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偏見 [2003年06月19日(木)]

偏見
蘇瑞潮さんが村人を病院に連れて行かないと言っている。今後は誰が病院に連れて行くのか。朝のお茶を飲みながら、蘇村長と若深さんが心配している。
「学生が三輪オートバイで連れて行ってくれると思いますよ」。
私がそう書くと、村長は「三輪オートバイ」を意味する文字に丸をつけて言う、
「三輪オートバイはいいが、学生はダメだ」。
なぜか。若深さんの潮州語を村長が書いて見せてくれる、
「蘇瑞潮が付き添って三輪オートバイで病院に行くのがいい」。
なぜ学生はダメなのか。2人がしゃべる潮州語の中に「偏見」という言葉を聞きつけた。
「偏見?誰の偏見ですか」。
笑った眼を私にチラリと向けてから、村長は書いていく、
「三輪オートバイで蘇瑞潮が付き添うのがいい。学生はついて行かなくていい。学生たちはまだ少し我々に対する恐れが残っているようだからな」。
「そんなことないですよ!」
私はそう小さく叫ぶ。瞬間に思い出したことがある。チオンリン(ジョアンリン、♀)はインチンと昼ご飯を食べようとした。しかし、インチンに断られてしまった。チオンリンは淋しそうに理由がわからないとぼやいていたが、インチンはチオンリンが偏見を持っているとでも思ったのだろうか。チオンリンは8月のワークキャンプに来るとも言っている。ジエシャンとチァロンは許さんを病院に連れて行こうとしてさえいた。「学生たちには偏見がある」という村長のこの言葉を聴いたら彼らはどんなに悲しむことか。
「そうか、そんなものか…」。
2人は今更ながらに学生たちを見直したようだ。
村人の自分自身に対する差別は根強い。自らを「ハンセン病患者」「ハンセン病の病人」と称する。「快復者」という言葉を使う村長も、時々自らを「患者」と呼ぶ。先日『苦難不在人間』を読んだ蘇さんでさえもそうだ。潮州市内に遊びに行くのは無理、医療水準が低いのは仕方のないこと。彼らは諦め切っている。

全村人の問題
許さんがこの1ヶ月程の間に使った医療費を計算してみる。前回の通院と薬代が56元(約840円)、先日の点滴が145元(約2175円)、そして今回が124元(約1860円)だ(診察費5元、処方箋費5元、レントゲン50元、薬代64元)。村人は1ヶ月を120元(約1800円)で生活している。
 許さんに医療改善のための募金活動の計画を話す。
「おれにか?いらん、いらん」。
許さんは現在、病院への支払いを待ってもらっている。彼が友達に貸したお金が返ってくるのを待たないことには、清算しようがない。
お金がないから、病院に行かない。そして、陳さんは去年、亡くなった。他の村人がいつ直面してもおかしくない問題だ。
「そうだな、13人全員の問題だな」。
そうつぶやき、許さんは募金活動の計画に同意してくれた。

1日30錠
「石淋通片」。許さんが処方された錠剤だ。効能には「利尿排石」「尿路結石」などの文字が並ぶ。
「この薬は1回10錠、1日3回飲めと医者に言われたんだ」。
薬の容器には1回5錠、1日3回とある。処方された200錠を許さんは1週間以内に飲み終える計算だ。7月1日には検査を受けに行く。

楊坑村訪問計画、始動
7月2日にビザが切れる。香港で更新しなければならない。しかし、ただ香港まで行って帰ってくるのはダルい。そこでひねり出したのが、「楊坑村訪問計画」だ。FIWC関西の8月ワークキャンプが中止された楊坑村を、広州の大学生と一緒に訪れる計画だ。
 日にちは6月29日の日曜日。参加者は今のところジエシャン、ツァイ=ハン(♂)、リァン=トンビン(♂)、リァオ=ジエチオン(♀)だ。ツァイ=ハンは広東商学院の学生だ。「チャンス」という英語名でFIWC内では知る人ぞ知る存在だ。リァン=トンビンは名門校・曁南大学の日本語学科の学生。私は4月、彼と会い、微妙に連絡を取り続けてきた。実は、このような形で活きてくるとはほとんど期待していなかった。ヴィヴィアンの友達のリァオ=ジエチオンとは会ったことがない。ヴィヴィアンにこの計画を話すと、彼女が紹介してくれた。
特にツァイ=ハンに期待したい。彼に携帯電話のメッセージでこの計画を持ちかけると、次のような返信がきた。
「たった1日だけ?ワークキャンプじゃないの?どこで落ち合うの?友達をつれていくから詳しく教えて」。
 彼は乗り気だ。うまく持っていけば、ハンセン病支援の学生ネットワークをつくる上で、大きな一歩を踏み出せるかもしれない。

今日のイタダキモノ
郭さん:ごはん
許さん:昼ご飯(鴨肉、卵焼き、ごはん)
蘇さん:夕ご飯(豚耳、インゲンの野菜炒め、ビール、焼酎、ごはん)

ついに病院へ [2003年06月18日(水)]

