治区天等県三合村(ハンセン病回復村)を訪問中の6月4日の夜間、宿舎の外で星を見ていたボランティアを呼び戻しに行く際に石段から足を滑らせて落下しました。王さんは即、最寄の病院で検査を受けましたが異常は認められず、翌日は意識もはっきりしておりました。しかし、午後5時突然脳圧が上昇して心臓が停止し、医師によって救命措置が施されたものの効果はなく、帰らぬ人となりました。ここに深く追悼の意をささげます。

私たちが何をしようとも失われた尊い命がかえってくることはありませんが、王さんの志を知るものとして最善を尽くし対応させて頂いております。王さんのご両親は、深い悲しみの中にありながら、「家族すべてが娘のやり残したボランティア活動を引き続き支持する」と表明してくださっています。深い悲しみのなかで、このようなご決意を表明する御両親に、私どもは最大限の敬意と誠意をもってのぞむ所存です。このご両親のご意思を尊重し、広西民族大学は6月12日南寧市にて告別式を行い、本協会のボランティア及び広西のNPOの方々500名以上が参列しました。その後、ご両親は王さんの遺骨と共に6月14日に安徽省池州市に戻られました。池州市では共産主義青年団池州市委員会が全市の若者に呼びかけてボランティア活動に積極的に取り組むよう呼びかけました。池州に到着後、池州にて再度告別式を開き、王さんは故郷に安眠しました。

本協会はこの度気遣いと助けを差し伸べてくださった方々に心から感謝を申し上げます。現在、広西民族大学は学生の校外活動への安全管理を強め、各NPOの大学内での活動に対して調査を行っています。目下、広西のその他の大学で類似した調査がなされるかは不明です。しかし、このため、皆様には大変なご心配とご迷惑をおかけしており、本協会は深くお詫び申し上げたいと思います。本協会は現在積極的に大学側と連絡を取り、多くの先生方の活動へのご支持を得ております。私たちは引き続き長期にわたって心を込めて努力し、この情勢を緩和すべく努めます。

本協会の活動の主要な地域はハンセン病快復村であり、活動は長期間に渡るので、安全面が憂慮されます。通常、活動前、本協会はボランティアに保険加入を義務付け、安全管理及び応急措置のトレーニングを行っており、また村の環境に習熟している経験のあるボランティアが責任者としてボランティアチームを率いています。しかし、今回の事件の発生は不幸にも本協会が想定していた活動期間外に起きてしまいました。今回の事件発生後、私たちは内部管理制度を見直し、より素早い緊急対応システムをつくりあげ、事件に際しては資金を早急に動かすことのできるよう準備し、またあらゆる手段を用いて安全対策を強化し、ボランティアのさらなる安全を確保することができるよう努めてまいります。同時に、各地の保険会社と協力し、ボランティアが迅速に保険に加入する制度を確立します。

この度の事故に関し、重ねて深く哀悼の意を表するとともに、このような深い悲しみの中、王さんの意思を尊重する御両親の志に対し、私どもは最大減の敬意と誠意をもってのぞんでまいります。

また皆様におかえれましては、今後もかわらぬご指導とご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。

メディア報道(中国語):
http://ngzb.gxnews.com.cn/html/2011-06/07/content_550165.htm
http://ngzb.gxnews.com.cn/html/2011-06/14/content_552657.htm
http://www.mediaxinan.com/snxw/content/2011-06/15/content_943353.htm

JIAワークキャンプボランティア協会
2011年6月20日
Posted by tynoon at 19:31 | JIA | この記事のURL
近況 [2011年04月30日(土)]

4月13-15日、政府の主催する2011年全国麻風年会(全国ハンセン病年度会議)に参加してきました。
中央レベル、省レベルでハンセン病対策にかかわる人々の前で、20分ほどプレゼンもさせてもらいました。
「なんでこの日本人は8年も9年も中国のハンセン病の村で活動しているんだろう?」という政府の人たちの疑問を一応払拭できたかなと思います。
プレゼンをしたその夜は、白酒をガンガン飲まされました。

広東省千禾社区公益基金会という中国の財団がJIAを支援することを4月24日、正式に決定しました!
JIA始まって以来初の、中国本土の財団の支援です。
来年の夏以降、アメリカのロックフェラー財団はJIAへの支援を継続できないので、その穴を埋められればと思います。

