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村始まって以来の賑わい [2007年02月15日(Thu)]

「僕、学校でいじめられるんだ。『ハンセン病村のおまえには勉強させない』っていわれるんだ」。
 快復村の子供・ルオ=ミンはいう。
 子供たちの多くは学校に行けない。戸籍とお金がないからだ。運よくいけたとしても差別の問題により学校に通えない子もいる。独りだけ別の席に座らせられることもあるそうだ。 村人のランさんはいう、
 「村の外に出歩いたとき、つばをはきかけられたことがある。『こいつはハンセン病だ』っていわれてね」。
 村の外の人々は、ジャーピンの人々がみなハンセン病患者だと思っている。彼らにとって「快復者」「第2世代」という概念はないようだ。そのため、外に出稼ぎに行くことも難しい。ある若い村人はもどかしげに言う、
 「嗚呼、ここでこんな話をしていても始まらない。テレビに働きかけてハンセン病の科学的知識を普及してほしい」。
 そんな状況を知っている桂林のキャンパーたちは、2007年2月第2回ジャーピン村キャンプ中、快復村の子供十数名を伴って最寄りの小学校を訪ねた。校長は大学生のキャンパーたちの訪問を大歓迎する。農村では大学生は超エリートだ。小学生たちは憧れの目を持ってキャンパーたちに質問を投げかけ、打ち解けてくるとキャンパーたちとリラックスして遊び始めた。
 この訪問後、付近の村の子供たちはジャーピン村を訪れるようになる。そしてキャンプ中キャンパーたちが開催する快復村の子供を集めての青空教室に付近の村の子供たちが参加するようになる。キャンパーが開催する快復村でのパーティーにも付近の子供たちは参加したいという。キャンパーたちはその子らに言ってみる、
 「パーティーは夜遅くまでになるから、夜帰るときに危ない。だからお父さんとお母さんをいっしょに連れてきてね」。
 パーティー当日。付近の子供たちは父母を伴って快復村でのパーティーに参加した。父母のバイクはずらりと村にならぶ。村は始まって以来の盛り上がりとなる。
覃じいさんが歩いた [2006年08月20日(Sun)]

今回のキャンプの主催者はJIAワークキャンプ桂林地区の3大学(桂林医学院、桂林工学院、広西師範大学)とフレンズ国際ワークキャンプ(FIWC)九州委員会だ。参加した18名は10日間で予定通りプロジェクトを終えた。

村人の覃金圓さん(70)は2006年の初め、足の切断手術を受けた。
 初めて彼に会ったとき、彼は敬礼の動作を僕にする。少しあわてて僕も敬礼を彼に返す。彼の笑顔はとてもかわいらしいが、同時に、将来に対して何の希望もないような雰囲気を出している。そして彼は耳がものすごく遠い。毎日毎日部屋の前に座り、何もすることがない。
 覃さんの部屋はキャンパーたちが食事をつくるかまどのちょっと奥にある。毎回彼と顔を合わせるたび、僕らは敬礼をし合い、笑う。トイレをつくるワークで疲れ、喉が渇いた夕食前、僕は決まってビール一本とコップ2個を持って彼の部屋に行く。お互いに敬礼したあと乾杯し、タバコを吸う。彼は土地の言葉でたくさんの話をしてくれる。僕には聴き取れないのだけれど。僕は彼に中国語と日本語で話す。彼にはわからないのだけれど。毎日こんな感じで、仲良くなっていく。
 ワークキャンプ中、HANDAの黄添源が覃さんに義足とパイプの歩行器を持ってきてくれる。添源は時間がないので、キャンパーのウェン=ウェンと覃さんに義足と歩行器の使い方を一晩教えて帰っていった。以後、ウェン=ウェンは覃さんが義足での歩き方をマスターするのためのトレーニングを始める。しかし、足切断後すでに何ヶ月もたっているので、覃さんの脚には義足で歩くほどの力がない。覃さんはトレーニング中、とてもつらそうな表情を浮かべる。覃さんはとてもやせている。義足はとても重いだろう。しかし、覃さんとウェン=ウェンは毎日トレーニングをつづける。覃さんだけで練習することもある。
 10日間のキャンプが終わる、村での最後の日。別れのあいさつをしに覃さんの部屋に行く。が、彼はいない。隣の部屋の村人が言う、
 「彼はキャンパーの部屋の方に行ったぞ」。
 僕たちキャンパーは覃さんの部屋とは数百メートル離れた空き部屋に住んでいる。僕は覃さんがいるはずのところに急ぐ。
 太陽がすでに高くなった朝。僕の眼に、ピンクのTシャツをきて義足と歩行器で歩いている覃さんが入った。キャンパーの部屋に向かって、ゆっくりとゆっくりと、一歩一歩歩いていく。自分の眼で彼の歩いている様子を見たかったが、多くの人にこの姿をみてもらいたく、ビデオを通して彼の後ろ姿を見つめる。
 覃さんが止まった。疲れすぎたのだろう。こんなに遠くまで歩いたのは初めてだから。強い日差しも影響しているはずだ。あと100メートルほどでキャンパーのところにたどり着く。しかし、彼は止まったままだ。
 キャンパーのリージュエンが覃さんに歩み寄る。僕も彼のところまでいく。覃さんが僕の手を肩に感じると、僕を見上げとてもかわいく笑う。そしてお互いに敬礼する。覃さんがまた歩き始める。とても早く。キャンパーの井上が覃さんに帽子をかぶせる。キャンパーの部屋の近くにウェン=ウェンがいる。覃さんと毎日トレーニングをしていた彼だ。僕は大声でウェン=ウェンを呼ぶ。振り返ったウェン=ウェンは覃さんが義足で歩いているのを見つけると、両手をポンと打ち、うれしそうに笑いながら覃さんのそばに寄りそう。覃さんはどんどん歩いていく。
 僕は一歩ずつ歩いていく覃さんの後姿を見ている。ゆっくりだがしかし、確実に一歩一歩、歩く。とても細い彼の背中が、力強く見える。目頭が熱くなり、ビデオを持つ手が震える。
 3月にワークキャンプの準備を始めてから現在までの間、僕たちと彼とはゆっくりとゆっくりと個人的な関係をつくってきている。覃さんの僕たちに対する感情と、僕たちの彼に対する感情が、覃さんを歩かせた。