今日も快晴。真夏日だ。朝9時前、ついに蘇瑞潮さんは許さんを町の病院に連れて行く。

病院へ
許さんが立った。右足だけで飛び跳ねて歩く。肩を貸そうとすると、やはり断られる。そのまま蘇瑞潮さんのバイクの後にまたがった。
左足を浮かせたまま、許さんはバイクの後ろに乗っている。ときどき振り返って、自転車の私がついて来ているかを確かめる。眼が合うと微笑んでくれる。
時々バイクはスリップする。蘇瑞潮さんが言っていたように、昨日この道を通っていたら危険だったかもしれない。


村の近くに住む蘇さんがバイクで許さんを病院に連れてきた


診察?検査?
灰黒くなった建物。部屋は7部屋ほどだ。ここは何度か通ったことがあるが、病院だとは思わなかった。


この壁では病院には見えない


「厚婆坳礦衛生所」というこの病院の設備はかなり古い。患者さんは許さんを含めて3人。付き添いは蘇瑞潮さんと私を含めて5・6人だ。


やっと許さんは病院にこれた。が、古い建物だ…


許さんはお腹のレントゲンを撮ってもらう。医師は印画紙を病院の庭に干すと、部屋に入ったきり出てこない。
…まだ出てこない。木陰に座り込んでいる許さんはレントゲンを日にかざし、何度も眺めてつぶやく、
「見てもわかんないな…。あんた、わかるか」。
蘇瑞潮さんもわからない。私もわからない。私は医師がいる部屋の戸をたたく。
眉間にシワを寄せた医師が出てくる。
「このレントゲン、どうゆうことですか。説明してくださいよ」。
「この小さいのが腎結石だ。たくさんあるだろ。薬を飲めば結石はなくなるだろう」。
請求書には、レントゲンなどで60元(約900円)とある。診断書にあたる薄い一筆箋には、うねった文字がある。許さんと2人で解読すると、彼の病名は「左腎泥砂様結石」だった。


「ムムム…?意味ワカラン」。レントゲンを見る許さん



許可が必要だ
ジエシャン、チァロン、ビンナ(♀)と4人で、師範学院の近くの中学校に行く。リンホウの医療を改善するため、校内で寄付を募る許可を得たいからだ。ビンナは、外青隊のボランティアとしてここで英語を教えているので、彼女のコネを利用する。
 「教育局の許可が必要だ」。
 そう言い残して校長は去る。ビンナと顔見知りの先生は、写真やHANDA通信を見ながら理解を示してくれるが、教育局の許可がないとどうすることもできないという。許可がないと生徒も私たちを信用せず、寄付しないかも知れないとビンナは語る。
 「私たちは相手にされてないわね」。
 ジエシャンはそうぼやく。

たらい回し
この地域を管轄する教育局に行く。
 「潮州市の教育局に行ってくれ」。
 よく「たらい回しにされる」と聞くが、このことを言うのだろう。
 「申請、会議、許可、申請、会議、許可…。お役所はダメね」。
 学校での寄付集めは見送ることにする。最近、中学校内で身体が不自由な人への募金がなされたという。その上にリンホウへの寄付を募るのは難しい。
替わりに街頭募金をすることになった。ただ、実施するのは後期が始まる9月だ。延期の理由は、ジエシャンとチァロンが明日卒業して実家に帰ってしまい、リンホウに強い想い入れのある中心的学生がいないこと、さらに3年生以下は試験が始まることだ。8月のワークキャンプに参加した学生がリンホウの医療を改善したいと想ってくれれば、効果的な募金活動ができるだろう。いずれにせよ、3年生のビンナは協力を約束してくれた。テレビ局の助けも借りたい。

流血
村に帰ってくると、曽さんが飲みに誘ってくれる。その前に蘇村長に許さんの病状について報告しておこう。村長は部屋の前で涼んでいる。
「(許)炳遂はどうだった?」
「腎結石です。それほど深刻な病状ではないようです。ただお金の問題は大きいですね」。
「炳遂が左足をケガしたのは知ってるか」。
ゾッとする。午前中、許さんと別れたときの映像がよみがえる。
   *
病院を出た後、蘇瑞潮さんは大きな道から1本入った川の土手沿いに許さんを降ろした。瑞潮さんは私の午後の予定を確認すると、許さんを残してバイクを走らせる。薬を買いに行ったと許さんが教えてくれる。
(潮州に行かなきゃいけないのに…。瑞潮さんはいつ戻ってくるのかな…)。
そんな私の思いを見透かすかのように、許さんは私にもう行けという。しかし、左足にハンセン病の後遺症の傷があり、自由に歩くことができない彼を、土道の端に独り残して行くわけにはいかない。立ち尽くす私に許さんは再度、行けと言う。
(ま、瑞潮さんは薬を買いに行っただけだからすぐ戻るだろう)。
自転車にまたがって後を振り返ると、許さんは手振りで行けと言っている。
その後、この道は人通り、車通りが増え始めたという。許さんは座ったまま移動し、人や車を避ける。無理して立ち上がったときだ。彼は転倒し、元々あった左足の傷から血を流してしまう。血は止まらない。許さんは上着を脱ぎ、それを足に巻いて止血した。
   *
「もう炳遂を古巷に連れて行くのはごめんだ」。
血を流す許さんを村につれて帰ってきた瑞潮さんは、村人に非を責められ、そう言ったという。しかし、瑞潮さんだけの責任だろうか。むしろ、私の方が罪が重いのではないか。ただ、なぜ瑞潮さんは私の予定を知りながら許さんを置き去りにしたのだろうか。