疲れきっていたJIAの財務部の王達(達ジイ)が復活しました。彼はパートタイムのスタッフで、バス会社に勤めつつJIAの財務をみてくれています。昨日電話して調子はどうか訊くと、「非常好!」と、ここ数ヶ月聴いたことのないいい声でした。
Posted by tynoon at 04:05 | JIA | この記事のURL
政府の全国会議に参加 [2011年04月12日(火)]

中国医学科学院皮膚病研究所副所長の張国成氏が中国のハンセンに関する政府の全国会議に招待してくれました。
彼によると、NGOをこの種の会議に招待するのは初めてということです。
4月14-15日、貴州省貴陽にてその会議は開催され、各省のハンセン関連の役人さんへむけてプレゼン(15分)をすることができます。
ここでうまく関係をつくることができれば、今後の活動にとって有益です。
Posted by tynoon at 09:33 | JIA | この記事のURL
『公益新生活』 [2011年03月17日(木)]

いま中国では「公益」や「志願者」が一種のブームみたいになりつつあります。
広州テレビは『公益新生活』という番組をつくっています。
それに取り上げていただきました。

映像へのリンク
Posted by tynoon at 11:41 | JIA | この記事のURL
『張国成との出逢い』―政府がJIAのワークキャンプを評価し始めた [2011年02月25日(金)]