第1回ジャーピン村キャンプ反省会

 ウェン=ウェン:「キャンプには何度も参加しているけれど、それでも今回のキャンプはとてもよかったと思う。成功だ。ただ、新しいキャンパーがキャンプのことを理解できていなかった。各リーダーは準備期間中もっと話し合いを重ねておかないと。キャンパー用の救急箱もなかったし。もっと責任感をもって活動しないと。遊んでるんじゃねぇんだ。
 村人たちは僕らのことを孫みたいだって言ってくれた。ある夜、ひとりのおじいちゃんが部屋の外にずっと座っていた。『何で寝ないの?』と聴くと、『あんたたちは孫みたいだからなぁ。ずっと見ていたいんだ。お前さんたちが帰ったら寂しくなるなぁ』って」。
 渡辺:「3月に下見できたときに思ったとおり、素敵な村人。ケアを通してたくさんからめた。でももっと深い話をしたかった。ワークキャンプは最後かなと思っていたけれど、またやりたい」。

シャオグェイ:「ワークキャンプの写真展で村人の足の傷を見たとき、気持ち悪いと思った。でも、エリ(渡辺)とリージュエンがケアしていたとき、1日目は怖かったけれど、2日目は大丈夫になった。ケアもできるようになった!」

ロンホェイ:「一番強い感覚は、村人たちはおれたちのキャンプによって希望を持ち始めたということ。子供たちは将来どうなるだろうという不安心の中に、希望が生まれた。青空教室の教育は子供だけでなく、父母や村人に対しても意味がある。子供たちが変わった。早起きして青空教室に出て。ランさんのところの6人兄弟はズボンはかなかったり、上の二人の子は学校に行けない。でも、青空教室の授業を受け始めてから、牛追いよりも楽しくなってきた。ランさん自身も以前は子供たちが学校に行く必要はないと思っていたけれど、いまは学校に行かせたいと思っている」。
初めてのジャーピン [2006年03月11日(Sat)]

村につくころはすでに18時を回っている。
 村のおばあちゃんは僕が差し出す握手の手を見て、「何だろう?」という表情を見せる。
 「関心を示して、わたしたちのところまで来てくれてどうもありがとう…」。
 おばあちゃんは本当にそう思っているようだ。忘れていたが、僕が1年半住んでいた広東省潮州市リンホウ村でも、かつては村人たちから「関心」という言葉をよく聴いていた。最近ではリンホウの人々は、初めて来たキャンパーたちに対してもかつてと同じようなスタンスではない。
 「おお、よくきたな。まあ、座れや。おつかれさま。名前は何ていうんだい?大学はどこ?」
 リンホウでは、どこにでもあるような、こんな世間話が普通になっている。
 ジャーピン村には、呆然とした表情の村人がたくさんいる。この村には子供が16人いるが、小さな子たちは表情がなく、お母さんやお姉さんにただただ背負われている感じだ。
 小学生くらいの子供たちは家事を手際よく手伝う。すばらしい!のだが、同時に少し寂しくなる。ここでは、子供たちは労働力だ。
 ここで僕たちは8月キャンプを開催する。プロジェクトはトイレの建設とケア、子供たちのための青空教室だ。