大丈夫かな…
曽さんに事情を話して先に飲んでいてもらい、許さんのところに行く。
「おぉ、帰ってきたか」。
許さんは笑顔だ。
「足はどうですか!?血は止まりました!?」
「ハハ」。
小さく笑うと、許さんは足が地面に当たらないようにして座ったまま移動し、お茶を入れてくれようとする。
「止まったぞ。問題ない」。
劉さんが医薬品を持ってきてくれる。ここへ来る前に頼んでおいたからだ。
「包帯、これは飲み薬、これはバンドエイド、そしてこれが…」。
劉さんの長い話が始まる。お礼を言いながらひとつ1つにうなずく許さんの左足は、いつもより腫れている気がする。

今日のイタダキモノ
郭さん:ごはん
曽さん:卵焼き、焼酎
今日もダメ… [2003年06月17日(火)]

今日は快晴。しかし、蘇瑞潮さんは許さんを病院に連れて行かないという。まだ道がぬかるんでいるからだ。私はその道を自転車で走り、師範学院にいく。

現実的な医療改善策
ジエシャン、チァロンは言う、
 「いつまでも許さんが病院に連れて行ってもらえないようだったら、20日に許さんを病院につれていくよ」。
 リンホウの医療を改善する現実的な方法はこれだろうか。つまり、村人の誰かが体調を崩したとき、師範学院の学生がその人を病院に連れて行く。その費用は、彼らが集めた寄付で賄う。場当たり的な方法だが、いちばん実現可能性が高い。
テレビの協力で社会に広く寄付を訴えられる可能性もある。ジエシャンは今日、以前リンホウを取材したテレビ局の人に偶然出くわした。彼女の提案に彼は賛成したという。ただ、今回の場合は時間が足りない。リンホウの取材をするためには衛生局の許可がいるからだ。

邱プラン
4月21日に潮州に来て以来、初めて師範学院の構内に入る。邱学部長とリンホウでの活動について話し合う場をジエシャンがつくってくれた。以前チャン=ジョンウェンらと話し合った活動計画と邱学部長が考えているプランとが食い違うと厄介だ。後期からスムーズに活動を始めるため、はっきりさせておく必要がある。ジエシャンの通訳で話を進めていく。
 ―邱学部長が考えているリンホウでの活動の内容はどんなものですか。
 「細かい計画はまだない。学生たちに任せる。法に触れることさえしなければ自由にしてもらって構わない」。
 ―何人くらいの学生が参加し、彼らをどうやって組織するつもりですか。
 「今のところ10人くらいだな。外青隊を2つに分け、そのうちの1つがリンホウでの活動にあたる。中心となる学生を探さなければならない」。
 ―活動の継続性についてはどうですか。
 「新入生が入ってくる限り、毎年つづける」。
   *
要するに、邱学部長は特に計画を持っていないようだ。突っ込んだことを訊くと眉間にシワを寄せてポツリポツリと話す。ただ、これはむしろ幸いなことだ。学生たちが自由に活動内容を決めることができるからだ。
別れ際、リンホウでの活動の意義を強調しておく。学生がハンセン病快復者の村を支援することの意味について、その活動が中国という外国の支援があまり入っていない国でなされる意味について、IDEAというハンセン病支援の国際的なNGOや日本の財団などもこの活動を注目するだろうことについて。邱学部長の眉間からシワが消え、笑い声が出る。

今日のイタダキモノ
郭さん:ごはん
また雨… [2003年06月16日(月)]

院長の同意
村長の部屋から見える朝の景色は、今日も雨だ。昨夜やんだが、朝からまた降り始めた。今日も許さんは検査に行けない。
ジエシャンの募金活動の計画を蘇村長に報告する。しかし、村長をはじめ、若深さん、松立さんはあまり喜んでいる風ではない。
「おまえさん方の愛心はよく分かっている。但しな、すべては院長の同意を得てからだ」。

貸した金
村長の部屋から出て行った松立さんが10分ほどで戻って来て言う、
「(許)炳遂にはカネがあるぞ。募金する必要はない」。
松立さんは許さんのところに行って確かめてきたという。許さんの家族が1400元(約2万1000円)のお金を持っているそうだ。ただ、このカネは今手元にない。リンホウに野菜を売りに来る男に貸しているという。一方で許さんはリンホウ医院に借金をしている。お金がないのと同じことだ。

点滴
許さんの部屋には、太くて背の低い透明のボトルが2本おいてある。
「日本産だ」。
そう言いながら許さんは、人差し指を手首に突き立てる。点滴だ。
「2本で145元(約2175円)だ」。
もちろん、彼の自己負担だ。点滴を打って経過を見ることになったという。