 コートを突き貫けて刺さるように寒い北京で、張国成に出逢った。
 1月25日。今日は日本財団の笹川陽平会長が主導するGlobal Appeal 2011(リンク)が北京大学で開催される。財団は僕を北京に招待してくれ、記者会見にも参加させてくれる。
 壮年の男が車を降り、真っ先に笹川記念保健協力財団の山口和子と握手し、英語で話し始める。
 「この人が張国成よ」。
 山口和子は同財団で1982年から中国のハンセン病対策活動を支援しているので、中国医学科学院皮膚病研究所副所長の張国成とは長い付き合いだ。
 「彼、昔は英語ができなくてね…。ずいぶん勉強したんだと思いますよ」。
 先日はWHOで中国のハンセン病の状況を報告してきたという張国成は、中国のハンセン病対策を推進する責任者であり、中国各省のハンセン病を管轄する政府機関と緊密に協力している人だ。顔は毛沢東、髪は江沢民、体はケ小平のような彼からタバコを受け取りながら、僕はあいさつし、中国のハンセン病快復村でワークキャンプをしていることを伝えると、山口和子がより詳しく張国成に説明してくれる。
 「好、好、好」。
 と彼は微笑み、しかし、もう次の話題に移っている。
 これ以後、27日までの三日間、僕は彼と行動を共にする。26日は河北省のハンセン病療養所を訪れ、その車では隣の席に座らせてもらう。その夜、浙江省へ飛び、その翌日はハンセン病博物館も併設されたハンセン病療養所を訪れる(リンク1, リンク2)。昼食後、僕らは抱擁して別れる。
 「2月、広州にいくから、そのときにまた会おう」。
 「はい。また飲みましょう」。
 張国成のハンセン病対策にかける想いは熱い。河北省の療養所を訪れた際には、元衛生部部長(厚労省大臣)や療養所の所長たちを前にしてはっきりという、
 「普通の医師や看護師はダメだ。事務的にハンセン病快復者に接する。それに比べてシスターたちはいいぞ。快復者への心が感じられるからな」。
 山口和子が帰国後に張国成から受け取ったメールには次のようにあった、
 「原田のような若い人たちと仕事をする必要がある。彼の中国での活動の拡大に全面的に協力したい」。
 そうは言っても、昨日、ここ広州で張国成と再び会うことになるとはほとんど思っていなかった。彼が22日から数日間広州にいると聞いていたので、その直前、一応電話を入れてみる。
 「原田〜!」
 ほんわりとした、やさしい、機嫌のよさそうないつもの声が聴こえてくる。24日に食事をすることになった。17時半に指定されたホテルにいくと、ミネラルウォーターを一本くれながら、
 「そんなに荷物を持ってるのか。おれの部屋に置いておいたらいい」。
 そして車に乗せられ、レストランへ向かう。
 四つ星ホテルにある絨毯が敷かれたレストランには、200人以上の人々がいた。彼らは各省で主に性病・HIVの対策にあたっている機関の役人や医師で、この日は性病・HIV対策の全国会議を開いたという。その機関はハンセン病対策も行っているため、各省のハンセン対策のトップにいる役人たちも何人か来ている。
 「原田、おまえにハンセン関連の全員を紹介してやるからな」。
 張国成とふたりで飲むと思っていた僕は、圧倒されながら、しかしすでに張国成に腕を引かれて歩いていた。
 彼はホスピタリティーにあふれている。誰に対してもしっかりと握手してにこやかに挨拶し、そのユーモアで相手を笑わせる。
 「久しぶりだな。元気か?今日はゲストがいるんだ。日本の原田だ。原田、彼は黒龍江省のハンセンの責任者だ」。
 「おれの友達をつれてきたぞ。これが原田だ。大学卒業後に日本から中国にきてな。原田、この人は安徽のハンセンの責任者だ」。
 その他にも江蘇、広東、広西、湖北、海南のハンセンの責任者、広東省衛生庁副庁長、…。彼らの口からは「非常感謝」、「非常支持」、「以後何かあったら何でも連絡してくれ」などの言葉が笑顔で連呼される。
 さらに。海南の役人はいう、
 「この前もJIAのキャンパーに会ってね。我々はハンセンの専門家ではあるが、君たちの快復者への想いにはかなわない。見習わねばならない」。
彼はわざわざ僕のテーブルまできて、少し眼を潤ませながらいうと、ワイングラスを掲げる。
 広東の総責任者はいう、
 「今新しい事務員を募集しているところなのよ。で、ひとり、あなたたちの活動に参加していた子を面接したの。応募してきている学生には中山大学なんかのエリートもいるんだけれど、でも、あえてJIAのボランティアを採用しようかと思っていて。彼女にはハンセン病快復者への心が感じられるから」。
 この子は素Ting(Tingは女偏に亭)というキャンパーで、2008年からそこで働きたいと語っていた。というのも、彼女がいちばん好きなハンセン病快復村を管轄する地方政府は2008年、JIAがその村で活動するのを禁止したからだ。彼女はその状況を打開したいといつも話していた。
張国成は引っ張りだこで、席を温める間もない。が、それでも、要所で僕を紹介することを忘れない。彼が山口和子に書いたメールは、本気なのかもしれない。張国成は、ハンセン病対策をライフワークとして捉えていると思う。同じ機関で性病を担当している人を知っている広東の役人は言う、
 「ハンセンはとても仕事をしやすいが、性病をやってる連中はたいへんそうだ。性病は任務がはっきりしていない。評価指標もない。予算もない。ところがハンセンはその三つがすべてそろっている」。
 それをしたのが、中国医学科学院皮膚病研究所副所長の張国成だ。
 壮大な飲み会が終わりに近づくと張国成は、同じテーブルについている自分のスタッフにいう、
 「よし、これから明日の報告の打ち合わせをするぞ」。
 熱心にJIAの資料を見ていたスタッフは、顔を上げ、しっかりとうなずく。明日も大事な会議があるそうだ。それを聞いていた会議の主催者はいう、
 「まだ仕事するんですか!もう今夜はやめにして、これから珠江くだりの遊覧船に乗りに行きましょう。もうチケットも取ってあるし。アジア大会のあと、珠江の夜景はもっときれいになったから」。
 「いや、すまないが、チケットはキャンセルしてくれ。今夜も仕事だ」。
   *
 帰り道、張国成はゆったりと尋ねてくる、
 「原田、おまえ今日、香港にいったんだってな。出張か?」
 「出張ではなくて、VISAがないので二週間に一度、大陸を出ないといけないんです」。
 「中国人と結婚してるんだから、グリーンカードを申請すればいいじゃないか」。
 「確か、あれは『仕事』がないとダメなんです」。
 「『仕事』って、JIAで働いてるじゃないか」。
 「いや、JIAは法人登録がないので、『仕事』をしていることにはならないんです」。
 「ナニ、登録がない?そうか、法人登録は難しいからな」。
 「そうなんですよ。何とかなりませんかね?」
 「おまえらが南京にいれば、おれたちが業務主管単位になってやるぞ」。
 じわり、と僕の顔に笑みが浮かんでくる。
 この「業務主管単位」が、法人登録の鍵だ。この「業務主管単位」になる資格のある、限られた数の政府系の団体にぶら下がることができれば、草の根NGOは民政部門に法人登録をすることができる。しかし、それら政府系団体はふつう、NGOをぶら下がらせはしない。一文の得にもならない上に、草の根NGOの責任だけは抱え込まなければならないからだ。そのため、中国のほとんどの草の根NGOは法人登録のないまま「地下活動」をしている。
 「ホントですか!それなら南京にオフィス、つくりますよ!?」
 「好、好…」
 NPOに詳しい清華大学の教授曰く、JIAの法人登録は普通に考えれば不可能だ。ただ、どんな意外なきっかけで、ポンと法人登録できるかは誰にもわからないので、あらゆる機会をつかむようにとアドバイスされた。それが、いま、来たのか?張国成は何事もなかったかのように、簡単に引き受ける。冗談だと思われているのだろうか。悲願がかなうのか。
 「さて。そろそろ仕事に戻ろう。また3月に会おうな」。
 「また会議ですか」。
 「今度はハンセンの全国会議なんだ」。
 「僕も行っていいですか?」
 「いいだろう」。
 「プレゼンとかさせていただくことは可能ですか?」
 「いいだろう。おれがアレンジしておいてやる」。
 各省のハンセン対策のトップがずらりと並ぶ会議で、だ。ここで僕らキャンパーの想いが役人に伝わり、張国成からのコメントが加われば、活動を許可しない地方政府は今後、出ないかもしれない。さらに法人登録が成功すれば、中国の財団に助成金を申請することもできる。企業からの寄付も受け取ることができるようになる。学生が「非合法」ワークキャンプに参加することを反対する大学もなくなるだろう。父母の反対を受けるキャンパーも減るだろう。
 そして、より多くの村人とキャンパーたちの間にツナガリが生まれていく。
Posted by tynoon at 02:16 | JIA | この記事のURL
古い友達@北京 [2011年01月24日(月)]