医院の職員の奥さんに点滴を打ってもらう許さん。費用は自己負担


古巷にはいかない
11時、雨がやんだ。許さんをバイクで病院に連れて行くことになっている蘇瑞潮さんのところへ行く。医院の職員もそこにいた。
「雨、あがりましたね。古巷には何時に行きます?」
「いかないよ」。
「いかない?雨があがったら行くって言ったじゃないですか」。
「へへへ…」。
「じゃ、いつ行くんですか」。
「雨が降ってないときだ」。
「降ってないじゃないですか!」
「へへへ…」。
医院の職員が口を出す、
「点滴を打って様子を見るから、町の病院に行く必要はない」。
「許さんは検査が必要なんです」。
「…。雨で道がドロドロだから行けないんだ」。
そう言う彼は今日、その道をバイクで通って医院にきた。不審に満ちた眼を彼らに向けると、蘇瑞潮さんは言う、
「行くさ、行くさ」。
「今日?」
「さあてな」。
「さあてな…!?」
「太陽が出て道が固まったら行くさ」。
こうなったら太陽が出るのを待つしかない。待つしかない。

医院のメシ
許さんが古巷の病院に行けないことをリンホウ医院の電話からジエシャンに伝える。電話が終わると職員につかまり、久しぶりに医院で昼ご飯をごちそうになる。
うまい…。昼間から肉が出てくることは村ではほとんどない。スープも2種類ある。ウリのスープと白菜のスープだ。両方とも肉が入っている。

許さんの点滴
夕飯をゴチソウになりに蘇さんのうちへ向かう。途中許さんの家を通りかかると、彼は点滴の最中だった。許さんはニコニコで点滴が刺さる腕を見つめる。近くでボーっとしている医院の職員の奥さんが針を刺してくれたという。
「日本産の点滴はいいぞ」。
許さんはご機嫌だ。ただ、これはアミノ酸の点滴で、血尿とは関係がないはずだ。やはり検査が必要だ。

院長の同意
明日から募金活動を始めたい。そのためには院長の同意が必要だ。ジエシャンが午後、院長に電話した。同意は得られたのだろうか。
「院長は同意したわ。ただ、テレビの件は衛生局の許可が必要だって。中学校を訪問して効果的に寄付を集めるためにもお役所の許可が必要らしいわ」。
また「許可」か。「愛心天使」設立準備以来、この「許可」という言葉を聞く度にイライラっと頭にくる。それはさておき、中学校にいく準備が整い次第、ジエシャンらと一緒に寄付を募りに行くことになった。

今日のイタダキモノ
郭さん:白粥
雨… [2003年06月15日(日)]

雨…
今日も雨。許さんは病院に行けない。
「食欲がないんだ。天気が悪いと身体も良くないな。今日は頭も痛い」。
明日、晴れたら病院に行く。医院の畑の管理をしている人が許さんをバイクの後ろに載せて連れて行ってくれるという。私も自転車でついていくことになった。

郭さんの歌
最近お尻の肉が落ちたのか、郭さんの部屋の低い木の椅子に座るのが痛い。
「キクサン(ジエシャン)、ケイヨン(チァロン)は来ないのか」。
「7月に来るよ」。
「松村泉は来ないのか」。
「彼女は仕事が忙しいから無理だよ」。
郭さんとちょっとした話ができるようになってきた。
「オヤオヤモントウ、ホーメーチャッターニャー」。
郭さんが真顔で私を見つめながら歌う。
「何の歌?」
郭さんはヒヒヒと笑って続ける、
「イトマーイ、カンチウ、カンチウ」。

リンホウの医療改善運動
ジエシャンらは今日の夕方、許さんを始めとする村人の医療を改善すべく、話し合いを持った。
(1) 中学校で寄付を募る
師範学院内ではすでに2度リンホウへの寄付を募り、約4200元(約6万3000円)を集めたので、もはや大学内で寄付を呼びかけるのは難しい。中学校を訪ね、協力を求める。
(2) テレビ
 先日リンホウを取材した潮州の地元のテレビ局の協力を得て、リンホウの医療を改善すべく、社会の関心を高める。
(3) 街頭募金
 その上で、街頭で募金を呼びかける。
(4) 企業訪問
 企業にも協力を求める。
   *
しかし、これらの計画を実行するにはあまりに時間が足りない。彼らは19日の卒業式の後、帰省するからだ。それでも、この機会に何とかリンホウの医療を改善したい。

今日のイタダキモノ
許さん:ポークジャーキー
郭さん:豆腐、肉、ニガウリ
曽さん:夕飯(卵焼き、焼酎)


壊れた自転車を直しに町まで行ってくれるシュウシュウ
許さんの医療費 [2003年06月14日(土)]

「心配じゃから、帰りは遅くならんでおくれ」。
インチンにそう言われ、17時半には戻ることを約束して古巷のネットバーに行く。

7月ワークキャンプの可能性
4月に一緒に白諸村に行ったファニーから返信がきている。
「7月の半ばに1週間の休みがあるから、その時ならリンホウに行けるわよ」。
村人のタコ傷をどうにもできない私は先日、看護士のファニーに助けを求めた。忙しい彼女にリンホウに来ることを頼んでも仕方がないと思いながらも、とりあえずメールしてみた。幸運なことがあるものだ。
7月にはHANDAの義足技師が村に来る可能性もある。ジエシャン、チァロン、シャオハンが村に泊まる予定もある。これら3つを一緒にし、ワークキャンプを開催してはどうか。7月の上旬に授業が終わる学生たちにも参加を呼びかければ、キャンプは成り立つ。
「蘇村長に義足を」。
これをキャッチフレーズに、ワークは「ハンセン病後遺症との闘い」にする。キャンパーはタコ傷のケア、装具のつくり方を習う。ファニーがハンセン病について医学的なレクチャーをすることもできるだろう。