中国の街は基本的にどこも同じ。
それが、とてつもなくさびしい。

でも、北京はちょっと違う。
その北京で古い友達にあった。


(左から)JIAのスタッフ・顔循芳(シャオヤオ)、僕、Oxfamの梅家永(ケビン)と王軒、その彼女、元JIAスタッフの頼慧慧


この写真を撮ったのは、孫明君がやっている毎月の週末のミニキャンプに参加した庄東梅姐。
ねーさんはミニキャンプの常連だったので、広州を去ったのがさびしい限り…。
シャオヤオとはしょっちゅうあっているけれど、ケビンとあったのは何年ぶりだろう。
昔は広州のGreen Peaceで働いていた彼はいま、北京のOxfamにいる。
王軒とは2003年6月、彼が高校生のときにあった。
大学に入ってからワークキャンプをはじめ、名門の中山大学を卒業した後はロンドンに留学。
帰国後、Oxfamで働き始めた。
慧慧はいま、北京の劇場で働いている。
この劇場は民国時代の建物で、そろそろ100年経つというもの。
それを改装して劇場にしている。
そこでのアマチュアの演劇も、プロみたいにすごかった。
時折京劇みたいなシーンも出てきて、建物といい、中国の歴史を感じさせる。

その演劇が終わった後に食べた料理がまたものすごいうまかった!
こんなうまい料理を食べたのは久しぶり。
古い友達の存在が料理の味を引き上げたのかもしれない。
Posted by tynoon at 04:08 | JIA | この記事のURL
菅野真子さん [2011年01月19日(水)]

2007年JIAでインターンをしてくれていた菅野真子さんが「カモメ転職」に載りました。
ご覧ください↓
http://kamome.cn/kamome/index.php?itemid=1774
Posted by tynoon at 18:58 | JIA | この記事のURL
日中国際ワークキャンプ開催上の問題点の整理 [2010年12月12日(日)]

国際ワークキャンプの問題点について、あるコーディネーターはこういう、
「とにかく、コミュニケーションの不足と文化の違いが矛盾を生む根源だと思う」。
まったくその通りだと思う。だからこそ、僕らは国際ワークキャンプをする。だからこそ、国際ワークキャンプは開催する意義がある。コミュニケーションがまったく十分で、文化もまったく同じで、何の矛盾もないのであれば、ワークキャンプは必要ない。ワークキャンプはこれらのギャップを埋めていくためのツールだと思う。それがハンセン病快復村とその周辺コミュニティーとの間であっても、日本と中国との間であっても。
2001年に韓国と日本のキャンパーが中国のハンセン病快復村でワークキャンプを始め、2003年からは日本の主催するキャンプに中国の学生たちが参加し始め、2005年の春からは中国のキャンパーが自主的にワークキャンプを開催するようになる。それは一歩一歩発展し、現在では中国のキャンパーが主要な主催者となり、中国に「ワークキャンプ文化」と呼ばれるものを形成し始めている。日本のキャンパーはキャンプを日中「共催」と考えているが、しかし実際は中国側のつくったキャンプに「参加」するに留まっている。
このような状況下、特にここ一年、日中キャンプの協力上の問題点がますます顕著になってきている。いま、協力上の問題(キャンプ開催前、中、後)を整理し、キチンとその原因を知り、日中のキャンパーで共有し、お互いに理解し、解決方法を探り、よりよい国際キャンプをつくっていく必要がある。
それにあたって、まずJIAプロジェクト部がJIAワークキャンプ地区(委員会)より以下の資料を集めた。それをFIWC九州委員会の谷之木勤任、FIWC東海委員会の日高将博、Qiaoの荒井大吾、和氣慶介が日本語訳し(心から感謝しております)、原田が「日中国際キャンプ開催上の問題点の整理」としてまとめた。
ここでは各地区がまとめた改善のための提言以外に、問題を解決する方法について特に触れていない。というのも、それは日中のキャンパーたちが自分たちで熟考し、議論し、行動によって解決すべきものだからだ。


<目次>
一、 問題点の整理
1 キャンプ前
2 キャンプ中
3 キャンプ後
二、 日本人キャンパーと協力するメリット
4 日本のキャンパーのよい点
5 改善方法についての意見
6 日本のキャンパーへの期待
四、 国際キャンプにおける事例
7 比較的成功した例
8 問題だった例
五、 問題点整理後の感想


一、 問題点の整理                                                                 

以下は各地区のキャンパーが挙げた問題点を分類したもの(キャンプ前、中、後におけるそれぞれの問題)。

1 キャンプ前
1.1 協力をする上で、キャンプに関する基本原則/定義が共有されていないこと
1.1.1 キャンプを開催するのか、しないのか
a. 日本側はキャンプを開催するのかしないのかについて中国側に連絡するのが遅い場合がある。2010年の夏でいえば、吉首ヘク村キャンプはFIWC関西がキャンプを開催せず、海口シーロンでも危うく開催できなかった。(JIAオフィス原田燎太郎 )
b. 日本人キャンパーはキャンプ中に行う活動についてよくわからないことがある。例えば、この活動はやる価値があるのか等。しかし、もう少し早く意見を言ってくれたら一緒に話し合える。特にPT間(桂林)。
1.1.2 共同開催なのか、参加なのかが不明確であること
a. コーディネーターとして、中国と日本の関係についてとても疑問に思う―協力関係なのか、それとも我々が主催したキャンプに日本側が参加するだけなのか。これは問題が生じた際に誰が意思決定するのかということに関係している。キャンプ中はいつも双方のコミュニケーションに長時間が割かれており、これは他の活動の時間に重大な影響を与えている(広州トンチャオ・ビッグマザー)(桂林シンニン)。
b. 日中のキャンプの開催目的と協力形式について共通の認識を持つに至ることができなかった。キャンプ前のメールのやりとりは途切れ途切れで、多くはプロジェクトの進め方について話し合うだけに留まった。キャンプ中はプロジェクトを進め、キャンプ後は放っておいてしまう。結局、キャンプ開催の基本的な考え方のレベルまでは議論されていない(広州トンチャオ・アレックス)。
1.1.3 ワーク内容について:建設ワークか、ハウスワーク かについて共通認識がないこと
a. 日本側は明確な成果が現れるプロジェクト(ワークなど)をやりたがるので、プロジェクトを確定する際に意見が分かれてしまう(広州トンチャオ・ビッグマザー)。
b. 日本キャンパーは村人とコミュニケーションをうまく取る術がなく、そのため実質的なことしかできない。例えばワークなどである。しかしグアンジュー村では、ワークはすでに重点ではなく、すでにハウスワークが中心になっている。日本キャンパーのこのような考え方はワークをするためのワークであって、本当に村人の立場からやっているとは思えない(広州グアンジュー鄭晨)。
1.1.4 キャンプは村人のためなのか、それともキャンパーのためでもあるのかについて共通認識がないこと
a. 中国のPTとして、ひとり一人のキャンパーの感想やキャンプの雰囲気を考えずにはいられません。さらに、簡単にキャンプは村人のためだけとも言えない。確かに、キャンプは村人から始まったけど、ただ村人のためだけではない。キャンパーも私たちの家族だ。家族なんだから、私たちは彼らを気にかけなくてはならない。さらに私たちは地区を代表してキャンプを開催しており、村人の喜び以外に地区の発展の問題も考えなくてはならない。だから、キャンパーの感想を考える必要があり、そうでないと次回彼らは村に戻ってこないでしょう。このことに関して、日本側は私たちに反対で理解してくれない(湛江)。