村人全体の問題だ
許さんの検査に関してチァロンから返信がきている。
「許さんが無料で検査を受けることができるかどうかは、彼だけの問題じゃない。将来的には、すべての村人に関わってくる問題だ。社会に広く訴えて、協力を求めよう。リンホウの医療を改善しないといけない」。
テスト勉強が忙しいために村に来ないと村長に冷やかされていたチァロン。これが、そんな彼からのメールだ。ラオピンにあるというハンセン病快復者の村―人口3名―についての情報も送ってくれた。
「ラオピン出身の友達が何人かいるから、彼らに協力を頼んでみよう」。
彼をここまで熱くさせているものは何なのか。逆に不思議に思えてしまう。

今日の許さん
暗くなり始めた頃、許さんとお茶を飲む。
「食後にお腹が『困』なんだ。たくさん食べると消化しないんだ」。
許さんは白いチョークでそう書く。「困」の意味は、「苦しむ、困る、悩む」「(一定範囲内に)抑える、囲む、封じ込める」「疲れる、くたくたになる」だ。
今日も院長はリンホウに来なかった。早く院長に許さんの検査の件をお願いしないといけない。午後、ジエシャンに電話して院長に伝えてもらった。すぐに院長は医院の職員に命じ、許さんの様子を見に行かせた。
「明日、雨が降らなかったら、バイクで古巷の町の病院に連れて行ってくれるって。よかった!」
夕方、医院の職員に電話したジエシャンは、上のようなメッセージを携帯にくれた。
「貧苦」。
許さんが書いたその白い字は、暗い部屋のコンクリートにもくっきりと浮かぶ。明日病院に行く許さんは、その費用を自分で支払う。もし更なる検査が必要だということになれば、それも自己負担だ。手術ともなれば、とても払える額ではない。
「カネがないから、貧苦だなぁ」。
そうつぶやきながら、ランプの暗い灯りを頼りに、許さんはお茶を何度も入れてくれる。

イノシシの手綱
「老蘇(村長)、聞きました?許さんは自分で明日の医療費を支払うらしいですよ!」
「らしいな。医院の職員は、(許)炳遂の家族に連絡して何とかしてもらうとも言ってたぞ」。
「医院が医療費を払わないで、自分で負担するなんてそんな話がありますか!」
「以前にな、古巷で診察を受けた村人がいたんだ。補助を医院に頼んだが、(医院を管轄する)衛生局はどうすることもできないと言った。衛生局もカネがないそうだ」。
「これは許さんだけの問題じゃありません!村人全員がいずれ直面する問題ですよ!今日、チァロンが寄付を集めたいとメールをくれました。動き始めていいですよね」。
「まあ、待て。院長の同意をまず得なければいけない」。
「ジエシャンに頼んで院長に電話してもらいましょう」。
「まあ待て。更なる検査が炳遂に必要かどうかもまだわからないんだから」。
   *
考えれば考えるほど、アタマにくる。村人は、黙っていても差別を受けるが、頼んでも無償の医療は受けられない。
許さんは今ごろ何を想っているのだろうか。

今日のイタダキモノ
郭さん:白粥
若深さん:もち
インチン:焼酎
許さんの検査 [2003年06月13日(金)]

許さんの検査
今日か明日に来るはずの院長が来ない。許さんの病状についてのマイケルのコメントを一刻も早く伝え、許さんに検査を受けさせて欲しいのだが。ただ、院長は恐らく検査費を出すことに同意しないだろう。そのときは師範学院の学生に頼んで寄付を集めてもらい、許さんが検査を受けられるようにしたい。とにかく、まずは院長に伝えねば。
「老蘇(蘇村長)、もし院長が明日来なかったら、ジエシャンに頼んで院長に電話してもらってもいいですかね」。
「ジエシャンか。彼女は面倒がるんじゃないか。テスト中だろ」。
「あの子はアタマいいから大丈夫ですよ」。
「ヒヒヒ、チァロンと違ってか?」