1.2 キャンプ準備過程の違い
1.2.1 時間差
a. 日中のキャンプ準備の期間が異なる。例えば、私たちは夏キャンプの資金申請をするために、6月にJIAオフィスに計画書を提出します。一方日本キャンパーは6月にキャンパーを募集し、キャンパーを確定させ、プロジェクトの話合いを始めます(湛江シューウェン、桂林)。
1.2.2 連絡の仕方
a. 私たちは普通メールで連絡を取り合います。おそらく日本側は忙しいのか、返信をするのが遅くなりがちで、一週間に一回程度です。しかし、計画書は急がなくてはなりません。多くの場合、十分な議論ができないまま、私たちが決定することになってしまいます。この結果、日本側は私たちが決定したいくつかの項目にあまり賛成しないまま、キャンプを迎え、それゆえ、キャンプ中の積極性が低くなってしまっている(湛江シューウェン、吉首、広州ズジン)。
b. 連絡上、日本側はMSNの存在を知っており、またアカウントを持っているのに、万年オフラインだ。メールを使っての連絡は効率がとても悪い。どうやって改善したらいいかわからない(グアンジュー、桂林)。
c. 効率があまりよくない。すぐに互いの考えや決定を知ることができないし、一つの問題を解決する際には時間がかかってしまう(桂林シャンロン)。
1.2.3 プロジェクトの決定の仕方
a. キャンプの準備のとき、日本キャンパーの準備はいつも十分で、私たち中国キャンパーはとても恥ずかしく感じる。キャンプの全日程はすべて中国のコーディネーターが計画したものだが、しかし毎回このスケジュールを一から調整する必要があり、ほとんどの場合、完全に計画通りにいくことはない(広州グアンジュー)。
b. 我々中国側は村の状況を一番理解していると思い込んでいたため、我々が提案したプロジェクトは中国側のプロジェクトチーム しか通しておらず、日本側の提起した疑問や懸念は結局すべて説得されてしまっている(整理者注:「押さえ込まれてしまっている」という雰囲気の言葉)。また日本側が自分たちで集めた資料を基に提案したプロジェクトは往々にして、中国側に非現実的だとみなされて拒絶された。前者の例で言えば、中国側が提案した「村人を地元の病院に連れて行って検査をすること」、後者の例では日本側提案の「里帰り」。こういったことが日本側が尊重されていないと感じる原因ではないか?(広州トンチャオ・アレックス、ビッグマザー、広州スーアン)
c. キャンプ前に決定したプロジェクトは主に中国側が提案し、その時は日本側に異論がなかったが、しかし日本側はキャンプ中にそれらのプロジェクトに対してよく異議を唱えるため、それを変更せざるを得ず、計画に沿ってプロジェクトを実行することができない(広州トンチャオ・ビッグマザー)。
d. キャンプ前、キャンプのその他の運営面でコミュニケーションが不足していたため、日本側は前回の協力の仕方に従ってそれと同じように行っていた。しかし中国側はそれを変更しており、しかし日本側に伝えていなかったので、キャンプ中に意見が分かれてしまった。キャンプ前は中国側のコーディネーターのみが日本側との連絡を取っており、他のリーダーは日中共に連絡していなかった(広州スーアン、桂林シンニン)。
e. キャンプ前双方の意思疎通が比較的少ないため、加えて日本人キャンパーはキャンプ地に関することをよく知らないため、すべてのキャンプ計画、キャンプ前の準備は主に桂林のキャンパーによって行われた。桂林のキャンパーは決定後にその決定事項を日本のキャンパーに伝えた。日本のキャンパーの参加度は低い(桂林シャンロン)。
f. 日本側は下見に一緒にいくことができないため、プロジェクトを一緒に決定することもできません。また私たちが何か訊いてもその時は意見がなく、しかしいざ実行しようとする時に「なぜこのようなプロジェクトを行うのか」と質問します。おそらく文化の違いなのでしょうか、誰かの意見を拒絶したくないのでしょうか。例えばウオークラリーについて、彼らは「これは村人のためにはならない」と意見します。実際は、このプロジェクトは部分的な村人と村の子供、キャンパーが一緒に行うものです(湛江)。
1.2.4 準備の仕方の違い
a. 中国側は一般的に3〜4人のPT。日本人は全員がPT。もちろんキャンプ中にPTが出過ぎてはいけないが、プロジェクトの予定を立てるのはPTが担当せざるを得ないでしょう。もし、日本側が言うように、一つ一つのプロジェクトを全員で議論して決めるなら、どの時間を使ってそのように決めるのか?こんなふうにしたら、効率が悪いし、キャンプのほとんどの時間を議論に費やさなくてはならないし、そもそもこういうことはキャンプ前に話すことでしょ!しかし、下見して内容を決めるとき、日本側は距離の問題があるから、一緒にすることができない。どのみち、キャンプ中はPTが干渉しすぎてはいけない(湛江)。
1.2.5 参加枠の決定
a. 日本側はいつもキャンパー定員を守らない。中国人キャンパーが定員のことで苦労していることをしっかり認識していない(長沙ウーニードン)。
1.2.6 キャンプ前トレーニング
a. 日本ではキャンプ前、ワークキャンプや快復村、今回のキャンプ地についての紹介をしているのかを知りたい(広州スーアン)。
b. 日本の個々のキャンパーがキャンプ中に「迷い」の状態になっていることは、キャンプの雰囲気に影響を与える。キャンプ時には話ができなかったが、日本側がこの問題を認識しているのかわからない。また中国側がその問題を日本側に提起してもよいかどうか、戸惑う(広州トンチャオ・アレックス)。

続きがまだまだたくさんあるのですが、字数制限のためアップできません。ご希望の方はお気軽にメールをください:tynoon@gmail.com
原田燎太郎
続きを読む・・・
Posted by tynoon at 01:08 | JIA | この記事のURL
キャンパーが作文コンクールで入賞 [2010年12月02日(木)]

笹川記念保健協力財団の方より連絡がありました。

===
日本科学協会と中国青年報が主催している中国の作文コンクール入賞者の原稿です。
頼麗思さんという広東省の方の作品ですが、JIAのキャンプに参加した時のことが書かれています。
中国語の原文を下記リンクから見ることができますので、是非読んでみて下さい。
http://zqb.cyol.com/content/2010-11/22/content_3448491.htm

親切にも、科学協会が和訳してくださったものもあるので、下記に掲載させていただきます。
===

「中日ワークキャンプでの共通点と相違点」

広東省 頼麗思

改革開放のペースが加速化するにつれ、中国の医療衛生の水準も日を追って向上してきた。1980年代には既にハンセン病も蔓延情況の管理と治療体制がだいぶ整っていた。しかし、それまでは、何万という患者が治療費や薬品の不足により適切なタイミングで治療を受けられず、後遺症が残っていた。目、顔面、手の指、掌などに奇形が生じたハンセン病患者は、人々の脳裏に悪魔のような印象を残した。社会的差別から、ハンセン病から回復した多数の患者は、政府により辺鄙な野山に移住させられ、集まって集落を形成していた。3年前、私はボランティア的な性格のNGOに参加した。主な業務は、こうした集落に住む人々に対するケアである。
2009年の8月、私は中日両国の青年ボランティアが協力する10日間の夏期ワークキャンプに参加した。場所は広東省河源市紫金県のやや閉ざされた小さな山村で、わずかに残っていた3世帯のお年寄りがケアの対象であった。中国側のメンバーは10人で、主に広東地区の数大学から参加であった。日本側のボランティアは7人で、東京にある早稲田大学と立教大学の学生であった。期間中に深く感じたことは、誰もが善意を持っていながら、中国と日本とでは、文化の違いより同じことをするにしても、考え方ややり方に違いがあるということであった。
ワークキャンプ開始前、双方のボランティアが、ネットや海を越えた電話で業務方針の打ち合わせをした。前回分までの通常業務に関する参考資料を手元に、メンバーが実情を考慮した結果、洗濯、繕いもの、草むしり、種まき、電器の修理、演芸、山での柴刈、傷の手当てなどの基本サービス外に、屋根とトイレの修繕、新しい水源の確保、水道水の受け皿の用意、路面の補修、街灯の設置などの項目を追加した。
最初はこのプランで完璧だと思っていたのだが、日本のボランティアは「もっと考えよう、まだできることが絶対あるから」と提案し続けた。最終案を決定する前日になって、日本側ボランティアが、一般村民の訪問回数を増やそうと言い出した。元々の目的地から2kmほど離れたところに甘洞村という百数戸の村落があって、私達の滞在先は閉鎖された診療所で、ちょうどこの村と例のお年寄りが住む3世帯との中間に位置しており、両者を結ぶ架け橋としてちょうど良かったのである。中国側は、数十年来ずっとハンセン病の元患者を“敬遠”し続けてきた村民の意識を変えるなどのような骨折り損になることより、実際に必要とされるサービス項目に力を入れた方がよいと考えていた。しかし、日本側は、人々の見方を変えるには根気と突破口が必要であると言って譲らなかった。前回までに関係の改善ができなかったのなら、今回のチームが準備を整え“氷を砕く旅”に臨むべきであるというのだ。双方が摺り合わせをした結果、最終的に追加になったのは、村への訪問回数を増加することと甘洞小学校での課外活動を展開することだった。
ワークキャンプを展開する過程でも、双方の理念や行動には明らかな違いが見られた。例えば、日本のボランティアは自費負担ではるばる中国までやって来るのは、人助けのみならず、成長するための試練と内なる楽しみの源泉を求めるためであるということを強調した。中国側も当初はそうした気持ちを抱いていたのだが、いざ実施という段階となると、重点は徐々に業務成果の方へと移っていった。毎晩、仄暗い明かりの下に集まって一日の成果を話し合う前に、日本側のメンバーはいつも「今日は楽しかったですか?」と聞いてきた。中国側のメンバーがワークキャンプの成功や失敗について話そうという時、日本側からは「何が勉強になったのですか?」と聞かれた。ミーティング後、日本側のメンバーからビールを勧められ、上着を脱いで踊り始める者まで出た。踊り疲れると、そのまま庭に寝転がり、飲みながらおしゃべりである。さらには、外を流れる小川のせせらぎが聞こえてくると、突然、笑いながら外に出て河床に横たわる人もいた。
ある晩など、中国側のメンバーが皆ばたばたと寝てしまってから、日本側の7人が酒興に乗じて真夜中の星を見に滞在先の裏山の頂上まで登ったなどということもあった。ボランティア生活を楽しもうという日本側のメンバーの浮きたつような空気に影響され、こちら中国側のメンバーも次第に気持が緩み、彼らの仲間に加わった。また、日本側も私達の元々の考え方を尊重し、何事も相談する形で討論し、こちらの飲食習慣に合わせようと努力してくれた。彼らは中国式の大鍋とかまどで火を起こし、ご飯を炊く技を直ぐに身につけた。
ワークキャンプ終了後、私は日本側リーダーからメールを受け取った。メールには壁に貼られた世界地図の写真が添付されていて、拡大してみると、赤い小さな旗があって、それはボランティアとして自分が残した足跡を示したものだった。メールの本文には、「歩んできた道を銘記しておけば、未来の方向を見失うことなどあり得ない」とも書かれていた。その後、私も自室の壁に中国地図を貼って、様々な形をした色とりどりのシールで、ボランティアで行った地域や将来行ってみたい地域を表してみた。潮州、梅州、河源、南寧、吉首、海口…私は自分の歩いた道を心に刻み、そして心から行きたいところをじっと眺めている。

Posted by tynoon at 19:13 | JIA | この記事のURL
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