カンペイちゃんの略歴
村長に続き、カンペイちゃんも略歴を書いてくれた。翻訳が終わり次第掲載する。

「蘇文秀」か「蘇某某」か
夜、村長の部屋。
「彭小姐(ヴィヴィアン)が携帯電話にメッセージをくれましたよ。『略歴をHANDAのニュースレターに載せることに同意して下さってありがとうございます』って」。
「あー、あれは出来が悪いんだ。あれを載せて何の意味があるんだ。おれの名前は出さないでくれ。『康復者』(快復者)とでもしておいてくれ」。
こんな種類の村長の笑顔を見たことがない。身体全体が軽くなっているような喜び様だ。
「何を言ってるんですかー。『苦難不在人間』の著者・林志明さんが評価してくれたんですよ。『康復者』じゃもったいないですよー。『蘇文秀』で行きましょうよ」。
「あー、名前はいらん、いらん。そうだろ」。
「うーん、そうですかね…」。
「とにかく名前を出すのはやめてくれ。あれを載せて何になるんだ」。
村長は、笑いに必要な顔の筋肉をすべて動かしている。
「あれを読んだ学生がハンセン病差別を憎み、リンホウでの活動に加わるかもしれませんよ。まあ、そこまで言うなら『康復者』とするよう彭小姐にいっておきます」。
「…」。
一瞬、淋しそうな表情を見せて村長は言う、
「『蘇某某』くらいならいいぞ。どうだ、それならおまえも同意するか」。
「たくさんの人に過去のプライベートな話を知られたくないんですか、それとも謙遜して言ってるんですか。謙遜なら同意しません」。
村長は心の底から笑って言う、
「勝手にしろ」。

今日のイタダキモノ
松立さん:インゲン
若深さん:もち
だんだんと潮州の学生が積極的に… [2003年06月12日(木)]

檄文
さて、昼飯だ。何をつくろうか。遊びに来ていた曽さんは、9日に学生たちがくれた乾麺を食べろという。言われるままに麺を袋から出すと、二つ折りの紙が1枚落ちる。冒頭には、「関愛麻風病人 発揚雷鋒精神」とある。「麻風病」とはハンセン病のことだ。つまり「麻風病人」は「ハンセン病患者」だ。村人は「村人」であって「病人」ではない。一般的には「ハンセン病快復者」と呼ばれる。中国語では「康復者」だ。
この文書は、洋服などの日用品の寄付を大学内で募った檄文のようだ。それを学生は9日、村に持ってきたのだろう。村人の生活の厳しさ、社会の偏見から記述は始まり、村人への寄付を求めている。「麻風病人」と書くのは問題だが、うれしいことだ。曽さんがいるにも関わらず、しばしこれに見入ってしまう。

デビュー
ヴィヴィアンからメッセージが入る。
「林さんが蘇村長の手記をHANDA通信に載せたいって。村長は同意するかな」。
林志明さんは、かつてハンセン病を病み、その半生を『苦難不在人間』と題する本にまとめた。蘇村長がこの本を読んだことは、手記を書くきっかけとなったはずだ。その林さんが、村長の書いたものをHANDA通信に載せてくれるという。
「あー、やめてくれ、やめてくれ。そんな必要はない。あー、やめてくれ」。
「またまたそうゆうこと言ってー。いいじゃないですかー。ヴィヴィアンにOKって言っときますよ」。
ピンクのうちわを不必要にパタパタさせながら、村長は嬉しそうにうなずく。

今日のイタダキモノ
郭さん:白粥、鴨肉、おかし
方さん:サツマイモの葉の炒め物(異常にうまい)
若深さん:もち
うまい酒 [2003年06月11日(水)]

関爺
郭さんと朝のお茶を飲んでいると、隣の若深さん部屋の前に自転車が止まる。男は野菜と大きな肉を降ろす。
「チャッタェ」(茶飲め)。
村の外部の人間を極端に警戒する郭さんがその男にお茶を勧める。それを断った彼は、私にタバコをくれる。
「若深の弟だ」。
やって来た曽さんが教えてくれる。明日、農歴5月13日は関爺の誕生日だ。関爺とは、『三国志』の関羽を指す。死後、関羽は神様として祭られている。祭日をひかえた今日、若深さんの弟はたくさんの食べ物を持ってきたという。

第一回労働営準備会議
蘇村長とワークキャンプの開催について話し合う。中国側10人、日本側10人の参加者を見込んでいると伝える。全員が宿泊できる部屋はあるのか。
「タイラン(僚太郎)の部屋だろ、その隣のテレビの部屋、あとは今物置になってるあの部屋だな」。
すべて長屋Aの部屋だ。前回のキャンプでは1部屋に最大で5人が寝た。ベッドの上の段に3人、下の段―といってもコンクリートの床に銀マットを敷いただけだが―に2人が寝た。ただ、下の段に寝たのは吉田亮輔と私だ。正常な神経の持ち主にはお勧めできない。1部屋に4人が限度だろう。となると、2部屋足りない。
「老蔡(インチン)と玩銀(インイン)が使っていた長屋を使うのはどうだ?」
しかし、そこでは現在、若深さんがニワトリを飼っている。まだ長屋Bに引っ越して来ていない許さんと松立さんの部屋が借りられればいいのだが。図々しいので、今日のところは言わないでおく。
次に、ワーク内容を話し合う。
「屋根を伸ばしてくれるのはありがたいが、8月は雨が多いぞ。工事できるのか」。
建設業者に相談しなければならない。雨の量に関わらず、屋根の拡張は数日で終わってしまうだろう。その他のワークを考えておかなければならない。しかも、雨でも可能なワークだ。
「実のところ、建設の需要よりも、村人の身体の問題の方が大きいんだ」。
リンホウ医院にいるのは外科医だ。内科の診察を受けるためには町まで行かなければならない。お金も必要だ。キャンプで企業訪問などをして寄付を集めるのも手か。
「どこに泊まるにせよ、何を建設するにせよ、まず院長に相談しろ。ここを管理しているのは院長なんだ」。
第二回会議は、リンホウ院長が来る13・14日以後に開く。

9月、許さんと松立さんが新しい長屋に引っ越してくる。以後リンホウでワークキャンプを開催する場合、キャンパーはどこに泊まるのだろうか。今後、師範学院の学生たちが村で活動することを考え合わせても、やはり広めの集会所が必要か。それを今回建てるべきだろうか。それとも、「交流の家」方式で建てるべきか。

うまい酒
インチンと飲む。
「昨日、師範学院の学生たちとワークキャンプについて話し合ってきました」。
「またジエシャンかね?」
「違いますよ。彼女は今試験中なんです。4人の学生と話し合ったんですけど、彼らは8月のワークキャンプに参加しますよ。日本から10人、中国から10人。20人が来るかもしれません」。
「おぉ、おぉ、そうか、そうか。飲みねぇ、飲みねぇ」。
つまみは、若深さんの弟が持ってきた鴨肉とインゲンの野菜炒めだ。テキトーな潮州語だが、今日は珍しく会話になる。最近のインチンは、私が聞き取れる範囲の語彙を把握してくれている。そして、ゆっくり話してくれる。
「おまえさん方な、去年の9月、初めてここに来たろ。それ以前、師範学院の学生たちはここの存在を知らなかった。今は学生たちがたくさん村に来てくれるようになった。うれしいのぅ。さぁ、さぁ、飲みねぇ、食いねぇ」。


郭さんが元気だ。私の名前を呼びかけながら肩を組んでくる郭さんが戻ってきた。最近は、夜、彼の部屋でお茶を飲むのがお約束になっている。
郭さんは黙って、火にかかっているヤカンを見つめる。その表情のまま、彼は顔をこちらに向ける。そして、ニコッとしながらお尻を半分浮かせる。
「ブ」。
狙っていたのか、偶然なのか。彼は照れて大笑いする。

今日のイタダキモノ
郭さん:白粥
蘇さん:昼ご飯(鴨肉、クンシンツァイの野菜炒め、インゲンの焼きそば、ご飯、焼酎)
インチン、若深さん、インイン:晩ご飯(インゲンの野菜炒め、鴨肉、焼酎、ご飯)



昨日学生たちがくれた服をくじ引きで分ける村人たち



「お、これいいな…。これもなかなかだ。ヒヒヒ」(郭さん)



「へへへ、似合うだろ」(郭さん)



扇風機もお気に入り
急展開 [2003年06月10日(火)]

松立さんと蘇さんは6月5日以来、不仲になってしまったのだろうか。テレビ取材の衝撃も冷めない。そんな重い気持ちで迎えた朝。

杞憂
蘇さんが久しぶりに食事に招待してくれる。
11時、松立さんと蘇さんが住む長屋に向かう。松立さんの部屋をのぞくと、誰もいない。蘇さんの部屋に松立さんがいるように祈るような気持ちで、いや、実際に祈りながら蘇さんの部屋をそっとのぞく。すぐ目に入ったのは、フライパンに向かう蘇さん。そして、ドアの影に松立さんがいた。いつも通り、仲良くしている。
ホッとした。この何日か、松立さんは他の村人の部屋にいる時間が長いように感じていた。私が原因で2人の仲にヒビが入ったかと思っていたが、杞憂だった。それにしても、日頃の言動には注意しよう。
いつもの蘇さんのインゲン焼きソバ。今日は一段とうまい。

え、今日?
ホッとして、満腹になったら疲れが出た。少し寝ようとベッドに横になり眼を閉じる。と、携帯電話が震える。ヤン=リー(ナンシー、♀)からのメッセージだ。
「今日の午後、リンホウでの活動について話し合おうよ」。
今日は雨だ。激しい雨だ。そして、眠い。しかし、この機会を逃すと、彼らにいつ時間ができるか分からない。19時半に戻ると蘇村長と約束し、師範学院へと向かう。

ミーティング@台湾レストラン
17時。ヤン=リー、チャン=ジョンウェン、チェン=カイ、ホァン=ツァイシア(♀)が台湾レストランに集まった。「愛心天使」設立の相談にいつも利用していた店だ。一新されたメンバーで、リンホウでの後期からの活動について話し合っていく。
まずは、リンホウで活動する人数。
「学部内にたくさんいるよ。1回の訪問につき6・7人くらいかな」。
ヤン=リーは早口だ。不明瞭な英語を私が話すと彼女は眉間にシワを寄せる。彼女の自然な癖なのだが、どうもその顔が怖いので、少々アタマの回転を早くする必要がある。
「村人の部屋を掃除するのはどうかな?洗濯とか。洗濯機を買ったほうが早いかな。邱学部長と相談してみる」。
ヤン=リーはどんどん話を進めていく。洗濯機の件は村人とも相談するように言っておく。
次に、この活動の継続性について。
「永遠!」
ヤン=リーは言い切る。
ただ、活動の継続性を確保するためには、団体が必要だ。外青隊(6月1日参照)が活動を組織するのだろうか。
「外青隊の内部に小さな団体をつくろう。後期にメンバーを集めるよ」。
外青隊のリーダーのチャン=ジョンウェンが言うのだから、期待していいだろう。話はサクサク進んでいく。大学当局の協力を得られず、難航した「愛心天使」設立の話し合いと対照的だ。


ミーティング


ワークキャンプ参加
後期からの活動へのモチベーションを高めるためにも、是非彼らにワークキャンプに参加してもらいたい。
「うん、いいよ。で、いつ?」「え、8月?帰省中で潮州にいないよ」。
そこを何とか、潮州に出てきて参加してもらえないか。
「8月の終わりの1・2週間だったら、そのまま大学に残って9月に後期を迎えられるから参加するよ」。
彼ら4名はあまりに簡単に同意する。
「何人参加していいの?大学内で参加者を組織するから教えて」。
ヤン=リーは当然のようにそう言う。彼女の行動力には圧倒される。ついに、当初のプラン―中国側参加者10名、日本側10名がリンホウに滞在する―が実行に移されそうだ。
「え、10人だけ?もうここに4人いるじゃん」。
ホントに、ホントに彼らは参加するつもりなのだろうか…。逆に疑ってしまう。
「後期が始まる日がわかったらできるだけ早く連絡するから、そしたらキャンプ日程を確定しよう」。
真顔でチャン=ジョンウェンは言う。

リンホウでの活動の中身
先走るが、リンホウでの活動内容を話し合う。
「村人がガスを使えるようにするのか…。プロパンガスが空になったとき補充するのが難しいね。ガス会社に頼んでみようか」。
「村人への医療費の寄付か…。すでに2・3度、学内で寄付を募ってるから難しいね。企業訪問もしてみよう」。
「HANDAでボランティアをしている看護士を招く?いいね。ハンセン病の知識も得られるし」。
彼らの言葉のひとつ一つに勇気付けられる。もちろん口で言うことは簡単だ。いかに実行するかが問題だ。それにしても、ここまで村のことを考えてくれる学生がいることは、うれしい。
リンホウでの活動の基礎が固まった後は、ハンセン病支援の学生ネットワークの構築に向け、ラオピン(饒平)にあるというハンセン病の村を訪問したい。その近くにある大学に支援活動をしてもらおう。
「ラオピンには大学がないわよ。あ、でも何かの学校はあるわ。そこに頼みましょう」。
お人形さんのような3年生、ツァイシア(♀)は言う。
気づくと18時を回っている。リンホウまではゆっくり行けば1時間半はかかる。19時半に帰ると村長に約束した。学生たちの誘惑を振り切ってリンホウへと向かう。


ミーティングを終えて


ギリギリ
帰りのバスは、なぜかいつもと違うルートを取って終点まで行ってしまう。自転車を止めてあるネットバーまで歩く。時間がどんどん過ぎていく。自転車にまたがったのは19時10分。リンホウまでは30分かかる。かなり暗くなってきた。村人に怒られる問題以前に、街灯がない村までの山道を走るのが危なくなる。
(蘇村長は『遅くなるな』って言ってたな…。『チーティエンパン』(19時半)を『スーティエンパン』(16時半)と聞き違えられてないかな…。また怒られそうだ…)。
「チーティエンパン!」(19時半)
村に着くなり叫んでみる。ぴったり間に合った。
「おぉ、おぉ、時間通りだな」。
ピンクの団扇をパタパタさせながら村長は言う。シュウシュウも満足げに何度かうなずく。

いいヤツらだ
興奮が冷めないまま、学生たちに携帯でメッセージを送り、お礼を言いつつ今後の協力を頼む。彼らの返信は…、
「友達じゃん。また大学にいつでも来なよ」(ヤン=リー)。
「村人の支援はおれらの義務だ。続けるよ!もっともっとたくさんの学生がおれらに協力してくれるよ。そしたら、世界に愛があふれるよ」(チェン=カイ(♂))。
「ワークキャンプに参加できるなんて嬉しいわ。楽しみ。誘ってくれてありがと」(ツァイシア)。

「愛」の語感
チェン=カイの言う「愛」、「愛心天使」の「愛」。これら「愛」という言葉に、私は違和感を覚える。正直に言うと「愛心天使」という名前を聞いたとき、引いた。もちろん、「愛」は素晴らしい言葉だ。ただ、高尚すぎて敬遠されはしないか。何となく偽善的なイメージを受けないか。
どうやら、中国語の「愛」は一般的な漢字のようだ。使うときに身構えるような言葉ではないのかもしれない。学生たちは普通に”love”という単語を使う。「愛心天使」という名前を聞いたときに引く人は今のところいなかった。
もし、「愛」という漢字に対する語感が私と似ている人がいれば、師範学院の外国語学部にある団体―英語をボランティアで教えている―の名前を見れば、中国人の「愛」という漢字に対する見方を理解する助けになるかもしれない。その名は、「外語系青年志願者服務隊」。

今日のイタダキモノ
蘇さん:昼ご飯(インゲンの焼きそば)
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